第8話 幽霊式ダイエットパック

 一郎は最初、幽子が何を言っているのかまるで理解できなかった。


 ――ここにむ? 正気しょうきか?

 ――めちゃくちゃくわしく説明したし、実際じっさい目の前で『こと』が起きているのに!?


「さあ田中くん! 契約書けいやくしょはどこ!? 印鑑いんかん持ってないから血判けっぱんでいい!?」

て待て待て待て!?」


 なんで住む気満々まんまんになってるのか?

 普通苦笑にがわらいしながらそそくさとげるか、何も言わずにダッシュで逃げるかでは?


 今まで一郎がお持ち帰りした女の子は全部そのパターンだった。

 その後、二度と彼に関わろうとしない。


「あの、さ……物部もののべ。もしかしてきみって心霊しんれいマニア?」

「違うけど?」


「じゃあ何でこんなところに住もうとか言うの? テンション爆上ばくあげで」

「べ、別にテンション爆上げなんてしてないんだからねっ!」


「ツンデレとか久々に見たな……いや、明らかにテンション上がってるだろ。目をキラキラさせながら『血判でいい!?』とか」


「だって、ここって私の理想りそうすぎるんだもん……」

「理想、ねぇ?」


 まあ、わからなくもない。

 街を一望いちぼうできる高層階こうそうかい


 住民専用のプールとサウナ付き。

 ファミリー用だけど敷地内しきちないには公園こうえんもある。


 コンシェルジュもいてセキュリティーは完璧かんぺき。女子の一人らしも安心。

 近場ちかばにコンビニもあって便利べんりだし、最新式の家具かぐまである。


 そして何より学校に近くて、早朝そうちょう一限いちげんも怖くない。


 だけど、とんでもなく巨大なデメリットがある。

 これらのメリットを全部ぶっこわしてあまりある壊滅的かいめつてきなやつが。


 この女、幽霊ゆうれい住処すみかというデメリットをまった考慮こうりょに入れていない。

 事故物件じこぶっけんで起こった話とか聞いたことないのだろうか?


「物部、悪いこと言わないからあきらめろ。俺みたいに取りかれてからじゃ遅いぞ? 除霊にはここ本来の家賃やちんの何倍もの金額がかかるし、偽者をつかまされる可能性もある。いや、そもそも除霊以前に取り殺されることだってあるかもしれないんだ。見ろ!」


