第24話 大人の時間

「あ、食べる前に……はい、ロクにもあげて」

「おっと、そうだな。ロク、ご飯だぞー」


 一郎は幽子ゆうこから料理を受け取り、ロクの祭壇さいだんへとささげた。

 普通の犬であれば人間と同じものを食べるのは健康に悪いが、幽霊犬イッヌのロクであれば問題ない。


 二人がった魚、幽子が作ったご飯を、ロクは美味うまそうに食べている。

 二人は顔を見合わせ微笑ほほえむと、自分たちもそれにつづいた。


 刺身さしみ塩焼しおやき、天麩羅てんぷら……どの料理も味付けが絶妙ぜつみょうでとても美味い。


 ご飯と味噌汁みそしるも自分が作るより格段かくだん素晴すばららしい。

 こんな味なら毎日食べてもきが来ないにちがいない。


「どう? 美味おいしい?」

「ああ、メチャクチャ美味いよ。本当に料理が上手かったんだな」


「何よ? うたがってたの? 失礼しちゃうなあ、もう! あ、一郎くん。そのまま動かないで」

「?」


「ほっぺた、ご飯つぶついてる」


 幽子は一郎のほおに人差し指をばすと、付いていたご飯粒をぬぐい取り自分の口に入れた。


「…………っ!」

「え、何? あ…………」


 幽子は自分が今何をしたのかようやく気がついたようだ。

 一郎と幽子はお互い顔を見合みあわせたまま、何も言わずに真っ赤になった。


「え、えーと……つい家族にやる時のクセで」

「あ、ああ、うん。そうだよな。家族にならやるよな!」

いや、だった……?」


 おそる恐る、上目づかいで幽子が尋ねる。

 何なのだ、今日の幽子は?

 いつもと違い、しおらしくて調子ちょうしくるう。


 普段ふだんの彼女ならもっと、こう、積極的せっきょくてきになるところだろう。

 そんな態度たいどを取られたら、こちらとしても必要ひつよう以上に意識いしきしてしまうわけで。


「べ、別に……」


 一郎はそれだけ言うのがやっとだった。


 ここに来る前に何となくだが感じていた予感よかん――幽子とそのうち付き合うんだろうな――を、現実のものとして実感じっかんはじめた。


「こ、この後どうする?」

「ど、どうしよっか?」


「もう7時ぎだし、今から帰ったら結構けっこうな時間になるよな」

「だ、だったら! その……一泊いっぱく、しない?」


「え?」

連休れんきゅうだし、お父様からは好きに使っていいって言われてるし、一郎くんさえ良ければだけど……」


「ゆ、幽霊屋敷ゆうれいやしきじゃなさそうだし、俺は別にかまわないよ。幽子、きみは……?」

「……言わせないでよ、バカ」


 言葉にするまでもない、

 二人はここに一泊いっぱくすることに決めた。


 夕飯を終え、片付けも終えると、二人は隣接りんせつしているリビングルームのソファに座った。

 なんとなくテレビをつけ、たまたまやっていたバラエティ番組を見る。


 それが終わったら上の階へ。

 プレイルームにあったビリヤード台でナインボールを楽しみ、それが終わったらゲーム筐体きょうたいでレトロなゲームを楽しむ。


 そうやって時間を過ごすうちに夜の10時を回った。

 夜が徐々じょじょけていくとともに、二人の口数も減っていった。


 二階の寝室でスマホをチェックしているうちに11時を回る。


「そ、そろそろ寝ようか?」

「そ、そうね! もうすぐ12時だし!」


「…………」

「…………」


「……お、俺、先に風呂ふろ……いいかな?」

「……! う、うん……どうぞ……」


 一郎は着替きがえを準備じゅんび寝室しんしつを出ると、一階にあるバスルームに向かった。

 脱衣所に到着とうちゃくするなり、着ていた服を洗濯機せんたくきに入れスイッチを押す。


 最新式の洗濯機だったため騒音そうおんひかえめだ。

 ゴウンゴウンと回る自身の服を、 10秒ほど見つめた後に風呂場に入る。


 海側に向けて作られた風呂場はかべがマジックミラーになっており、外の景色けしき一望いちぼうできる。

 朝方に入れば太陽にきらめいた美しい海が見れることだろう。


 だが、一郎にはそんなことを考える余裕よゆうまったくなかった。

 これから始まるであろうことに、期待きたいと不安でいっぱいだった。

 ねん入りに身体を洗い湯船ゆぶねに入る。


 ――いいのか、俺? いいのか?

