第62話 ユキちゃん襲来っ!

「まあ、蝶君ったらホントに大きくなったねぇ」


「……あ、おばさん! こんにちは」


「ぷふっ……アンタどうせ花ちゃんかと思ったんでしょ。自惚れてんじゃないわよ! バーカ! ダサ~、キモ!」


 実の息子をそこまで罵って楽しいのか! ああん!?

 さりげなく言葉のダメージはデカい。あんまり言われると傷つくので辞めて下さい。実際花が来ることを期待してたのも事実だし。


 俺は腰にへばり付いている幼女に一度目を落とした。

 まだ柔らかい髪は肩の辺りまで降りていて、汚れを知らないぷにぷにのほっぺ。大きな瞳とこれでもかというくらい長居睫毛。

 一年前にうちにやってきて以来の、従姉妹の雪ちゃんだった。


「雪ちゃん大きくなったねえ」


「えへへ~」


 雪ちゃんの頭を撫でてやると、彼女は満足そうにした。


 母さんとおばさんは夜まで買い物に出るということで、俺に雪ちゃんの子守を押し付けて、すたこらさっさと消え去っていった。


 あの……これでも一応受験生なんですよね……俺。だから勉強……あっ、聞いてないっすか。すいません。そうですよね。

 そのとき、母さんが俺に吐き捨てていったセリフはこうだった。


「アンタなんて今更勉強したところでなんにも変わんないわよ。平均よりやや下ののテキトーな文系大学行って、微妙な中小企業に就職して『仕事したくねぇ……』って入社三ヶ月以内に辞める運命なのよ。わかる?」


 いや、酷くね……? 息子の未来完全否定じゃない?

 それから、こうも言っていた。


「それよか花ちゃんでもウチに呼んでみたら? 雪ちゃんと一緒に三人でお留守番してなさいよ~! ……あ、でも雪ちゃんにはヘンなとこ見せちゃダメよ」


「ヘンなことってなんだよ……」


 俺はぼやきながらスマホを手にする。でも、そうだな……この際誘ってみるのも良いかもしれない。


『――今からウチ来ない?』


 短いメッセージを打ち込み、送信する。

 断られたらどうしよう。そんなん俺めっちゃ気まずいんですけど。その後なんて返事すれば良いんだ? 『あ、はい』って返せば良い?

 マイナス思考の悪魔が襲ってくる。俺は自分自身との戦いを繰り広げながらリビングを徘徊する雪ちゃんとまったり花の変身を待った。


「雪ちゃんは何歳になったの?」


 俺の声に反応して雪ちゃんがダァ――っとこちらに走ってくる。ニコニコした表情のまま嬉しそうに俺の前で止まると、小さな指が四回ほど折られ、


「ゆきねぇ、……えっとねぇ~、今……よんさい!」と教えてくれた。


「ん~、そっかそっか」


 俺は雪ちゃんの柔らかい髪を撫でながら微笑む。

 なんなのこの可愛い生き物は。何食べるの? 夢? ドリーム食べちゃう?

 俺の頭なでなでにうっとりする雪ちゃん。どうやら気持ちが良いようで、しきりに頭を擦りつけてくる。


 なんていう小動物感……! 花とはまた違った意味で胸がキュンキュンしてしまう。ロリコンに目覚めちゃったらどうしよう。このまま雪ちゃんと数日間一緒に居たらその可能性は格段に上がるだろう。俺は冷静にそう分析した。


