第18話 イッヌ

「近くのいてるペット病院まで!」


 二人はいそいでタクシーをつかまえるなり、運転手にそうめいじた。

 二人の様子からただごとではないとさとった運転手は、大急ぎで目的地へとルートを取る。


「一郎くん、この子大丈夫かな……?」

「わからない。ただ、ひどく衰弱すいじゃくしている。めしとかもらってなかったのか?」


 ゴミ袋の中に入れられ、てられていたのだ。

 もう何日も何も食べていなかったのかもしれない。


「そうだ! 私たち牛乳持ってるじゃん! これあげたら――」

「ダメだ。健康な犬なら問題ないけど、ここまで衰弱していたらあたえていいのかわからない」


 ましてや牛乳は冷えている。

 冷たい牛乳は腹を下しやすい。

 栄養失調えいようしっちょう気味ぎみの犬に与えて、さらに腹を下しては元も子もない。


 結局、一郎たちは何もできないままペット病院へ辿たどいた。

 宿直しょくちょく獣医師じゅういしせたが、大変危険な状態らしい。


「ありえないほどほそっている。見たところ薬物投与とうよ形跡けいせきがあり、体内の臓器ぞうきも相当弱っている。血液検査をしようにもわずかしか取れない……一体この犬は何をされたんだ?」


 犬発見の経緯けいいくわしく話した。

 発見までの経緯を聞いた獣医師は、怒りをかくしながらも冷静れいせいに答えた。


「そう、ですか……かわいそうに…………」

「先生、この子は助かりますか!?」


「……残念ですが、もう一時間も持たないでしょう」

「そんな! なんとかならないんですか!?」


「……申し訳ない」

「……そう、ですか」


「ここまでの状態になってしまうと、もうどうしようも……せめて、最後の瞬間まで手をにぎってあげていてください」

「………………はい」


 言われるまでもなく二人は実行にうつした。

 温かかった犬の手が、徐々じょじょに熱をうしなっていくのを感じた。


「………………」

「……ご臨終りんじゅうです」


 獣医師の声が、犬の最期さいごを告げた。

 二人が見つけたこの犬は、たった今生命活動を停止した。


「……この犬、どうしますか?」

「どうしますか……とは?」


「……この犬のことを考えると、こういうことは非常に言いたくないのですが、ペット用の葬儀そうぎをしない場合、犬や猫は各自治体の焼却炉しょうきゃくろで燃やされることが決まっています」


「それって……ゴミと同じってこと!? ひどい!」

「……規則きそくなので」


「……分かりました。この犬は俺がれて帰ります。すいませんが、この犬が入るような箱をもらえませんか? 最後の最後までゴミ袋入りじゃあ犬がかわいそうだ」


 一郎は大きめのダンボールを一つもらい、犬の死体をその中に入れた。


 さすがに動物の死体をかかえたままバスやタクシーには乗れないので、帰りは徒歩を選択する。


 何も言わずに付き合ってくれる幽子の存在が一郎にはうれしかった。


「その子、どうするの?」

「明日ペット用の葬儀をするよ。それなりの金はかかるだろうけど、貯金を切りくずせばどうってことはないから」


 たまたま居合いあわせただけなのに優しいね――と幽子。


「…………誰が、こんな酷いことをしたんだろうね」

「誰でもいい……ただ、こんなことをする奴が同じ人間だという事実が我慢がまんならない」


 何の罪もない自分よりも弱い存在へのイジメ、虐待ぎゃくたい――到底とうてい許すことができない。

 もしも犯人が目の前にいたら、この犬と同じような目に合わせてやりたい。


「飼えなくなったから捨てる、飽きたから捨てる、面白いから虐待する――命を何だと思っているんだ……クソが!」


 命に対して責任が持てないなら、命の価値かちを理解していないのなら、初めからペットなんて飼わなければいい。

 その方がお互いにとって幸せだ。


「幽子、ちょっと近所のコンビニで花をあるだけ買ってきてくれないか? 金は出すから」

「任せて。あ、そのお金は私が出すわ」


 一郎の部屋に戻った二人は、小さなテーブルをセットし、その上に犬の入ったダンボールを乗せた。

 幽子の買ってきた花でテーブルをいろどり、段ボールの中にきつめる。


 こうして簡易的かんいてき祭壇さいだんを作り上げ、二人で犬の葬式そうしきを行った。

 せめて、生まれ変わったら幸せになってもらいたい。


 そういのりながら眠りにつき、朝になってペットの葬儀屋そうぎや連絡れんらく

 丁寧ていねい火葬かそうしてもらい、小さな骨壷こつつぼ購入こうにゅうし家に持ち帰った。


「一郎くん、ところで今日の授業じゅぎょうは?」

「サボった」


 まあ、たまにはいいだろう。

 充分じゅうぶんに単位を取れるだけ出席しているし、成績せいせきも問題ない。


「だろうと思った。まあ、それどころじゃないもんね。後でノート持ってくるわ」

「ああ、悪いな」


 これでようやくすべてが終わった。

 飲み会からの犬発見、犬の葬儀とジェットコースターのような落差らくさのある2日間だった。


「ふわぁ……」


 ようやく終わったと自覚じかくしたら、急に眠気が襲ってきた。

 幽子は後で来ると言っていたけど、まあいい。少しだけ寝よう。


 一郎はゆっくりと目を閉じた。


 ……

 …………

 ………………


 ――ペロペロ


(うん?)


 ――ペロペロペロ


(何だ……俺、顔を舐められてる? 何に?)


 ――ペロペロペロペロ


 でも、それにしては顔が濡れている気がしない。

 何が起こっているんだ?


 一郎はゆっくりと目を開ける。


 ――ワンッ。


 犬がいた。

 半透明はんとうめいになった犬が。


「うおっ!?」


 予想もしない存在に、一郎はびっくりして声を上げた。


「一郎くん、ノート持ってきたわよ。何か声が聞こえたけどどうかした……あれ?」

「ゆ、幽子! これ……!」


 一郎は犬を指さした。

 いや、犬というよりむしろ……イッヌ?

 何故なぜなら犬は半透明じゃない。


「あ、この犬昨日の!」」

「えぇっ!?」


 幽霊犬イッヌになって見た目が正常化したからよくわからなかったが、よくよく見ると顔つきなんかは昨日の犬にそっくりだった。


「どうしたの、きみ? どうして成仏じょうぶつしないでここにるのかな?」


 ――ワンッ。


「ふむふむ、なるほど。そういうことね」

「わかるのか!?」


「何となくは。私たちってこういう動物霊を相手取ることもあるから」

「で、何て言ってるんだ?」


「えーとね、やさしくしてもらったお礼がしたいって言ってるみたい。そうよね?」


 ――ワンッ。


 どうやら正解らしい。


「一郎くん、飼おうよこの犬」


 回想終了かいそうしゅうりょう

 こうして一郎はこの幽霊犬と出会い、今にいたる。

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