 ――飯時めしどきのアクシデントからながれでなんかこうなっちゃったけどいいのか?


 ――幽子とそういう関係かんけいになることになってもいいのか?

 ――俺は、うん……別にいい……いや、『うれしい』。


 ――一部にアレな面はあるけど幽子は良い子だ。

 ――基本的きほんてきやさしいし、何も言わずにさっしてくれることがあるし、料理が上手いし……あと美人だ。


 ――俺のことを財産ざいさん目当てで好きと言っているけど、ちゃんと内面も見てくれる。

 ――おそらく俺の今後の人生の中で、彼女以上の相手が現れる可能性は冷静れいせいに考えてきわめて低いと言わざるをない。


 ――何より、普段ふだんなんだかんだ言っているとはいえ、俺は彼女のことが結構けっこう好きだ。

 ――本格的に知り合ってまだ二週間程度ていどとは思えないほど、彼女のことが気に入っている。


 ――これから先、何ヶ月、何年と付き合っていくうちに、きっともっと好きになる。

 ――そうなるっていう確信かくしんがある。


 ――そんな相手と今のような関係のまま、むすばれてしまっていいのか?

 ――好きだと言ってくれた相手に、自分の気持ちを伝えないまま、事におよんでしまっていいのか?


 ――いいワケねえだろ!


「……言おう。この後」


 自分自身の気持ちを。

 ちゃんとけじめをつけないと彼女にもうわけない。


 風呂から出た一郎は、心と身体からだえるようにあつくしながら二階の寝室にもどった。


「お、おかえり……じゃあ、私も行ってくる、ね?」

「う、うん……あの、幽子!」


「な、何……?」

「あ、その……お湯なおしといたから」

「あ、うん……ありがとう……」


 幽子が寝室を出て行く。

 一郎はそれを見送った後、ベッドにたおんだ。


「情けない……俺カッコわる……」


 いざ告白しようとしたら、ビビって何も言えなかった。


「はぁ……今までが今までだし、恋愛れんあい経験値けいけんち少ないのはわかるけどさ。ダメだろ、今げたら」


 幼少期ようしょうき、花子さんがきっかけで不名誉ふめいよなあだ名をたまわり、それがきっかけでストレスで太り、心無いイジりのせいで基本他人から距離きょりを置くようになり、実家が金持ちなのもあって若干じゃっかん人間不信気味ぎみそだったという経緯けいいがあるけど、それをわけにしていい場面ばめんじゃないのはわかっている。


 彼女は、そんな色々あってちょっと面倒めんどうくさい自分のことを好きだと言ってくれたのだ。

 初対面しょたいめんの時、印象いんしょうが最悪だったにもかかわらず、好きになってくれたのだ。


「言わなきゃダメだ。言うべきだ」


 きみのことが好きだ――と。


「よし、覚悟かくごは決まった……」


 そうつぶやき、起き上がった一郎を見てロクが部屋へやから出て行った。

 かべけ、部屋から一番遠い廊下ろうかはしにポジションを取る。

 空気を読む、本当に賢い幽霊犬だ。


「……幽子、おそいな」


 そういえば、女子の風呂は長いと聞いたことがある。

 ベッドに倒れた時、ちょっとかみの毛がみだれてしまった。


 せっかくだし直してこよう。

 一郎は寝室から出ると、となりのクローゼットルームに入って行った。

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