第21話

 して、――翌日。


 『スーパー寄ってから帰るね』とメッセージを送ってきたひなたの帰宅は珍しく俺より遅く、部活を終え、帰宅してしばらくソファでくつろいでると、カズがピクリと反応した。


「おっ邪魔っしまーっす」


 玄関から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 普段は来客があっても大して気にしないカズが定位置であるソファから飛び降りて、玄関の方をじっと見る。――吠えたりはしない。


「今の声って……」


 リビングの扉が、開かれる。

 ひなたと一緒に入ってきたのは、――黒ギャルだ。


 正確に言うと、クラスメイトの仁部、――下の名前は知らない。凶器みたいに長い爪を装備した、クラスの中じゃ結構孤立してる女子である。

 確かに偏差値はそこまで高くない高校ではあるが、髪染めて肌焼いて爪尖らせてスカート短くして――、ここまで校則違反オンパレードなギャルはそうは居ないのだ。


「えっ、マジでそーまっち居んじゃん」


 俺の顔を見るや否や、けらけら笑う仁部。「だから言ったでしょっ!」とひなたが言うのを見るに、俺と同じ家に住んでることをあまり信じていなかったご様子。


「……居るが、えっと、ひなたさん?」

「なに?」

「…………おかえり。お友達連れてきたのか?」

「ただいま。うん」

「仁部も試食係……だよな?」

「ちがくて。せんせーって呼びなよー? 今から花嫁修業始めちゃうんだけどー」

「あかり先生っ!」


 仁部の下の名前あかりって言うんだ。


「へへへ、ひれふせー」

「ははーっ」


 変な寸劇が始まったのを、呆然と見つめる俺。

 カズはてこてこと仁部に近づくと、くんくんと匂いを嗅ぐ。流石に知らない人間ということに気付いたか、しばらく足の匂いを嗅ぎ続けると、人懐っこいデカい犬にはあまり慣れてないのかアワワ、と若干慌てた様子である。


「おっ、わんころいんじゃんわんころ。でっけー。何キロ?」

「35……だったかな、えっと聞き間違いだと思うからもう一度聞くが、何しに来たんだ?」

「お料理教えに来たんだけどー」

「いや無理だろっ!?」


 流石に突っ込んじまったよ。それはないだろ流石にさ!!


「無理じゃねーって、うち7人兄弟で、あたし長女でさー」

「な、なな……?」


 なにそれテレビに出るような大家族?


「小2ん時からずーっと家で飯作ってっから、そこらの主婦レベルよ?」

「……マジか」


 人は見掛けによらんというか、確かにその環境なら料理も上手くなるのか。

 だが、米も研げなそうなギャルである。なんか爪にバチバチ張られてる大量のビーズ的なやつ、米洗っただけですぐ剥がれ落ちそうなんだが。


「ん? じゃあ家で飯作んなきゃだろ、こんなとこ来てていいのか?」


 時計を見ると、16時半。これから飯作って帰って――、7人の弟たちは腹空かさないだろうか。


「うん、1時間くらいなら時間あるし。ウチのチビもそんくらいは待てるよ」

「そ、そうか……、じゃあ、頼む」

「うぃー、キッチンとひなた借りるねー」


 二人で買い込んだ食材はかなり多いようで、両手の買い物袋はいっぱいだ。

 買ったものを取り出されるのを眺めていると、食材というより調味料が多そうだ。確かにウチ誰も料理とかしないから、調味料なんてほとんどないんだよな。冷蔵庫も酒ばっかだし。賞味期限のない塩とか砂糖くらいしかないと思う。


 ――して、待つことおよそ1時間。


「お、おまたせしました……」


 恐る恐るひなたが机に置いたのは、生野菜のサラダと――オムライス。

 卵はだいぶぐちゃっとしてるし、上手く巻けたと自信をもって言える出来ではないだろう。若干顔が引きつってることから分かる通り、ひなたが作ったもので間違いない。

 既に机に置かれていたもう一つのオムライスと比べると、一目瞭然である。――なんか洋食屋のオムライスみたいに完璧な形で巻かれてるんだけどこれを、仁部が!? プロ?


「み、見栄え悪いからこっちはボクが食べるね。そーまくんはあかりちゃんが作ってくれた方を――」

「嫌だね。俺はひなたが作った方を食う」

「…………あんまり期待しないでね」


 こんな自信なさげなひなたを見るのは初めてだ。

 もじもじと指を絡ませ視線を外し――、女子みてえ。いや女子なんだが。にしてもエプロン姿可愛いな。デフォルメされたシロクマがプリントされた、女の子らしいエプロン。ちょっとケチャップが跳ねた痕跡がある。


「んじゃお邪魔ー、また明日来るからねー」

「あっ、うん! あかりちゃんありがとねっ!」

「はいはーい、お達者でー」


 エプロンを脱ぎ、ダイニングの椅子にぺらりと掛けると、仁部はとっとと出て行った。食べるところまでは居ないらしい。まぁ家で兄弟の夕飯作らないといけないらしいしな、人の家でのんびりしてる時間はないんだろう。


