第5話

『おむかえきて』


 昼頃に家を出たひなたが急にそんなメッセージを送ってきたのは、時計を見ると17時半――お開きには早すぎる時間だ。高校生なんて大抵補導されるギリギリまで遊んでるもんじゃないのか? よく知らんが。

 どこに行ったかも知らないので聞くと、無言で現在地にマーカーが打たれた地図アプリのスクリーンショットが貼られた。――駅前のカラオケだ。


 呼ばれた理由は分からないが、それきり返信がない。

 自転車で行ってもいいが二人乗りは校則違反だし、近隣住民とかクラスメイトに通報されても面倒なので、散歩用に買ったスニーカーを履いて家を出る。


 ――肌寒い。ウィンドブレーカー越しでも、突き刺さるような風が体温を奪う。

 1月の半ば、1年で一番寒い時期だ。

 今朝の天気予報だと、今日は最高気温も2度だったっけ。ちょっと前まで気温30度越えの国に居たひなたにしては極寒の世界だろう。超厚着して出てったからな。

 息が切れないギリギリの速度で走り、10分ほどかけてカラオケに辿り着く。信号待ちの時にメッセージを送ったが、既読すら付かない。


 とりあえず受付に向かい、「予約してる名前は分かんないんですけど、高校生くらいの団体です。合流したいんですけど、どこの部屋ですか?」と聞くと部屋番号を教えてくれたので、そちらに向かう。


 ――して、部屋の扉を開けると、20人ほどが入れそうな大部屋で、お立ち台に上がった男子が熱唱していた。

 部屋を見回すとそこの隅っこ。顔を真っ赤にしたひなたが、ソファで横になっていた。

 女子が数人で介抱しているようだが、急に俺が入ってきたことに驚いたクラスメイト達が目を丸くする。


「……おい、朽木」

「柳田くん? ……どうしたの?」

、どういうことだ」


 顎で指す。ひなたはこちらに気付いていない。寝ているか、うなされてるか分からないが。

 歌い続ける男子はまだこちらに気付かず、20年ほど前に流行った歌を熱唱している。――うるせえ。


 この部屋に入るまで、イタズラで呼び出されたんじゃないかと、ほんの少しだけ考えていた。クラスの男子の誰かがひなたのスマホを勝手に弄り、笑うために俺を呼び出したんじゃないかと――、そう身構えていたのに。

 ――でも、この状況は絶対違う。そう確信出来る。


 朽木が返事に困った様子で、他の女子の方を見た。女子たちも顔を見合わせ、ぶんぶんと首を横に振る。


 ――なんだ、こいつら。なんでこの状況で、そんな平然としてんだ。

 脳のどこかで、かちり、と音が鳴ったような気がした。


 机を蹴っ飛ばし、俺に気付かず熱唱してる男子を黙らせる。

 驚いた男子がマイクを落とし、ごつん、と拡声された鈍い音がカラオケルームに響き渡り、――全員の視線が、俺に集まった。


「お前らひなたに、何した」


 ようやく呼んでもない乱入者がやってきたことに気付いた男子が、こちらを睨んでぼそぼそと、聞こえるように言いたいことを言う。


「おい誰だよあいつ呼んだの」「呼んでねーよ」「なんでここ知ってんだよ」「追いかけてきたんじゃね? キモ」「死ねよ……」「帰れ」「そーだ帰れ帰れ」


 ――口々に悪態をつくが、そんなこたぁどうでもいい。今問題なのは、俺のことではない。


「お前ら、――酒でも飲んでんのか?」


 男子達は顔を見合わせる。机に並ぶ数々のコップが、ソフトドリンクのものかそうでないのかは今来た俺には分からない。2年前までよく通ってたけど、ここは注文式のフリードリンク制だ。どう見ても高校生グループが酒を注文したら流石に店員が止めるはず。

 薄暗い部屋でよく分からないが、顔を赤く染めてるのはひなたの他には居ないように見える。――ならたぶん、調子乗って酒を飲んでるわけではないだろう。朽木も居るしな。


「は?」「何言ってんのこいつ」「キモッ」「混ぜて貰えなかったからって嫉妬してんのか?」「死ねよマジ」「帰れよキモいな……」


 ぐちぐちぐちぐち、男子が俺に何かを言っている。――こいつらじゃ話にならねえなと、もう一度朽木の方を見た。


「答えろ、何してんだ」

「……ごめんなさい。私はトイレに行ってたタイミングだから、よく分からないわ。オレンジジュース――だと思うのだけれど、篝くんがそれを飲んでいたら、急に倒れたみたいなの。それからずっとこんな調子よ」

