第12話
――翌日。
カーテンをしっかり閉めていなかったせいか、隙間から漏れた太陽光が顔に当たり、いつもより随分早い時間に目を覚ましてしまう。
身体が痛い。昨晩ソファでそのまま寝たせいだ。
どうやら寝てる間に父さんが帰宅していたようで、枕元にメモが残されていた。『冷蔵庫に食べやすそうなもの入れてある』、と。
どうしてソファで寝たんだっけと考えながら頭を掻き、下を見ると――、ひなたとカズが、簡易ベッドで横に並ぶようにして寝ている。
(そうだ、ひなたが熱出したんだった……)
それを思い出すと同時に、昨日見てしまったものが脳裏に浮かび――顔を振って記憶を消す。消えるわけがなかった。男子高校生にあれは、たぶん数年忘れまい。
ひなたの様子を伺うと、夜中に目を覚まして自分で服を着たのか、随分と薄いパジャマを着ていた。――いや、違う。それは俺のシャツだ。どっから出したんだ。
しかも、当然ぺらっぺらの薄い夏用の半袖シャツだから、じっと見ていると
反射的に凝視してしまい、慌てて目を逸らす。
俺の不審な仕草になんだなんだと顔を上げたカズが、こちらをじっと見ている。「知ってしまったか」なんて言いたげな顔で――、いや犬はそんなこと言わねえよ。落ち着け俺。
とりあえず熱くらい測るかと体温計を手に、横向いていたひなたの脇に挟み込む。
前ならがばっと前開けたところだが、流石にそんな勇気はないので腕から通し胸に手が当たらないよう、慎重に慎重に、十二分に注意して――――
ぴぴぴぴぴと体温計から音が鳴り、脇から引っこ抜いた、その瞬間。
ぱちりと開かれたひなたの目が、至近距離で俺を見た。
「……おはよう」
「おはよ。……夜這い?」
体温計に表示された熱は、36.5℃。平熱だ。寝起き一言目からそんなことが言えるってことは、本当に一日で治ったということだ。若いってすげーな。
――しっかし、見ようによっては押し倒してるような姿勢である。
違うんだ。なるべく身体に触れないように、かつ起こさないように熱測ろうとしただけで別にエロい目で見てたわけじゃ――、すみませんちょっと見てました。
「ちげーよ。熱、測ってたんだ。起こして悪かったな」
「あー……ごめん。……見ちゃったよね」
「見た。汗だくだったから身体拭こうとして、な。……悪い。不可抗力だっつっても、だから許せって言うわけでもないし、あれなら、出てってくれて良いから」
頭を下げ、正直に告げる。ここで見てないって言い張ったり、言い訳をするのは流石に馬鹿だ。それは幼馴染のすることではない。
しかしひなたは、俺の下げた頭にぽんぽんと手を当て、聞いてくる。
「出てく? どうして?」
「……男と一緒に暮らすの、嫌じゃねえのか」
「なんで?」
顔を上げると、意味が分からないといった顔で、ひなたは俺のことをじっと見ていた。
――そんな目で見られると、自分がやましいことを考えてしまったと、白状してしまいそうになる。でも、耐えた。ギリギリ耐えた。
「なんでって……、いや、ひなたが、」
「でもボクは最初から女だったし、そーまくんは最初から男だったよ?」
「いや、それはそうだ。それはそうだけど、違うだろ。俺が知っちまったんだからさ」
「……それで?」
「それでって、」
「そーまくんは、どうしたいの? 追い出したい? それとも、」
「…………追い出したいわけねえだろ。折角の、……話し相手だぞ」
「話し相手、ねぇ」
含みがありそうな顔で言われ、いつものノリで小突いた。――あぁ男のつもりでやっちまった。セクハラか!? パワハラか!? いや普通にこれは暴力か!? どうなんだ!?
しかし何故か「んふ」と嬉しそうな顔で笑うので、「悪い、つい」とだけ謝った。あんまり気にしてなさそうだ。
「んと、一応話しておくけど、知らなかったのはそーまくんだけね」
「…………は?」
「そーまくんのお父さんもお母さんも知ってるよ。あっ勿論ボクの両親の方も」
「そっちはそりゃそうだが……、えっ、父さん達も!?」
「うん」
平気な顔で頷かれ、意味が分からず首を傾げる。全員知ってたのに、親戚関係にあるわけでもない、年頃の男女を同居させてたってこと? しかも自分たちの目がほとんど届かない状況で? ……何かあったらどうするつもりだったんだ?