 そう言って一郎は洗面所から体重計を持ってきた。

 スイッチを入れてその上に乗る。


「田中くん、見た感じ175センチあるかないかよね? その身長で52kg? ちょっとぎじゃない?」

「ああ、俺もそう思う」


 続けて俺はスマホを取り出し、一枚の写真を見せた。


「それ、だれだかわかるか?」

「田中くんのお兄さんかしら? 顔立ちとかわりとまんまだし。でもちょっと……いや、かなり太りすぎね。明らかに100kg超えだし健康に悪いわよ。もっと痩せないと」


「もう痩せてるよ」

「あ、なーんだ。そうだったんだ。で? これが何か?」


「わからないのか? それは俺の兄貴じゃない。入学したてのころの俺なんだよ」


 大学入学をにここへ来た時、一郎の体重は120kgほどあった。

 小学校の頃、とある事件がきっかけでイジられるようになり、ストレスから過食症かしょくしょう発症はっしょうしてしまった。


 常に胃袋の限界まで食べまくることが習慣化しゅうかんかしてしまい、気づけば体重100kgオーバー。

 それがここにきてたったの一年で52kgにまで痩せてしまったのだ。


「合コンでの俺のドカ食いを見ただろう? ああでもして食いめなければ、太らなければ倒れちゃうんだよ。幽霊に生気せいきを吸われているのか、どんどん痩せてしまうんだ」


 一時期、体重が40kg台にまで落ちてしまったこともあった。

 貯金をくずしてドカ食いをして、何とか60kgまで戻したけどこの有様ありさまだ。

 つい先ほどドカ食いをしたのに。


 このままでは、また体重が危険領域きけんりょういきまで減ってしまう。

 そうならないためには貯金を切り崩して、たくさん食べて太らなければいけない。


 しかしそうしてしまうと、幽霊をいつまでたってもはらえない。

 まるで、野良猫がネズミの死骸しがいで遊ぶかのようにもてあそばれている気分だ。


「これでわかっただろう? いくら安いとはいえ、ここに住むのがどれだけ危険なのか? わかったら――」


「いくら食べても太らない……幽霊ダイエット…………新しい商売の予感が…………」

「しないよ!? 何危険な商売を立ち上げようとしてるんだ!?」


「太っている人に幽霊を取りつかせる。適正体重まで痩せるまで待つ。そして適正体重まで痩せたら除霊して健康体にする……パック料金で売り出せないかしら?」


「できるかアホ! ちゃんと経済ってもんを勉強し直せ!」

「残念でした。私文学部だから経済学の授業取れませーん――と?」


 ――カチカチッ!


 部屋の電気が一瞬いっしゅん消えて、またいた。


「……もう夜の9時過ぎだ。そろそろ深夜帯に差しかる。今のうちに早く帰った方がいい。夜の現象は今までの比じゃないぞ?」

「へぇ……それは楽しみね♪」


「いや全然楽しみじゃないから! 真剣にきみの身の安全を心配して言ってるんだ。悪いことは言わないから電車が動いているうちに早く帰った方がいい」


「田中くんってさ、初対面時に喧嘩けんか売られたから嫌な奴、典型的な甘やかされて育ったボンボンで実家が金持ちなこと以外良いところが全くない奴って思ってたけど、良い人なんだね。出会ったばかりの私のことを真剣に心配してくれているもん」


「高評価はうれしいけど買いかぶりすぎだ。本当に良い人なら家にお持ち帰りする前に止めてる」


「でも、それはきみの予防策よぼうさくでしょ? 家がお金持ちだと知ったら、当然のようにお金目当ての女性が近寄ってくる。そういうやからに二度と近寄らせないためにも、ある程度のおどしが必要だって考えたんじゃないの? そんなクソ女にも被害ひがいが出ない、ギリギリの範囲はんいで」

「………………」


沈黙ちんもく肯定こうていと取らせてもらうね」

「……お好きなように」


 ニコニコと微笑ほほえみながら幽子が見る。

 一郎はれくさくなって思わず目をそらした。


「ってかもう9時半だぞ? さすがにこれ以上はマジでまずい。下まで送っていくから早く帰る準備を――」


「大丈夫、大丈夫♪ 心配しないで。映画でも見ながらまったりごそうよ。あ、この映画私たかったんだよね! 観ていい?」


「ダメだ。貸してやるから、さっさとそれ持って出て行ってくれ」

「あ、ちょっと田中くん!?」


 かべ一面を占領せんりょうする超大型テレビの電源を入れ、映画を見る気満々だった幽子の背中を押し、一郎は玄関まで彼女を移動させた。


 さっさと家から脱出させる。

 じゃないと――


「…………あれ?」


 ――ガチャガチャ!

 ――ガチャガチャ!


「ドアが開かない!? 何で!?」

「そっかー、ドアが開かないかー、じゃあ帰れないなー? もうここにとまるしかないなー?」


 泊る!?

 女の子がここに!?

 そんなの危険すぎる!


「……非常階段を使おう――って!? まど開かねえ!? くそっ!」

「ふむ、どうやら泊っていけって言ってるみたいよ? きみの同居人どうきょにん


 幽子がテレビをあごす。


 ――カ・エ・ル・ナ――


「同居人の許可ももらえたし、のんびり映画でも観させてもらいましょうか」


 冷蔵庫にあったビールを開けつつ彼女は言った。

 ソファにどっかりと腰掛こしかけて、観たかった映画を再生する。


 彼女が観たかったのはホラー映画だった。

 この後に起こるホラーな展開てんかいを必死で止めるべく、一郎は数々の策を練り始めた。

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