ワケありマニアの幽子さん

第19話 冥犬ロク

「一郎くん、飼おうよこの犬。わざわざ恩返（おんがえ）しがしたいとか言ってるし、人懐（ひとなつ）っこいしすっごい良い子だよ～♪」

「いや、飼おうって言われもな……犬って言っても犬の幽霊（ゆうれい）だぞ？」

「それが何か？」

「ああ、きみたちんとこはそういう反応なのか」

　彼女たちの業界では、犬も幽霊犬（イッヌ）も大差ないらしい。

「犬だろうが幽霊犬（イッヌ）だろうが別に構（かま）わなくない？　ねえ、飼おうよ～可愛いよこの子～」

「まあ、確かに可愛いけどさあ……」

　幽霊犬になって、この犬本来の体型（たいけい）になったせいか、ペットとしての魅力（みりょく）には溢（あふ）れている。

　犬種（けんしゅ）はおそらく秋田犬。

　大きな体格にふわふわもこもこな毛並み。

　生きている人形とまで賞賛（しょうさん）されるだけあってとても可愛い。（死んでいるけど）

　一郎への感謝（かんしゃ）の念でこの世に留（とど）まったということからも、性格も情（じょう）に厚（あつ）く優（やさ）しいのだろう。

　しかし――、

「ダメだ、飼えない」

「どうして！？　こんなに可愛いのに！？」

「忘（わす）れたのか幽子？　このマンションは……ペット禁止（きんし）なんだ」

「ペットって言っても幽霊でしょ？　ペット禁止のルールは生きている動物に対して有効（ゆうこう）なだけで、そうでないものには普通無効じゃないの？」

　その通りだ。

　ペット禁止のルールは生きているものに対しての制限（せいげん）であって、すでに亡（な）くなっているものに関してはその限りではない。

　元々このルールはペットの騒音（そうおん）や悪臭（あくしゅう）が問題となりやすいがための対策（たいさく）なので、おそらく気づけるものしか気づかない幽霊犬（イッヌ）の鳴（な）き声やにおいなどはその限りではない。

「そう言われてみるとそうかもだけど……」

「でしょ？　だったら飼おうよ！　ね？　ね？」

「うーん、でもなあ……」

「何よ？　まだ気になることでもあるの？」

「一点ほど」

「言ってみて」

「俺に飼われるってことは、長期間この世に滞在（たいざい）するってことだろう？　成仏（じょうぶつ）するべき存在が長くこの世に留まって大丈夫なのか？」

　先日除霊（じょれい）した、先の幽霊みたいな例もある。

　成仏せず、この世界に長期間滞在することによって、この幽霊犬自身に何らかの悪影響（あくえいきょう）が出ないか一郎は心配なのだ。

「変に未練（みれん）とか持っちゃって、あの幽霊みたいに悪霊になったらと思うと、とてもじゃないけど、飼おうだなんて俺には思えないよ」

　この幽霊犬は生きている間、絶対に幸せではなかっただろう。

　だからこそさっさと成仏して、来世で幸せを掴（つか）みとってほしい。

　自分のせいで下手にこの世に留まり、悪霊化してしまったら目も当てられない。

　そうなれば周囲の人々にも迷惑（めいわく）がかかるし、最終的に誰かに退治（たいじ）されるだろう。

　この犬にはもう苦しんで欲しくない。

　痛い思いをして欲しくない。

「俺への感謝とか別にいいんだよ。来世（らいせ）の幸せだけを考えとけ、な？」

　気持ちは充分（じゅうぶん）伝わったから――と、頭を撫（な）でながらそう言うと、幽霊犬はキュゥンと残念そうにひと鳴きして耳と尻尾（しっぽ）を垂（た）れた。

「じゃあ、結局成仏させるってことでいいの？」

「ああ」

「この犬しっかりしてるし、性格良いし、私はちょっとぐらい留まっても大丈夫だと思うんだけどなあ」

「たとえそうだとしても、留まっている間は俺が飼うわけだろう？　そうなれば俺、絶対に情が移（うつ）る自信あるぞ。いつか必ず来る成仏の日とかになったら、絶対大泣きする自信があるぞ。一ヶ月ぐらい飯とかロクに食えない精神状態（せいしんじょうたい）になる気満々だぞ」

　そうなる前にここで別れた方がいい。

　今ならまだ、そこまで情は深くない。

　笑って見送ることができる。

　だから、幽子に頼（たの）んで送ってもらおうとしたのだが――

「あれ？　成仏できない？　何で？」

「おい！？　まさか自分が飼いたいからって、わざとやっているんじゃないだろうな？」

「違う違う！　そんな詐欺師（さぎし）みたいなことするわけないじゃない！　そんなことしたら一郎くんに嫌われちゃうもん。彼女の座が遠のく」

「じゃあ何で成仏できないんだ？」

「私にだってわからないわよ。免許（めんきょ）を持ってるプロじゃないんだから」

「えぇ……？　じゃあ、どうすんだよこの犬？」

「どうするも何も、飼うしかないんじゃない？　幽霊犬なんて他の家じゃ飼えないでしょ？」

「そりゃそうだけど……」

「野放（のばな）しにして、悪い動物霊とかにでも取り込まれちゃったら、この子がまたかわいそうなことになるし、一郎くんが飼うのが一番丸く収（おさ）まるのよ」

「そうか……いや、でも別れがなあ」

「そこはもう仕方ないと割り切るしかないわね。どうする？　飼う？　捨てる？　無理やり成仏させるという手もなくはないけど……できれば私やりたくないなあ。私の拳（こぶし）は悪い霊を殴ったりイジメたり、煽（あお）った上で一方的にボコボコにするものであって、何の罪もないこんな可愛い犬に使うものじゃないもの」

「それ、もう、半分脅（おど）しだろ……」

　飼わなければこの犬が酷（ひど）いことになる。

　そう言っているのと変わらない。

「わかった。覚悟（かくご）決めたよ。飼おう！　この犬！」

「よかった。私もこんな可愛い犬を殴らなくて済んで何よりだわ」

「そういうわけだ。どれくらい一緒にいられるか分からないけど、これからよろしくな」

　――ワンッ！　ハッハッハッハッ……！

「尻尾ものすごく振（ふ）って喜んでる♪　一郎くん、早速（さっそく）だけど名前決めましょ。何て名前にする？」

「そうだなあ……」

　じっと幽霊犬の顔を見つめる。

　つぶらな瞳（ひとみ）……その中にキラリと光る知性（ちせい）と忠誠心（ちゅうせいしん）……あの伝説の名犬と偶然（ぐうぜん）にも同じ犬種……よし！

「お前の名前はロク！　それでどうだ？」

　――ワンッ、ワンッ！

「気に入ったみたい」

「そうか、気に入ってくれて何よりだ」

　この日、一郎の部屋に新たな仲間が加わった。

　いつか別れるその日まで、精一杯（せいいっぱい）幸せにしてやろうと一郎は思った。