第22話

「免許皆伝かなー?」

「ホントに!?」

「ウンウン、もう教えることないわけじゃないけど、あとは自分でレシピ見て作れそうだし? ひなたちゃんマジ偉いわ。撫でてやるー」

「えへー」


 じゃれてる二人を横目に、教科書に視線を落とす俺。

 ――しっかしまぁ、集中出来ない。家で勉強する習慣がないからか、それとも土曜にまで料理教えてに来てくれた仁部が気になるからなのか。


「んじゃまた学校でねー」

「うんっ、ホントにありがとね!」

「いえいえー」


 あっさり出てった仁部を見送り、ほくほく笑顔のひなたがテーブルに着く。


「免許皆伝だってっ」

「らしいな。おめでとう」

「もうこれでそーまくんが食べたいものなんでも作れるよっ」

「えっマジか」

「何食べたい? お祝いで、夜作るよ?」

「…………肉かな、牛肉」


 もうちょっと具体的に料理名を言った方が良いということは学んだんだが、残念ながら俺の知る料理のレパートリーはそこまで多くない。


「牛肉ね、……お祝いで牛肉だと、ステーキかローストビーフか……、シンプルなののが良いよね」

「あぁ、とにかく肉を食いたい気分だ」

「りょーかいっ、あとで買い物行ってくるね。そーまくんは?」

「……もうちょっと、キリが良いとこまでやらせてくれ」

「はーい」


 そう言ったひなたは、ソファに移動するとそこで転がってたカズに顔を埋めて先程俺に伝えたのと同じ報告をする。犬にまでかよとちょっと笑えてきたが、いかんいかん、集中せねば。


 何故慣れない勉強に取り掛かっているかというと、理由があって。

 1年最後の期末試験――そこで俺は、ひなたに総合順位で負けてしまったのだ。

 高校1年生を3カ月しかしてないひなたに、である。

 ひなたは別に元から勉強が好きだったわけではないらしく、ただ単純に、12カ月高校1年生をしてきた俺より、3か月しか高校1年生をしてないひなたの学力が上回っただけである。

 ちょっとショックデカくて、今は勉強してるところだ。ちなみに決戦は1学期の期末試験である。


「でもそーまくん、意外」

「うん?」

「……家で勉強してる様子ないから、成績とか興味ないんだとばっかり」

「あー、……いや、一応な、」


 元から別に勉強熱心なタイプではなく、課題以外は全く手を付けないくらいだったのだが、それでも成績は上の下くらいはあったのだ。授業中はやることなくて暇で、授業聞いてたからだろうな。

 別に進学校でもないただの公立高校である。教師の質はそこまで高くないかもしれないが、それもあってかテストが難しすぎるケースはほとんどない。授業を聞いてれば分かる程度の範囲しか出題されないので、テスト勉強とか張り切って勉強しなくても、まぁある程度は高い順位が取れていた――、のだが。


「大学とかも、考えたいしな」

「……行きたいとこあるの?」

「いや全然」


 勉強するのに雑談相手が居るリビングはまずいんじゃ、という気持ちもあるが、自室に行ってしまうと絶対勉強しないのが目に見えてるので、それならスマホを遠いところに置いてダイニングテーブルに教科書を広げた方がマシである。


「なら、どうして?」

「いや、だってほら、……そっちのが収入とか、就職先増えるだろ」

「あー……、そっか、そうだよね」


 しかし、なんだか不思議そうな反応を見せたひなたは、「あー」と天井を見上げる。


「……ブラジル、大学行く人ってホントに珍しくて」

「そうなのか?」

「ほら、日本人って、特にやりたいことがなくても大学に行く人も多いでしょ? でもブラジルは大学の数もあんまり多くないし、学費も高いし、なんとなく大学いくー、みたいな風潮はないんだよね。大卒の人は10%くらいしか居ないんじゃなかったかな?」

