第5話 あおいの妹。
ある日の朝、俺は久しぶりに髭を剃っていた。
いまは、会社が配慮してくれて、リフレッシュ休暇を前倒しで使わせてもらっている。
だから、人に会うの久しぶりだった。
髭を剃り、歯を磨いているとインターフォンがなった。
カメラの前には、あおいの妹の舞雪(まい)が立っていた。ドアを開けると、まいはニコニコして小袋を渡してきた。
「これ。お土産です」
「気がきくようになったじゃん」
「もう大学生ですから」
「うーん。大人はこういうとき、神妙な顔をしてくるもんだよ?」
「真の大人だから、頑張って元気にしてるんです」
「そういうことにしとく」
まいは18歳で大学一年生だ。初めて会った頃はまだ小学生の低学年だったから、随分と大人になった。
随分と懐いてくれて、俺を兄のように慕ってくれていた。今日、あおいのご両親が、まい1人で来させたのは、そういう経緯もあるのだと思う。
まいは、身長はあおいよりも少し小さく、性格もよく似ている。いや、これについては、最初はおてんばで違ったが、成長するにつれて似て来たと言った方が正確か。
「どうぞ。ま、外も寒いからあがりなよ」
「遠慮なくあがらせてもらいます」
俺は、まいに手伝ってもらえると聞いて、助かるとも思ったが、断ろうかとも思った。とはいえ、線香もあげてもらいたかったし、断る理由もなかったので、今日、来てもらった。
だが、まいに会って確信した。
久しぶりに見た舞雪(まい)は、あおいにそっくり過ぎた。
「あ、仏壇はこっち」
すると、まいはニコニコした顔を一変させ、悲しそうな顔になった。
それはそうだよな。
まいは海外の大学に通っている。あおいが亡くなった時、今回の伝染病による渡航制限がかかっていて、まいはあおいのお葬式には出れなかったのだ。
まいは、あおいのことが大好きだったから、本当に辛かっただろう。
まいは線香をたくと、仏壇の前でしばらく手を合わせた。
「おねーちゃん、あかねちゃん。すぐにこれなくてごめんね」
まいは、こちらに振り向くと微笑んだ。
「涼介おにいちゃんも、ごめんね」
まいは、片付けも手伝ってくれるということだった。
「あ、これ使って」
おれは、あおいのエプロンを渡した。
髪の毛をポニーテールにして、エプロンをつけた舞雪をみていると、あおいを見ているような気持ちになった。
まいには、あおいの下着や日記等の片付けを頼んでいる。あおいは恥ずかしがり屋で、俺にも下着棚を見せてはくれなかった。日記も勝手にみるのは、なんとなく気が引けた。
亡くなってしまっても、あおいの意思を尊重したかったのだ。
かといって、丸ごと捨ててしまうのも問題がある。そこで、まいに手伝ってもらうことにした。
「んじゃあ、わたし、おねえちゃんの部屋で片付けてしますね。何かあったら声かけますんで」
それから、別室で作業をして、夕方前になって、今日の作業は終えることにした。
「まいちゃん。色々ありがとう。助かったよ。あ、礼と言ってはなんだけど、夕食ご馳走するよ」
まいは、家で何か作ってくれると言ってくれたが、まいの料理姿をみたら、あおいと重なって泣いてしまいそうだったので、外で食べることにした。
近所にある小料理屋に連れて行った。
ここは、あおいと時々来ていた店だ。
ガラガラと引き戸を開けると、女将さんが声をかけてくれた。
「いらっし……、いらっしゃい」
女将さんは懇意にしてくれて、あおいのお葬式にも来てくれた。だから、あおいによく似た舞雪を見てびっくりしたのだろう。
女将さんは少し申し訳なさそうな顔をした。
「今日はカウンターが空いてないの。個室しかないんだけれど、いいかしら」
案内されると、小さな個室だった。
横並びに座るようになっている。
それで、女将さん気まずそうな顔をしたのか。
まいと横並びで座ると、メニューを開く。
「おれはビールで。まいちゃんはソフトドリンクにする?」
まいはぷーっとした。
「子供扱いしないでください。イギリスなら、18歳もお酒のめるんですよ?」
「ここは日本だから。んじゃあ、女将さん、ビールとリンゴジュース」
まいにリンゴジュースを渡した。
「まいちゃん、それシードルみたいなもんだから。お酒と思い込めば酔えるはず」
「これでいいですよーだ。どうせ、わたしはずっと子供扱い」
それからは、あおいや茜の話をして、ひさしぶりに落ち込まない時間を過ごせた気がする。故人のことを忘れるのではなく、共有するできる相手と話せることは、すごく俺の心を癒してくれた。
まいは本気でシードル気分らしく、少し陽気になった。
「ね。涼介おにいちゃん。わたし、お兄ちゃんのことずーっと好きだったんだよ。気づいてた?」
「いや、まったく」
「もう。お兄ちゃんの中じゃ、わたしは一生、子供なんじゃん」
「そんなことは。綺麗になっていてビックリしたし」
それは本当だ。
兄として、妹の美人化は少し気分が良かった。
「……うれしい」
すると、まいが俺の肩に寄りかかるようにして、手を重ねて来た。まいは続ける。
「じゃあ、……涼介おにいちゃん寂しかったら、わたし彼女代わりしてあげてもいいよ? 男の子と付き合ったことないから、うまくできるかわからないけど」
まいは少し目尻を下げて甘えたような顔になった。年頃の可愛い女の子に懐かれるのは悪い気はしないハズだが、さすがにそんな気分にはなれなかった。
おれは舞雪から手を離した。
「ごめん。せっかく来てくれたのに。まだ冗談でもそういうこと言う気分になれなくて。俺の中では、ずっと、あおいが一番だから」
みゆきは俯いてしまった。
「ごめんなさい」
まいは、そう言うと泣き出してしまった。
それからは、まいに元気を出して欲しくて頑張ったのだけれど、まいは口数が少なくなったままだった。
食事を終えて、駅まで送っていく。
まいは、まだ元気がない。
おれはまいの顔を覗き込んだ。
「……大丈夫?」
「大丈夫。さっきは、ごめんなさい。でも、
思ってないことはいってないです。またお手伝いに行ってもいいですか?」
俺は手を振ってまいと別れた。
まいは本当にあおいに似ていた。
もし、あのまま流されていたら、本当にマイに夢中になって、あおいや茜のことを忘れてしまったかもしれない。それは想像しただけで耐え難いことだった。
まいは、顔も雰囲気も性格も、あおいによく似ているし、異性としても好みだ。あおいの代わりとしては、あれ以上の子はいない。
『でも、違うよな』
あおいはどう思うだろう。
何年か経って、もし俺が再婚することがあったとしても、その相手として、マイだけはイヤなんじゃないかと思う。
あおいとは長い付き合いだ。理由はわからなくても、何を嫌がるかは大体わかる。
家に帰ると、中はまっくらだった。
「ただいま」
おれは暗闇に声をかけた。
当たり前だが、返事はなかった。
その日は、夜中に何回か目が覚めたが、隣の部屋は静かで物音一つしなかった。
あおいは怒ると、口を聞かなくなるタイプだった。ふと、それを思い出して、少しだけ自分の口が綻びていることに気づいた。
……あおい怒っちゃってるのかな。
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