1-3
「は、はい」
もしかして走った姿を見られたのではないかと、嫌な予感が過る。背筋を伸ばして、動揺を隠しながらクリスタ姉様を見る。
「もう言うことはないわね。
「ほ、本当ですか!」
ほっと安堵しつつ、
「えぇ、本当よ。今日のアンジェは自然とお淑やかに振る舞えていたと思うわ」
「あ、ありがとうございます姉様! 実は共通の趣味を持つ方と話すことができて、話が
クリスタ姉様に褒められたのが嬉しくなって、
「いいご友人を見つけられたのね。それは良かった」
まだ
そう内心で突っ込むものの、評価してくれたことで口角が上がりっぱなしだった。
「そう言えば、今日はアーヴィング公爵様も参加されていたわね」
「姉様、お知り合いですか?」
今日私を追ってきた、以前私が睨み返してしまった相手であるアーヴィング公爵様。彼に関する話は聞いておきたかった。食い気味に
「知り合いと呼べるほど交流はないわ。お
「そうなんですね」
「えぇ。アーヴィング家は我がオブタリア王国三大
クリスタ姉様の説明を受けて、冷酷な公爵という話を思い出した。
「姉様……実は、その、アーヴィング公爵様に関するよくない話を聞いたのですが」
「あぁ。部下を
「だけど……!?」
意味深な言い方をするクリスタ姉様に、私は嫌な汗が流れ始めた。
「噂っていうのは基本、違うものならすぐに本人が
「他の噂……ですか?」
自分が睨み返してしまった相手が、そんなにやばい噂を持っているのかと不安を抱き始めていた。
「えぇ。例えば極度の女性
「だから女性嫌い……なるほど」
(確かにあの睨み方ならわからなくもないけど……でも、それなら女性である私をあそこまで追いかけるか?)
クリスタ姉様の話に
「とにかく。今後もパーティーでご一緒するかもしれないから、失礼のないようにね」
「……
もう失礼なことをしたとは、とても言える空気ではない。
なぜか追いかけられたので全速力で走って逃げました、だなんて……絶対に言えない。
(向こうから
内心ではとんでもないくらい動揺していたが、淑女教育で
けていた。
「……アンジェ。もしかして、もう何かあったわけではないわよね?」
(うっ! さすが姉様、鋭すぎる)
その作られた顔に気が付くのがクリスタ姉様だ。私はどうにか平静を
「まさか。今日はなぜか話しかけられたので、ご挨拶をしたまでです。……話しかけられた理由は私にもわかりません」
「そんなことがあったの? そう、でもしっかりと挨拶をしたのね、それはよかったわ」
実は何もよくないんです姉様。その公爵様相手に、かなりやらかしてしまいました。
なんて正直に言うこともできず。
挨拶をしたのは本当のことで、お互い名を名乗ったくらいだ。わからないのは話しかけられたことより、睨まれたことだった。
クリスタ姉様の
(はぁぁぁぁ……バレてないよな? 公爵様から逃げた件は絶対知られちゃ駄目だ! 問題を起こしたとバレたら、スラックスが無くなる……!!)
気乗りしない社交活動を頑張れたのは、ご馳走に加えてスラックスというご褒美があったからだった。今日の一件に関しては、クリスタ姉様と公爵様が話すことがない限り、隠し通せると
相手は公爵。きっと
*****
「ギデオン、よく来たな。パーティーは楽しんでいるか? ……って、相変わらず
して考え事か?」
「
すまん、と
俺は生まれつき目付きが悪かった。
どうやら自分の顔は人を怖がらせるようで、よく人から恐れられてきた。
新しく使用人を
い始末。そのため見合いも上手くいったことはない。婚約を申し込まれて相手と会っても、この顔が怖がらせてしまうようで、話すことなく終わってしまうのだ。
いつの間にかアーヴィング公爵は冷酷な公爵だという噂を広められて、俺にはどうすることもできなくなっていた。
(……火消しの仕方もわからない)
誰かと話したくても基本的にこの顔のせいで避けられてしまう。おまけに公爵となると、余計に近寄りがたいのだろう。遠巻きにされることもあって、社交界は基本的に苦手だった。
今回の王家
ので、参加せざるを得なかった。
殿下への挨拶だけ済ませてすぐに帰ろうと急いでいると、美しい赤い
視線で追うと、
(
なんとなく気になって見続けていれば、令嬢と目が合った。
(しまった)
きっといつものように怖がらせてしまい目を逸らされるのだろう。勝手に落ち込もうとしたが、赤髪の令嬢は違った。こちらを真っすぐに見つめ返してくれたのだ。
……誰かに真っすぐ見られるのはいつ以来だろうか。
その視線が
隣にいた令嬢に話しかけられるとすぐに目を逸らされてしまったが、一度だけでも見つめ返してくれただけで十分だった。
その後、殿下に呼ばれてホールを後にすることになった。
まだ彼女のことを見ていたいという
個室に到着すると、向かい合わせで座る。
「ギデオン。社交界に顔を出すのは久しぶりだろう」
「そうですね」
ふっと微笑む殿下だが、すぐに表情が重くなった。
「……ギデオン。お前、婚約者として想定している相手はいるか?」
「想定している相手ですか。……そう尋ねられる理由をお聞きしても?」
「あぁ。
「それで私、ということですか」
「あぁ……」
隣国の中でもベルーナは小国で、我が国オブタリア王国とは国力の差が歴然だった。軍事力も経済力も
