ワケありマニアの幽子さん

第15話 サクラチル

　あの夜から3日が経過（けいか）した。

　この3日間、毎日毎晩（まいばん）いつどこでも発生していた不可解（ふかかい）な現象（げんしょう）、および、ずっと一郎を悩（なや）ませていた肩の重みや倦怠感（けんたいかん）、原因不明（げんいんふめい）の体調不良（たいちょうふりょう）がきれいさっぱりなくなった。

　いつもならば合コンやゼミの飲み会などで食いだめをすれば、一時的に体重が増えるものの、そのあとすぐに減っていったのだが、 3日経過した今も体重が減る様子はない。

　175センチなのに52キロしかなかった一郎の体重は、今や57キロまで増えている。

　栄養状態（えいようじょうたい）および健康状態（けんこうじょうたい）が正常化した証拠（しょうこ）だ。

　だからこそ、このまま以前と同じ食生活をすれば、今度は逆に太ってしまうことは明白（めいはく）。

　太っていた時期（じき）にいい思い出はないので、このスリムな体型を維持（いじ）できるよう、今後は栄養を摂（と）り過（す）ぎないように気をつけようと一郎は思った。

「さて、そろそろ時間だな」

　スマホで時間を確認すると、時刻（じこく）は午後2時を回っていた。

　約束の時間まで残り30分なので、そろそろ待ち合わせに向かうとしよう。

　……

　…………

　………………

「あ、田中くーん。こっちこっち」

　待ち合わせをしていた多摩（たま）モノレール駅に到着（とうちゃく）すると、すでに幽子が待っていた。

　大き目の旅行用スーツケースに腰（こし）かけて、一郎に手を振（ふ）っている。

「すまない。待たせたか？」

「ううん、私も今来たところ。行く前にどっかで軽く食べていこうか？」

「いや、いいよ。昼飯ちゃんと食ったし」

「そ。じゃあ行こっか。新しき我が家に！」

「ああ」

　二人は改札口（かいさつぐち）を通り、モノレールに乗った。

　眼下（がんか）に広がる光景（こうけい）を眺（なが）めているうちに、最寄（もよ）り駅に到着する。

「ところで物部、荷物（にもつ）ってそれだけ？」

「うん。引っ越し先に家具あるし、いらないから処分（しょぶん）しちゃった」

　二人は並んでモノレールを降りると、駅の階段を降りた。

　片側（かたがわ）三車線（さんしゃせん）道路の横断歩道を渡（わた）り、大学とは反対方向に道を歩く。

　この道沿（みちぞ）いに15分ほど歩いた先に一郎のマンションがある。

　大学から自転車だとだいたい10分程度（ていど）。

　学生にとってはまさに理想の物件（ぶっけん）と言える。

「一応確認なんだけど、もう幽霊騒（さわ）ぎは起きていないわよね？」

「ああ。俺の部屋どころか、マンション全体でも起きていないことを確認している。宿直（しゅくちょく）のコンシェルジュさんにも、一切（いっさい）変な事が起こっていないらしい」

「……そっか」

「何で残念そうなんだよ？」

「いや、だって変なことが全く起きていないわけでしょ？　幽霊が一体も来ていないわけでしょ？　だったらもう殴（なぐ）れないじゃない！　学校やバイトで溜（た）まったストレスのはけ口として、好きなように殴ったり蹴（け）ったりできないじゃないの！　……はぁ」

　幽子は深いため息をついた。

「まずったなぁ……あの加工した悪霊（あくりょう）、泣き言が面白いからって殴りすぎたのは失敗だったわ。まさかたった2日で成仏（じょうぶつ）するとは思わなかった……不覚（ふかく）」

　あっちにしてみればさっさと成仏できて良かったに違（ちが）いない。

　成仏をするまで、肉体的にも精神的にも耐（た）えられないほどの、文字通り死んだほうがマシなレベルの拷問（ごうもん）を受けていたことだし。

「ところで物部、結局のところ、何で俺のマンションに幽霊が出るようになったんだ？」

　全体に出るようになったのは幽子が成仏させたあの幽霊が原因だが、もともと規模（きぼ）が小さくても心霊現象（しんれいげんしょう）自体が起きていたのだ。

　夜中に足音がする――とか。

　押し入れから話し声が聞こえる――とか。

「その理由だけど、おそらくあのマンションが地脈（ちみゃく）の上にあったからだと思う」

「地脈？」

「パワースポットって言った方が分かりやすいかな。地脈っていうのは大地のエネルギーが集まる場所のことなの。大地のエネルギーは、いわば星の生命エネルギー。だからそういうのが大好きな、この世に未練（みれん）のあるああいった連中が集まりやすいわけ」

「え……ってことは今は大丈夫だけど、これから先また同じようなことが起こる可能性もあるのか？」

「そうね。何もしないで放置（ほうち）していれば、また同じようなことが起きるでしょうね」

「それは困（こま）るな……」

　今は格安（かくやす）家賃（やちん）だが、もともとあのマンションは富裕層（ふゆうそう）向けの高級マンションなのだ。

　今後、新しい入居者（にゅうきょしゃ）に長く住んでもらうためにもそれは困る。

「物部、何とかできないか？」

「田中くん、私は特殊（とくしゅ）な力を持っているけど、 プロの陰陽師（おんみょうじ）ってわけじゃないのよ？　しかも中の下の落ちこぼれなのよ？　そう何でもかんでもできると思ってもらったら困るわ」

