第25話 幽子の想い

 幽子は風呂場に入ると、湯舟ゆぶねに入る前に身体からだを洗った。

 二度、三度と――さわやかな石鹸せっけんにおいが全身にむよう念入りに。


 続いてかみの毛。

 海釣りでついた潮風しおかぜの匂いが、シャンプーとリンスで消えていく。


 それらをシャワーで洗い流し、全身から潮風と汗のにおいが消えたことを確認すると、彼女はようやく湯船に入った。


 全身をばしてリラックス――などはせず、ひざかかえて口まで湯船にかった。

 豊かな彼女の双丘そうきゅうが、肉付きの良いあしで押しつぶされる。


 ――ど、どどどどどどどどどうしよーっ!?

 ――ついいきおいでまろうとか言ったらホントに泊まっちゃったよーっ!?


 一郎だけではない。

 幽子もまた、内心はげしく動揺どうようしていた。


 無理もない。

 一郎と同じく、幽子も恋愛れんあい経験値けいけんちはほぼゼロなのだから。


 彼女のような美人が恋愛経験ほぼゼロの理由は、ひとえに彼女の出身地が理由だろう。

 彼女の出身地は日本に八つほど存在する陰陽師おんみょうじかくざとだ。


 そこでは陰陽八家と呼ばれる業界トップの一族が、村長的な役割やくわりにない里をまとめている。


 里の中は日本であって日本ではない、いわば治外法権ちがいほうけん地帯ちたい

 一般人がらす外とは大なり小なり文化が違うのだ。


 彼女の里――葛覇くずのは一族がおさめる里のかかげるスローガンは完全かんぜん実力主義じつりょくしゅぎ


 陰陽師としての才能さいのう&実力こそもっと価値かちあるものであり、そのひとしくその下に分類ぶんるいされる。


 容姿ようし、学力、運動力、コミュ力、経営けいえい力、経済けいざい力、そして血統けっとう――一般社会で重視じゅうしされるそれらすべて、陰陽師としての才能にくらべれば等しく虚無ゼロ


 幽子のようにいくら容姿にすぐれていても、陰陽師としての才能が中の下程度ていどであるならば、恋愛などをふくんだ里内カーストにおいて、底辺ていへんとまではいかないまでも、それに近いあつかいを家の外では受けてしまう。


 なので、幽子も当然のごとく恋愛とは無縁むえんの人生だった。

 同じ落ちこぼれの仲間とともに、空想くうそうの恋愛に思いをせては現実を知る毎日。


 そんな日々を送っていた彼女にようやくおとずれた非日常ラブコメ

 好きな男とデート、そして一泊いっぱく――けというのはこくだろう。


 ――オッケーしてくれたってことは、一郎くんも『そうなるつもり』だって思っていいのよね!?

 ――私のこと、彼女にしてくれるってことでいいのよね!?


 ――一郎くん真面目まじめだし、やさしいし、そういうの曖昧あいまいにしたままシないと思うし……。

 ――私の勘違かんちがいでなければ、絶対さっき言ってくれそうだったし……。


 ――私のこと、好きになってくれたのかな……?

 ――財産ざいさん目当て、財産第一とか言ってるクソ女を好きになってくれたのかな……?


 実のところ、幽子がもっとも好きなのは一郎の性格だ。


 出会って間もないころ、財産目当てについて来たクソ女すら助けようとしたり、見ず知らずのえんもゆかりもなかった瀕死ひんしの野良犬を病院に連れて行き看取みとったり、自分のペットとして葬式そうしきげたりする、そんな彼の優しさが一番好きなのだ。


 仲良くなった今、そのことを今さら言うのはれくさい。

 だからいまだに財産が一番だとうそぶいている。


 ――一郎くん……。

 ――私を、あなたの彼女にしてくれますか……?


 不安をぬぐいきれぬまま幽子は風呂から出た。

 玉のようなはだから水滴すいてきが落ち、ゆからす。


「メイク、よし! 下着、よし! 心の準備……………………よし!」


 覚悟かくごを決めて二階へ上がる幽子。

 一郎がつ、寝室しんしつのドアを開けた。


「…………一郎くん?」


 ドアを開けた先に一郎はいなかった。

 自分をおどろかすためにどこかにかくれているかもしれない――そう思いベッドの下や押し入れ、ベランダをさがすが見つからない。


「ロク、ちょっと来てくれる?」


 ――ワンッ。


 廊下ろうかはしで眠ろうとしていたロクを手招てまねきする。


「一郎くんがどこに行ったか知らない? 部屋の中にいないけど」


 ――ワンッ。


 幽子がそう尋ねると、ロクは付いて来いとでも言いたげに一言えて部屋を出た。

 そしてすぐとなりの部屋――クローゼットルームの前で止まる。


 ――ハッハッハッハ。


「ここにいるの? こんなところで何してるんだろう?」


 疑問ぎもんに思いながらドアを開ける。


「一郎くん、あの……お風呂、あがったよ。い、一緒いっしょに…………っ!? 一郎くんっ!?」


 天窓てんまどかられた月の光。

 そして間接照明かんせつしょうめいらす人工の光。


 二つの光が交差こうさするその中心で一郎はぐったりとたおれていた。

 息はあるが意識いしきはない。


「そんな……何で!? 何もいないはずなのに!?」


 幽霊屋敷はただのうわさ

 本当はただの作り話で、オカルト的なものなんていない。


 そのはずなのに――何で?

 どうして?


「……とりあえず冷静れいせいにならないと。ロク、この部屋を徹底的てっていてき調しらべて。一郎くんをベッドにかせたら私も一緒に調べるから」

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