ある物語の思い出
薄暗い自室の中で、おっさんの死をラジオで知った。その報道は冷たい言葉と共に今も絶え間なく響いている。
「本当に大馬鹿だよね」
何かが耳元でそう囁いた。
驚いて振り返ると、眼前にあの黒い服装の女性の顔があった。
下手に動いてしまうと目と目がぶつかりそうな距離でこの女性は俺をじっと眺める。
不気味なほど整った顔立ちをしている、だけど黒色に染まっているその瞳はどこまでも不吉だった。
「なんでここにいるんですか?」
自分は当然の疑問を投げかける。
「あなたが次だからかな」
「次?」
黒い服装の女性は「そうだよ」と同意し、部屋を見渡す。
そしてデスクの上に置いていたおっさんから貰った古びた本を見つけて「これこれ〜」と無邪気に指をさした。
「その本はおっさんの__」
「中身は見た?」
首を縦に振ることで肯定の意を伝える。
その本の中身を確認したが何も書かれていなかった。全てのページが白紙だったのだ。
「そうガッカリしたよね、これって実は中身に大した意味はないの、大切なのは所有権。これを持つ人が契約できるの」
「……一体何が言いたいんですか?」
「君が引き継いだ"物"の話だよ」
そう言って彼女は古びた本を手に持つ。
「ある男の物語を君に聞かせてあげようか」
そう言うと、古びた本がほのかに光り白紙だったページにじわりと文字が浮き上がった。
手品だろうか、にしては不可解だ。
「ちょっとだけ昔の話」彼女はそう前置きして語り出した。
ある所に愚かな少年がいました。
その少年は1人で生きていけると信じ、他人を愛するという事を知りませんでした。
ある日少年は不思議な伝説を耳にします。どこかになんでも叶えてくれる魔法の本があると。
少年は愚かですが、優秀でした。程なくして少年はその伝説の本を見つけます。
古書屋の奥底で静かに眠っていたそれを盗み出すと、その日の夜に悪魔が現れました。
悪魔は言います。
「君は恩人だ、特別に望みを叶えてあげようか?」
少年は困ってしまいました。好奇心はあれども望みはありません、毎日が満ち足りていたのです。
少年は言いました「望みができるまで待って欲しい」
悪魔は快諾しました。本に縛られていた悪魔にとって、その提案は少しばかりの自由を享受できるものだったからです。
それから少年と悪魔は時に交流し、時に喧嘩し、時に夢を語り合いました。
そして少年が青年に変わる頃、事件は起きました。
彼の母親が死んでしまったのです。
そこで彼は気がついてしまいました、親が死んだのに涙の一滴も流さない自分の異常さに。
酷く動揺した彼は悪魔に願い事を伝えてしまいます。
「愛を教えて欲しい」
それが彼の望みでした。
悪魔は望まれたことを断ることが出来ません。対価に釣り合うならその望みを叶える必要があるのです。
悪魔は尋ねます「愛というのはとても苦しく悲しいものだよ?本当にいいの?」
彼はそれでもよいと返事をしました。
悪魔は受け入れるしかありません。そして悪魔は『愛を知る』おまじないを彼にかけました。
そして彼は対価を支払います。彼の持つ最も優れたもの「動じない精神力」と彼が最も大切にしているもの「悪魔との友情」を。
程なくして彼の元に縁談が舞い降りて来ます。
彼は愛を知るためそのまま結婚してしまいました。
彼は一生の伴侶を手に入れ、愛というものをゆっくりと妻から教えて貰いました。
として更に時が過ぎ、妻は愛の結晶である子供を身ごもりました。彼は泣いて喜び、祝福します。
愛を知らなかった彼はもういません。
しかし、悪魔は未だ彼の側にいます。
そして出産の日、彼にとって最悪の日が訪れます。元々体の弱かった妻は子を産む事に耐えきれませんでした。生まれたばかりの娘を1度抱いてそのまま死んでしまったのです。
彼は酷く、とても酷く悲しみました。彼の脳裏に浮かぶのは妻との楽しかった思い出ばかり。もがき苦しみ、そして理解させられてしまいます。愛というものを。
彼は愛する妻を失うことで何よりもどんな事よりも愛を実感してしまったのです。
「これが愛なのか?」彼が尋ねると「これが愛なんだよ」悪魔はそう囁きました。
彼は全てを理解してしまいます。
愛とは失ってより深く理解することができるのだと。
だからあの呪いで妻と出会い、そして呪いで死んだのだと。自分に愛を教えるために。
聡明な彼は静かに絶望しました。
まだ終わっていない。
なぜ悪魔は消えずに自分の傍にいる?なら、次は?
生まれたばかりの娘を見て彼は察してしまいました。
彼は自殺を考えます。ですがそれは妻の願いを裏切ってしまう。それはできない。
代わりに彼は2つの誓いを決めました。決して娘を愛さない、そして絶対に守りきるという誓いです。
でも、そんな誓いは最初から無理に決まっています。
それから彼は……ここから先は知っているよね?
「その悪魔を俺に託して結局自殺してしまった」
「そういうこと。めでたし、めでたし」
黒い服装の女性__悪魔はそう締めくくり、本を閉じた。
「どう?本当に馬鹿な話でしょう?」
……反論しようと思った。
だけどそれは出来なかった。悪魔の瞳を見てしまったから。
「……今はただ死を悼みましょう」
「悪魔の私が?」
「はい」
「そう……確かにそれもいいかもね……」
そう言って悪魔は目元を少し拭った。
そしてしばらくの間黙祷する。
何秒だったか何分だったかはわからない。
「私ともっと一緒にいて欲しかった」そんな言葉が聞こえたような気がする。
俺が目を開けると、悪魔はニヤリと笑って囁いた。
「もう一度、彼女に会いたいでしょ?」
「え?」
それは言外に彼女を生き返らせることができるとほのめかしていた。
「どぉ?」
「会いたい……会いたくない訳がない」
「その言葉を待っていたんだよ。さぁ望みを叶えてあげようか」
「対価はなんですか?」
「話が早いね君。いいかい、これは契約だよ____」
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