第64話 若夫婦の将来

 柔らかなベッドの上で、隣り合う花と見つめ合う。潤んだその瞳は一体何を考えているんだろうと、俺はその輝きの理由を知りたくなってしまう。


 突然、腹部に衝撃が走った。


「のはっ」


「……やっぱりダメー! ゆきがするんだもん」


 突然俺の腹部へ突撃タックルをかましてくる雪ちゃん。彼女の攻撃は止まらず、

突きだした唇で必死の接触を試みてくる。


 結局、押し負けた。

 思う存分チュッチュッされて、俺の皮膚には透明のキスマークが大量に刻まれたわけだが、悪い気はしなかった。違うから幼女趣味があるわけじゃないから本当だからそこだけは。


「パパと雪ちゃんは仲良しだねっ」と微笑む花。


「パパは押しに弱いからなぁ」


 いや、それは聞き捨てならない。


 雪ちゃんの発言に俺と花は揃って笑い声を上げた。やがて雪ちゃんも嬉しそうににこにこしていた。


「えへへ、ママ~!」


 雪ちゃんが花の膝にごろんと寝転がる。


「……ふふ、赤ちゃんなの?」


 花、聖母の微笑みを幼女へと向ける。


「ママ、温かい」


「ホントにー?」


「んふふ~」


 雪ちゃんは幼女の特権を思う存分に駆使して、柔らかな花の太ももに顔を埋めていた。ほんの数十秒でいいからそこ変わってくれないかな。ダメ?


 でも、本当に微笑ましい光景だと思った。

 花が本当のお母さんになったら、こういう光景が毎日繰り返されたりするんだろうか。きっと優しいお母さんになるんだろうなあ。

 休日には家族で遊園地や公園に行ったり、一緒にテレビを見ながらまったりするのも良いな。どれもこれも、なんの変哲もないただの日常。だけど花と一緒ならとても素敵なことのように思える。


「――はやくうまれてくるといいね~!」


「…………えっ?」


 和やかなムードも一変して、俺は一気に現実に引き戻された。

 見開いた瞳を花と雪ちゃんに注ぐ。

 そこには花のお腹に耳を当て、生まれ来る命を今か今かと待ち望む雪お姉ちゃんの姿があった。


 ――妊娠してる設定ッ!!

 本当にもうありがとうございますとしか言えない感じですねありがとうございます。興味津々な表情を隠すこともなく、雪ちゃんから花へと視線を上昇させていく。


「う、うん……そうだねっ」


 必死に雪ちゃんに話を合わせ、にっこりと微笑む花。

 これにより、俺と花は子供を作ったという事実が生まれた。(もちろんおままごとの設定上のことである)


「……ぁ! 今うごいたよ!」


「きっと男の子なんだよ、元気元気!」


 花が笑いながら力こぶを作った。雪ちゃんも嬉しそうにしている。

 ああ……いいな。第二子が生まれるときってこんな感じなんだろうか。この雪ちゃんによるおままごとが本当の世界の形なんじゃないかという錯覚に陥りそうになるまである。


「ねえねえ、赤ちゃんってどうして生まれてくるの?」


 おっと……多くのパパママを悩ませてきたであろう質問が我が家にも。


「えーあ、赤ちゃん? えーっと……うーんとねぇ……」


 花は顎に指をやりながら、困ったように俺のほうを一瞥してくる。

 いや、そんな風に見られても困るんですけど!


「ねぇ、どーして? なんでぇ? 赤ちゃんはなんでママから生まれるの? おしえてよー」


 彼女の言葉責めは相も変わらず、花の服を引っ張り続ける。


「……う~ん」


 困った顔の我が嫁を見ていると笑ってしまう。

 でも、少し可哀想だったのから助けてあげることにした。

 花の上でじたばたしている雪ちゃんの頭を撫でながら、俺は口を開いた。


「赤ちゃんはね、好き同士のパパとママが結婚したら、ママから生まれるんだよ」


「ふうん、そうなんだ!」


 どうやら簡単に納得したようで、彼女はそのままベッドから立ち上がったかと思うと部屋の隅に置かれたピンク色のリュックサックから何やら取りだした。


「ご本よんで!」


 雪ちゃんは俺と花の間に無理矢理入ってきて、にこにこしながら言った。


「よーし読んであげよう! でも寝たらだめだぞ~?」


「……ふふっ、良かったね雪ちゃん。じゃあママはパパと交代で読もうかなあ」


「おっ、それいいね。じゃあみんなでそっちに寝転がろう」


 絵本を広げる雪ちゃんをベッドの中心にして、俺と花で挟み込む。

 丁度、川の字になった形だった。


 * * *


「――――めでたし、めでたし」


 絵本を読み終わった頃には、愛らしい安らぎ寝息が聞こえてきていた。

 そして、同時にくすくすという笑い声。


「実はちょっと前から寝ちゃってたんだよ~、なのに蝶ってば気付かないでずっと一人で読んでた」


「なんだよ~、言えよなあ」


 広げていた本をパタンと畳んで、横の雪ちゃんに瞳を向ける。

 子供の寝顔ってなんでこんなに可愛いんだろう。天使でしかない。


 花はころんと横に寝転がって人差し指を突き立てながら、雪ちゃんの頭を撫で始めた。


「かわいいなあ」


 花は頬を緩めながら、雪ちゃんの柔らかなほっぺたをつつく。


「……ね、花にもこんなかわいい時期があったよね」


 冗談混じりに笑ってみる。


「あっー! ちょっと何それ! ひどいんですけどっ」


 むっとした顔で軽く肩を叩いてくる。


「でもホントにかわいいよね子供って――好奇心旺盛で素直でさ。まあ実際は子育てって俺が思ってる以上に大変なんだろうけど。今日のおままごとで少しだけわかった気がするよ」