「……もう食っていいのか?」

「う、うん」


 ひなたと二人きりになるのは、もう慣れたつもりだったが――、流石にちょっと緊張する。


「いただきます」


 手を合わせると、ケチャップでハートが描かれたオムライスに、スプーンを突き刺す。

 ごろごろした、言い換えれば不揃いな具材が赤い米と一緒に卵の中から零れ出てくるのを掬い、口の中へ。

 もぐ、もぐ、もぐ――


「うん、うまいうまい」


 想像していた炭でもないし、野菜と肉はデカいはデカいが食べ応えがある。

 それに、見栄えは置いといて味は完璧だ。そこは仁部が協力したのであろう。

 別に料理の見た目に拘るタイプでもないから、味が良ければすべて良し、と考えてしまう俺である。

 嬉しそうに表情を緩ませたひなたが、しかしまだ心配そうな顔で上目遣いになる。……クッソ可愛いな。


「……ホントに?」

「あぁ、全部ひなたがやったのか?」

「う、うん。包丁持つのも初めてだったんだけど……」

「……そのレベルか」


 俺ですら調理実習で包丁くらい握ったことあったが、ブラジルにはそういう授業なかったのかな。いやまぁ調理実習で触ったくらいだから自慢出来ることはないが。

 しかし、ちゃんと教えてくれる人が居たからか、それともひなたが頑張ったからか――、料理一回目とは思えない出来である。

 夜に麺とパン以外を久し振りに食べて、今俺はちょっと感動してる。


「こんな飯なら毎日でも食いたいな」

「まっ、毎日!?」

「え、うん」


 顔真っ赤にして、――そんな照れることか?

 だって毎日ラーメンと完全栄養パンだけ食ってたんだから――

 って、ちげえ。


(今のプロポーズみたいになってなかったか……?)


 ひなたの顔は真っ赤だ。自分は仁部が巻いてくれたであろう綺麗な形のオムライスを食べていたが、手が完全に止まっている。

 しまいにゃスプーン置いて頬に両手を当て、「あうぅ……」と俯いて悶えだした。


「わ、悪い。変なこと言っちまったな」

「へ、変じゃないよ!? う、うんっ、毎日作るね?」

「お、おう、頼む」


 変な空気になっちゃったので、失言を避け、何も喋らないようにして食べ進めた。


 洗い物くらいはするよとキッチンを交代し、いつもの数倍ある洗い物を処理していると、テーブルを拭いていたひなたがぼそりと「……よかった」と呟いた。


「マジで旨かった。……仁部、あんなで料理出来たんだな」

「うん、意外だよね。明日からも色々作ってみるけど、食べたいものとかある?」

「食べたいもの? ……肉かな」

「お肉ね、……男の子だね」

「男の子だからな」


 肉は好きだ。まぁ、高いし自炊も出来ないから食べる機会は滅多にないんだが。精々がコンビニのホットスナックで売ってる揚げ鶏やデカいフランクフルトくらい。それ以外のものも、食べたいよねたまにはさ。

 しかし、ひなたがこれから作ってくれるというのだから、食べたいものをいくらでも食べられるようになるわけで――


 ただ、問題が一つ。


「食材の話なんだが」

「うん?」

「金出すからな、俺も」

「えっいいよ別に」

「……いや流石に出すべきだろ、普通に親から食費は貰ってんだし」

「そんな気にしないでも良いんだけど。じゃ、うーん……」

「いくらくらいなんだ?」

「一食あたりでは計算してないけど、そんなにはかかってないと思うよ? 300円くらいかなぁ」

「……そんな安いのか」


 コンビニのサンドイッチとかカップラーメンと同じくらいじゃねえか。それであんなちゃんとした飯が食えるのか。


「うん、仁部さんにどうやってスーパー回るかのコツも教えてもらったし、明日からは自分で買うんだ。でもバイトある日は遅くなっちゃうけど、大丈夫?」

「あぁ、時間決めてるわけでもないしな」

「そーまくんも一緒にお買い物行く?」

「いやそれは……、あ、いや、一緒に行くべきなのか?」

「どういうこと?」

「それなら俺が食費出せるだろ、半分くらいは」


 バイトもしてないからそんなに大量には出せんがな。つーか、家で飯作るって言えばもうちょっと多めにくれるような気もするんだが。

 1日1000円の食費は、買い置きしてあるパンやラーメンを食べる前提なのだ。自炊は最初から考慮されていない。

 もし作るって話になったらもっとちゃんと貰える気もするんだが――、それも結局俺の金ではないんだよな。


「お金のことはいいよ、お父さんからも貰ってるし」

「そうなのか?」

「うん、そーまくんの分も作るって言ったら多めにくれたから、居候代と思って、さ」

「……だけどなぁ」

「試食係でもあるし」

「……うぅむ」

「じゃあ、さ」


 手を止め、ひなたは俺のすぐ隣までやってくる。

 ドキッとして、――あぁテーブル拭いた布巾をシンクに置きに来ただけかとちょっとガッカリしたが、ひなたは俺の隣に立ったまま続ける。


「こんど、返してよ」

「今度?」

「……そーまくんが、働きだしてからでいいから」

「いや、……そんな遅くていいのか?」

「うんっ!」


 しかし、満足げな顔であるので、それ以上はやめておこう。


「……分かった。じゃあ、そん時にまとめて返す」

「うんっ、どうせ家計も一緒になるしねっ」

「うん?」


 まぁそうか、俺に稼ぎがあったら二人の稼ぎから折半して出せば良いわけだし――

 しかし、なんとなくそうとは思えない表現に聞こえて、しかしひなたは嬉しそうなので追及はやめておいた。


 ひなたが何を考えていたのか――、俺は後に知ることになる。

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