「……今更聞いていいものなのか分からんが、なんで男の格好なんてしてんだ?」
「だってそーまくん、女の人嫌いでしょ」
「……まぁ、な。急に何の話だ?」
質問をしたのに、全く違う話に逸らされたように感じる。――だが表情を見る感じ、話を逸らしたつもりはなさそうだ。
「これ、そーまくんでしょ」
スマホを操作したひなたが見せてきたのは、SNSのアカウントだ。
アイコンを一目見ただけで分かった。そのアカウントは俺が中学時代に使っていて、篠崎や向田、仲のいいクラスメイト達とも話していた、懐かしいもので――
そのアカウントはずっと前に、鍵をかけて非公開設定にしていたはず。それきりログインすらしていない。フォロワー数が3人にまで減っているが、ブロックしたかされたか、正確なことは覚えていない。まぁたぶん後者だろう。
しかし重要なのは、そんなことではない。リアルの友人をフォローしているといっても、本名なんて使っていないのに。
「待て、どうしてそれひなたが見れるんだ?」
「去年までオープンだったでしょ、このアカウント。前からフォローしてたんだよ」
「…………え? は? えっ、待て、どういうことだ?」
「これ見てたからさ、実は去年そーまくんに何かあったことだけは知ってたんだ。でも篠崎くんのことはネットニュースとかにもならなかったんだよね。その時期に掲示板で同級生が自殺したとかそういう話をしてる人は居たけど、事件とか事故のニュースにはなかったし」
「…………知ってたのか」
「一昨日話して貰って、ようやくその情報が繋がっただけ。ネットじゃ細かい話は分からなかったからね。そーまくん、このアカウント使わなくなる前に『女は信じられない』とか『付き合うって何?』って呟いてたから、まぁ女の人に振られたか、裏切られたとか、そんな感じの話かなぁって思ってたけど、……ちょっと想像とは違ったかな」
「…………マジか」
なんだこれ、探偵? いやストーカー? どれも違う気がする。
――しっかし、どうしてバレたんだ。炎上したことはないし、なんなら発言が拡散されたこともない。このアカウントと俺を、どうやって紐づけたのか――、それが全く分からない。
「……えーと、どうしてだ?」
「どの部分?」
「前から見てたって言ったろ。それ」
「うん」
「…………なんでだ?」
「知りたい?」
「……待て、ちょっと怖い」
にやぁ、と笑いながら言われると、――流石に聞くのが怖くなる。親から漏れたとかさ、もし言われたら立ち直れんぞ。アカウント使わなくなる前の発言全部消しとくんだった。
あの頃はちょっと精神的に参ってて、どっかに吐き出さないと耐えられなかったんだ。どっかで吹っ切れたか、どうでもよくなったか、――理由は忘れたが、新しいアカウントに変えたのだ。
「えーと、よし、その話はやめとこう。話戻そうぜ」
「どこまで?」
「どうして男の格好してるのか、って話が――」
と、提案したところで。
――俺のスマホのアラームが、けたたましい音を鳴らす。もう起床時間のようだ。とっとと飯食ってカズの散歩に行かねばならん。
「その話は、帰ってからするね」
「そうだな。朝飯食えそうか? なんか冷蔵庫に入ってるらしいけど」
とりあえず冷蔵庫を開くと、ゼリー飲料とか経口補水液とか、そういう系の病人向けっぽいのが入ってる。なるほどこういうの常備しとくといいんだな。
「ゼリーだけ貰おうかな」
「学校は?」
「行くよ。行けそうなのに休んでたら、……単位がね」
「あー……、それもそうか。まぁ無理しない程度にな」
「ん、じゃあおんぶしてってくれる?」
「誰がするかよ」
そう即答して、考える。男だと勘違いしてた頃なら、もしかしたら少しくらいしてやってたかもしれない。あの固いシャツによって胸のふくらみとかは感じないだろうしな。
なんて考えてると、視界の端に「んしょ、」とシャツに手を掛け持ち上げたひなたが――――
「ばっ、馬鹿!! 何着替えてんだ!?」
「見てても良いよ?」
「馬鹿にすんな。…………部屋行ってるぞ。とっとと着替えたり、身体拭いたりあるだろ。風呂入る時間はないだろうが」
着替えを始めたひなたに背を向け、リビングを出て階段を駆け上がる。
――一瞬だけ見てしまったが、シャツの下には何も着ていなかった。
(なんだよ、……なんだよっ!!)
バレた瞬間、いきなり女を見せてくる。それもわざと、俺をからかうように。
これまでは、少なくとも同居を始めて1カ月経っても俺が全く気付かなかったということは、バレないように隠れていたということだ。
そういえばあんまり薄着になったところを見たことなかったし、風呂上がりにシャツのままうろつくとか、着替えてる姿だって見た記憶がない。
女物の下着がそのまま洗濯籠に入っていようが母さんのかどうか判別出来ないと思うし、昨日みたいな胸を潰すシャツを常用してたんなら、それこそひなたのものとは思わないであろう。
学校ではあまり意識しないようにしていたから、どう生活していたかは覚えていない。
――いや待て、学校、学校だよな。先生とかは知ってんのか? クラスメイトは、――流石に気付いてないよな。女だって気付いてたらもっと態度に出てると思うし。特に男子な。
でも既に転校してきてから何度か体育の授業とかやってたはずだし、着替えどうしたんだ? あのシャツは家だけで着てるのかそれとも――
「あー…………」
そんなことを考えていると、再び脳裏に浮かぶのは昨晩見てしまったもの。あとついでに今朝ちょっと見たもの。
溜息交じりに壁に頭を打ち付け、なんとか冷静になろうにも、なれるはずもなく。血流は巡りご立派様が屹立していく。
「なんなんだよ、もう……」
それが静まるまで、俺は着替えることすら出来なかった。
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