第4話
「ひなたは、さ」
「うん?」
「あっちで嫌なこととか、なかったのか」
なんとか場を和ませようと、――違うな、ただ話を逸らしたかっただけだ。
人の心の傷をえぐるように、いとも簡単に。
「……あったよ」
俯いたひなたは、カズを撫でながら小さく呟いた。
それは、クラスで皆に囲まれている時の表情とは、随分違って。
――でも、そうか。
こいつは前から、こんなだったっけ。
大勢の目があるところでは、みんなの中心に居るタイプの明るくていい子に見えるのに、本来の性質はそうではない。
俺以外の誰も居ないところでは、物静かな、しっとり落ちついた性格に見えたのだ。
こいつも、人前では無理していたんだろうか。
「ほらボク、こんなだから」
「……こんなってのは、可愛いってことか」
「――っ! そーまくんいつもそうやって冗談言って!!」
「いやだって事実だろ」
「――っ!!!!」
唇を噛むようにして、ばんばん足を鳴らす。カズが「なんだぁ?」とでも言いたげな顔になると、べろりんとひなたの頬を舐めた。
そう、事実だ。今のひなたも、前のひなたも、ぶっちゃけかなり可愛い。
男って知らなかったら俺だって勘違いしちゃいそうになる。ってかした。してたからプロポーズまでしてた。こんな可愛い幼馴染がいる俺、幸せもんだな……ってラブコメ主人公みたいな思考に陥ってしまう。問題はこいつが普通に男ってことだが。
「……あっちじゃ、ずっとみんなにガチーニャって呼ばれてたの」
「どういう意味だ?」
「子猫ちゃん」
ぶふっ、と思わず吹き出した。いや確かに毛並みも良いしな、割と子猫ちゃんに見えるわ。今では結構育ってるから子猫ってより猫だけど、うん、分かるよブラジルのお前ら。
「笑わないでよ!?」
「い、いや、言い得て妙だなと」
「そんなに!?」
「うん、割と」
急に入ってきた人んちで我が物顔でくつろいでるとことか、割と猫っぽいと思う。犬より猫だな。
「ブラジルって、多国籍ではあるけどボクみたいな金髪そんな多くなくて、最初は可愛がられてるだけかなーと思ってたんだけど、あっこれひょっとして馬鹿にされてるのかなって……」
「へぇ、ブラジル人見る目無いな」
「どういうこと?」
「馬鹿にするも何も、可愛いのは普通に事実だろ」
「…………またそうやって」
「だから冗談じゃねえって」
こうして近くで見ると、本当に中性的な顔立ちだ。――いや睫毛なっっっが!? ペンくらい置けそう。
たぶん、男に見えるか女に見えるか――観測者がどう認識しているかによって、ひなたは男女どちらにも見える。
女子には理想の男子に、男子にはとびきり可愛い女子に見える――、そんな感じだ。
たぶんブラジル人が子猫ちゃんに見えてたのも似たような理屈だろうな。たぶんあっちには居ないタイプなんだ。日本にもそうそう居ないと思うがこんなん。
――まぁつまるところ、俺は今でもひなたが割と女子に見えているのだが、――流石にそれを口には出さない。そのくらいのモラルは残されてる。
「いやってんなら、男らしくしたらどうだ?」
「……男らしくって? そーまくんみたいに?」
「いや俺は……、」
――男らしくなんか、ないだろう。
ひなたにどう見えてるのか知らないが、少なくとも今の俺は違う。友達の一人もいない、ただの根暗なぼっち野郎だ。
昔はもうちょっと外で皆と遊ぶタイプだったと思うが、――小学校から中学あたりにかけてつるんでた奴がオタクだったから、そういう趣味にも目覚めてしまった。まぁそのお陰でいくらでも一人で時間潰せるわけだしな。そこだけは間違いなく、良かったことだ。
俺が言い淀んだことから察したか、ひなたは「そういえば、」と話題を逸らす。
「お夕飯、いつもどうしてるの?」
「ん? あぁ、適当に済ましてるよ。コンビニで買ったり」
「……今日は?」
「ラーメンの予定だった。……嫌だよな、どっか買いに行くか」
棚に大量に積んであるカップラーメンを一つ手に取って掲げると、ひなたはガタリ、と立ち上が――れなかった。膝にカズ乗ってるからな。重すぎるのとカズに動く気がないから、その姿勢から急に立つことは出来ないんだ。
これどうすれば――みたいな寂しそうな顔で見てくるので、棚の隣にあったチューインガム(犬用)の袋に手を掛けると、がばりと起き上がったカズがソファの上からこちらを見る。昔は俺を吹き飛ばす勢いで駆け寄ってきたもんだけど、もう足が弱くてあんまり自分からは動かないのだ。
ようやく解放されたひなたは少しだけ物悲しそうな顔をしたが、カズを撫でるとこちらを見て言った。
「ラーメン、食べたいっ!」
「……え、いや、そんな珍しいもんでもないだろ」
「そんなわけないじゃん!!」
いきなり叫ばれるので、ちょっとびっくりして棚から取ったカップラーメン(一度お湯捨ててスープ用のお湯入れ直すちょっと手間かかるやつ。お気に入り)が手の中から零れ落ちる。