「へー、お国柄ってあるんだなぁ」

「だからボクもそんなに意識してなかったんだよねぇ」

「……なるほどなぁ」


 そういう文化の違いもあったのかと、今更知る。いやひなたと同居はじめて4カ月とか経ってんだけどな。今更ってとこあるよな。

 でも普段から勉強の話とか全然してなかったし、はじめの頃と比べると俺もリビングに居る時間が増えて話すことも増えてきたが、それでも机を挟んで勉強、って雰囲気にはならなかった。げんに最近は俺が勉強しててもひなたは勉強する気配ないしな。


「ん? じゃあひなた、どんな仕事したいとかもう考えてたのか?」


 大学に行くつもりがなかったのは、文化の違いとして納得出来た。だがひなたのことだから、高校の先を何も考えてないようには見えないのだが――


「まぁ将来的にはやりたいこともあったけど……」

「何だ?」

「……内緒」

「…………そうか」


 ソファで、俺に背を向けたまま言われると、ひなたがどんな顔でそう言ったのかは分からない。けどま、耳は赤いな。


「親と一緒の仕事したりとか、そんなことは考えなかったのか?」

「あー、ウチ? 無理無理」

「……そうなのか? なんだっけ、外交官とか、そんなだよな」


 何をしてるのかはよく知らん。ただ仕事で奥さんと出会ったってことだけは知ってる。幼稚園児の頃から、耳が腐るほど惚気話聞いたからな。幼稚園児にそんな話をするな。


「そうそう、ただ外交官って縁故採用ないんだよね、だから一緒の仕事やりたくても自力で試験通るしかないんだけど……」

「けど?」

「公務員試験の中で一番倍率高いのが、外交官ね」

「…………そりゃエグそうだ」

「だから最初から目指そうと思ってはないんだよねー、楽しそうでもないし、転勤多いし……」

「……そうか」


 その転勤でブラジルまで行ったくらいだもんな。そりゃやりたいとも思えないか。

 話を聞く限りブラジルでの生活は楽しくなかったわけではないらしいが、やはり日本との文化の違いは常に感じていたようだ。物心つく前からブラジルに住んでたならともかく、小学1年生までは日本に居たわけだしな。


「じゃ、ひなたは就職か?」

「かなぁ……」

「まぁひなたはどこ行っても採用されそうな気はするが……」

「えっ、どうして!?」

「顔採用」

「そんなのないでしょ!?」

「いや、……あるだろ、普通に」


 俺は社会に出てないからよく知らねえけど、ないわけないだろそんなの。

 俺が試験官だったらひなた来たら絶対通すぞ。可愛いし、性格いいし、なんか雰囲気ほんわかしてて一緒に居ると落ち着くし――、こんな逸材を面接で落とす試験官が居たら、そいつは人間が肉の塊に見えてるような奴だけだろう。


「そ、そうかなぁ……」

「あぁ、自信もて。……面接まで行けば、絶対受かる」

「そ、そう?」


 顔は見えないが、まんざらでもなさそうな声である。


 そこで会話はしばらく止まり――、およそ1時間後。

 ようやくひと段落ついた俺が椅子から立ち上がって伸びをしていると、カズが大きく欠伸をして、ひなたも釣られて「ふぁあ……」と欠伸をしていた。大型犬のクソデカ欠伸に釣られる奴初めて見たな。


「ちょっと外、出るか」

「どこ行く?」

「散歩、……でもいいが、買い物行くか?」


 散歩、と口に出してもカズが全く反応しなかったので、今は外に出る気分ではないらしい。決まった時間にしか動かない犬なのだ。まぁ年だしな。

 大型犬とはいえそんな毎日数時間も散歩出来る身体ではない。……まぁ若い頃からそうなので、ただめんどくさがってるだけの可能性もあるが。


「行くっ! ちょっと待っててね」

「あぁ、……片付けてる」


 時計を見ると、15時を回っていた。今日は昼前に仁部が来てひなたと飯作って3人で食べて(土日は家で作らなくても良いらしく、ウチで食べてくことも多いのだ)、そっから勉強したから、ちょうどオヤツ時な感じだ。

