第16話 ペット禁止

 桜が完全にった4月のなかば――早くも夏の気配けはいが感じられるようになった大学への道を、一郎はコンビニのおにぎりをかじりながらゆっくりと歩く。


 つい半月前まではあれだけ色あざやかに景色けしきいろどっていた桜の花びらも、散ってしまえばただのゴミだ。


 大人気コンテンツが路傍ろぼうの石と同レベルになってしまったことに若干のもの悲しさを感じてしまう。

 正に盛者必衰じょうしゃひっすいことわり


 まあ、花は散り際こそが一番かがやくといえなくもないので、この現状はその輝きをやりげた、何かをした男の顔と言いえれなくもない。


 今年をふくめ残り三年、この花びらのように自分も何かを成すことができるだろうか?――と、一郎は考えながら朝飯を食う。


「おーい、一郎くん待ってよ。ねえ、待ってってばー!」


 と、もの思いにふけっていたところで名前を呼ばれる一郎。

 り返ると同じマンションの一つ下の階に住む、物部幽子もののべゆうこが食パンをくわえながら、こちらに走っているのが見えた。


 ――ああ、そういやこいつもこの授業取ってたな。


「もう、ひどいよ一郎くん。同じ授業を取っているんだから、一緒いっしょに学校行きましょうよ」

「すまん、完全にそのことを忘れていた。なるべく次からさそうようにするよ」


「え? 忘れてたって酷くない? あなたの彼女のことなのに」

「いや、別に彼女じゃないだろ」


 つい1週間ぐらい前から同じマンション(タワマン)に住む同じ大学の仲間というだけで、彼女にしたおぼえはない。


「でも私、あの時ちゃんと告白したわよね?」

「その後、俺ちゃんとことわったよね?」


「でも同じマンションに住んでいるわよね?」

「それただのご近所きんじょさんじゃないか。その理屈りくつで恋人になるなら、学生寮がくせいりょうは恋人だらけだぞ?」


「なるほど……確かに。そう考えると学生寮が少しエッチな感じに思えてきたわ」

「お相手多数のBLと百合ゆりか……一部の界隈かいわいに刺さりそうだな」


 などという会話をり広げながら大学へと向かう二人。

 同年代の男女でこんな会話ができるくらいこの1週間ちょっとで仲良くなったが、さすがに恋人にはとどかないようだ。


 なんだかんだで彼女が良い奴……いや、良いや、つ……?

