1-3


「は、はい」


 もしかして走った姿を見られたのではないかと、嫌な予感が過る。背筋を伸ばして、動揺を隠しながらクリスタ姉様を見る。


「もう言うことはないわね。上手うまく令嬢方に溶け込めていたんじゃないかしら」

「ほ、本当ですか!」


 ほっと安堵しつつ、められるとは思いもしなかったので嬉しくなってしまった。


「えぇ、本当よ。今日のアンジェは自然とお淑やかに振る舞えていたと思うわ」

「あ、ありがとうございます姉様! 実は共通の趣味を持つ方と話すことができて、話がはずんだんです。口約束ではありますが、今度一緒に乗馬しようという話もしました」


 クリスタ姉様に褒められたのが嬉しくなって、しょうさいを語った。


「いいご友人を見つけられたのね。それは良かった」


 まだ友人ダチと言えるほど、親しくはないんですけどね。

 そう内心で突っ込むものの、評価してくれたことで口角が上がりっぱなしだった。


「そう言えば、今日はアーヴィング公爵様も参加されていたわね」

「姉様、お知り合いですか?」


 今日私を追ってきた、以前私が睨み返してしまった相手であるアーヴィング公爵様。彼に関する話は聞いておきたかった。食い気味にたずねると、クリスタ姉様は首を横に振った。


「知り合いと呼べるほど交流はないわ。おたがい、名前を知っている程度でしょうね」

「そうなんですね」

「えぇ。アーヴィング家は我がオブタリア王国三大こうしゃくの一つよ。アーヴィング公爵家当主を継がれたギデオン様は、若くして才覚を発揮しているゆうしゅうなお方と言われているわ」


 クリスタ姉様の説明を受けて、冷酷な公爵という話を思い出した。


「姉様……実は、その、アーヴィング公爵様に関するよくない話を聞いたのですが」

「あぁ。部下をようしゃなく切り捨て、泣く子も黙る恐ろしい騎士団長、という話ね。……まぁ、噂は噂よと言えればよかったのだけど」

「だけど……!?」


 意味深な言い方をするクリスタ姉様に、私は嫌な汗が流れ始めた。


「噂っていうのは基本、違うものならすぐに本人がていせいするのが社交界のあんもくのルール。けれども公爵様の噂は、もう何年もささやかれ続けているのよ。他の噂も耳にするくらい」

「他の噂……ですか?」


 自分が睨み返してしまった相手が、そんなにやばい噂を持っているのかと不安を抱き始めていた。


「えぇ。例えば極度の女性ぎらい、とかね。色々な噂があっても、公爵という肩書きにりょくを感じてこんやくを申し込む令嬢は多いの。恐らく何件も申し込みがあったと思うのだけど、いまだに婚約者がいないのよね」

「だから女性嫌い……なるほど」

(確かにあの睨み方ならわからなくもないけど……でも、それなら女性である私をあそこまで追いかけるか?)


 クリスタ姉様の話にあいづちを打ったものの、納得まではできなかった。


「とにかく。今後もパーティーでご一緒するかもしれないから、失礼のないようにね」

「……きもめいじます」


 もう失礼なことをしたとは、とても言える空気ではない。

 なぜか追いかけられたので全速力で走って逃げました、だなんて……絶対に言えない。


(向こうからけてきたから、ワンチャンセーフか? いや、セーフだろ。……たのむセーフであってくれ!!)


 内心ではとんでもないくらい動揺していたが、淑女教育できたえた笑顔をどうにか貼り付

けていた。


「……アンジェ。もしかして、もう何かあったわけではないわよね?」

(うっ! さすが姉様、鋭すぎる)


 その作られた顔に気が付くのがクリスタ姉様だ。私はどうにか平静をよそおった。


「まさか。今日はなぜか話しかけられたので、ご挨拶をしたまでです。……話しかけられた理由は私にもわかりません」

「そんなことがあったの? そう、でもしっかりと挨拶をしたのね、それはよかったわ」


 実は何もよくないんです姉様。その公爵様相手に、かなりやらかしてしまいました。

 なんて正直に言うこともできず。

 挨拶をしたのは本当のことで、お互い名を名乗ったくらいだ。わからないのは話しかけられたことより、睨まれたことだった。

 クリスタ姉様のついきゅうをひとまずのがれると、内心で深くため息をいた。


(はぁぁぁぁ……バレてないよな? 公爵様から逃げた件は絶対知られちゃ駄目だ! 問題を起こしたとバレたら、スラックスが無くなる……!!)


