第6話
「ひなた、……お前、誰かと付き合ったことあるか?」
「へぁっ!? どうしたの急に?」
その日の夕食後、紅茶を淹れて飲んでいたひなたは、カップから手を滑らせる。
そこまで高さがなかったからカップは割れず、かちゃん、とソーサーの上に転がった。少しだけ残っていた中身がテーブルに零れたので、慌てて拭くひなたの後ろ姿を見、――溜息が漏れた。
「……昨日、学校に帰りにコンビニ寄った時、すっげー可愛い子が居てさ」
「へ、へぇ……、それで?」
「俺、話しかける勇気もなくて、出てく後ろ姿を眺めてるしか出来なくて……」
「そ、そうなんだ。どんな子だったの?」
「大人っぽい格好してたけど、歳は同じくらいだと思う。けどうちの高校の生徒じゃないな。なんかちょっとおしゃれな眼鏡かけてて……、髪は編み込んでた。ちょうどひなたと同じくらいの色だったと思う」
昨晩見た子のことを、思い返す。
――あれは、人生初の一目惚れだったかもしれない。
しかしそれを自覚したのは、見た時ではなく昨晩、ベッドで横になっていた時だ。
その時電流走る――とか、世界が止まったように感じたとか、文豪だったら色んな上手い表現が出来たかもしれないが、ただの高校生でしかない俺に詩的表現は出来ない。ただ、(うおっ……クソ可愛いな……)と呆然と立ち尽くしてしまっただけ。
「金髪、……ってことは外国の子?」
「いや、どうだろう。目は茶色だったし、化粧してたからよく分からなかったが、日本人に見えたな。袋入りますかって聞かれて普通に首振ってたし、日本語は分かってるはず」
「ふぅん……? それで、どうするの?」
「どうするって? いや、どうもこうもないだろ」
「どうして?」
「同じ高校の生徒ならともかく、どこの誰かも分からん、一度会っただけの相手だぞ。二度と会うことはないだろ」
「そうかなぁ? だって、その子に会ったの、いつものセブンでしょ? 駅前ならともかく、このへん住んでる人しか使わないんじゃない?」
「……それはそうだが、でもあそこのコンビニ通うようになって10年くらい経つけど、あんな子初めて見たぞ。友達ん家に遊びに来たとか、そういうのじゃないのか?」
「そうかなぁ……」
横顔しか見えないが、ひなたの顔は少し赤くなっている。紅茶熱かったのかな。
「ひなたはそういうの、慣れてそうだけど、どうなんだ? あっちでも結構モテたろ」
「…………まぁ、割と? でも、誰かと付き合ったりはしてないよ」
「ふぅん……?」
「前も話したけど、あっちでの扱いは子猫ちゃん(ガチーニャ)だったからね。アジア系、――日系とか中国系の人には割とそういう目で見られることもあったけど、基本的には小動物扱いかなぁ。異性に見られることの方が少なかったよ」
「……それもそうか。ひなたはどんなタイプが好きなんだ?」
「へっボク!? ……えっと、自分より大きい人?」
「ふぅん……? 意外だな」
男より女の方が身長高いの、どっちも嫌がるとか聞いたことあるから意外だな。いやこれ何知識だろう。ネットか? ラノベとかか? 分からんな。
そういえば直接誰かに「自分より小さい男は無理」とか聞いたことはない。そんな話する友達居ないしな。
食事を終え、美味しそうにデザートのプリンを頬張るひなたを眺めていると、風呂が沸いたとアナウンスが流れたのでそこで話を打ち切り、風呂に入った。
ひなたはどうしてか俺の後に入りたがるので、毎日一番風呂だ。一人の時はシャワーだけで済ます日も多かったが、最近は毎日湯船に溜めてる。どうやらブラジルに住んでいた頃は湯船のついた風呂がなかったようで、その反動かひなたは常に長風呂だ。