「ね、このかわいい寝顔見てたらどんなことでも頑張れちゃう気がするよね」


「そうだね……花がその、妊娠してるときは流石にビビったけど」


「それはおままごとの話でしょ! わ、わたしだってびっくりしたんだから」


 お互いに雪ちゃんの髪を撫でながら言い合う。


「おませさんだよね、雪ちゃん。きっと蝶のことが大好きなんだよ……ねえ嬉しい?」


 悪戯な表情を浮かべながら、花が訊ねてきた。


「そりゃあ、悪い気はしないけどさ」


「デレデレしちゃって。ちゅうしてあげれば良かったのに」


「ちゅ、ちゅうって……そうもいかないでしょ」


 彼女の口からその言葉が出るたび、胸の奥がつんと刺激される。


「…………」


「…………」


 訪れる沈黙。雪ちゃんの寝息だけがしか聞こえない。


 あのときのことが、ずっと頭の何処かに巣くっている。花とキスしそうになった夕暮れの公園でのことを。

 あの場所や花との距離、表情や匂い……そのすべてが淡い想いとなって、胸の中できゅんと締め付けられる。


 花は、俺からの言葉を待っているんだろうか。

 別に焦ってない。自然に、自然に切り出せば良いだけだろう。

 何もおかしいことじゃない。俺たちは好き合ってる。あとはどちらかが切り出すだけだ。そうだ……ただ、言うだけなんだ。


 そんなとき、花の声が聞こえた。


「……ねぇ、将来さ、その……赤ちゃんとか……欲しい?」


「え、赤ちゃん?」


 こちらを見ることなく花が聞いてきた。かなり恥ずかしいらしく、声はやたらと小さかった。


「あっ、ごめんね……嫌だったら言わなくて良いから」と彼女は左右に手を振りながら笑った。


「欲しいよ」


 花の瞳を見つめながら、自分の思いを告白した。

 結婚どころか彼女すらまだなのに先走りすぎかとも思うけど、将来的にはやっぱり欲しい。今日の雪ちゃんを見て、余計にそう思った。

 幼馴染の花とこんな話をしてるのが、なんだかくすぐったいし恥ずかしい。でも、そういうこと聞かれたことが今はただ嬉しかった。


「……何人くらい?」


 ぱちぱちと瞬きをしながら、花が訊ねてくる。


「……んーそうだね。三人くらい? いっぱい居たら良いよね。賑やかな家族とか、きっと楽しいと思うから」


「ふ、ふーん、そっかぁ」


「……なんだよ、そっちは?」


 これ俺が聞かないと言ってくれないタイプのやつな気がする。このタイミングを逃すまいと攻める俺。


「え、わたし? ……んっー、やっぱり欲しいよ。……さ、三人くらい」


「人数一緒じゃん……真似すんなよっ」


「えっ? ――あっ! ……べ、別に真似なんかしてないもん!」


「嘘ー」


「う、嘘じゃないよ!」


 次第に花の顔が全体的に赤くなっていく。どうやら本当に嘘では無かったようだ。


「わかったってば」


「絶対真似じゃないからっ……」


 随分と頑なである。

 花は視線を落としながら、ぶつぶつと何かを言っていた。


 どうやら本当に恥ずかしかったらしく、彼女はやがて顔を手で覆い隠した。だが、それでも髪の隙間から見える耳は小さな子供のように真っ赤だった。

 そんな彼女を見ていると、ついつい抱きしめてしまいたくなる。


「……花?」


 花は俯けになって、やがて顔面をベッドに押し付け始めた。


「…………ごめんね、ちょっと待ってて。顔が……その、熱くって」


 そこまでして顔を隠す理由はわかっていたけど、やっぱり愛おしくて。意地悪がしたくなってしまう。


「恥ずかしくなったとか?」


「……べ、べつに。そんなことないもん」


 これでしらばっくれるつもりらしい。


「耳、凄い真っ赤だよ」


「…………えっ、やだ! あんまり見ないでよっ」


 ごしゃごしゃと自らの髪を乱れさせて彼女はその真っ赤な耳を覆い隠した。


「顔、あげてよ」


「なんでっ……い、いや!」


 腕を軽く揺すってみても、花は頑なに動こうとしなかった。こうなってくると、思いつく手はもうアレだけである。


「じゃあ……ヤッちゃおうかなあ」


「……えっ? ちょっと何を?」


 花の柔肌に手を伸ばす。


「こちょこちょこちょ~」


「きゃああああああ! やめてっ、お願い! わたしっ…くすぐり弱いの!」


「あっ、ちょっと、あんまり暴れんなって、雪ちゃん起きるだろっ!」


 びっくりするくらい花がでかい笑い声で笑うので、俺は彼女の口元を無理矢理抑えつけた。


「しっー!」


「んっー! んっ~!」


 完全に犯罪者の気分だった。

 俺はそのまま花の手首をぎゅっと握りしめる。

 花の頬がぽっと赤く染まった。やがて声は収まったのを確認すると、俺は彼女の口元から手を退かした。


「…………ごめん。やりすぎた」


「……ううん。わたしのほうこそ、うるさくしてごめんね」


 少し着崩れた衣服を整えながら、花は上気した頬にそって手を這わせる。

 なんだか無性に色っぽいのである。


 俺たちは、同時に隣で眠る雪ちゃんを見下ろした。

 小さな天使はすやすやと安眠を続けている。


「よかった……起きなかったみたい」


「ていうか、声でかいよ」


「あー! 蝶がやったのに!」


「だから静かに……マジで雪ちゃん起きるってば」


「むう、いじわるだっ!」


 頬をぷくっと膨らませながら、花がぶーたれた。

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