 気乗りしない社交活動を頑張れたのは、ご馳走に加えてスラックスというご褒美があったからだった。今日の一件に関しては、クリスタ姉様と公爵様が話すことがない限り、隠し通せるとんだ。

 相手は公爵。きっとぼうな方だ。再び会うことはあっても、話すことはないだろうと思いたかったが、「またお会いしましょう」というアーヴィング公爵様の言葉が、私の頭の中に残り続けていた。



*****



「ギデオン、よく来たな。パーティーは楽しんでいるか? ……って、相変わらずこわい顔

して考え事か?」

殿でん。いつも通りの顔です」


 すまん、とじんも思っていない謝罪の言葉を第一王子のヒューバート殿下に言われた。

 俺は生まれつき目付きが悪かった。

 どうやら自分の顔は人を怖がらせるようで、よく人から恐れられてきた。

 新しく使用人をやとえば、俺を恐れて自ら辞表を出して去っていき、令嬢達は寄り付かな

い始末。そのため見合いも上手くいったことはない。婚約を申し込まれて相手と会っても、この顔が怖がらせてしまうようで、話すことなく終わってしまうのだ。

 いつの間にかアーヴィング公爵は冷酷な公爵だという噂を広められて、俺にはどうすることもできなくなっていた。


(……火消しの仕方もわからない)


 誰かと話したくても基本的にこの顔のせいで避けられてしまう。おまけに公爵となると、余計に近寄りがたいのだろう。遠巻きにされることもあって、社交界は基本的に苦手だった。

 今回の王家しゅさいのパーティーも同じだ。デビュタントがメインならば、俺が顔を出す必要はないのに、親しくしている第一王子であるヒューバート殿下が顔を見せろとうるさい

ので、参加せざるを得なかった。

 殿下への挨拶だけ済ませてすぐに帰ろうと急いでいると、美しい赤いかみが視界に入った。

 視線で追うと、あかがみの令嬢は嬉しそうに食事を始めた。


ずいぶんと多い量の食事だな)


 なんとなく気になって見続けていれば、令嬢と目が合った。


(しまった)


 きっといつものように怖がらせてしまい目を逸らされるのだろう。勝手に落ち込もうとしたが、赤髪の令嬢は違った。こちらを真っすぐに見つめ返してくれたのだ。

 ……誰かに真っすぐ見られるのはいつ以来だろうか。

 その視線がじゅんすいに嬉しくて、目に力が入ってしまう。恐れている様子などいっさいなく、じっとこちらを見つめる眼差しは、しんせんで温かいものだった。

 隣にいた令嬢に話しかけられるとすぐに目を逸らされてしまったが、一度だけでも見つめ返してくれただけで十分だった。

 その後、殿下に呼ばれてホールを後にすることになった。


 まだ彼女のことを見ていたいという名残なごりしさはあったものの、これ以上は相手のじゃにもなるだろうと切り替えて殿下について行った。

 個室に到着すると、向かい合わせで座る。


「ギデオン。社交界に顔を出すのは久しぶりだろう」

「そうですね」


 ふっと微笑む殿下だが、すぐに表情が重くなった。


「……ギデオン。お前、婚約者として想定している相手はいるか?」

「想定している相手ですか。……そう尋ねられる理由をお聞きしても?」

「あぁ。りんごく……ベルーナ国からの申し出でな。友好のためにもひめをこちらに輿こしれさせたいという話だ。ただ、俺には既に婚約者がいるし、弟にもいる。そうほうそくを持つつもりはないんだ」

「それで私、ということですか」

「あぁ……」


 隣国の中でもベルーナは小国で、我が国オブタリア王国とは国力の差が歴然だった。軍事力も経済力もあっとうてきにこちらが上であるため、さらなる友好関係を築きたいというのが向こうの考えのようだ。


「ただ。これはあくまでも提案に過ぎないし、うちは断れる立場だ。だからギデオンに好ましい相手がいるのか聞きたかったんだが、どうだ?」


 俺に婚約者がいないことは殿下も知っていることだったので、俺はすぐに問題ないと頷こうとした。


「好ましい、相手……」


 その瞬間、赤髪の彼女の姿が思い出された。名前も知らない、彼女のことが。


「なんだ、いるのか?」


 俺が言葉に詰まったことに反応した殿下は、バッと身を乗り出した。


「あっ、いや」

「今の間は何かあるだろう?」


 物凄い目力で尋ねてくる殿下。ここにも俺の目を気にしない人がいるが、この人は気にしなさすぎだと思う。


「何も……ない、わけではないのですが」

「ギデオン……! ついにお前にもいい相手が見つかったんだな」

「殿下、早とちりしないでください。まだ名前も知らない相手なのに」

「なんだそれは! 一目ぼれか? ロマンチックだな」


 興奮が抑えられない殿下に動揺が生まれる。

 一目ぼれ。聞いたことのある言葉だが、自分に当てはまるかどうかはわからなかった。


「一目ぼれ、があまりよくわからないのですが」

「一目ぼれはこいの始まりだよ。その女性を一目見た時に、この人が運命の人だ! と直感

的に感じることでもある。……そうだな、ギデオンが令嬢を見つけた時にいい方向に心が動かされたのなら一目ぼれと言えるんじゃないか?」

「心を……」


 思い返してみれば、確かに心は動いていた。

 目が合った時のこうよう感、彼女から目を離したくないという気持ちが生まれた。加えて見つめていたかったという名残惜しさが、今でも強く残っている。


(これが恋……なのか?)


