第3話

「………え? は? ひなた?」

「おかえり、そーまくん」

「ただいま。……って、いやお前、えぇ……?」


 リビングのソファには、ゴールデンレトリバーのカズが「ここは俺の席だ」と言わんばかりに堂々と鎮座しており、隣に座る来客の膝にどしんと顎を乗せてくつろいでいた。

 ――そこに居たのは、数時間前、クラスの中心に居た、篝ひなたその人だ。


 どうして、なんで――いくらでも疑問が浮かぶ。いや待て、俺今朝ちゃんと鍵閉めたよな? んで父さんも母さんも今日帰り遅い日だよな? どうやって入ったのこいつ?


「カズくんもボクのこと覚えてたのかなー」

 ひなたがそう言って撫でると、カズは嬉しそうに顔をこすりつける。


 カズの年齢は11歳。大型犬にしてはかなりの高齢だ。そういえば、飼い始めたばかりの頃はひなたもよくウチでカズと遊んでたっけ。俺はそれを横目にゲームしてたと思う。


 男子にしては小柄なひなたは、隣に並べるとカズよりも小さく見える。でも流石に高校1年生男子の体重が35キロ以下なことはないよな。身長は160ないくらいだと思うが、まぁそれでも平均だと50キロくらいはあるはず。――見えん。全然そうは見えん。


「そもそもなんでひなたがここにいんの? 鍵は?」


 そう問いかけると、ポケットから鍵を取り出し掲げてきた。見慣れたストラップ。あぁうん、いつも壁に掛かってた合鍵だね。


「……聞いてない?」

「何を?」

「ボク、しばらくこの家にお世話になるんだけど……」

「聞いてねぇよ……!?」


 えっ待って何その重大な話!? 俺マジで聞いた記憶ねえんだけど!?

 慌てて父さんに確認のメッセージ。――3秒で返信来た。『すまん言い忘れてたか?』――馬鹿だろ忘れんなッ!! クソ重要な話じゃねえかこれ!!


「そもそも隣、自分ちあるだろ」


 草も木もボーボーだけどな。父さんが年に1,2回は芝生狩りに行ってたのは覚えてる。


「あー、それなんだけど、10年くらいほとんど放置してたから色々劣化してたみたいで、リフォームしてから住むんだって」

「へぇ……。あれ、じゃあお前の両親は?」

「職場近くのホテルに泊まるらしいよ。んでボクのホテルはここね」

「ようこそいらっしゃいませ。――じゃねえんだわ。ウチはホテルじゃねえ」


 思わずノリツッコミしちゃったよ。どういうことだよ。

 しっかしまぁ、なんとなく分かってきた。確かに子供一人でこのへんのホテル――駅前にビジネスホテルが一つだけはあるな――に泊まらせるのはちょっと心配か。そうなると幼馴染の家に預けてくのが一番いいと。

 うん、分かるぜ言いたいことは。ならせめてそれを息子に相談しろ!!


「……いつまでなんだ?」

「さぁ……?」

「……さぁって」

「しばらく……?」

「しばらく……」


 待て、これ1カ月とかそんなんじゃ済まないレベルだったりしない? いや、……嫌なわけじゃないんだ。そもそも俺、ほとんど自分の部屋から出ないし。

 だけどさぁ、両親共働きでどっちも帰ってくるの遅いから自由に生活してたとこあったんだよ。飯だって好きな時間に食うし。夜だって好きな時間に寝るし。特に同居家族のこと意識せずにのんびりだらだら過ごせてたんだよ。

 そこに、こいつ、――顔が良すぎる幼馴染が現れた、と。


(いやマジ男で良かったぁ……!!)


 これでひなたが女子だったらヤバかった。いや違うな。女子だったら男子高校生が住んでる家に居候させようなんて思わんか。それもそうか。

 男子だから、何も起こりえないから居候させることに決めたんだよな、……そうだよな。


「……親と一緒のホテルから学校通うとか、出来なかったのか?」

「えー、だってホテルあるの青山だよ? 電車だけでも1時間半くらいかかるし、駅から学校まで歩いて30分くらい……、それに日本の電車、朝だとかなり混むでしょ?」

「まぁ、そうだろうな」


 通勤通学のラッシュを経験したことない。中学も高校も徒歩圏だからな。まぁ電車乗りたくないから偏差値ちょっと高い最寄りの高校選んだんだけど。

 確かに移動に2時間もかかるならそこから通いたくない気持ちは、分かる。分かるよ。それに高校をこっちにしたのも、自宅のリフォーム終わったら通いやすいしな。分かる。せめて相談とか報告してくれよそういうことはさぁ……。


「ただ、あの」

「ん?」

「……ちょっと荷物あるんだけど、広げて良いお部屋ある?」

「え、いや、知らん」

「えぇー……」

「だってお前が泊まること今知ったし」

「…………それもそうだね、空いてるお部屋とかある?」

「えーと、……待ってろ」


 俺に相談してないだけで両親の中で合意が取れて相談してたんなら――、と、リビング隣の客間の扉を開ける。――箪笥、箪笥、箪笥、衣装ケース衣装ケース衣装ケース衣装ケース段ボール段ボール段ボール段ボール段ボール段ボール段ボール段ボール段ボール、――以上だ。ギリギリ足の踏み場がある程度。