「そーまくんが一番好きなの、どれ?」
「……これ」
拾ったそのラーメンを掲げると、ひなたはじっと見つめる。
あぁ、そういえばこういうのって日本にしかないのかもな。海外暮らしが長いとしっかりした料理より菓子やインスタント食品といったジャンクフードが恋しくなるなんて話を誰かがしていたのを思い出す。
「じゃあそれ食べる!」
「俺はそのつもりだったから別に良いけど……、良いのかそんなんで? 帰国したばっかだろ? 食べたいものないのか?」
「……今は、それ」
「分かった。……お湯沸かすから待ってろ」
ひなたは頷くとちょこんと座るので、とりあえずチューインガムを放り投げた。――ソファの上でジャンプしたカズが空中で器用にキャッチ。飛び上がった拍子にひなた踏んづけたけど、別に良いだろ嬉しそうだし。
茹で時間は長いし初心者には難解な手順のラーメンを恐る恐る作る姿を眺めながら、3分で食べられる国民的カップラーメン(BIGサイズ)を啜る。
ひなたがようやく最後の液体スープを注ぎ混ぜる時には、俺はもう食べ終わっていた。この差がな、空腹ん時はデカいんだよ……。
「……いただきます」
行儀よく手を合わせ、箸で持ち上げた麺を啜る――「熱っ」そりゃそうだ。茹で時間5分のカップラーメンってお湯注いで5分も放置するからちょっと冷めて食べやすい温度になるんだけど、今ひなたが作ったそれは食べる寸前に茹で汁を捨てて新しいお湯を注いでスープを作るもの――つまり、熱いのだ。スープはほぼ100度。
どうしようか悩んだ様子のひなたは、めげずに2本くらいだけ麺を持ち上げフーフーしながら食べ始めた。そうそう、そうするんだよ。
(なんか、ちょっとエロいな……)
スープに浸からないよう髪を片手で髪を抑え、吐息で麺を冷ましながらラーメンを啜るひなたは、どうしてか異常に色っぽく見えた。男なのになぁ……。
そのまま、俺の数倍の時間をかけてゆっくり食べたひなたは、スープも全て飲み切るというそこだけ男子高校生らしさを見せ、――ふぅ、と椅子にもたれる。
「足りたか? ちょっと少ないだろそれ」
「充分だよ!? 後半ちょっと無理しちゃったし」
「……小食だな」
まぁそれも当然か。俺と違ってひなた、平均より結構低いんだよな。チビの大食いも居るには居るが、ひなたはそうではないらしい。
「今度から食べれなそうだったら言え。俺が食うから」
「へぁっ!?」
「……なんだ今の声」
普通の提案したつもりだったが、ひなたは顔を赤くして変な声を上げた。
「…………間接キスにならない?」
「男同士でそんなん気にすんなよ……」
高校入ってすぐにぼっちになったから高校生男子の普通の距離感知らねえけど、小中学生のしていたことが高校になったら出来なくなることはないはず。運動部の男子とか今でも普通にペットボトルの回し飲みとかしてるし、似たようなもんだろ、たぶん。
ひなたは自分を納得させるように「男同士、だもんね、うん……」と頷く。よくわかんねえなこいつ。ひょっとしたらブラジルだと普通じゃないのかもしれん。
食後に冷蔵庫に入っていたお高いシュークリーム(ひなたと二人で食べなさいと付箋が貼られてた)を食べていると、ソファに座っていたひなたが「そういえば、」と口を開く。
「こんどの日曜、クラスのみんなが歓迎会してくれるみたいなんだけど……」
「へぇ、そうか」
「……そーまくんは行かないの?」
「呼ばれてないし、呼ばれるわけないし、呼ばれても行かん」
「…………そっか。じゃあボクもやめとこうかな」
「いや主賓が行かなくてどうすんだよ」
「だって、そーまくんは行かないんでしょ?」
そう言ってひなたがシュークリームから視線を外してこちらを見ると――今がチャンスと言わんばかりの勢いで、隣に座っていたカズがひなたのシュークリームに齧りついた。
――ひなたが驚いて手を離した隙に奪われたシュークリームは、半分くらいは残ってただろうか。二口でカズの胃の中に落ちて行った。哀れ。せめて味わえ。
「……俺の食えよ」
スマホ弄っててまだ二口しか食べてなかったので、それをひなたに手渡した。
若干照れた様子のひなたはそれを受け取ると、「あげないよ!」とカズに背を向けるようにして、ぱくりとかぶりつく。
「……ボク一人で行っちゃって、いいの?」
「良いも何も、誘われてんのはひなただろ。行って来いよ」
「うん、……分かった。行ってくるね」
俺が言うのも何だけど、変なことにはならないと思う。俺の悪口くらいは言われるだろうけど、それは別に歓迎会とか行かなくてもそのうち言われるだろうしな。
――しかし予想というのは、大抵悪い方向に外れるものなのだ。
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