第16話

 俺の方は1分で着替え終え、――しばらく、といっても5分ほど待っていると、客間からひなたが戻ってきた。


 ――いや、本当にひなたか?

 見慣れた美しすぎる金髪は、一瞬にして茶髪に。長さもいつもよりだいぶ長いロングヘア。大きすぎる丸眼鏡を掛けた、その美少女は――――


「お待たせ!」

「……えっと、ひなた、だよな?」


 ちょっと不安になってきた。入ってくの見たんだが、中で別人に変わってたりしない?

 そこに居たのは、間違いなく美少女だ。男装してる美少女ではなく、本当の美少女。ただまぁ、俺の好みとしてはやっぱりいつもの金髪の方が似合ってると思うが、それはそうとして。


「そうだよ。これならバレないでしょ?」

「あ、あぁ。絶対バレない」


 良かった合ってた。しかし、まず印象が違いすぎる。ひなた=金髪だったから、髪の色が変わっただけでもう別人に見えるのだ。

 更には女子らしい長めのスカートまで履いてたりしたら、イメージの乖離で同じ顔かも判別出来まい。それに加えて巨大な眼鏡で、瞳の色に意識すら行かない。

 ――一瞬、に見えた気がしたが、誰に見えたのか全然分からないのですぐ忘れた。


「それ、ヅラか?」

「ウィッグって言うんだよ」

「……変装用?」

「っていうか、コスプレ用」

「……そうか」


 コスプレ、――ってあれだよな。アニメとかゲームのキャラの格好するやつ。

 今のひなたは普段着っぽいからコスプレではないと思うが、それ用のウィッグを持ってるってことはつまり、普段から使っていたということだろう。

 なるほど俺が知らない外遊びはそういうのも含まれていたのかと納得し、まじまじとひなたを見ていると、カズ「はよ行くぞ」と言いたげな顔でリードを咥え引っ張ってくる。


「……行くか」

「うんっ!」


 いつものコート――ボタンが俺のコートとは反対だ、どうしてこれまで気付かなかったんだろう――を羽織ったひなたは、嬉しそうに玄関に走っていった。


 散歩に出て、30分。そろそろ折り返し地点だ。

 いつも同じルートで散歩しているわけではないが、縄張りの巡回なのか、決まった範囲内をカズの行きたいように適当に歩き続ける。30分のタイマーが鳴ったら、そこから帰るのがいつもの定番コースであった。

 今日はひなたも居るからか、カズの足取りがいつもより軽いように思える。ここ1,2年は帰り道なんて亀かよって速度でのんびり歩いていたので、折り返し地点になってもまだ人と同じ速度で歩いていることにちょっと驚く。


「そいや、コスプレなんてしてたのか」

「えっ、うん。……見たい?」

「見たいか見たくないかで言われたら見たいは見たいが、……恥ずかしくないのか、そういうのに見られるの」


 返事がなかったのでひなたの方を見ると、顔を赤くして目を逸らしてきた。えっ俺なんか言っちゃった!?

 ……あぁ、なんとなく提案してみたけど考えてみると恥ずかしいとか、そういうことかな。顔を赤くしたまま「み、みうち……」なんて呟いてる。そこかよ。一緒に住んでたらもう身内判定だろ。


「べっ、別に見たいなら見てもいいけど、……んでも、生だとちょっと難しいかも?」

「どういうことだ?」

「撮影の時はスタジオ借りてるし、無料で入れるようなとこでもないから……」

「あー、……有料のとこ使ってんのか」


 スタジオというのがどういう仕組みなのかはよく分からないが、コミケとか(行ったことないが)、そういう大多数が入れるイベントでコスプレをするのとは違うんだろうな。

 ……しかし、なんか不安になってきたな。閉鎖空間って、逃げようがないだろ。そんなとこに男と二人きりだったりしたら、流石に――


「一人で行ってるわけじゃないんだろ?」

「うん、昔からネットで交流してる人が何人か居て、いつもその人たちと一緒に撮影してるよ。ほら、そーまくんも合ってるでしょ?」

「……ん? 俺ひなたの友達に会ったことなんてねえぞ。クラスの奴か?」

「じゃなくて、亀崎さん」

「きさき……、ってお前、あのバイト先の店長!?」


 うん、と頷くひなたは、なるほどそういう付き合いで――と納得したが、うーん、そうか、30過ぎて、更に結婚してて子供が居てもコスプレとかするんだな。意外だ。


「流石に日本ほど流行ってるわけじゃないけど、ブラジルでも毎年、結構大きい規模のアニメイベントやってるんだよ。10万人以上集まってるんだっけな? あっちでコスプレ始めたのが3年くらい前で、ネットに写真上げるくらいで満足してたんだけど……、亀崎さんはその頃からよくリプくれてて、こっち来てようやくちゃんと会えたんだぁ」

