第8話

「もう上がってて良いよー」

「えっ、あ、はい!」


 厨房からそんな声が聞こえ、ぺこりと頭を下げ「おつかれさまです」と告げたひなたは、エプロンを外すと俺の前の席に座る。

 他のお客さんも特に反応しないので、これはいつも通りの光景のようだ。チェーン店にはありえない緩さに、思わず頬が緩んだ。なんかいいよねこういうの。


 ――しっかしまぁ、間近で見るととんでもない美少女だな。これ男なの信じらんねえよ。

 目はいつも以上に大きく見えるし、なんか目元きらきらしてる。よく分からんが化粧してるってことだけは分かるぞ。いやなんで男子高校生に化粧の技術があるんだよ。


「なんつーか、……ちゃんと働いてんだな」

「何してると思ってたの!?」

「いや、……ひなたなら突っ立ってるだけでも客寄せパンダくらいにはなりそうだし」

「普通に働いてるよ……!?」

「だから、意外だよ。バイトとか初めてだろ? それともブラジルあっちじゃ中学でもバイトとか出来たのか?」


 なんとなくこなれているように感じたのでそう問うと、「うーん」と首を傾げられる。


「あっちだと小学校卒業からもう働けるんだけど、そのへん割と日本と雰囲気違って、まずアルバイトと学業が両立することが滅多にないんだよね」

「ん? どういうことだ?」

「アルバイトっぽいのはあっちにもあるんだけど、そういうのって学校行けないような家の子がやることで、ちゃんと学校通える子ってみんながおうちがお金持ちだから、子供が働く必要なんてないんだよ」

「……格差社会ってやつか」


 うん、と頷かれる。なるほど、そう考えると学生が勉強することなくバイトに励む日本って割と変なのかもな。学生なのに学校では寝てバイトばっかしてる奴とか、たまに居るし。


「そういう家の子、中学通わずに仕事してるからあんまり会う機会もないしね。だから話として知ってはいたけどこっち来て驚いたな。クラスの子もみんな割とバイトしてるみたいだし」

「そうなのか?」

「うん、半分くらいの子はバイトしてるんじゃないかな?」

「へぇ……」


 学校に友達居ないから知らなかった。そんなバイトしてたのかお前ら。

 でもまぁ、友達付き合いで遊びに行ったりなんか食べるのにも金って要るしな。常に大量にお小遣い貰えるような奴はこんな普通の学校には居ないだろうし。


「はいお待たせー。余りもんで悪いが、まぁ食ってくれ」

「えっ、すげ」「いただきます!」


 ひなたが慣れた手つきで手を合わせ、トレイに載せられた小鉢に箸を伸ばす。

 小鉢が、――6個。全部違う野菜であったり小物が載せられていて、主菜兼主食はそぼろの乗った大きな丼だ。ひなたのは普通のご飯茶碗だが。

 そぼろ丼には赤みの強い卵黄が載せられており、見るからに旨そうだ。


 いただきます、と手を合わせ――いつもはそんなことしないのだが――実食。

 野菜から食べるべきなのは分かってるが、どうしても気になるのでスプーンを手にし、そぼろ丼を頬張った。

 甘辛く煮られたそぼろは、米に大変よく合う味付け。しかしコンビニ弁当のように濃すぎるわけではない。ちょうどいいライン――といえばいいのだろうか。

 味が濃すぎる主菜を食べてから味の薄い副菜を食べると味がぼけてよく分からなくなることが多いのだが、このくらいの味付けなら副菜全部食べた後に丼を――という流れでなくとも、全ての味が楽しめる。

 レンコンの煮物、揚げた後に甘酢に付けた赤魚の切り身、シンプルなホウレンソウのお浸し――、様々な副菜を食べながら、時折丼を掻っ込む。


 すごい。――語彙力皆無で申し訳ないが、そんな感想が浮かんでしまう。

 ファミレスとかで食事をする時も、副菜なんて1品あるかないか。それも付け合わせでポテトサラダが付いてるとか、そんな程度。リッチなコンビニ弁当にしても、幕の内みたいなのを選ぶことはまずないので、たくさんの料理を一度に食べる機会は普段ない。

 こんなに種類があるのに、どれもがちゃんと美味しいんだから驚きだ。野菜に関する思い入れ皆無なのに、普段は絶対買わない煮物とか、シンプルなお浸しすらちゃんと美味しい。

 ホウレンソウくらいならコンビニ弁当で付け合わせに入ってることよくあるけど、『草』以外の感想覚えた記憶がなかったからな。


 親切に大盛りにしていてくれたから量も多く、いつもの倍ほどの時間をかけてようやく食べ終えた頃には、ちょうど満腹くらい。たぶん量自体は大盛りカップラーメン+パンより少ないと思うのだが、満足感が段違いである。

