第14話 悪霊に人権はない

「田中くん、心配かけてごめんね。私はこの通り無事ぶじだから安心して」


 現実世界の彼女は本当にノーダメージだった。

 全身はどこもれあがっていないし、首もしっかりついている。


「さてと――」

『ウ……』


 幽子が幽霊へと向き直る。

 幽霊はビクンと身体からだふるわせた。


『モ、モウホントウニデテイク! ダレニモメイワクカケズニヒッソリト……』

「その理屈りくつ、今さらつうじると思う?」


 通じるわけがない。


 一度もらったチャンスを、こいつは即座そくざに投げ捨てたのだ。

 これからどんなことをされようと、同情どうじょうする余地よちはない。


「私さ、ラノベ好きなんだよね。黎明期れいめいきから今にいたるまで」

意外いがいだな。物部みたいな女子がそういうの好きだなんて」


「田中くん、それは偏見へんけんよ。マンガやアニメは今や世界にほこる日本の一大コンテンツでしょう? その原作になることもあるラノベだってそれは同じ」


 と〇もメ〇ンもメ〇トも普通に行くわよ。なんならカードも持ってる――と幽子。


「うちのお父さんもお母さんも好きでさ、実家の書斎しょさいが、相当な数のラノベでまってるの。私も、妹も、本を読むのは好きだったから、物心ついた時からひまさえあればそれらを読んでいたわ」


 つかつかとした足取りで、ゆっくりと幽霊の方へと幽子が向かう。

 幽霊の全身がさらに震え、歯はガチガチと音を立てている。


「現代異能いのうバトル、ラブコメ、ファンタジー、いろいろ読んだけどやっぱり私はファンタジーが一番好き。その中で特に好きな作品があるんだけどね、その主人公のセリフにとても感銘かんめいを受けたの。そのセリフを言った主人公のように強くなりたいって思って、中学生ぐらいまでは本当に修行を頑張がんばったの。でも残念ながら私に才能はなかった」


 テーブル近くに置いてあった自身のバッグをあさった。

 幽子は一枚のふだを手に取る。


「私が陰陽師おんみょうじの世界では中の下程度ていどの落ちこぼれってさっき言ったわよね? だからさ、同年代の子相手に組み手とかしてもめったに勝てなくて、くやしい思いをすることが多々たたあったわけよ。ほら、私って負けず嫌いだから」

「いや、知らんて」


 ――俺たち今日会ったばかりだろ。


 一郎は心の中でツッコミを入れた。


「勝ちたいけど勝てない。でも勝ちたい。そう思い続けていたある時、あることに気づいたの。『そうだ! 同年代とやって勝てないなら下級生とやればいいんだ!』って」


「きみ最低だな! 下級生とやったらそりゃ勝てるだろ!」


「いいえ、ボコボコにやられたわ。妹たちの世代はどうも天才がいっぱいいる黄金世代だったみたいでね……私みたいな落ちこぼれではかなわなかったの」


 一郎はこの話を聞いて、内心ないしんざまぁと思った。


「年下にも負けた私のプライドはズタボロよ。でも勝ちたい。どうしたら気分よく勝てるんだろう? 私みたいな落ちこぼれでも無双むそうできるような弱い相手はいないだろうか? 一方的にボコボコにして、好きなようにいたぶって、 FPSで格下かくしたと当たった時のように散々さんざんあおらかした上で勝てるような相手はいないだろうか? それでいて誰も文句もんくを言われない、イジメ倒しても逆に感謝かんしゃされるような相手はいないだろうか? そんなことを考えながら高校を卒業そつぎょうして実家を出たの。私程度の実力でプロになるなんて無理だし、大学に進学して普通に就職しゅうしょくしよう。そう思って都会とかいに来たらさ――」


 ――いたじゃない、そんな都合つごうのいい存在が。

 ――どんなことをしても文句を言われない、最高のオモチャが。


事故物件じこぶっけん、ワケあり物件、そこに居座いすわる調子に乗ったクソザコ低級霊ども! 普通の人たちが対処たいしょできないのをいいことに、自分が強いと勘違かんちがいして我が物がおで好き勝手する悪霊たち! ホントこいつら最高よ! 好きなようになぐっても、っても、気がむまでボコボコにしても、誰からも文句は言われないし感謝までされる! ああ……こんな幸せなことがあっていいの!?」

『ア、アア……アウ、アー……アバババババ…………』


 幽子の話の影響えいきょうで、幽霊は語彙力ごいりょくうしなった。

 自分がこれからどうなるか、想像そうぞうするだけで恐ろしいのだろう。


「そんな幸せな時間なんだけどさあ、時間経過じかんけいかでなくなっちゃうのよ。何故なぜかわかる?」

「居座っていた霊が成仏じょうぶつするからだろ」


「そう! そうなの! 毎日毎日、学校でのストレスやバイト先でのストレス解消かいしょうのために、好きなようにサンドバッグにしていたら、わりとすぐに成仏しちゃうのよ! 悪霊って悪意のかたまりだから、最初の方は『殺してやる』だの『お前の家族に取りいて不幸にしてやる』だの言っていたくせに、最後の方になると『ごめんなさい』だの『すいません』だの『殺してください』しか言わなくなって消えるの。ふざけんな悪霊ども! もっと根性見せなさい! 私を永遠えいえんに楽しませろ!」


 話を聞いているうちに、一郎はこの幽霊が少しかわいそうになってきた。

 一年間も迷惑めいわくをかけられた相手ではあるが、少しだけ同情してもいい気がしてきた。


 この幽霊、いったいどんなことをされるのだろう?


