第17話
その日登校してみると、クラスメイトが俺を見る視線が少し変わっていた。
これまで、男子からは明らかな嫌悪の目を向けられていたのだが、なんだろう、それとは明らかに違った視線である。
自意識過剰でなければ、普段俺のことなんて意識すらしていないであろう女子もこそこそ話をしながら俺のことをチラチラ見ている。
また変な噂でも流れたか? でもあの話はもう終わったから進展なんてあるとも思えない。これで中学時代の一件がなかったらモテ期でも来たかと舞い上がったかもしれないが、残念ながらそういう話ではないだろう。
「ね、そーまっちー」
「そーまっち!?」
急に俺の机に身体を乗せてきたのは、隣の席の仁部――ギャルだ。下の名前は忘れた。
冗談抜きに4月からこれまで一度も話したことなんてなかったと思うが、なんだこの距離感。怖すぎるんだが? 初見でこれかよ?
「ね、これ、誰?」
「……ん?」
そこに映ってるのは、俺がカズの散歩をしている時の写真だ。十中八九盗撮だろう。
風景にも見覚えがある。学校からは結構離れてるけど、カズの散歩ルートだ。
――しかし問題なのは犬の方ではなく、俺が女子と腕を組んで歩いている部分であろう。
「……誰でも良いだろ」
「そ?」
「そもそも、なんだその写真。誰が撮ったんだ?」
「さぁー? 昨日の夜、クラスのグループラインに投稿されたんだけど、これ撮ったの清野じゃないっしょ?」
急に名を呼ばれた男子生徒が、「友達のグループに投稿されたんだよ」と答える。なるほど、盗撮を無断転載しまくった結果出処が誰も分からなくなっているのか。
俺の悪評を知ってる同級生なんて腐るほど居るだろうし、名前も顔も知らない生徒から嫌われていても全然驚けない。
そんな男が楽しそうに女子と腕組んで学校の近くで犬の散歩してるとこ見たら、そりゃ写真くらい撮るだろう。拡散だってするだろう。自分のことじゃなけりゃ普通に納得出来たんだけどな。自分のことだと複雑だ。
この写真を撮られた時、周りに誰が居たかなんて覚えてない。だってあれだぞ、俺の脳内をTANIMAが占めてた時間だぞ。おっぱいの感触以外すべて忘れた。気付いたら家。
「この子、ちょっとアタシの知ってる人に似てる気がするんだけどなーぁ」
思わせぶりな顔をした仁部が、にたぁ、と嫌らしい顔で笑う。
まさかこいつ、これがひなたって気付いてんのか!? 確かにあの時、ウィッグと眼鏡で変装してはいたけど化粧する時間はなかったし、コートだっていつも着てるやつだ。
外でひなたを見たことあれば、このコートに見覚えがあってもおかしくはない。顔だって、先入観をなくしてよくよく見れば同じだろう。5分くらいでそんな化粧したとも思えんし。
とはいえ写真は結構離れたところから望遠で撮られたようで、顔の細部まで見えるほど解像度は高くない。手前側に居る俺はともかく、隣を歩く、俺より頭一つ小さいひなたの顔は一部しか見えていない。これくらいならほとんどの生徒は気付かないはず。
当のひなたは俺より少し前に登校し、男子に囲まれている。あちらのグループは俺のことなんて一瞬見ただけで、話題にも出していなそうだ。
つーか俺はともかくひなた、お前はクラスのグループライン入ってたろ。昨日これ見たんだろ。なんか言えよ俺に。バレたかもとかさ。
「黙秘する。気になんなら
「りょー」
要件はそれだけだったのか、仁部は近づけていた椅子を戻すと自分の机にもたれかかり、だらけた様子でスマホに戻った。特に皆に言いふらすつもりはなさそうだ。――助かった。
そもそも仁部、ひなたが女子って気付いてんだよな。でもこれがひなたかもって思う奴が仁部の他にも居たら、ひなたの方にも視線集まるはずだよな。
でもあっちはいつも通りだ。なら気付いてるのは仁部だけか。あとひなたの性別に気付いてる朽木と芳之内は、ひなたどころか教室に入ってから俺の方すら見ていない。
ギャルは口が軽そうなもんだが、仁部がクラスメイトとそこまで仲良くないのが幸いか、その日の間、俺の見てる範囲では誰にも漏らすことはなかった。――まぁ、見えるとこの話なので、見えないとこでは話してたのかもしれないが。
――して、放課後。
俺はいつも通り部室で魚や爬虫類の世話をして、オキニの魚を眺めながら真冬とは思えない熱帯のような部室で温まっていると、部長が「ねぇ」と口を開く。
てっきりまた爬虫類に話しかけてんのかと思ってしばらく無視していると、――椅子を蹴っ飛ばされた。いや俺かよッ! いつもそのトーンで蛇とかに話しかけてんじゃん!!