ひなたが風呂上がるのを待つことなく、自分の風呂が終わると自室に戻り、ゲームしたりスマホ漫画読んだり――、そろそろ寝るかなと『おやすみ』とひなたにメッセージを送り、入眠。だいたいいつもこんな感じ。同居人は増えたが、リビングに居る時に話す程度だ。
――して、翌日のこと。
「え」
1時間弱の部活を終え、帰宅する道すがら。
――居た。あの子だ。
服装が違う(当たり前だ)けど、その明るい金髪を一目見ただけで分かった。
人目を惹く金髪、先日見た時とは少しだけ違った髪型で、内巻きのボブヘアー。
編み込みはこだわりのポイントなのか、前髪から後ろに掛けて、どうやって編み込んでるのか分からないが、――とにかく可愛い髪型だ。大人っぽさと可愛らしさの同居って言えば良いのかな。
コンビニは通り過ぎたばかり。方向的には、その子は俺の家のある方向から歩いてきたように見える。となると、ひなたの言う通り、本当にご近所さんなのかもしれない。
「あっ…………」
何か声を掛けようとし口を開き、――一瞬だけ、目が合った。
――喉から出かけていた声が、それで完全に止まった。
あぁ、認めよう。これは本当に一目惚れだ。
その子は俺のことを不思議そうに見ると、そのまま隣を通り過ぎてどこかへ歩いて行った。
慌てて振り返る。――コンビニも素通りし、その子は駅に向かって歩いて行った。
「…………だっせぇなぁ、俺」
一人呟き、帰路につく。ひなたに話してやろうと思ったが、そういえばメッセージが来てた。
『今日はバイト行くので、ちょっと帰るの遅れます。先お夕飯食べててください』――そっか、バイト始めるって言ってたっけ。
お小遣いは貰っているようだが、日本に来たら買いたいものが多すぎてお金が足りないからバイトしたいなんて話していたのを思い出した。まだ日本に帰って来て1カ月も経っていないというのに、行動力がすごい。俺なんて求人情報誌見ただけで満足しちゃったのに。
なお、柳田家は小遣い制ではないが、飯代として1日1000円が支給されている。朝昼夜すべてをそれで賄わなければいけないが、共働きの柳田家に作り置きのご飯とかはなく、パン(完全栄養食的なやつ)が定期便で大量に届き、あとはカップラーメンが買い込んである。
朝はパン一個で済ますと、残り1000円で二食。――といってもラーメンは家のストックが減る度父親がネット通販やスーパーで爆買いしてるので、それで済ます時は1日0円だ。
つまりその飯代を抑えればそれが実質小遣いになるということになり、大体のものはチマチマ飯代を抑えて買った。まぁスマホ代の分割払いで毎月結構持ってかれてるんだけどな。でもスマホでゲームするなら結構スペック高い機種が欲しくなってしまったのだ。
「俺もバイトすっかなぁ……」
帰宅し、リードを咥えて玄関で待ち構えているカズを撫でて散歩に出かけ、呟いた。
別に、ひなたのように買いたい物が大量にあるわけではない。それでもお金に余裕がない現状、いざ新作ゲームが出てもすぐに買うことは出来ない。
数万円のゲーム機本体を買おうとすると、どう足掻いても半年くらいは節約生活をすることになる。家にあるパンは不味いわけじゃないんだけど、三食食べてるとかなり飽きる。中学時代何度かやったけど、三大欲求の一つをぶん投げて捨てるような気持ちになってしまうのだ。
「そーいやひなた、どこでバイトしてんだ?」
帰ってきたら聞いてみるかと、スマホでバイト情報を調べながら1時間ほど散歩をした。大型犬の散歩時間は長いのだ。
21時を回ったあたりで、ようやくひなたは帰宅した。
夕飯は賄いで食べてきたようなので、そのまま風呂に向かう――かと思えば、「おみやげだよ」とケーキを出してきたので、ありがたく頂戴する。どうやら店の余りものらしく、バイトに行くたびに何かしら貰って帰ってきている。