「…………」


 絶句。いやまぁ、こうなってるのは分かってたけど。俺も普段この部屋開けないし、母さんの荷物置きになってることは知ってたし。

 でも片付けたと思ったんだよ。人ひとりがしばらく泊まるわけだし。流石にこの部屋は無理だよなぁ。


 とりあえず一応確認しとこうと、ひなたをリビングに残して階段を上がる。

 まずあるのは父さんの書斎。――うん、ベッドなんてないし置ける隙間もない。あと倉庫ってくらい狭い。

 次は両親の寝室。――いつも通り。ベッドとテレビと箪笥、以上。


 俺の部屋。――開けなくても分かる。

 以上だ。無から部屋が増えた様子はない。


 階段を降り、カズを撫でまわしていたひなたに告げる。


「お前の部屋、ねーから」

「あっ、そうなの?」

「軽いな。荷物結構あるんじゃないのか?」

「え、これ一つだけど……」

 そう言って指したのは、小さな、機内持ち込み出来そうなサイズのスーツケースだ。


「……私物とかは?」

「宅急便でおうちに送ってあるよ」

 壁を、――の向こうにある自分の家を指して言われた。まぁそうか。


「そうか。……あー、だから生活に必要なのはそのくらい、と」

「そういうことー。まぁ下着とか服はこっちで揃える予定だけど。……服持ってきても使えなかったね。一昨日まで真夏だったから、こっちいきなり寒くてびっくりしちゃったよ」


 カズで温まりながらひなたは言う。なるほど、ずっとソファの前から動いてないの、そういうことか。床暖房があるからソファの周辺がリビングで一番暖かいんだ。

 あと暖房器具(デカい犬)あるし。俺も帰ってきたら真っ先に温めて貰う。腹の下に冷たい手突っ込むと一瞬で温まるんだよ。カズはちょっと嫌がるけど。

 地球の反対側にあるブラジルの季節は日本と反対、つまり今がちょうど真夏日だったと。そんでいきなり日本の1月(たまに雪降る)に来たらそりゃ寒いよな。

 ――いやそんな話じゃなくて。


「……そもそも、お前」

「何?」

「急に親戚でもない奴の家に住むことになって、嫌じゃないのか」

「えー、だってそーまくんでしょ?」

「いやそうだが」

「別にいいよ。ってかまた遊べて嬉しいし」

「…………そうか」


 からっとした笑顔で笑うひなたを見て、――あぁ、そういえばこいつは昔からこんなだったな、と在りし日を思い出す。


 幼稚園で、親が迎えに来るたび、「や! そーまくんとあそぶの!」と帰るのを拒否し。

 無理矢理連れて帰るとそれから機嫌が悪くなり夕飯も口にしなくなるので、諦めたひなたの親が、俺と同じ時間まで園に預けておくことを決めたんだっけ。

 それでようやく普通に帰るようになったが、丁度その頃ひなたの親の仕事が忙しくなって、ひなたは俺の家――柳田家で夕飯を食べることが多くなった。

 食事を終え、うとうとし始めたあたりでようやく仕事を終えたひなたの親がうちに迎えに来て、それでお別れ。そんな生活を、3年近く続けていただろうか。

 小学校に入るまで、俺の一番の遊び相手といえば、ひなただった。

 ――でも、ひなたが小学校に入ってすぐ居なくなって、俺は他の友達と遊ぶようになった。

 親友と呼べる奴らも出来たりなんかして、昔遊んでいたひなたのことなんてすっかり忘れていた。帰ってくると言われるまで、1年に1度も思い出していなかったかもしれない。幼稚園の頃の幼馴染なんて、そんなもんだ。


「そーまくん、変わったね」

「……そうか、そう見えるか」

「うん、昔はもっと、なんだろうな……激しかった?」

「何が!?」


 えっちょっとまって俺昔何したの!? ぶっちゃけ全然覚えてないんだけど!?


「何があったのかは知らないけど、……見てて辛かったよ、今日のそーまくん」

「…………そうか」


 心配そうな顔でこちらを見るひなたは、――俺の記憶の中にあるひなたそのままで。

 外見は、ずいぶん育った。だけど、中身はどうだろう。

 変わっていないはずがない。だって10年だ。日本を離れて10年経って、人が変わらないはずがない。

 それなのに、上目遣いで俺を見るひなたは、どうしてか昔と同じように見えて。


「あんだけクラスの奴らに囲まれてたら、そのうち嫌でも教えられるよ」

「……ボクはそーまくんの口から聞きたいんだけど」

「……俺にだって、人に言いたくないことくらいある」

「それ、」


 口を開き何かを言おうとしたひなたはそこで動きを止め、首を振って小さく「うぅん、」と呟くともう一度こちらを見る。


「お父さんとお母さんには、話してる?」

「……いや」

「どうして?」

「言う必要ないだろ」

「そんなこと、ないと思うけど」


 ひなたに言われると、本当にそうじゃないかと思えてしまう。


 ――中学の頃、こうして隣にひなたが居たら。

 相談出来る相手が、の他にも居たら。

 もう少しだけ、違う未来があったんじゃないだろうか。


「……それは、ただの自己満足だ」

「ち、違――」

「あの時居なかったお前に、何が分かるんだよ」

「――っ!」


 唇を噛んだひなたに、あぁ、やっちまったと頭を抱える。

 八つ当たりだ。ここ1年以上ほとんど誰とも話さなくなった俺は、もう喧嘩腰でしか誰とも話せなくなってしまっている。


 ――そうしないと、心が保てなかったから。

 ――そうしないと、どうにかなってしまいそうだったから。

 

 他人を遠ざけ、誰とも深く関わらないようにして、他人に何を言われても気にしないよう心を強く持とうとした。殻を閉ざし、誰とも仲良くなろうとしなかった。

 それでも、所詮ただの学生でしかない俺は、親に頼って生きるしかない。そんな親を落胆させるようなことが、言えなかった、――ただ、それだけ。


 結局俺は、逃げたんだ。すべての責任から。

 だから、何を言われても耐えないといけない。皆が忘れる、その時まで。

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