 一郎的に助けてもらったのは事実じじつではあるが、その助け方に多大な問題があったような気がしないでもないというのが正直しょうじきなところだ。


 彼女が告白した理由も、一郎の家が不動産ふどうさん屋であるところが大きい。


 性格も好きだと言ってくれたのはうれしいが、その要素ようそは二番目というのが何とも微妙びみょうである。


 財産ざいさん目当てとかくさずはっきり言ってくれてるところは正直で好感が持てる。

 でも、やっぱりちょっと引っかかるわけで。


 これがもっと長い付き合いになれば引っかりがなくなるかもしれないが、今のところはただの友達というのが一郎の中での彼女の立ち位置いちだ。


 やばい趣味しゅみを持つ仲の良い女友達。

 それが彼女――物部幽子だ。


「もう、なかなか一郎くんはデレないなあ」

「これでも結構けっこうデレてるんだけどな。俺基本的きほんてきに一人の時間が好きだし、無視むしせず一緒に登校するってだけでめちゃめちゃめずらしいよ?」


「デレの基準きじゅんが低すぎでしょ。私みたいなかわいい女の子が一緒なんだし、もっとデレてもいいんだからねっ♪」


遠慮えんりょするよ。あまりにデレすぎたら、調子に乗って何をねだられるかわかったもんじゃないからな。ブランド物のバッグとかねだられたらこまる」


「私はそんなものねだらないわよ、興味きょうみないし。私がねだるならブランド物のバッグじゃなくて、なぐると悲鳴ひめいが聞こえる悪霊あくりょう入りのサンドバッグね」


「そんなもんねだられてもプレゼントできねえよ!」

「え? プレゼント自体じたいはくれる気でいるの?」

「あ」


 しまった。

 ついポロッと口がすべった。

 できればサプライズでわたしたかったのに。


「なになに? 何をくれるの?」

「……大したもんじゃないぞ? 金持ちなのはあくまで実家で、俺自身はアルバイトで小遣こづかいをかせぐ、そこらにいる大学生と変わりないんだから」


 そう言ってリボンで彩られたつつみを渡す。

 中身はちょっと高級感ただようハンカチだった。


「へえ、おしゃれ~。角にある青いちょうのデザインもポイント高い。気に入ったわ。ありがと♪ 大事に使わせてもらうね」


消耗品しょうもうひんだし、そこまで大事にしなくていいよ。何かを殴った時とかに、手がり切れたら使ってくれ」

「うん、そうさせてもらう♪」


 ……否定ひていしろ。

 何かを殴る気満々まんまんすぎる。

 恐ろしい女だ。


「ねえねえ、ところで一郎くんのやってるアルバイトって何なの?」

「教授たちの小間こま使いだよ。ほら、俺この前まで幽霊が取りいていただろ? あの霊が原因か分からないけど面接で落ちまくってさあ。で、見かねた教授が俺に仕事をくれたんだ。買い出しとか、飯作りとか、研究の手伝いとかな」


 教授の仕事は授業以外にも多岐たきにわたる。

 自分の研究やフィールドワーク。

 論文ろんぶん作成に会議など実にさまざまだ。


「ペットのお世話せわとかもやったっけ。ご飯を作ったり散歩に行ったり。ペットの部屋の掃除そうじをしたり」

「へえ」


「そういえばそれをやっている時――特に犬の世話をしている時なんだけど、気のせいかもだが一時的に体が今みたいに軽かったな」


「ああ、それは気のせいじゃないわよ。一時的にだけどあの悪霊が一郎くんからはなれていたせいね」

「離れる? どうして?」


「犬って魔除まよけの動物なの。昔から犬のき声には悪い霊を追い払う効果こうかがあると言われているし、実際ちゃんと効果があるのよ」


 プロの陰陽師おんみょうじの中にも犬と一緒に仕事をする人がいるわ――と幽子。


「一郎くん、お世話する時、毎回初めにえられたりしなかった?」

「あ、したした!」


「じゃあ犬にはちゃんとあの霊が見えていたんだ。毎回ちゃんと追い払ってくれていたんだから感謝しないとね」


「そうだな。今度バイトをたのまれたときに、高級ドッグフードでも差し入れするよ」


「そうしてあげて。きっとその子もよろこぶから………………そうだ! ねえ一郎くん、ものは相談なんだけど犬飼わない?」

「どうして?」


「さっきも言ったように、犬って魔除けの力があるの。私が対策たいさくをしたとはいえ、あのマンションは地脈ちみゃくの上にある。あそこのエネルギーを目当てに良くないものが入ってくる可能性は充分じゅうぶん考えられるわ」


「そこで犬、か」


「そう。いわば牧羊犬ぼくようけんみたいなものね。立ち入り禁止の場所の中に入ってきた、良くない霊たちを追い出してもらうの。できればしつけて私の部屋に追い立てて欲しいところだけど、そこまではもとめないわ」


 獲物えものは自分で狩るのが好きだし――と笑う幽子。

 全然ブレないな、この女。


「どう? 結構いいアイディアだと思うんだけど」

「確かにいいアイデアだよ。ただ、ペット禁止きんしなんだ、あのマンション」

「えぇ~? そうなの?」


 そうなのだ。

 一郎の実家はペット可の物件ぶっけんあつかっているが、あのマンションはそうではない。

 残念ながらその案は却下きゃっかせざるをない。


「オーナーの息子なんだし、そこは特別扱いでもいいんじゃない?」

「オーナーの息子だからこそ、他の模範もはんとなるようにきちんとルールを守らないとダメだろ」


「もう、真面目まじめだなあ一郎くんは。そういうことなら仕方ないわね。あーあ、自動的に殴れる悪霊を集めてサンドバッグ牧場を経営けいえいできると思ったのになあ」


 残念そうに言う幽子を見て、その牧場となる現場は真下の部屋なのでやめてほしいと一郎は思った。


「と、ちょっと急ごっか。ゆっくり歩きすぎたみたい」

「本当だ。おしゃべりはここまでだ。走るぞ――って早いな!?」


 話しかけた瞬間しゅんかん、幽子はもう数十m先を走っていた。

 陸上部が見たら熱烈ねつれつなスカウトが来るに違いない。


 明らかに常人じょうじんばなれしている彼女の後ろを追いながら、一郎はそんな彼女に今後振り回され続けるだろう運命をなんとなく予感していた。


 そしてその予感は、すぐに当たることになる。


「一郎くん、飼おうよ。この犬」

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