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 パーティーも終わりをむかえ、ぞろぞろと貴族が馬車に乗り始めた。

 私はというと、馬車に乗ってクリスタ姉様と向かい合う形で座っていた。姉様の無言の圧が強すぎて、私は延々と足元を見ていたけれど。


「ねぇアンジェリカ」

「はいっ」


 名前を呼ばれたので、顔を上げて反応する。クリスタ姉様はじっと私を見つめていた。


「人を睨むことは品のあることかしら?」

「……品はないと思います、けど」

「けど?」

「舐められないための立ち回りではあるかと」


 私の答えが予想外だったのか、クリスタ姉様は目を丸くした。姉様からのついきゅうが止まったと判断すると、私はそのまま自分の行動理由を熱弁した。


「睨んでくるということは、私を下に見ている意思表示だと思うんです。それを受け上、やり返さないと舐められると思って、思い切り睨み返しました」

「その……睨み返す理論はわからないけど、先に睨んできたのは相手なのね?」

「そうです! 変な男がこっちをじっと睨んできて」

「それはあまり好ましくないわね。……ごめんなさいねアンジェ。貴女あなただけに非があったわけではなかったのね」


 クリスタ姉様に意図が伝わったのならそれでよかった。


「でもアンジェ。そういう、品のないちょうはつは無視してしまいなさい。無言で睨んでくる人なんて、れいしょうを返す程度でいいのよ。アンジェが無駄に時間をく必要はないわ」

「そう、なんですか?」


 売られた喧嘩は買うのが、前世からがれたおきての一つだった。

 しかし、クリスタ姉様から告げられたのは、喧嘩を買わずに無視しろということだった。


「ですが姉様。それだと余計に舐められるかもしれません」

「いいのよ。無駄に波風を立てないためだから」

「……そう、ですか。わかりました」


 言っていることは理解できる。ただ、クリスタ姉様の保守的な考えは私には合わなかった。


(なんだかな……それだとまるで、私が睨みにビビって、しっぽ巻いてげたみたいになるんだよな。……売られた喧嘩を買わない理由はねぇのに)


 に落ちないまま返事をすれば、クリスタ姉様はやさしいまなしを私に向けた。


「とにかく今日はおつかさま、アンジェ。よく頑張ったわね」

「ありがとうございます」

「これから社交シーズンが始まって、色々なパーティーに参加するけれど……おしとやかに

ね?」

「が、頑張ります」


 クリスタ姉様のするどい視線に、私はほおを引きつらせながらうなずいた。


「基本的には今日のようにすればいいから。……そうね、社交シーズンを無事にのりきることができたら」

「できたら……?」

しきの中で着用してもいい、スラックスをあげるわ」

「本当ですか!?」

 

 想像以上の好条件に、思わず身を乗り出して聞き返してしまった。

 スラックスとは前世でいうズボンのことだが、この世界において淑女がスラックスを穿くことは良しとされていない。乗馬服のような様式の定まった服であれば問題ないのだが、日常生活においてはドレスを着ることが当たり前とされている。本来であれば、屋敷の中であっても着用はひかえるべきなのだが、それをクリスタ姉様は許してくれると言う。

 信じがたい言葉にどうようしていると、クリスタ姉様は私の興奮をおさえるように告げた。


「アンジェ、危ないわ。しっかりと座りなさい」

「あ……すみません。ちなみに姉様、スラックスは新しい乗馬服とはちがうものですか?」

「えぇ、別物よ」


 望んでいた答えが返ってくると、私は真剣な眼差しをクリスタ姉様に向けて背筋を伸ばした。


ぜんしんぜんれいいどみます。ボロが出ないよう、淑女になります」

「その意気よ。頑張って」


 念願のスラックスが手に入ると言われては、姉様の期待に応えるしかない。さきほどまでのもやもやはすでに脳内にはなく、浮かぶのは屋敷でスラックスを穿ける生活だった。


(ひらひらのドレスを着なくていい日々、最高だろうなぁ……!)


 私はようやく、作りがおから解放されて、心からの笑みを浮かべることができた。


(よし。スラックスのためにも、次は睨まれても絶対睨み返さない。喧嘩を売られてもひとまず無視だ)


 それにしても、食事中に思い切り私を睨んできた男のことは気になる。


(まぁ、今回は姉様が隣にいたからのがしてやったようなもんだ。……あいつ、命拾いしたな)


 心の中でふっと笑みをこぼしながら、睨んできた男の顔を思い浮かべるのだった王家主催のパーティーから二日後、本格的な社交シーズンがやってきた。毎日どこかでかいさいされるパーティーに、私はクリスタ姉様と参加していた。

 社交界デビューを果たしたからには、ありとあらゆるパーティーやお茶会に参加をして顔を売らないといけない。デビューだけで終わりではない上に、毎日コルセットをつけて、作り笑顔でパーティーに参加しないといけないのは、なかなかにキツイ。体力には自信があったけれど、慣れないことが続いた私の体はろうがたまっていた。

 しんどいと感じる私に比べて、馬車の向かい側に座るクリスタ姉様はいつもと変わらない健康体のように見えた。


(……やっぱり姉様はすごいな)


