第10話 幽子の趣味

 黒い人影がじりじりと近づいてくる。

 一歩、また一歩と、一郎めがけて近づいてくる。


 一郎はなんとか距離きょりを取ろうと後ずさりをこころみるも、足がまったく動かない。


 自分に取りいていた幽霊、その姿をはっきりとの当たりにしたショックと、そこかられ出る悪意あくい執着しゅうちゃく殺意さつい敵意てきい――あらゆる負の感情を浴びせられた恐怖きょうふで身動きが取れないでいた。


物部もののべ、逃げろ……」


 こいつのターゲットは自分のはずだ。

 でなければ引っ越し先にまでついてくるはずがない。


 彼女を家にまねいたのは自分だ。

 自分がやられている間に、彼女だけでもなんとかこの場を脱出だっしゅつして欲しい。


「この状況じょうきょうで自分よりも私の心配、か……田中くんってやっぱ良い人だね!」

「そんなこと言ってるひまがあったら逃げろ……!」


 一郎がそう言うと、幽子はゆっくりとソファーから立ち上がって――、


「バカ! なんでこっちに来るんだ……!?」

「財産目当てって言ったクソ女を、身体張って逃がそうとするとか普通できないよ? うん、好き。田中くん、これが終わったら私と付き合ってよ」


「は、はぁ!?」


 生まれて初めて女の子から告白された。

 それも幽子のようなとびっきりにかわいい女の子から。


 過食症かしょくしょうで太っていた時期じきもあるため、このような経験とは無縁むえんだった。


 告白に関して言えば、正直飛び上がるほどうれしいところではあるのだが、今はそんなこと言ってる場合ではない。

 TPOという言葉を知らないのか!?


「私さ、この見た目だから誤解ごかいされるんだけど、正直相手の見た目とかどうでもいいんだよね。やっぱり人間中身ですよ中身。内面が良くなければ絶対に付き合いたくないわ。田中くんは口は悪いけど、人間性は最高な上に土地持ちで、ついでに家が不動産屋。すっごい好みのタイプなの」


 そう言うと、幽子は持っていたバッグの口を開け、その中に手を突っ込んだ。

 出てきたものは――口紅くちべに


「ねえ田中くん、あなたを見込みこんでたのみがあるの」


「こんな時に!? いったい何だよ!?」

「今から私の趣味しゅみを見せるけど、絶対に口外こうがいしないでくれる?」


 ――約束して、お願い。


 状況に見合わないみょうな約束。

 考える余裕よゆうなど当然なかった一郎は、彼女のこのお願いにYESと答えた。


「ありがとう♪」

「おい! 物部……前!」


 幽子が一郎に笑顔を向けた瞬間しゅんかん、幽霊がおそいかかった。

 細い彼女の首を目がけて、幽霊の両手がせまる。


『オォ……オォォォォ……』


 幽霊は幽子の首筋くびすじらえると歓喜かんきの声を上げ、両手に力を入れ、彼女の首をめ上げ始めた――かに見えた。


 ――バシュン!


 力が入ったかと思った瞬間、幽霊の両手はどういうわけか消し飛んだ。


『ウォォ……!? オ、ォゥゥォォォ……!?』

発情はつじょうしたオットセイみたいな声出してんじゃないわよ。死んでるくせに」


 ――ずぶり。


 幽子は幽霊に悪態あくたいをつきながら口紅をかまえ、その先端せんたん眉間みけんの位置に突き刺した。


『ガ、ァァァァッ……!? ナ、ナニ、コ、レ……?』

「あ、ようやく普通にしゃべった。 二回の警告けいこくであんたが喋れるのわかってんのよ。私たちをビビらせるためか知らないけどさ、そこんとこバレバレだからね? ずかしい奴」


『ウ、ゴ、ケ、ナ、イ……?』

「そりゃ、私の術力オーラがたっぷりと付着ふちゃくしている口紅だし。あんた程度ていど悪霊あくりょうだと、指一本も動かせないでしょ?」


『オ、マ、エ……ナ、ニ、モ、ノ……?』

「それを今から教えてあげる」


 幽子は動けない幽霊のまわりで、なぜか反復横跳はんぷくよことびのような事を開始する。

 見た感じ特定の図形をえがくようにステップをんでいるようだが、よくわからない。


「これね、兎歩うほっていうの。大昔のえら陰陽師おんみょうじの人が考えたステップでね、田中くんみたいな普通の人でも効果こうかのある魔除まよけの歩法ほほうなんだ。こういう悪い霊を追い払う効果があるの」

『オ、ゴアアァァァァ……!?』


 後で教えてあげるね――と、幽子は一郎に微笑みかけ、


「どーお? 悪霊さん? 私の術力を流し込まれて動けないところに、兎歩なんてやられた感想は? 不快ふかいよね? まるで指先を1mmずつぎ落とされている感じよね? 痛い? ねえ痛い?」


 その笑顔のまま幽霊の顔をのぞんだ。


「安心して? 兎歩はもうやらないから」

『ハァ……ハァ…………?』


 もうやらない――幽子のこの言葉に幽霊が一瞬安心感をいだいた。

 しかしそれは本当に一瞬で、次の瞬間絶望のふちたたき込まれた。


「兎歩ってぶっちゃけただ歩くだけだからね。やっているこっちとしてはたいして面白おもしろくないの。やっぱり悪霊をしばくならさあ……」


 ――ボゴォッ!


『オ、ゲエェェェェェ……!?』


 幽子が幽霊の胴体どうたいに向けてするどいボディブローをはなった。

 幽霊の身体がくの字に曲がる。


「ちょ・く・せ・つ、ぶんなぐるのが一番よね♪ ふふっ♪」


 ものすごく良い笑顔で、さわやかにそう告げる幽子。


「あぁ……手に残る何て言うか、この『肉のようで肉じゃない』ものを殴ったんだっていう感触かんしょく……ホンット気持ちよくてみつきになるわ! やっぱり悪霊はこうするのが一番楽しくない? ねえそうよね田中くん!?」

「いや、同意どういを求められても……」


 ここまでの流れで大体さっした。

 彼女がここを理想の物件ぶっけんだと言った理由。

 霊障れいしょうを目の当たりにしても逃げなかった理由。


 間違まちがいない。

 彼女の趣味は――


「物部、きみの趣味ってもしかして……」

「うん、そうなの♪ こういった人に害を与える悪霊をしばき倒すのが大好きなの、私♪」


「じゃあやっぱり心霊マニアじゃ?」

「心霊マニアだと悪意のない幽霊や人外存在も含まれちゃうじゃない。私が求めているのは、何の罪もない、縁もゆかりもない人を一方的に害する悪霊や人外なの。だから事故物件とかワケあり物件とか大好き♪」


 すごくいい顔で幽子が言った。

 なるほど、好きなのは幽霊などではなくて、幽霊が憑いている家や土地そのものか。


 心霊マニアではなくワケありマニア。

 一郎はそう彼女を結論付けた。


「あ、ここにあるスリッパ借りるわね。えいっ」


 ――スパーァン!


『オ、ホォォォォ……!』

「あはは! いい音♪」


 とてもいい打撃音だげきおんひびいた。

 叩いたものは幽霊なのに。

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