「君、耳付いてる?」
「ついてます、すんません。俺に話しかけてたとは思わず」
「これ、何?」
「え、3年の方にもそれ回ってきてたんですか……」
スマホの画面を見せられ――いや画面近い近い。顔、顔に当たる! ほぼ見えねえ!
ただ一瞬だけ見えて何を映しているかは分かった。今朝仁部に見せられた、例の盗撮写真だ。
「この子」
「可愛いですよね」
「……あんたんとこの編入生でしょ」
熱帯のような部屋とは思えないほど冷たいその声を聴いた瞬間、「え、」と声が漏れる。
「ど、どどど、どうしてそれを」
「顔一緒」
「…………凄いですね部長」
「というか、誰も気付かないのが不思議」
「いや部長の個体識別能力やべーですし……」
興味ない蛇とかトカゲでもさ、模様とかサイズが違えばなんとなく分かるんだよ。でも同種とか、魚とか虫の個体識別は俺には無理。
当たり前のようにほとんどの生物に名前つけてる部長だから個体識別能力が異常に高いことだけは分かっていたが、それ人間にも有効なんだ……。
「これ、入れ乳? 男でしょ?」
「……部長なら言いふらしたりしないだろうから答えますけど、女です」
「そう」
それだけ言うと、興味なさそうに俺の傍を離れて行った。
――いやこの人、マジでドライすぎるな。いやそれが楽でいいんだけど。
顔は綺麗なのに変人と、3年の間で噂されていることだけは知っている。だってまともに会話が成立しないのだ。今これだけ長く会話が成立したのも数カ月ぶりくらいである。
顔がどんだけ良くても会話が成立しなかったら、それは人間とは別種の知的生命体――宇宙人かなんかである。俺とは全く違った方向性で浮くのも当然だ。
会話を終え、にへらぁ、と笑いながらデカいトカゲを
そろそろ帰るかと、部長に「お疲れ様です」とだけ告げて立ち上がり、部室を出る。がららららと大きな音を立てて開かれる扉を閉めると、すぐ近くの教室から慌てて女生徒が飛び出してくる。
――朽木だ。
俺の方は用ないからなと隣を通り過ぎようとすると、――「ちょっと!?」と朽木が俺の腕を掴んだ。クソ、逃げられなかったか。
「なんか用?」
「……帰り道で良いから、話せない?」
「部活あんだろ」
「早退するわ」
「……そ」
これ断ってもどうせ着いてくるだろうしなと諦め、廊下を歩く。
隣を歩く朽木は、しばらく黙ったままだ。
俺が部室を出る音を聞いて慌てて飛び出してきたからか、荷物は持っているが髪の毛は後ろで縛っている。普段見ないヘアスタイルなので、たぶん部活中は髪が邪魔で縛るようにしていたのだろう。
通り過ぎた男子生徒が、いつも通りの悪態を吐くと思ったら、――「あれが?」「らしいよ」なんて囁き合ってる。こっちが反応に困るわ。あの写真そんな拡散されてんの?
「……柳田くん」
「何」
「あの、昨日から回ってる写真のことなんだけど」
ようやく口を開いた朽木が、しかしだいぶ言いづらそうに小さな声で言う。
「あれ、……その、」
「ひなただって話だろ」
「…………そう。やっぱり、そうなのね」
「んで、それが分かってどうすんだ?」
「どうって?」
「クラス中に、バラしてひなたを笑いものにでもすんのか?