「――と、話がれたわね。さっきのラノベの話に戻すけど、田中くんは私が感銘を受けた黎明期のラノベってなんだかわかる?」

「え……? さすがにそれだけじゃわからないって」


「大丈夫、テレビアニメにもなったし、誰もが知るようなビッグタイトルだから。ヒロイン最強のファンタジー作品よ」

「ああ、アレか」


 そこまで言われれば流石さすがにわかる。

 黎明期、テレビアニメにもなったビッグタイトル、最強ヒロインのファンタジーとくればあれしかない。


「そう、アレ。あのカッコよくてかわいい最強美少女魔導師まどうしに感銘を受けた私の座右ざゆうめいはね――『悪霊あくりょう人権じんけんはない』」


 ――加工術式じゅつしき展開てんかい


 幽子がそう口にして札を投げると、幽霊の周りの空間が円柱状えんちゅうじょうゆがんだ。

 中心に向けて圧縮あっしゅくされているように見える。


『アガ、アガガガガガ……ナ、ニ、ヲ……?』

「見ての通り、空間を圧縮して加工してるの。私が殴りやすい形にね」


『アア……! セマイ……! クルシイ……! ヤメテ……! モウシナイカラ……!』


「はいはい、そういうのいいから。っていうか、元々逃がすつもりなんてなかったし。後でこっそりつかまえる気まんまんだったし」


『ヒイイィィィ……』


「私をうらんでもいいけど、自分を恨んだ方がこれからのためよ? その方が早くたましい浄化じょうかされて成仏しやすくなるから」


 幽子が言い終わると同時に幽霊が光った。

 光がおさまった後、その場に残されたものは――


「……パンチングマシン?」

「殴りやすい形って言えばやっぱこれでしょ。あ、キッキングマシンもあるわよ」

「本当だ」


 パンチングマシンの影にかくれて分からなかったが、しっかりとキッキングマシンもあった。


 ミットを使うオーソドックスなやつだが、マシン上部に液晶画面えきしょうがめんが付いている。

 液晶部分には先ほどまでここにいた幽霊の顔がうつっていた。


「ゲームセンターにあるのとちがって、これはいくらプレイしても無料よ。こいつの霊力で動いているから電気も必要なし! ってわけで早速さっそく――」


 パンチングマシンのプレイボタンを幽子が押した。

 ミットが起き上がり、おなじみの機械音声がひびく。


 ――ヘイ! 俺にパンチしてみな!


「よーし、いくわよぉ……おりゃー!」

『ヤメテ! ヤメテェェェェェェェッ!』


 ――ドゴォォォッ!


 到底とうてい女子から放たれたとは思えない破壊音はかいおんがミットから聞こえた。

 殴られたミットは何度もバウンドした後、ゆっくりと起き上がる。


「やったぁ! 560P!」

「プロボクサーでも160Pくらいだって聞いたことあるんだけど?」


「普通の人は術力オーラ流し込んで殴れないからね。ってことで2発目うりゃー!」


 ――ドゴォォォッ!


「あ、ちょっとミートポイントはずしちゃったか。384P」

「それでも400P近く行くんだ……」


 除霊師じょれいし――いや、陰陽師おんみょうじか。

 絶対にケンカを売らないようにしよう。


 彼女の言う落ちこぼれでこれなのだ。

 プロがどれだけ強いか想像することさえできない。


『オゴ……オゴゴゴゴ……』

「あ、でもそこそこいてるみたい。田中くんもよかったらやってみる?」


「いや、俺は……いいよ」

「そう? 絶対に中から出てこないから、素人しろうとが殴っても安全よ?」


 そう言いながら最後の3発目。

 今度は1発目以上に派手はでな音がして600Pオーバー。

 いっそうくるな幽霊の嗚咽おえつが上がった。


「次キック行こう! キック!」

『モ、モウヤメテ……カンベンシテクダサイ……』


「嫌でーす。そう思うなら最初から悪いことなんてしなければよかったのよ。そうなってしまった以上、今のあなたにできることは、一刻いっこくも早く悪意を捨て、魂を浄化して成仏し、いちからやり直すことをいのるだけね。ってことでどーん!」

『ギャアアアアアアァァァァァァァァーーーーーッ!』


 今度は1500Pか。

 キックはパンチの3倍と言われている。


『モウ、コロシテ……コロシテクダサイ…………ハヤク、オネガイ…………』


 そんな幽霊の慟哭どうこくを完全に無視し、幽子は殴り続け、蹴り続ける。


「あは! あははは! あはははははははははははは!」


 ものすごく楽しそうだ。

 何も知らない人が見れば、一発でれてしまいそうなとてもいい笑顔だ。


 この笑顔のうら邪悪じゃあくかたまりのような思想しそうがあるなんて誰も思うまい。


「あ、そうだ田中くん。このマンションの幽霊さわぎだけど、たぶんもう起きないわよ。親玉がこうなっちゃったからね」

「ビビって他の霊とか近づかないだろうな……」


 拷問ごうもんされているかのような声が延々えんえんと聞こえる場所になど、誰だって近づきたくないだろう。


 関わったら自分が次はそうなるかもしれないのだ。


「まあ、いろいろ言いたいことはあるけど、ありがとう物部。きみのおかげでこれから普通にらせそうだよ」


「どういたしまして。あー! やっぱりこの趣味しゅみさいっこーう! 悪霊はイジメれてストレス解消かいしょうになるし、人から感謝かんしゃされるし、家賃やちんは安いしで本当にさいこーう!」


 そうか、もうワケあり物件でないのならば、家賃を戻しても問題ないのか。

 ここの階層かいそうの本来の家賃って月120万なんだけど――まあいいか。


 彼女は命の恩人だし、それくらいのことは大目に見よう。

 彼女の存在に比べれば、120万などたいした金額じゃない。


 ――これからよろしく、ご近所さんワケありマニア

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