 クリスタ姉様は私と比べて喋ることも多く、人気者なだけに大変な立ち回りのはずなのに、静かに微笑ほほえむ姿からはいっさい疲労を感じさせなかった。


「こんなにもいそがしいのは、社交シーズンの今だけよ。お疲れ様アンジェ。今日で最後だから、もう少しだけ頑張って」

「頑張ります」


 これまでのパーティーではボロを出さずに、お淑やかにってきた。残すは最終日のみ。それさえ乗り切れば、念願の部屋着用のスラックスが手に入るのだ。


「最終日だからと言って気を抜かずに。上品によ」

「はい、姉様」


 任せろと言わんばかりに力強く頷いた。

 少しつと、最終日のパーティー会場に到着した。

 社交界デビュー以降知り合いができた私はクリスタ姉様とは離れて、一人で各所に挨拶をしに回っていた。私も気合いを入れて、令嬢達との交流をはかる。


「アンジェリカ様のごしゅは何かしら?」

「乗馬です。晴れた日によく乗っていて」

「まぁ。私も乗馬をたしなんでいるんです。走るのは気持ちがいいですよね」

「そうなんですよ! 走るのがマジ最高で――」

「ま、まじ……?」

(やべぇ、やらかした)


 空気がこおったのがわかった私は、すぐにごまかすように笑った。


「ま、まぁ、じっくり走れるのが最高ですよね。おほほ」

「そ、そうですわね」


 ごういんに話を修正して、おんな空気をどうにか消すと、話は元に戻った。


「よろしかったらアンジェリカ様と、今度ごいっしょしたいですわ」


 お誘いいただくのはうれしいのだが、きっと、私と彼女ではイメージするものが違う。

 私が言う乗馬とは、かっ飛ばしてけ抜ける乗馬のことなので、ゆったりと走っている

乗馬とはだいぶ異なる。

 それでも実現したらしたで楽しそうなので、笑顔で受け取っておく。


「ありがとうございます。ともご一緒しましょう」


 本気でそう思っていても。社交辞令になってしまうのが少し残念なところだ。

 令嬢達との会話を終えると、クリスタ姉様をさがそうと周囲を見回し始める。

 すると、一人の男性が視界に入った。


(あいつは……!! この前のガン飛ばしろう!)


 忘れもしない。あの銀髪とガタイの良さに加えて、暗めのむらさきいろをした鋭い目。私はあの目に睨まれた。そう思っていると、男は再び私に鋭く強い視線を投げてきた。


(また睨んでくんのかよ)


 いっしゅん、睨み返してやるという気持ちが生まれた。

 しかし、クリスタ姉様の「品のない挑発は無視してしまいなさい」という言葉が頭をよぎったので、私は男から視線を外した。


(無視だ、無視。ああいう変なやつの喧嘩は買う意味ない。今日が社交シーズン最終日で、

問題を起こさなきゃスラックスがもらえるんだ。今はまんだ)


 クリスタ姉様と約束したごほうのために、相手にしないでその場を離れることにした。


(そういや、今日はまだ何も食ってないな)


 食事こそパーティーのだいなので、私は料理が並ぶ場所に移動した。

 王家のパーティーほどごうせいな料理ではないが、美味しそうな物がずらりと並んでいた。

 何を食べようかと吟味していると、料理の向こうにガン飛ばし野郎がいるのが見えた。


「!」


 まさか奴が料理を見に来ているとは思わなかったので、驚きの声がれそうになった。


(……びっくりした。あいつも何か食べに来たのかよ)


 ちらりと視線を男に向けてみれば、鋭い目は私をじっと見ていた。


うそだろ……また私を睨んでる)


 一度男のそばを離れて、喧嘩を買わないという意思表示をしたというのに、なぜか睨まれ

続けていた。

 居心地の悪さを感じていると、周囲の貴族子息から気になる話が聞こえた。


「なぁ、あそこにいるの、アーヴィング公爵様じゃないか?」

「あの銀髪……ちがいないな」


 子息達の視線の先には、先程からずっと私を睨んでいる男の姿があった。


(……おいおい、マジかよ)


 男の正体が公爵だと知った瞬間、私の背筋は凍り付いてしまった。


「な、なぁ、アーヴィング公爵様、俺達のこと睨んでないか?」

「そんなはず……いや、こっち睨んでるな」

(そうなんだよ、こっち見てんだよ)


 おびえ始めた子息達の話に、集中して耳をかたむけた。


「やっぱりあのうわさは本当なんじゃ」

「あぁ、あれだろ? れいこくで部下を構わず切り捨て、泣く子もだまだんちょうってやつだろ?」

「そう、それ」


 なんだその悪の親玉みたいな恐ろしい噂は。

 公爵というかたきでさえ理解が追い付いていないのに、そんな凄い噂を持つ相手であることにあせが止まらなくなってしまった。


「お、おい。こっち来てないか?」


 子息達の声に反応して男――アーヴィング公爵様を見ると、確かにこちらに向かって近付いて来ていた。


(これはまずいだろ)


 直感的に判断した私は、子息達をかべにしてかくれて、そそくさとその場を立ち去った。

 美味しい物を食べたかったが、今はそれどころではなくなってしまった。


(……もしかして私、よくない相手に睨み返したんじゃ)


 いや、でも今日はまだ睨み返していない。

 公爵様に目をつけられたと考えるのは早計だと、あせる気持ちを落ち着かせた。


(まさかな! 気にし過ぎだよな! さっきのだって私じゃなくて子息達を睨んでたのかもしれないし――)


 自分は関係ないとガラスとびらを見れば、後ろから公爵様が近付いて来るのが見えた。


(な、なんで追いかけてくるんだ!)