「そうか、きみでも何とかできないのか」

「ううん？　その程度ならできるけど？」

「できんのかよ！　ならさっきの言葉は何だったんだ？」

「今後、私のことを勘違（かんちが）いして、無茶なお願いとかされたら困るからね。一応の釘刺（くぎさ）しよ、釘刺し」

　そう言うと、幽子はポケットから口紅（くちべに）を取り出し、近くにあった電柱（でんちゅう）に落書きをした。

「大学生になって落書きとか子どもか！　あと口紅で書くなよ。汚いだろ」

「この口紅は普段使い用じゃないから問題ないわ。あとこれ落書きじゃないからね。よく見てよ」

「えぇ……？」

　言われた通りよく見てみる。

「あれ？　この落書きどこかで見たことあるな……神社の、鳥居（とりい）？」

「正解。鳥居って神様の居るところを示す道路標識（どうろひょうしき）であると同時に、地面設置型（じめんせっちがた）のエスカレーターなの。だからこうやって道を作ってやれば……」

　マンションの方には向かわなくなるとのこと。

　再発防止（さいはつぼうし）のために、二人は電柱に鳥居マークを描（えが）きつつ、近場（ちかば）の神社まで足を運（はこ）んだ。

「これでよし。しっかり神社まで道を作ったし、もう同じ騒ぎは起きないはずよ。多分」

「多分かよ。完全には防（ふせ）げないのか？」

「そりゃあ、相手にも意思があるわけだしね。いくら一方通行の標識を立てても逆走（ぎゃくそう）するバカはるし、立ち入り禁止（きんし）の看板（かんばん）の先に入ってくるアホはいるわ」

「ああ、確かにいるよな、そういうの」

「まあ、私としてはそういうの大歓迎（だいかんげい）なんだけど（笑）」

　むしろそういうアホよ来い――という気持ちが顔に出ている。

　そういう輩（やから）が出ないことを祈る一郎だった。

　大人しく成仏して欲しい。

　でないと、どんな酷（ひど）い目に遭（あ）うことやら。

「ところで田中くん、ちょっと聞きたいんだけどさ」

「うん？」

「この前の告白の返事（へんじ）、いい加減（かげん）聞かせてくれる？　私、この３日間ずっとやきもきしてるんだけど？」

「え？　あれ本気だったのか！？」

「本気も本気よ！　決まってるじゃない！」

　てっきり何かの冗談（じょうだん）だとばかり思っていた。

「だって土地持ちよ？　土地持ち！　実家が不動産屋（ふどうさんや）とか最高すぎるじゃない！　土地を転がしているから事故物件や心霊物件なんかのワケあり物件を山ほど取り扱（あつか）うわけでしょ？　付き合っていればそういう場所にデートで連（つ）れて行ってもらえるじゃない♪」

「いや連れてかないぞ！？」

　どこの世界にそんな場所でデートをするカップルがいるというのか？

　少なくとも自分は行きたくない。

　ジェットコースターに乗るのとはワケが違（ちが）うのだ。

「えー？　行こうよ、ワケあり物件（デート）」

「行かねえよ！　っていうか物部さあ、きみあの時中身重視（じゅうし）って言ってなかったか？　俺の中身が好きとか言ってなかった？　今一言もそれに触（ふ）れてないんだけど！？」

「田中くん……私たちは大学生よ？　卒業（そつぎょう）したらすぐに結婚する人だっている。つまり、大学生の男女交際は近い将来（しょうらい）結婚に発展（はってん）する可能性がある」

「お、おう……そうだな？」

　一郎自身もそう思っているため、この意見には頷（うなず）かざるをえない。

「見た目や性格だけで結婚に踏（ふ）み切れるわけないじゃない。やっぱり持つモノ持っていないと！　結婚の決め手はその人が持っている総合的な財産（魅力）よ、財産（魅力）。性格とか二の次ね」

「最後の一言でいろいろ台無しだよ……」

　人間見た目より性格と言われた、あの時のちょっとした感動（かんどう）を返してほしい。

「あ、もちろん田中くんの性格も好きよ？　一番は財産だけど、それ目当てで将来結婚したところで上手くいかないのは目に見えてるし。財産持ってて性格も良いから告白したわけだし」

「財産が前に来ているから素直（すなお）に喜べねぇ……」

「まあ細（こま）かいことはいいじゃない♪　ねえ田中くぅん、私と付き合うと色々とお得だよぉ？　ワケあり物件を安く買い叩（たた）いて高く売れるよぉ？　だから私と付き合おうよぉ……ね？」

「いや、ね？　じゃないから！　俺ん家（ち）そういうのやってないから！」

「いや、絶対やってるって。一郎くんが知らないだけで、お父さん絶対やってるから。お兄さんもお姉さんも知ってて黙認（もくにん）してるから、絶対。経済っていうのはそういうものよ」

「きみ文学部だろ！　経済の何がわかるんだよ！？　あと急に名前呼びになるな！」

「いいじゃない、別に。これからはご近所さんなんだし。仲良くしましょうよ、ね？」

「いや、でも……」

「ね？」

「あの……」

「ね？」

「…………わかった。いいよ、名前で呼んでも」

「やった♪　じゃあ一郎くんも私を名前で呼んでいいわよ！」

「いや、それは別に………………わかったよ幽子。だからそんなに睨（にら）まないでくれ」

　この時突風（とっぷう）が吹（ふ）き、目の前を桜の花びらが大量に通り過（す）ぎた。

　正にサクラチル――まるでこれからの一郎の未来を表しているかのようだった。

　これが、田中一郎と物部幽子の出会い。

　これ以降、彼は彼女にはさんざん振り回されるが、少なくとも退屈（たいくつ）だけはしなかったとだけ言わせてもらおう。

　なお、彼と彼女はまだ付き合っていない。