「…………そうか」


 となると、俺に連絡してきたのは起きたタイミングということだろう。

 女子のうち一人が、ほとんど口を付けられていないオレンジジュースを指差して「これだと思う」と言ったので、手に取って匂いを嗅ぐ。――コップの底からぽつぽつと湧き上がる泡からは、若干のアルコール臭を感じる。恐らくスパークリングワインとオレンジジュースを混ぜたカクテルだろう。


「……酒だな」


 俺が呟くと、朽木が「やっぱり……」と頭を抱える。他の女子は「えっ」「なんで?」「誰頼んだの?」と疑問を口にしているので、察していたのは朽木だけのようだ。


「大事にはしたくねえだろ。――連れてくぞ」


 本当ならこのまま横にしてやりたいが、とにかくうるさい。

 酒に酔った母が「もう少し小さい声で喋って」と頭を抱えていたのを覚えているので、苦しんでるひなたを放置して熱唱する奴らが居るこの部屋は最悪の環境だ。こいつら誰の歓迎会か忘れてんのか?


 ひなたを脇から抱え、よいしょ、と背中に持ち替える。

 ――軽すぎて放り投げるところだった。カズを気合で抱き上げた時よりも軽く思えたほどだ。

 これならお姫様抱っこでも持てたなと思ったが、それで家まで帰ると流石に目立つよなと考え直し、背負ったまま部屋を出た。


「おっ、おい!!」「どこ連れてくつもりだ!」「犯罪者、死ね」「警察呼ぶべきじゃね?」「拉致だろ拉致」


 ――男子が俺の背中に向けて口々にそんなことを叫ぶが、無視した。


「柳田くんっ!」

「……何だ」


 カラオケを出たところで、遅れて追いかけてきた朽木に声を掛けられる。男子と違って無視するほどでもないので、振り返った。


「……その、私、救急車呼んでも良いと思ったんだけど、」

「したら少なくとも学校に連絡は行っただろうな。間違えて飲んだのか飲まされたのか知らねえが、たぶん謹慎かなんかは喰らう。卒業までの単位がギリギリのひなたにとっちゃ、致命的だ。――呼ばなくて正解だよ」

「……そう、よね」


 悔しそうな顔で俯いた朽木を、慰める気はない。その場に居て止められなかったのは事実なのだから。

 まぁ他の男子の様子からして、無理矢理酒を飲ませたわけではなさそうに見えた。疲れて寝てるだけとでも思っていたのだろうか。そうじゃなかったらもっと気にするはずだ。


「…………お願いします」

 ぺこり、と頭を下げた朽木に、頷きだけ返し。


 全く起きないひなたを背負ったまま、なるべく揺らさないようゆっくりと帰宅した。


 帰宅すると、ソファのカズをどかしてそこに寝かせる。

 そんで父さんに『ひなたが酒飲んじまったっぽい、顔赤くて寝てる。どうすりゃいい』とメッセージを送ると、数秒で返信。


『ゲロは?』

『たぶん吐いてない』

『分かった。とりあえず横向きにして寝かせとけ』

『了解』

『正臣はビール一口でゲロ吐くくらい酒弱いからな。遺伝だろう。とりあえず俺が帰るまでひなたの傍を離れるな。いつでも飲ませられるように水とスポドリ、ゲロ吐くかもしれないからバケツも持ってきとけ。正臣には俺から連絡しとく』

『分かった』


 指示通りのものを準備し――コンビニでアイス買った時貰えたスポドリの期限が切れてなくて助かった――しばらくソファの脇に座っていると、いつの間にかひなたの顔がいつもと同じくらいまで白くなっている。

 浅かった呼吸も、寝息くらいに落ち着いている。『急性アルコール中毒』とか検索してモロ症状該当してんじゃねえかと不安になったが、この様子なら大丈夫そうだ。

 ――と、そんなことを考えていたら、スマホに知らない番号から着信があった。無視しても良いが、とりあえず出ておくかとひなたが視界に収まるギリギリまで離れて電話に出る。


『柳田くん? 私、朽木よ』

「……俺番号なんて教えてないよな」

『ごめんなさい、野辺先生に教えてもらったの。篝くんの件だけど、みんなからの聞き取りが終わって確証取れたから話すわ。今大丈夫?』

「あぁ、ひなたも落ち着いてる」

『……それは良かった。結論から言うと、店員さんがドリンクを持ってくる部屋を間違えたみたい。明らかに頼んでないものを持ってこられたけど、篝くんの注文したオレンジジュースが合ってるように見えたから、それだけ貰って飲んだみたい。他のは返したんだって』

