第8話 初めての喧嘩。


 部屋の掃除をしていて、革のバングルを見つけた。これは、あおいがしていた物だ。


 おれとあおいは殆ど喧嘩をした事がない。

 でも、これは最初に喧嘩した時の思い出。


 はじまりは、些細なことだった。

 大学の頃、俺が後輩に告白されて、内緒にしていたことがあおいにバレたのだ。


 俺としたら、相手のいるものだし断ったので、あえて言う必要はないと思っていた。

 

 でも、それがひょんなことで、あおいの耳に入ったのだ。


 あおいは、俺の前に腕を組んで立っている。頬は赤く、眉は吊り上がっていた。


 「……涼くん。わたしに言うことない?」


 「別にねーよ」


 「ほんとのほんとは?」


 「だからねーって」


 あおいの目が潤んだ。


 「嘘つき」


 おれは意味もわからず嘘つき呼ばわりされて腹がたった。


 「は? 嘘なんてついてねーじゃん」


 「涼くんの部活の後輩の女の子。告白されて付き合ってるって聞いたもん」


 100%デマって訳でもなかったので、言葉に詰まったしまった。


 「……、つきあってねーし」


 俺の歯切れの悪い様子で有罪判決がされたらしい。


 「涼くん、嘘つき。もう嫌い。ホテル一緒に行ってるってのもきっとホントなんだ」


 おいおい。

 面白おかしく話を盛ってるアホは誰なんだ。


 「いってねーし。つか、お前は、そんな意味の分かんない話を信じたわけ?」


 「涼くん、なに逆ギレしてるの? 悪いのはアナタじゃない」


 「あー、もういい。面倒くさい女だな」


 そう言った瞬間、俺は後悔した。

 しかし、一旦、口から出た言葉は取り消せない。あおいは、俺に絶望したような顔をした。


 あおいは口を押さえると、身体を翻して、どこかに行ってしまった。


 色々言われて面倒くさいと思ったのは事実だが、今や、浮気の有無よりも、あおいを泣かせてしまった最後の一言の方が問題だった。


 いまだったら、きっと追いかけて土下座して許しを乞うたと思うが、20歳そこそこの俺には変なプライドがあって、それができなかった。


 結局、俺もムカついて、そのまま帰ってしまって、しばらくあおいに連絡しなかった。10日程経った頃、俺はようやく事態の深刻さに気づいた。


 何事もなかったように、あおいにメッセージを送ってみるが、反応はなかった。どうやらブロックされているらしい。


 あおいと話さずに、それから1ヶ月くらい経った頃、おれは、あおいとはもう無理だと思った。


 そして、こんなことなら後輩と付き合っておけばよかったと思った。普通に可愛い子だったし、きっと、俺の孤独感も紛れたのではないか。


 それからは1人で頭の中で、どちらが悪いかの検証を何百回も繰り返して過ごした。


 さらに1ヶ月くらい立った頃、俺の中では、もうあおいとは終わったと認識していた。


 『終わるにしても、自然消滅は良くないか』


 最後にちゃんと伝えよう。

 そう思って、あおいの実家にいき、あおいの妹の舞雪に手紙を渡した。


 中には、時間と場所と、最後に話したいというメッセージを残した。


 待ち合わせの日、俺は、あおいの家の近くの公園で待っていた。待ち合わせの時間を15分くらい過ぎていた。


 来ないという事実が答えだよな。

 帰ったら、あの時の後輩に連絡してみよーかな。


 俺がベンチから立ち上がると、あおいが走ってやってきた。厚手のパーカーを着ていて、髪の毛はボサボサだ。


 「……涼くん、お話って?」


 きっと、このときあおいは、俺が謝ると思っていたのだと思う。だけれど、俺の方は何百回もした脳内検証で、もうどうやってもダメだという結論に達していた。


 俺は口を開いた。


 「いやさ。あおいも同じ気持ちだと思うけど、一応伝えとこうと思って。俺らもう終わりにしよう」


 「……え?」


 あおいは、手に持っていたスマートフォンを落とした。目はまんまるで、まるで状況が理解できないという顔だった。


 「だって。あおい怒りっぱなしだし、俺も許されると思ってないし」


 俺はあおいも、俺への気持ちが薄くなっていて、同じ後ろ向きな気持ちなのかと思っていた。


 昔からそうなのだ。


 不安定になると、失う前に壊したくなってしまう。良くない癖だと思うのだけれど、この頃の俺は、そんな身勝手の申し子だった。



 あおいは、腹話術の人形のように口をパクパクさせた。


 「……うそつき。涼くんの嘘つき。ずっとずっと一緒に言ってくれると言ったのに……」


 あおいは身体を翻して駆け出した。

 俺はハッとして、追いかけ、あおいの手首をぐいっと引っ張った。


 すると、あおいの両目からは大粒の涙が流れ落ちていた。その顔をみて、俺は悟った。


 あおいの中で『ずっと一緒』っていうのは、きっと確定事項なのだ。だから、俺が何かやらかしても、別れるという発想はない。


 おれの告白を受け入れてくれた時に腹を決めてくれたのだろう。不安定になると壊したくなる自分とは対照的だと思った。


 そして、今更ながらに、あおいがどれだけ想ってくれているのかが分かった気がした。


 あおいは、俺の手ごと自分の腕を上下に振って、振り解こうとする。すると、あおいの手首のバングルが切れた。


 腹を決めているということは、もし、あおいが別れるという結論に至ったら、フラフラしている俺とは違って、取り返しがつかないということだ。


 このまま行かせたら終わると思った。


 俺は人目もはばからずに、あおいを抱きしめるとキスをした。口を離して、言った。


 「ごめん。俺が悪かった。おれもずっと一緒にいたいって思ってるから」


 あおいは何か言おうとしたが、言葉を飲み込んだようだった。暴れる腕から力が抜けた。


 「涼くん。周りの子供達が見ているよ? うん。わたしもお別れしたくないです」


 どうやら仲直りできたらしい。

 俺とあおいは手を繋いで公園をでた。


 そういえば、この時はもう一つ珍しいことがあったんだ。


 公園をでると、あおいは俺の目を見ていった。


 「……仲直りのエッチしたいかも」


 そのときは、愛の告白じゃなくて拍子抜けだったが、今思うと、あおいから誘ってきたのって、あの時くらいだった気がする。 



 俺は切れたバングルを眺めながら思った。


 

 「あおいと会いたいなぁ」


 すごく人肌恋しかった。

 情愛と情事は字を共通するだけあって、愛情と性欲は互いを補い合う密接な物なのだと思う。



 「こんな時に誰かに言い寄られたら、拒めなそうだ」


 ……まぁ、家にいるからそんな誘惑の心配もないんだねどね。



 ピンポーン。



 俺が片付けを再開するとインターフォンがなった。


 カメラの外にいたのは、あおいにそっくりな女の子、舞雪(まい)だった。




 

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