 とりあえずカズに骨ガムを放り投げると、器用に空中でキャッチされる。


「つっても、どこ行くかな……」


 買い物と言ったはいいものの、別に買いたいものがあるわけでもない。スーパーなんて俺がついてっても「えっ肉たけえ!?」みたいな反応しか出来ないからな。前やった。


 ひなたが料理をはじめてしばらく経ったが、未だに俺は食費を渡せていない。

 まぁバイトするでもなく家でぐだぐだしてる男から渡せる金なんて親から貰った飯代くらいなもので、そんなのは要らんという意思表示ではあろうが――

 ちゃんと金を払うためにも、まともな企業に就職して家に金を入れられるようにならねばならぬと考え出したのも仕方ない。アルバイトなんかして学生の本分を見失うくらいなら、ちゃんと勉強して良い大学に入って就職を有利に進めようと思ったのも、まぁ自然な流れである。


 ――将来のことなんて、ひなたと再会するまでは何も考えていなかった。

 ただ今日を生きることにしか興味なく、明日のことすら考えなかった俺が、前を見れるようになったのだ。

 それは、本当に感謝している。

 ひなたに何かされたわけではなく、ただ、一緒に居るだけ。それだけで、未来を想えるようになったのだ。


「おまたっ!」


 ビシッと決めた美少女コーデに一瞬目を奪われ――、顔の半分くらいを覆ってそうなオシャレな丸眼鏡も似合ってて、うーん可愛い。


「可愛いな」

「ふぇっ!?」

「……悪い、つい」


 たまに出ちゃうんだよな、心の声。

 まぁ男だと思ってた頃からそうだったけど、最近のひなたはなんかすぐ照れる。なんでだろうな?


「行くぞ、スーパー以外で行きたいとこあるか?」

「あっ、それなら駅前の――」


 あっさりと目的地が決まり、二人で家を出る。

 ――もう自然に腕を組まれるので、最近はだいぶ慣れてきた。まぁ胸がぎゅっと二の腕に押し付けられてる感覚に集中してるだけとも言えるが。


 駅ビルで家電とか食器を見たり、ちょっと買ったり――、たぶん同じ高校であろう若いカップルにぎょっとした顔で見られたりもしたが、ひなたが帰ってくる前とは違い、最近は俺に悪態を吐いてくる奴はほとんど居ない。

 3か月も居るとクラスメイトはひなたにも慣れてきたが、2年に進級してしまえば話は別。クラスメイトのほとんどが入れ替わったが、偶然ひなたと同じクラスになれたので、ひなたがまたクラスの中心的生徒に囲まれてるのを、日陰からぼうっと眺める毎日。

 最近は男子も普通に俺に話しかけてくるようになったので、1年の時には考えられない雰囲気である。まぁ外で遊んだりといったことはないんだが。


「ね、そういえばさ」

「ん?」


 駅ビルを出て、普段立ち寄らないらしい高級スーパーでウィンドウショッピング(ここは高いので何も買わないらしい)をしていたひなたは、ふと気になったのか口を開く。


「1学期末の試験、何か賭けない?」

「……いや別に良いが、どうした急に」

「勝者は敗者の言うことを一つ聞くことっ!」


 なんてビシッと宣言されたが、俺が見てる限り、ひなたが家で勉強している様子はない。

 1年の期末試験では負けてしまったが、流石にここ最近毎日家でも勉強してる俺が負けるはずがないだろう。どうして急にそんな提案をしてきたのだろう。


「…………後悔すんなよ」


 そう伝えても、どこか自信ありげに「ふふーん」と返される。

 確か俺が62位で、ひなたは59位だったっけ? 総合点の差は数点、ぶっちゃけ誤差だ。そう自信満々にいられる理由が分からないが――、

 まぁ乗ってやるかと、コクリと頷いた。


 ――地獄の釜が開いたのは、それからだ。

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