「…………そういうことか」

『店員さんも謝ってたわ。大事にしても良いけど、――そうなると篝くんの単位が、心配よね』

「あぁ」

『だと思ったから、私の判断で保留にしといたわ。謝罪以外の何かを要求するならただのクラスメイトの私より篝くんのおうちの人がした方が良いと思うから、それはそちらでお願い』

「あぁ、悪いな。助かる」

『…………どういたしまして。それで、その』


 電話の向こうで、電車が通る音が聞こえる。カラオケの外で電話してきているのだろう。律儀なこった。

 何かに言い淀んだ様子の朽木が、ようやく口を開いたのはそれから30秒ほど経ってから。


『……篝くんとは、どんな関係なのかしら』

「隣人だよ」

『…………そう、それなら良いの。まだみんなが拉致だ警察だなんだって騒いでるから、私から説明してもいい?』

「正直嫌だが、……任せる。適当に濁しといてくれ」

『分かったわ』


 それからも数言交わし、電話が切れた。

 父さんにもひなたの様子送っとくかと寝顔の写真を撮り、送信。『可愛い顔してるが、寝込みを襲うなよ』なんて返ってきたので、既読だけつけて無視しといた。


 ――ひなたを回収して3時間ほど経った頃。父さんが正臣さん――ひなたの父親を連れて帰宅した。

 そのままひなたを連れ帰るかと思ったが、すやすやと落ち着いた寝顔を見て安心したか、置いて帰ると宣言した。まぁこんな時間にタクシーで1時間以上かけてホテルまで連れてくのも可哀想だしな。

 折角寝てるところを叩き起こして風呂に入れる気にもなれなかったので、お姫様抱っこで俺の部屋まで運び、ベッドに転がした。


 柳田家で居候を始めたひなたは、普段空気を入れて使うタイプの簡易ベッドをリビングに敷いて寝ていたのだが、今日の入眠はいつもよりだいぶ早い。

 そのままリビングに寝かせておくのは可哀想だと父さんが言ったので、急遽俺の部屋で寝かせることになったのだ。

 簡易ベッドを広げられないこともないが、――あれ空気入れる時結構うるさいんだよ。折角寝てるし、絶対起こす音量なので流石に今日は可哀想だ。


 して、飯食って風呂入って、部屋に戻ってくると――ひなたが少しだけ動いてた。ベッド中央に置いていたはずなのに、壁際に寄っているのだ。まるで、ここ使っていいよと言わんばかりのスペースに、潜り込もうと考え――


 ――ふわりと鼻孔をくすぐる、俺の部屋じゃない少しだけ甘い香りに、思考が一瞬固まった。


(うん、駄目だな。何とは言わんが、なんとなく駄目な気がする)


 同衾するのは諦め、ソファから持ってきたクッション――カズの涎まみれで若干カピカピしてるしすげえ犬臭い――を枕に、床に寝転がった。

 普段ひなたが使ってる毛布にくるまると、我が家ではない香りがしてちょっとだけ違和感を覚えた。たぶんひなたの使ってるボディソープとかシャンプーの匂いだ。――なんというか、女っぽいという印象を感じる香りである。男子高校生のそれでは、絶対ない。


 床だし女っぽい香りに包まれてるしでしばらく集中出来ずしばらくスマホを弄っていたが、ふと気が付くと、ほんの少しだけ目を開けたひなたが、こちらを見ていた。


「困ったことあったら、ちゃんと言えよ。出来ることはするから」

「……うん」


 それだけ答えると、ひなたは再び目を瞑った。

 それを見て安心したか、俺もすぐに寝てしまった。いつもよりだいぶ早い時間ではあったが、色々あって、俺も疲れていたんだろう。



(ふーん…………)


 暗い部屋。遮光性のあまり高くないカーテンからは、月明かりも外の街灯の明かりも入ってくるので、目が慣れればうっすら人の寝顔を見ることくらいは出来るのだ。


(…………何もしてこなかったなぁ)


 少しだけ落胆したひなたは、しかし、どこか嬉しそうにベッドの下に寝転がる幼馴染の寝顔を眺める。


(まぁ、それでこそそーまくんだけど)


 ベッドから身体を伸ばし、――ちゅ、と頬に唇を付けた。

 唇に触れた、自分の肌とは違う、男子特有の少しザラっとした肌に、頬を緩ませ。


「……好きだよ、そーまくん」

 すぅ、すぅと寝息を立てて眠る幼馴染は、そんな呟きにも全く気付かず寝入っている。


「……おやすみ」

 幼馴染の匂いが染み付いた布団を抱き締めるようにし、再び眠った。

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