「へ、へぇ……。あっ、あのバイトもないのに帰りが遅い日って――」

「うん、一緒にコスプレしたり、ご飯食べたりしてるよ」

「そ、そうか」


 ひなたの謎行動の一つが解明されて、――そんなことにも気付かないくらい、俺はひなたを見てなかったんだな、と溜息が漏れた。


「心配しなくても、カメラマンは亀崎さんのお友達で、男の人は居ないよ?」

「そ、そうか。いや心配とかは――」

「してくれないの?」

「……しなくは、ないが」


 上目遣いでこちらを見るひなたの顔を直視出来ず、思わず目を逸らした。

 いや、そりゃ心配になるだろ。SNSだとコスプレイヤーが悪質カメラマンにホテル連れ込まれたみたいな話が定期的に回ってくるしな。そりゃ心配にもなるだろ。


「あっ、」

 ふと、パズルのピースが繋がったような気がした。


 普通の人間は、仮に適性があっても異性の格好をしてそのように振舞うことはしない。しかしコスプレをしてるなら――


「どうしたの?」

「……前から学校で男装してんのって、まさか趣味でもあんのか?」

「うん、……案外バレないもんだよね」

「まぁ純日本人顔だったら一目で分かったかもしれんが、金髪碧眼の白人系、日本人はあんまり見慣れてないってのはあるだろうな」


 まさかの趣味が実益も兼ねていたパターンかよと、苦笑いが漏れた。

 ひなたの外見は、不思議なことに

 とはいえ純粋な白人系よりもアジア人っぽさは残っている。というのも両親のうち母親がハーフなだけで、髪の色はここまで明るい金髪ではないし、さほど外人顔でもないのだ。

 もう10年くらい前の記憶だが、明るい茶髪くらいの色だったのを覚えている。つまりひなたはハーフでなくクオーターだ。

 それなのにここまで外見が白人に寄ることは遺伝子的には相当珍しいらしく、ブラジル育ちなだけで4分の3は日本人の血が入っているひなたが日本において『ガイジン』扱いされるのは、血や出生地よりも外見から得る情報を重視する日本人らしいとも言える。


「普通にしてりゃこんな可愛いんだから、普通に女のカッコしてりゃいいのに……」

 ふと呟いただけなのに、隣を見ると顔を真っ赤にしたひなたが居た。


「……ボクのこと、男じゃないって分かっても、可愛く見える?」

「いや当たり前だろ。めっちゃ可愛いし」


 何言ってんだこいつ。可愛いもんは可愛いに決まってんだろ。

 ――と、そこまで考えて。

 俺は女に、それも幼馴染に『可愛い』と連呼していることに、ようやく気付いた。

 これまでの癖もあったが、そりゃ照れるわと、頭を抱えて溜息を漏らした。冷静に考えたら俺、女に「可愛い」なんて口にしたことねえわ。ただ超ナチュラルに言ってたな今も前も。


 若干後悔していると、「んふー」なんて、嬉しそうな顔で笑ったひなたは、急に俺の腕を横から抱き締めてきた。

 あっ、当たっ、当たってるんですがひなたさん!? でも振りほどいたりはしねえぞ。俺は男だからな。――めっちゅ柔らけえ。何これ。水まんじゅう? 分厚いコート越しなのになんか体温まで移ってくる気がしてきて下半身に血流が――――うぉおおお耐えろ俺ッ!!


「…………」

「急に黙ってどうしたの?」

「いや、脳内に瀬戸内寂聴を無限増殖させてた」

「どうして!?」


 生えてないひなたには、分からんだろうがな。男には、立っちゃいけない時に立ちそうになったら鎮めるためのテクニックがいくつもあるんだ。

 親の顔を思い浮かべるみたいな小技も聞いたことあるが、俺、母さん結構美人だと思ってるし、臨界点ギリギリになってる時に思い浮かべても無駄だということを過去の経験から知ってるので、常に瀬戸内寂聴に頼ってる。

 あの菩薩顔を思い浮かべると全てがどうでもよくなるんだよ。――よし判定成功ッ!! 男の肉体とは不思議なもので、一度鎮めたらしばらくは大丈bうぉおお!?!?


「な、なにしてんだ!?」

「えっ、押し付けてるんだけど……」

「どういう意図があってだよっ!!!!」


 急にコートのボタンをいくつか外したひなたが、俺の腕を持ち上げるとすぽっとその中に収める。あったかぁい。あとやわらかぁい。これが、谷間というニューワールドぉ……


「……待て、待て、マジでヤバいから」

「えー、何がー?」

「普段男の格好してんだからちったぁ男の気持ち分かれよ……ッ!!」


 無理無理。もう寂聴じゃ限界だよ。つーかあの人あんな菩薩顔してるけど実は若いころから数えきれないほど不倫と恋愛繰り返してる魔性の女なんだよな――


「…………」


 俺の下半身をじっと見つめたひなたは、にまぁ、と笑う。そこに何があるのか、よく分かってますよと言いたげな顔で。


「帰るまでこのままねっ」

「コロシテ……コロシテ……」


 なんの羞恥プレイだよ。もう片手使って隠すなりなんなりしたいのに、そっちはカズのリード握ってるからどうしようもならねえ。

 当のカズは俺らのことなんて見向きもしないで呑気に歩いてやがる。ちょっとは気にしろよ。飼い主がなんかこう、大変なことになってんだぞ。

 ここは腕を引っこ抜いて逃げるのが正解なのかもしれない。

 だけど待て、こんな経験、人生で二度も出来ないかもしれねえんだぞ。あと逃げようにもカズはダッシュしたりしないので結局カズのペースに合わせてのんびり歩くことになる。普通の徒歩よりちょっと遅いくらいだ。こんなん幼稚園児でも追いつけるわ。


 ――結局、どんどん足が遅くなるカズに合わせて帰り道30分くらい、本当にひなたは俺の腕を離してくれなかった。

 俺の幼馴染、女バレした途端に始めた性的アプローチが強引すぎるッ!!

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