「ただ。これはあくまでも提案に過ぎないし、うちは断れる立場だ。だからギデオンに好ましい相手がいるのか聞きたかったんだが、どうだ?」
俺に婚約者がいないことは殿下も知っていることだったので、俺はすぐに問題ないと頷こうとした。
「好ましい、相手……」
その瞬間、赤髪の彼女の姿が思い出された。名前も知らない、彼女のことが。
「なんだ、いるのか?」
俺が言葉に詰まったことに反応した殿下は、バッと身を乗り出した。
「あっ、いや」
「今の間は何かあるだろう?」
物凄い目力で尋ねてくる殿下。ここにも俺の目を気にしない人がいるが、この人は気にしなさすぎだと思う。
「何も……ない、わけではないのですが」
「ギデオン……! ついにお前にもいい相手が見つかったんだな」
「殿下、早とちりしないでください。まだ名前も知らない相手なのに」
「なんだそれは! 一目ぼれか? ロマンチックだな」
興奮が抑えられない殿下に動揺が生まれる。
一目ぼれ。聞いたことのある言葉だが、自分に当てはまるかどうかはわからなかった。
「一目ぼれ、があまりよくわからないのですが」
「一目ぼれは
的に感じることでもある。……そうだな、ギデオンが令嬢を見つけた時にいい方向に心が動かされたのなら一目ぼれと言えるんじゃないか?」
「心を……」
思い返してみれば、確かに心は動いていた。
目が合った時の
(これが恋……なのか?)
初めて抱く感情に少し困惑するものの、悪い気は一切しなかった。それどころか、胸の中が少しだけ満たされた気がした。
「まだ自分でもよくわかっていないのですが……」
「それでもいい。気になる相手がいるんだな? それならこの話は断る」
「……はい」
「よし。……それにしてもギデオンが
殿下は自分の事のように喜んでくれた。
「だが、名前も知らない相手となると大変だな。今すぐ戻ったところでもうパーティーはお開きだからな」
そうか、会場に戻ってももう彼女と会えることはないのか。
もうこれで最後になってしまうとなると、それは嫌だった。もう一度会いたい、そう強い気持ちが
「見つけます。……見つけ出して、今度こそ声をかけたいです」
初めて芽生えた感情が恋なのかどうか確かめるためにも、もう一度彼女に会って話したかった。
「……頑張れ、ギデオン。
「ありがとうございます」
殿下の応援を受け取り、俺も屋敷へと戻るのだった。
翌日、俺は
王家以外が主催するパーティーには、周囲に怖がられることもあって滅多に参加しないのだが、今回は別だ。
どうしても、もう一度彼女に会いたくてパーティーに参加して見つけることにした。
残念なことに、簡単には彼女は見つからなかった。連日意味もなくパーティーに参加するだけとなり、心なしか周囲の視線も痛かった。
社交シーズン最終日、もうこれでだめなら
……いた。あの赤髪は彼女だ。
見つけられて嬉しくなると、彼女のことをじっと見つめてしまう。
(……また目が合った)
どこかで、目が合ったのは気のせいかもしれないと思ってしまう自分がいたので、もう一度目が合ったのは非常に嬉しいことだった。しかし、彼女は目を逸らしてその場を離れてしまった。
(……駄目だ、行かないでくれ)
名前が知りたい、その一心で俺は急いで彼女に近付いた。
しかし残念なことに、彼女はすぐに移動を始めてしまって、その場にとどまることはなかった。動き続ける彼女に追い付こうと後を追った。
(外……もしかして体調が悪いのか?)
「――!!」
見つめられることさえあり得ないと思っていたのに、まさか微笑まれるとは思いもしなかったので、不意打ち過ぎる笑みに思考が停止してしまった。
(
無意識にそう感じていた。初めて抱く感情を不思議に思っている内に、彼女はその場から走り去ってしまった。慌てて追いかけたが、すぐに追いつくことはできなかった。
怖がらせたが
「失礼しました。もしや私に何か御用でしたか? 自分のことだとは思わなかったですわ。おほほ」
(良かった。俺が怖がらせたわけじゃないんだな)
どうして走っていたのか理由はわからずじまいだったが、彼女を前に
動揺していると、彼女はじっと自分のことを見つめ続けてくれた。
なんて綺麗な
身内や親しい人物以外で、こんな至近距離で自分のことを見つめてくれる人は今までいなかった。
次は自分が話す番だと感じていても、何を口にしていいかわからなかった。何年も女性とまともに会話をしたことがなかったので、どう言葉にしていいかわからなかった。
「(俺を見つめるなんて)いい度胸してますね」
俺を見てくれる人なんて
一度声を出した流れに乗りながら、どうにか名前を聞き出せた。
「……またお会いしましょう」
そう伝えると、俺は逃げるようにその場を後にした。
(アンジェリカ・レリオーズ
名前を知れたことは、俺にとって大きな
彼女から離れたというのに、
(レリオーズ嬢……全く話せなかったな)
今日が社交シーズン最終日なので、パーティーで会うことはできなくなってしまう。次はいつ会えるのかわからない状況が、たまらなく嫌だった。
(早くもう一度会いたい。それで、今度こそはたくさん話したいな)
どうすればこの願いが
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