 さすがに無関係と考えるにはぐうぜんが重なり過ぎていたのと、心なしかきょまっているように見えてきょうを感じた。


(こういう時こそ、ビビらずに喧嘩を買いてぇところだが……相手が公爵様なら話は別だ)


 レリオーズこうしゃくの一員である以上、問題を起こすのははばかられる。それに相手は泣く子も黙る騎士団長。今はただの令嬢でしかない私が、真っ向から喧嘩をして勝てる相手ではなかった。


(ここはいったん相手をいて、立て直さねぇと……!!)


 公爵様との距離を離すために、歩く速度を速めて人ごみの中に突っ込んでいった。


(よし、ここにまぎれて一旦外に出よう! そうすれば撒けるだろ)


 算段を立てると、貴族達の中に紛れ込んで、公爵様の視界から外れるように努めた。少し経つと、会場内にある扉の一つをそっと開けて外に出た。


「……これでだいじょうだろ」


 ふうっと一息つきながら、扉付近の壁に寄りかかる。

 空を見上げれば綺麗な星々がよく見え、三日月も目に入った。ここよい風を感じながら眺めていると、すぐ傍から扉の開く音がした。


「!!」


 姿を現したのは、アーヴィング公爵様だった。完全に撒けたと思っていた私は、自分が油断したことに気が付く。


(噓だろ……! なんで外だってわかったんだよ)


 焦りが増していく中で、こちらに顔を向けた公爵様とガッツリ目が合う。

 相変わらずものすごく鋭い視線を向けてきたが、睨み返してはいけないことだけは本能的にわかっていたので、私はとっさに微笑みを浮かべた。

 それが正しい反応だったのか、公爵様はいっしゅんひるんだように見えた。そのすきを見逃さなかった私は、足に力を入れて思い切り走り始めた。


(ほとんど誰も見てない外なら大丈夫だろ!)


 クリスタ姉様に再三、淑女たるもの走ってはいけないと言われてきたのだが、今だけは許してほしかった。早歩きなどでは離れられないので、全速力で走る。すると、数秒後に後ろから私に近付く足音が聞こえ始めた。


(おいおい、貴族が走っていいのかよ……!)


 人のことを言えた義理ではないが、思わずそう声に出してしまいたくなるほど、私は追い詰められていた。


(くそっ、行き止まりかよ!)


 逃げ道が無くなってしまい、もはやどうすることもできなかった。案の定、すぐさま距離は縮められてしまって、逃げ続けようにもできないじょうきょうだった。

 かべぎわに追いやられると、公爵様とたいすることになってしまった。

 公爵様は私を睨みながら、静かに距離を詰めてきた。


(仕方ねぇ……こうなったら)


 私は意を決して、何事もなかったかのように振る舞うことにした。


「失礼しました。もしや私に何かようでしたか? 自分のことだとは思わなかったですわ。おほほ」


 無理だとわかっていても、走ったことをごまかしたかった。

 相手は公爵様で、自分よりも立場が上の人間。いつも以上に品よくお淑やかに振る舞わなければという思考に引っ張られて、おかしな口調になってしまった気がする。

 睨み返すことはできないので、あつするつもりで、彼の目を見続けることにした。無理やり笑顔を作ってみれば、公爵様はふっと不敵な笑みをこぼした。


「いい度胸してますね」

(……それはどういう意味だよ)


 睨むだけにとどまらず、この言葉は完全に喧嘩を売っているようにしか思えなかった。頰がいらちで引きつりそうになるのをおさえながら、顔に出さないように努めた。


「私の方こそ失礼しました。実は、よく目が合うのでお名前をお聞きしたくて」


 よく目が合うだと? 睨んで喧嘩を売ってきている公爵様の言葉に不快感を覚えるものの、名前を教えた。


「そうでしたか。私はアンジェリカ・レリオーズと申します」

「……レリオーズじょう。ギデオン・アーヴィングです」


 なるほど、泣く子も黙る騎士団長のお名前はギデオンというみたいだ。

 睨み返すようあおられている可能性まで考えるほどの睨みっぷりだけど、その挑発には決

して乗らない。

 さぁ何を言い出すんだと待っていれば、公爵様はとつぜん目を逸らした。


「またお会いしましょう」


 そう一言言い残すと、公爵様は足早にその場を去っていった。


 (……な、何だったんだ?)


 公爵様の行動理由が理解できず、私はひたすらこんわくするのだった。

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