第二章 公爵様からの果たし状

2-1


 社交シーズンを終えた翌日。

 私は自室で、うきうきしながら鏡の前に立っていた。


「やっぱりスラックスは最高だよな」


 ボロを出すことなくパーティーを終えることができたので、クリスタ姉様が約束通りスラックスをプレゼントしてくれた。穿ごこはとてもよく、何よりもうれしいのは動きやすいということだった。

 今後もパーティーと来客がある時には必ずドレスを着用することを約束した上で、家でゆっくり過ごす分には穿いて構わないことになった。


「パーティーか……あれで終わりじゃねぇんだよな」


 はぁっとため息をく。

 社交界は自分のしょうに合わないと予想していたが、その通りだった。


(楽しかったのは、王家主催のパーティーのごそうぐらいだな)


 かえってみても、いい思い出はあまりかばない。

 鏡の中にいるスラックスを着用した自分を見て、本当の自分はこっちだと感じてしまった。


(着るものや行動を制限される自由のない貴族より……何にもしばられない平民の方が、私

の性に合う)


 ここまでしゅくじょ教育で、れいじょうとしてずかしくないようにと育ててくれたクリスタ姉様には申し訳ないが、私はこのまま貴族社会で暮らしたいとは思えなくなっていた。社交界デビュー後、社交活動を重ねる中で、パーティーに参加する日々は苦痛とも言えるものだった。


(私は……レリオーズこうしゃくを出て、自由に暮らしたい)


 ドレスを着ることもなく、おしとやかな振るいと行動を強制されることのない自由な生活。前世のように、何にも縛られることのない日常が、私の望むものだった。

 家を出るだなんて両親が聞いたらそっとうしそうな話だが、私の意志は固い。


(けどな……家を出るにしても、どうすればいいんだ?)


 うでを組みながら考え込んでいると、退出していた専属じょの一人がもどってきた。


「いかがですかおじょうさま、クリスタルお嬢様からいただいたスラックスは」

すごい感じだ。毎日これを穿きたいくらいだよ」

「それはよかったですね。よくお似合いです」


 専属侍女の中でも最年長のドーラは、私が五歳のころから仕えてくれているので、最も長

い付き合いになる。しんらいできる侍女だ。


「お嬢様。さきほどお嬢様てのお手紙が届きました」

「手紙?」


 私に文通する相手などいないので、心当たりはない。


おそらくはパーティーでごいっしょされたご令嬢からの、招待状ではないでしょうか」

「あぁ!」


 そう言われて思い出したのは、令嬢達との会話だった。


(そういえば、今度一緒に乗馬しましょうってパーティーでさそわれたんだった)


 てっきり口約束だけで、実現しないと思っていた。りちにも招待状をくれた令嬢に感心しながら、ドーラから手紙を受け取る。さっそくふうを切って便びんせんを取り出して読み始めた。そこにはていねいな文体でお誘いがつづられていた。


(なになに……〝アンジェリカ・レリオーズ様。先日のパーティーでお会いしたあの時が、忘れられない時間になりました。またお会いしたいと思っております。よろしければ○日○時に王都のふんすい前にいらしてください〞……なんだこれ)

 パーティーやお茶会の招待状とはかけはなれた文言に、思わず首をかしげてしまう。


(もしかしていたずらか? 一体だれなんだ、変な手紙を送り付けたやつは――え?)

 便箋の最後の行に記された名前を見て、私は目を疑った。


(ギデオン・アーヴィング!?)


 それは先日のガン飛ばしろうであり、こうしゃくである人の名前だった。


(な、な、なんで公爵様から手紙がきたんだ……!? もしかして、本当にあのにらみ合いだ

けで、けんを買ったにんていされちゃったのかよ!)


 睨み返してしまったのが失敗だったかと思いながら、もう一度文面を読み返した。

 時間と場所の指定。思い当たるものは一つしかなかった。


(これ、公爵様からの果たし状ってことだよな……!?)


 やはり睨み返してしまったばかりに、公爵様は私が喧嘩を買ったと判断したのだろう。喧嘩は買わないと、最終日は意識していたというのに、社交界デビューでの一回が公爵様をげきしてしまったようだ。

 送り主がれいこくと有名な公爵様だということを考えていると、いやな予感がよぎった。


(……待てよ? もし仮にこの先平民として過ごすとして、貴族に……それも公爵様に目を付けられてるって、だいぶまずくないか!?)


 現状が整理できないまま、私の中では不安とあせりが生まれ始めた。


(あああ! どうしたらいいかわからねぇけど、なやんだって仕方ねぇ! 目を付けられた

以上、相手の腹はよくわかんないけど、果たし状を送って来たってことは、公爵様は本気だ。こうなったら、正々堂々受けて立ってやる!!)


 ぐっと手紙を持つ手に力が入ると、様子をうかがっていたドーラに声をかけられた。


「お嬢様、お返事はどうなさいますか?」

「するから準備してくれ!」

「わかりました。それでは書くものを持ってまいります」


 気合いの入った声で返答すると、なぜかドーラは嬉しそうにうなずいて退出した。


(この話、口がけても姉様には言えないな……)


 問題を起こしたことがクリスタ姉様に伝われば、このスラックスはぼっしゅうされるだろう。加えて、さらにスパルタな淑女教育が始まる未来しか見えない。やっかいなことになるのはちがいなかったので、内密に済ませることにした。


(家を出ようとか言ってたけど、あれはいったんなしだ! 自分のケツは自分でかねぇと!)


 レリオーズ侯爵家に自分が買った喧嘩を残したまま、去ることはできない。そう判断すると、デスクの前に移動して座った。

 どんな果たし合いでも絶対に負けてはいけない。動きをシミュレーションしていると、ドーラが筆とインクを手に戻ってきた。


「こちらが便箋です。それと――」

「ありがとう」


 便箋を受け取ると、さっそく果たし状への返事を書き始めた。


(やっぱりここは、受けて立つ! がいいよな)


 余分な言葉は必要ないだろうと思っていると、ドーラがそっと本を差し出した。


「……なんだこれ」

「招待状のお返事の書き方です。さきほどろうでクリスタルお嬢様にお会いしまして」

「ね、姉様に」


 バッと顔を上げれば、ドーラはゆっくりと頷いた。


「はい。伝言を預かっております。〝アンジェ、お返事もお淑やかによ?〞とのことです」


 ドーラから聞いた姉様の言葉に、ごくりとつばを飲み込んだ。

 そして再び、返事を書いていた便箋に視線を向ける。


(……うん、これはだ)


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