第63話 おままごと

「た、ただいまっ……」


 がちゃりと扉を開けて、言葉を詰まらせつつ言った。


「――パパぁ!」


 玄関に響き渡る幼女の愛らしい声。俺はにっこりと微笑んで、両手を広げた。するとがしっと小さな女の子が抱きついてきた。“娘役”を申し出た雪ちゃんである。

 俺は彼女の頭を優しく撫でてやりながら、目前に近づいてきた女性に目をやる。


「……あ、えっと……あ、あなたっ……その、おかえりなさいっ!」


 最愛の妻役である花が、照れ笑いを浮かべながらにそう言った。


「ああ……花。た、ただいま」


 ニヤリと歪んでしまう唇が抑えられない。可愛すぎだろ。なんだよこの子は。そして目に焼き付けろ俺。花の新妻感覚を体験できる絶好のチャンスじゃないか!


 花が持ってきてくれたケーキを食べ終わったあと、雪ちゃんの提案でおままごとをやることになった。

 実に十数年ぶりだった為初めは戸惑う俺たちだったが、雪ちゃんは子供らしからぬリーダーシップを発揮し、即座に俺たちに役を割り振った。

 それによると、俺はパパ役で花はママ役、雪ちゃんが俺と花の間に生まれた娘役という家族構成である。

 因みに、俺たちのセリフも雪ちゃんの脳内台本によるものである。


 まさか高校三年生になってまで、ままごとをやるなんて思いもしなかった。そういった部分の照れも勿論無くはないのだけど、問題は俺が雪ちゃんとのごっこ遊びに多少なりともドキドキしてしまっているっていうところだ。


 だってさ、考えてもみてごらん?

 あの花が、あの花が――! 俺のことを『あなた』って言ってるんですよ!

 俺、今この子と合法的に夫婦になってるんすよ!


 昔は花とおままごとだって数えられないくらいしたけど、お互いの好意を知った後――交際申し込み直前! この微妙でありつつもどこかお互いそわそわしているこの時期に! 遊びではあれど俺たちは夫婦になっているのである。


 俺と花の間に子供ができてるっているおままごと上の設定でさえ、色々と妄想していまう。だってほら、そういうことしないと子供って出来ないって言うじゃん。(動揺しすぎて脳内で何故かしらばっくれる)


 当時子供だった俺たちも、くまさんのぬいぐるみを我が子と見立てて、世話を良くしていたわけだけど、どうやって子供を授かっているのかとか、そういった問題については考えてこなかった。

 でも、今の俺は……(おそらく花だって多少はしているはず)この場にそぐわない妄想の一つや二つしてしまっている。

 そう思うと、ああ……俺ももう大人になったんだな。と思うわけで。



 玄関でのイベントシーンが終了すると、俺たちは階段を上がり自室へ上がった。

 どうやら、我ら三人家族の家は俺の部屋という設定らしい。

 え? じゃあさっきの玄関で「ただいま」って言ったのはなんだったの? って思う奴らは心が純粋じゃない。子供の感性を信じろ。考えるな。感じるんだ。


 所々妙だけど、変なところでリアルだなと思う。

 俺と花がやっていたおままごとなんて、帰宅シーン無かったぞ? 突然花がエア包丁で台所に立つシーンから始まって、一方で俺は仕事にも行かず食卓に並ぶ前にむしゃむしゃご飯食ったりかなり矛盾した感じだった気がする。

 そう、基本的にご飯を作る。食べる。くらいのことしかやってこなかった。そして物語は幾つかの矛盾を解消すること無く終わってしまうのだ。


 お母さんの真似事をしたいという、子供の欲求が体現されたものがおままごとだと思っていたけど、雪ちゃんのおままごと劇場は、入り口に「ただいま」「パパー!」「あなた、おかえりなさい」という一見なんの変哲も無い家族コミュニケーションを取り入れている。そして恐らくは冒頭で俺が外出(おそらくは会社帰り)であるという描写があるわけだ。四歳児にしては信じられないほどの達観した考えの持ち主……天才か!


 ママ役よりも自ら俺たちの娘役を志願したのは謎だが。それには一体どういう目的があるのだろうか。

 深いな……雪ちゃんのおままごと。どうなんだろう……これって普通なのか? ああ、親ばかってきっとこんな感じなんだろうなと思いつつ、俺は雪ちゃんに優しい微笑を浮かべた。


「あ、あなたっ……」


 俺の脳内に透き通った“嫁”の声――。

 ああ、なんて良い響きなんだ。

 顎にやっていた手をどけて嫁の表情を窺う。彼女はカーペットにぺたんと座ったまま、恥ずかしそうにもじもじと何やら言いたそうにしている。


「……ご飯にする? それとも……えっと、お風呂にする?」


 身体をくねらせながら、ぽっと頬を染める花。こんな可愛い奥さんが居たら色々と危険だろう。昼時の宅急便のあんちゃんたちに誘拐されちゃう!