 初めて抱く感情に少し困惑するものの、悪い気は一切しなかった。それどころか、胸の中が少しだけ満たされた気がした。


「まだ自分でもよくわかっていないのですが……」

「それでもいい。気になる相手がいるんだな? それならこの話は断る」

「……はい」

「よし。……それにしてもギデオンがついに異性に興味を抱くとは」


 殿下は自分の事のように喜んでくれた。


「だが、名前も知らない相手となると大変だな。今すぐ戻ったところでもうパーティーはお開きだからな」


 そうか、会場に戻ってももう彼女と会えることはないのか。

 もうこれで最後になってしまうとなると、それは嫌だった。もう一度会いたい、そう強い気持ちががってくる。


「見つけます。……見つけ出して、今度こそ声をかけたいです」


 初めて芽生えた感情が恋なのかどうか確かめるためにも、もう一度彼女に会って話したかった。


「……頑張れ、ギデオン。おうえんしてるぞ」

「ありがとうございます」


 殿下の応援を受け取り、俺も屋敷へと戻るのだった。

 翌日、俺はめずらしく連日社交場に顔を出していた。

 王家以外が主催するパーティーには、周囲に怖がられることもあって滅多に参加しないのだが、今回は別だ。

 どうしても、もう一度彼女に会いたくてパーティーに参加して見つけることにした。

 残念なことに、簡単には彼女は見つからなかった。連日意味もなくパーティーに参加するだけとなり、心なしか周囲の視線も痛かった。

 社交シーズン最終日、もうこれでだめならあきらめるしかないと思って会場に入れば、ようやく彼女を見つけることができた。

 ……いた。あの赤髪は彼女だ。

 見つけられて嬉しくなると、彼女のことをじっと見つめてしまう。


(……また目が合った)


 どこかで、目が合ったのは気のせいかもしれないと思ってしまう自分がいたので、もう一度目が合ったのは非常に嬉しいことだった。しかし、彼女は目を逸らしてその場を離れてしまった。


(……駄目だ、行かないでくれ)


 名前が知りたい、その一心で俺は急いで彼女に近付いた。

 しかし残念なことに、彼女はすぐに移動を始めてしまって、その場にとどまることはなかった。動き続ける彼女に追い付こうと後を追った。ちゅう、人ごみに紛れてしまったが、彼女の赤髪が目印のように輝いていて、見失うことはなかった。


(外……もしかして体調が悪いのか?)


 いちまつの不安を抱きながら後を追うと、扉を開けたところで彼女と目が合った。


「――!!」


 見つめられることさえあり得ないと思っていたのに、まさか微笑まれるとは思いもしなかったので、不意打ち過ぎる笑みに思考が停止してしまった。


可愛かわいい……)


 無意識にそう感じていた。初めて抱く感情を不思議に思っている内に、彼女はその場から走り去ってしまった。慌てて追いかけたが、すぐに追いつくことはできなかった。ちゅうで彼女の後を追うと、ようやく対面することができた。

 怖がらせたがゆえに走って逃げたのだろうかという不安は、彼女の言葉で消え去った。


「失礼しました。もしや私に何か御用でしたか? 自分のことだとは思わなかったですわ。おほほ」

(良かった。俺が怖がらせたわけじゃないんだな)


 どうして走っていたのか理由はわからずじまいだったが、彼女を前にきんちょうが増して頭が真っ白になってしまった。

 動揺していると、彼女はじっと自分のことを見つめ続けてくれた。

 なんて綺麗なひとみだろう。

 身内や親しい人物以外で、こんな至近距離で自分のことを見つめてくれる人は今までいなかった。

 次は自分が話す番だと感じていても、何を口にしていいかわからなかった。何年も女性とまともに会話をしたことがなかったので、どう言葉にしていいかわからなかった。


「(俺を見つめるなんて)いい度胸してますね」


 俺を見てくれる人なんてめっにいなかったので、見つめ返してくれたことに敬意を示したかった。褒め言葉として適しているかはわからないが、とっさに出た言葉だった。

 一度声を出した流れに乗りながら、どうにか名前を聞き出せた。


「……またお会いしましょう」


 そう伝えると、俺は逃げるようにその場を後にした。


(アンジェリカ・レリオーズこうしゃくれいじょう


 名前を知れたことは、俺にとって大きなしゅうかくだった。

 彼女から離れたというのに、どうは速く緊張は解けなかった。


(レリオーズ嬢……全く話せなかったな)


 今日が社交シーズン最終日なので、パーティーで会うことはできなくなってしまう。次はいつ会えるのかわからない状況が、たまらなく嫌だった。


(早くもう一度会いたい。それで、今度こそはたくさん話したいな)


 どうすればこの願いがかなうだろうかと頭をなやませた結果、彼女――レリオーズ嬢に誘いの手紙を書くことにした。


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