 いつの間にか置かれていた急須でお茶を注ぎ飲んでみると、これまた驚いた。なんか適当にお湯に茶葉ぶちこんで作った麦茶かコンビニで買うくらいしかお茶って飲まなかったのに、これは明らかにそういう系ではない。なんか温度とか、淹れ方とか、相当こだわってるやつだ。知らんけど。


「……旨かった」


 ぼそりと呟くと、まだ食事中のひなたも無言で頷いた。

 それでもひなたが食べるペースは同級生に比べてもかなり遅い。味わってるだけかもしれないが、昼にパン一つ食べるのにも10分くらいかかってるしな。絶対遅い。


 ひなたが食べている姿を、ぼうっと眺める。

 なんというか、食べる動作まで綺麗だ。どっかのお嬢様みたいである。いやどっかのお嬢様を生で見たことはないので想像だが。

 箸で変な音が立たないし、持ち上げる動作もスロー再生しているかのようにゆっくりである。あとは髪が垂れてこないよう時折手で押さえる動作とか、正直だいぶ色気があると思う。

 普通の男子なら「切れよ」と言われそうな髪の長さだが、この金髪を見てそれを言える奴はそうはいまい。むしろ伸ばした方が人類のためになるだろ。


 ひなたがようやく食べ終わった頃には、もう店内には客が一人も残っておらず、ラストオーダーどころか営業終了時間を迎えていた。店内の照明はほとんど落とされ、亀崎さんが床のモップ掛けをしている。

 それでもひなたは急いで食べようみたいな動作は一切なかったので、それもいつも通りなのだろう。亀崎さんも気にしてないようだったし。


 食べ終わったひなたは食器類を厨房に運び食洗器を回し戻ってくるので、服の詰まった紙袋を渡した。


「悪い、下着は忘れた」

「あっ、そこは大丈夫だよ、ロッカーに予備入ってるし」

「予備なんてあんの!?」

「あるけど……」


 さも当然のような顔で言われ、更衣室に向かうひなたの後ろ姿を見ながら、俺がおかしいのかと首を傾げる。

 ――と、突然背後に現れた亀崎さんが、俺の背中をどんと叩いた。


「色々あんだよ。言わんでも察せ」

 なるほど、色々あるのか。分からん。

「察します。……ごちそうさまです。マジで旨かったです」

「おうそうか。働いたら賄いで出せるぞ? どうだ?」

「え、求人募集とかしてんですか」

「してるしてる。まぁ、一番足りないのは厨房だけどなー。旦那が育休中で厨房立てる奴居ないんだよ」

「厨房……、は無理ですね」

「だろうなぁ、流石に学生バイトにゃ任せらんねえわ」


 そう言ってけらけらと笑う亀崎さんの年齢は、見た感じ30代半ばから後半くらいだろうか。そりゃこの年の女の人は子供くらい居てもおかしくないよな。よく見ると指輪付けてるし。


「結婚、してたんですね」

「独身女貴族の暇つぶしとでも思ってたのか?」

「……ちょっとは」


 店内のこだわりとか、雰囲気とか、――明らかにチェーン店とは違った、個人経営感が強かったからな。そんで店内に店長含め二人しかいないとなると、それっぽすぎる。


「言うねぇ。ま、実際のとこ似たようなもんだが」

「そうなんですか」

「そうそう、ここで店出してから客と結婚してんの。その後に業態変えてカフェになってんだけどなー。んで、お前らはいつ入籍すんの?」

「しません。というか、出来ませんし」

「あ、そうなの? ……あー、ね」

「そういうことです」


 なんか誤解を招いた気もするが、ここで詳しく説明するのもな。

 あと、バイトはちょっと気になるが、厨房なら俺は無理だ。料理とか中学の調理実習で芋ふかした記憶しかねえぞ。こんな旨い料理、教えて貰っても作れるようになるとはとても思えん。


「ひなた君辞めさせないようにだけ、よろしくなー。今やめられたら流石にきっついわ」

「了解です。……まぁ、最近割と楽しそうだったのでそう簡単にはやめないと思いますけど……、他の店員とか居ないんですか?」

「平日昼にパートの主婦が一人居て、そんだけだな」

「……大変ですね」

「ま、一番手っ取り早く削れんのが人件費だからな。しゃーなししゃーなし」


 軽い口調で言うと、モップと絞るやつを両手に持ってバックヤードに入っていった。入れ替わるようにひなたが戻ってきたので、「帰るか」と声を掛ける。

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