 ドキドキと高鳴る心臓をなんとか押し込めて、「それともワ・タ・シ……?」というお決まり妄想ワードを脳内再生。うん、百点だね。いつか生のが聞きたい。


「……パパー! それともゆきとあそぶっ!?」


「…………えっ」


 つい素の声が漏れてしまった。「それとも」とか、脳内読まれたのかと思ったじゃないか。色々と凄いなこの子。偶然なのか神様の加護を纏ってるのか、人生二週目のなのかは知らないけど。


「雪ちゃん、ママと一緒にご飯にしようか」


「するー!」


「ふふっ、はーい」


 無邪気な声を上げる雪ちゃんと、くすりと微笑む花。

 ああ、良いわ……これが本当の家族だわ。ここが真の蒼希家だわ、と俺の脳味噌が誤作動を起こし始めた。なんて素晴らしいお嫁さんと娘なんだ。


 新妻花はキッチンの変わりに俺の勉強机の前に立ち、お得意のエア包丁を披露した。料理を待っている間俺と雪ちゃんはベッドの上に座り、彼女の後ろ姿をじーっと眺めていた。


 なんだよこれ……良いな。

 嫁の料理を待ってる夫と娘とかシチュエーション最高かよ。おままごと神。

 これ義務教育にすべきだろ。荒んだ現代社会の影響で『結婚は人生の墓場』という考えが根付いてしまった若者たちに差し込む一筋の光だろこれ、マジで。


 ああ、心が満たされていく……。

 じんわりと進行していく俺の末期症状。それを打ち破ったのは、雪ちゃんの言葉だった。


「……ねえパパぁ! ちゅーしよっ!」


「えっ、ちゅう?」


 俺の膝の上で振り返ってきた雪ちゃんが、急に顔を近づけてきては一丁前に瞼を瞑って、うーと唇を突き出してきた。


 花がはっと気が付いたみたいにこちらを振り返る。困惑している俺と楽しげな雪ちゃんの現状を確認すると、彼女はくすくすと笑った。


 ――花、絶対楽しんでるだろ。


「パパぁ! ……んぅ~」


 雪ちゃんは幼いながらも妖艶な感じを出そうと必死だった。それが逆にまた可愛いんだけど、そんなのどこで覚えてきたんだ! パパは許さんぞ!


「……もう、しょうがないな」


 俺は雪ちゃんの柔らかい頬に軽く唇を付けて、それから頭を撫でてやった。


「ええ~、どうしてココじゃないのぉ?」


 唇でなく頬にされたことが不満だったらしい。ぷっくりと膨らんだほっぺたがまた子供らしくて可愛かった。おませガールである。


「それはね、パパとママがすることだからだよ」


 そう言ってから数瞬の内に、俺は地雷を踏んだことに気が付いた。

 ――あ、ヤバい。なんかこの場でその発言はちょっと……なんか、アレだ。

 じわり毛穴に水分が溜まった気がした。


「ええー……じゃあ、ゆきはパパとちゅーできないの?」


 下がり眉で心から残念そうな表情をする雪ちゃん。なんか罪悪感凄い。


「んー……そーいうわけじゃないんだけどさ」


 俺が雪ちゃんの頭をポンポンしながら言うと、彼女ははっと気が付いたように立ち上がった。


「じゃあゆきわかった!」


「…………?」


「……んーとね、パパとママがちゅーすれば良いんだ! それ、ゆきみてるっ!」


「……へっ?」


 雪ちゃんはぱあっと明るい表情になって、とたとたと机の前まで駆けていくと、花の手を引っ張ってきた。


「ち、ちょっと、雪ちゃんっ?」


 手を引かれながら、花は強引にベッドに座らされた。俺の隣だ。なんだかこうしていると、一夜を共に過ごしたあの日を思い出す。


「ねえねえはやく~! パパとママならするんでしょー? はやくちゅーして」


 俺と花の手のひらをぎゅっと握ったままの雪ちゃんが、無邪気な顔で言った。

 これは君の意図的な行為なのかい? それとも子供故の無邪気さ故に? これは反則だぜ! 雪たん!


 少しずつ視線を雪ちゃんから花へとスライドしていく。ばっちり目が合う。

 雪ちゃんが目の前にいるこの状況下でも、おままごとの最中でも、俺は花とこうして目が合うだけで、きゅっと胸が締め付けられてしまう。


「…………」


「…………」


 沈黙。小さな子供にはまだ理解できないだろう恥じらいの時間だ。

 だが、俺はそれを切り開くことにした。


「……あっ、ママ」


 俺の声に花がびくりと反応する。


「……へっ!?」


「か、髪に……そのゴミが……」


 俺は花の頭に乗っかっていた小さな埃を取り払った。


「あ……う、うん……ありがとう……パパ」


 パ、パパか……。

 新鮮だな。悪くない、悪くないぞ!

 俺はチラリと雪ちゃんのほうを確認する。


 そこには、腕組みをしたまま少し見下ろすような感じでパパとママのことをガン見している雪ちゃんがいた。いやいやいや! 君は何してんの!? そしてなんなのこの状況! 罰ゲームか何かですか!?


 雪ちゃんと花の間を交互に行き交いながら、俺は焦る。


「…………」


「…………」


 なんで誰も喋らないんだよ……そして雪ちゃんは怖いよ! その純真なくりくりお目々が今は悪魔の瞳に見えるよ!



 ――でも、キスか。

 そういえば、あのとき出来なかったよな。

 したかったけど、簡単にはしたくないっていうジレンマに苛まれて……。


 今、もしかして花も思い出してたりするのかな――。

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