第3話 小鍋のお粥。


 あの日から、深夜になるのを起きて待つのが習慣になった。


 隣の部屋から聞こえてくる音は様々で、どんどんバリエーションが増えていった。そのうち、時々、何か囁くような音も聞こえてくるようになった。


 きっと誰かに、この話をしたら「病院にいけ」、「幻聴だ」と言われるだろう。たしかに、おれは頭がおかしいのかもしれない。


 でも、毎晩、隣の部屋の音を聞いていると、その間だけ昔に戻れている気がして、俺は夢中でその時間を過ごした。



 ある日、俺は風邪をひいてしまった。あおいがいたら、きっと、色々と買い込んできてくれて、「大丈夫かな?」と心配してくれただろう。


 でも、今の俺には、かわりに買い物に行ってくれる人はいない。仕方なく、近所のスーパーで、最低限のものを買うことにした。


 「今日はこれでいいか」


 レトルトのおかゆを手に取る。



 すると、前にも、ちょうどこの場所で、おかゆを見ながら、あおいと話したことを思い出した。


 

 「りょうくん、ちゃんと作ってあげるから。おうちのお粥を食べよ? わたしを少しは頼ってよ」


 あぁ。

 たしか、あの時、そんなこと言われたんだっけ。


 あの時、俺は外出先で体調を崩してしまい、帰り道に皆でこのスーパーに寄った。重い物は食べられそうになかったから、レトルトのおかゆを手に取ったのだ。


 あおいは料理が得意ではなかった。だから、負担になると思って、レトルトで済まそうと思ったのだけれど、「頼って」と言われてしまった。


 おれは、あおいに頼れていたのかな。

 少なくとも、頼られたいという気持ちには応えられていなかったと思う。


 俺は料理が得意な方だったから、苦手なあおいにさせるより、自分でやる方が効率がいいと思っていたのだ。


 だから、いつも、「悪い」とか、「次にお願い」なんていって。結局、そのままになってしまった。


 この前、あおいの遺品を整理していて、料理本を何冊も見つけた。中には書き込みや付箋があって。きっと、内緒で練習してくれていたんだと思う。


 今となっては、何を作ってくれようとしていたのか知ることもできない。おれは、自己満足のために、あおいのそんな気持ちを無駄にさせてしまったのだと思っている。


 時が戻せるのなら、もっと、あおいが作ってくれた料理が食べたい。「おいしかった」「ありがとう」って。もっともっと沢山伝えたかった。

 

 そうしたら、きっと、どんどん上達して、いつもあおいに作ってもらうようになっていたのかも知れない。


 そうしたら……。そうしたら、その分の買い物は俺がいくようになって、もしかしたら、2人を連れ去った病気になったのは俺だったのかもしれない。


 「はぁ」


 おれは、レトルトのお粥を陳列棚に戻した。


 適当に何品か食材を買って家に帰る。

 そして、あおいが遺した料理本をパラパラとめくった。


 すると、「涼くんが風邪ひいたら作る!!」という付箋が目に入った。


 そのレシピは豆腐粥だった。


 「……これ作ってみるか」


 キッチンにいき、片付けでグチャグチャになった瓶や調理器具を押しのける。



 鍋に軽く洗ったご飯をいれ、適量の水で煮込む。そこにパックのアゴだし、出汁醤油、溶き卵を回し入れた。


 大きめにきった絹ごし豆腐をいれ、熱が通ったら、刻んだ小ネギと塩を振り入れて完成だ。


 冷めないうちに食べるか。


 今日はなんとなく。

 殺風景なリビングで食事をすることにした。


 テレビがないので静かだ。


 豆腐粥を眺めながら物思いにふける。


 そういえば、あの時。

 レトルト粥を買いに行った日、結局、何を食べたんだっけ。



 豆腐粥をレンゲにとり、ふうふうしながら一口食べた。すると、思い出した。


 「……この味だ」


 味覚に刺激されて記憶が蘇る。

 おれはその味に覚えがあった。

 

 あの日、スーパーを出た後、どんどん体調が悪化して、家に帰って寝ていると、あおいがお粥をもってきてくれたんだ。


 猫のエプロンをして、少し自信がなさそうに「これ……」って。小さな鍋に入ったお粥を渡してくれた。


 「俺は、あおいのお粥を、あの時に食べていたのか。なんで忘れてたんだろ……」


 俺は、キッチンの方に向いて、あの日、そこに立っていたであろうあおいに頭を下げた。


 「ありがとう。お礼が遅くなってごめんな」


 小鍋を洗い、その日はそのまま寝ることにした。夜中に目が覚めたが、隣の部屋は静かだった。


 隣の部屋の静かさに寂しく感じながら、一階にあるトイレに行く。すると、今はないはずのレンジの音が何回か聞こえた。  


 あおいが、おかゆの練習でもしてるのかな?


 「でもな。お粥にはレンジは使わないぞ?」


 


 


 



 


 


 


 

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