ついでにひなたが紅茶も入れてくれたのでそれを飲みながらチーズケーキを食べていると、ふと、ひなたの荷物が気になった。
「その紙袋、何入ってんだ?」
ケーキの他にも、ぱんぱんに詰まった大きな紙袋を持って帰ってきたのだ。そこには見慣れないブランドロゴが入っている。
「……制服
「
「…………また服買っちゃった」
「……そうか」
どこで着てるのかも分からないが、ひなたは頻繁に服を買ってる。日本帰ってきてから毎週のように買いこんでる気がするが、一体そんな大量の服をどこで着るつもりなんだか。
私服なんてほとんど持ってない俺が言うのも何だが、ファッション好きな奴はよくわからん。一年に一度か二度しか着ないだろみたいな服をバンバン買うからな。母さんとか。
まぁその買った服は隣の家――ひなたの実家に置いてきてるようだから、別に邪魔にはならないし気にしない。金の使い方荒いな、とは思うが、そういうのは人それぞれだしな。
「そういやひなたのバイト先、どんなとこなんだ?」
「カフェだよ、そーまくんも一緒に働く?」
「……それ、オシャレなアレか、スタバみたいな」
「ちょっと違うけど……、まぁオシャレなとこではあるかなぁ」
「じゃあやめとく。俺はたぶん新聞配達とか工場とか、そういうとこのが向いてるからな……」
まぁひなたの顔で接客させないのは勿体ないよな、と納得。なんか名物店員とかになって店が繁盛しそうだと妄想したが、そういうものなのかは分からない。だってああゆうところ、コーヒー一杯で500円とかするだろ。そんな金はねえ。
「どうしたの急に? 欲しいものでもあるの?」
「いや、なんとなくな。ほらうち、小遣いないし」
「……そうなんだっけ。その割には結構色々買ってるみたいだけど」
「飯代節約すれば、ある程度は自由に買えるからな。まぁそういう時はこいつに頼ることになるんだが」
パンが詰め込まれてる棚から一個取り出し、ひなたに見せると「うへぇ」と声を漏らした。
「……ボクそれ結構苦手。なんかブツブツしてるし変な匂いするし」
「1年くらい食ってると慣れるぞ」
「そんなに食べたくない……。あとなんか固いし……、折角柔らかくて美味しいパンがどこでも買える国に居るんだから、そういうので過ごすと、なんか負けた気がする……」
「気持ちは分かるがな……」
このパン、食ってるの俺だけかと思えば父さんも母さんも食ってるんだよな。だから2週間に一度数十個届くのに、期限を切らしたことはない。なんなら足りなくなったら父さんがコンビニとかで買ってくるくらいには常にストックがあるのだ。
仕事が忙しく外食する余裕すらない両親にとって、こういった『これ食べてるだけである程度栄養取れる』『日持ちするのでまとめ買いして放っておける』系の食品は重宝するらしい。
昔は冷食とかにも挑戦したんだけど、冷凍庫の容量的に家族分も買い込むことが出来ないからそのうち常温で日持ちするパンだけになったという経緯がある。
ケーキも食べ終えたひなたが風呂場に向かうので、俺も片付けて自室に戻る。
スマホでバイト情報を調べ、ひなたみたいな明るい奴がバイトしてそうなカフェもかなり沢山求人を出してることを知ったが、ホームページ見たらちょっと場違いすぎたので見なかったことにした。
だからといって工場での単純労働も、ちょっと調べると飽きるとか精神が死ぬとか立ったまま寝るとかそういったネガティブコメントばかりを拾ってしまう。なら何すりゃいいんだよ。単純すぎず接客じゃなく専門知識が要らないバイト……? 分からん。俺には何も分からん。
結局その日はスマホを放り投げ、バイトのことなど忘れて寝た。
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