「――――ッ! ち、違、違うの! あの時は――」
狼狽した朽木を見て、確信する。
――あぁ、やっぱりそうだったのか。
中学時代にあったこと。俺と篠崎と向田の関係を皆に広めたのは、朽木――こいつだ。
思えば最初からおかしかった。
何故かこいつは、ずっと前から俺に
だって、一つしかないのだ。あの場に居なかった奴に出来ることは、
それが思ったより悪い意味で拡散されてしまったから、ずっと俺に申し訳ないと思っていた。だから何度も俺に関わってきたし、汚名を返上しないのかと、何度も何度も誘ってきた。
――そう、単純な話だったのだ。
それを優しさと捉えることも出来るが、――俺は、そうとは思わない。
「要らねえよ、そういうの」
「……ごめんなさい、ずっと言えなくて」
「自分だけ謝って、気持ちよくなってんじゃねえよ」
「…………」
「誰が噂話を始めたのかなんて、もう誰も気にしてねえし、俺だってどうでもいい。――あと2年、俺が耐えりゃ良い話だ。けどな」
謝罪に意味があるのは、相手に許すつもりがある場合だけだ。
俺は最初から、噂を広めた奴のことなんてなんとも思ってない。謝られたところで、悪評がなくなるわけではないのだ。中学と同じエリアの高校に通っている以上、遅かれ早かれ知られることだった。その出処が誰かなんて、この際どうでもいい。
怒ってない相手に謝罪をしたところで、謝った奴がスッキリするだけ。そんなクソみたいな動機で、俺の感情はぐちゃぐちゃになっていく――
「次はひなたを標的にするってんなら、俺が停学になろうが報復する。高校なんて卒業しなくても生きていけんだ。――俺だけじゃねえ。
そう、これは、ひなたが日本に帰ってきたばかりの時に聞いていたことだ。
どうして、少し休んだだけで留年必死な、そんなギリギリのスケジュールで全日制の高校に通おうと思ったのか、と。
そしたらひなたは答えてくれた。「そーまくんがいるからだよ」、と。
ひなたにとっては、それが一番の理由だったのだ。
もしも俺のメンタルがもう少しだけ弱くて、高校に通わないようなことがあったら、きっとひなたは来年を待って1年で入るとか、通信制にするとか、定時制に通うとか、そういった小技を使っただろう。
――でも、俺が高校に通っていることを知ったから。
同じ学校に、同じ学年で通おうと、そう思ったのだ。
「……しない。いえ、しません。そんなことは、絶対」
「そうかい。ま、朽木のことだから別に悪気あったわけじゃねえんだろ」
悪気はなくても、悪い噂は広まるのだ。それは、事情に詳しい奴より何も知らない奴が仲介した方がよく広まる――、そういうものだ。
「でも、私がしたことは――」
「だからどうでもいいんだっつーの。謝んな。俺に悪いと思ってんなら二度とすんな、話はそんだけだ」
それだけ告げると、もう話すことはないと言わんばかりの速足で朽木を置いて歩く。
――が、
校門を通ったあたりで、後ろから誰かが走ってくる音が聞こえ、思わず溜息が漏れた。
「柳田くん!」
「次は何だよ」
「……篝くんのことなんだけど」
「俺に聞くな。本人に聞け」
「あなたの気持ちは、どうなの?」
「どうって?」
「…………あの子が男として学校に通うことを、どう思ってるの?」
そう問うた朽木は、本当に心配そうな顔でそう聞いてきた 俺がつい昨日までそれに気付いていなかったとは、こいつは想像もしていなかったのだろう。
そんなの俺に聞いてどうすんだよ――、そう答えたいのを抑えて、ゆっくり口を開く。
「どうでもいい。あいつの好きにさせる」
「……そう」
聞きたいことはそれで終わったか、朽木は俯くと「時間ありがとう、さようなら」と告げ、駅の方に向かって歩いて行った。
「……何だアイツ」
わけわかんねえ。
そんな重苦しい気持ちのまま家までの道を歩いていると、――偶然昨日カズの散歩中に通りがかった道に入り、谷間の記憶がフラッシュバックされ、もうすべてがどうでもよくなった。すげえよ。たぶんおっぱいは地球を救うと思うし、鬱にも癌にも効く。
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