 雪ちゃんを膝の上に載せて、俺たちはソファの上でゆったりとスマホの返事を待った。雪ちゃんは俺の指を頻りにいじくるのが面白いらしく、喋りかけながら遊んでいた。


 子供の感性ってなんでこんなに面白いんだろう。まるで俺の指が本当に生きているみたいに語りかけている。


「ゆきねえ、ゆきねえ、チョーと結婚するんだよ? いーい?」


 因みに俺の指に聞いているらしい。


「俺と結婚? 多分そのときにはもう俺はおじさんになってるよ」


 雪ちゃんが十八際になったとき、俺は三十二歳だ。……マジか。時の流れってヤバいな。


「いいもん! ゆきが好きだから結婚すんだもんっ、チョーのお嫁さんになる!」


 雪ちゃんは柔らかそうなほっぺたをぷくっと膨らませて、俺に飛びついてきた。


「ははっ、雪ちゃん強引!」


「ごーいん?」


「なんでもないよ。気にしないで」


「えへへ~、チョーもらいなの~!」


 彼女の素直な行為を受け止めて、俺は花とのことを思い出した。

 そういえば、花と“あの場所”で約束をしたのも丁度雪ちゃんくらいの年齢だったな。


 にんまりしている雪ちゃんの小さな鼻先を指でつんと突いてやると、彼女はにこにこと俺の胸に顔を埋めた。


「えへへ、ゆきはねぇ、絶対にチョーと結婚するからねぇ……おっきくなるまで待っててねっ!」


「ふふ、待ってるよ」


 本気で言ってるんだろうなと思う。

 俺もこのぐらいのときは心の底からそう思っていたというか、将来は花と結婚するものなんだと勝手に思い込んでいた。別の誰かが現れる可能性だとか、そういったものは一切考えてなかった。本当に純粋さだけで生きていた。


 ふと昔の自分に会っているような気になって、俺は少しだけ嬉しくなった。

 雪ちゃんの頬をむにっとつまんで、存分に遊ぶ。


 結局花からの返事は来なかった。既読も付いていない。

 用事とか……あったかな。

 少し残念な気持ちになってしまったとき――インターホンが鳴った。


 * * *


「へへっ、来ちゃったっ」


「お、おぉ……!」


 玄関の扉を開けると、そこにはにっこり微笑む女の子がいた。

 ええっ……何、超可愛いことしてきたんですけどこの子。スマホに返事返さずウチに直行してくるとか! ああ花さん……好きですっ!


「……ビックリした?」


「えっ、そりゃそうだよ!」


「やった! じゃあ大成功だねっ」


 最高の笑顔で、花がピースサインを作った。

 ちょっと前までは料理作りに来るだけでもどかしかったのに、今ではこんなにナチュラルな感じになっている。そういうのが地味に嬉しい。


「ふふ、なんだよそれ」


 くすりと笑って、俺は花の私服姿を拝見する。

 白い生足の見えるミニワンピに、サマーカーディガン。花の華奢さがより強調されていて途轍もない女子力を放っていた。もうね、キラキラしてるんですよ。…………可愛すぎかっ!


「……チョ~! このひとだぁれ~?」


 俺の背後からひょっこりと顔を出した雪ちゃんが、花とご対面。


「えぇ!? この娘は誰? 凄い可愛い~!」


 花は雪ちゃんを見るやすぐさま膝を折り曲げて、彼女の目線になった。


「従姉妹の雪ちゃん。……ほら雪ちゃん、初めましてでしょ?」


「……あっ、えっと……は、はじめましてっ、……ゆ、ゆきです! えっと……よんさいです」


 再び指折り数えながら雪ちゃんが萌えアクションを起こす。今度はそれに花が打ち抜かれた。目がハートになっている気がする。


「か、可愛いっ……! わたしは花って言うんだよ。よろしくね」


「うん!」


 元気なお返事に俺と花はほっこりした表情を浮かべながら、皆でリビングに上がり込んだ。


「あ! そうだ。はいっ、コレ……さっき作ってたの」


「え? あっ、ありがとう!」


 花が持っていた小箱を手渡してくる。中にはケーキが三つ入っていた。


「本当は蝶ママの分だったんだけど、もう雪ちゃんのだもんね~!」


「うんー! はなおねえちゃん、ありがとう!」


 花がにっこり笑って雪ちゃんの頭を優しく撫でる。

 そんな最中、俺は驚いていた。

 花にメッセージを送ってから数分。その間にケーキなんて作れるものなのか?


「花、もしかして……スマホ見てない?」


「え? どうして?」


「いや、なんとなく」


「……?」


 花が小さな鞄から自分のスマホを取り出し、通知メッセージを確認する。


「あれ? 誘ってくれてたんだ! 気が付かなかった」


 花も意図を理解したらしく、嬉しそうに笑った。

 どうやら花は、俺からのメールに気付かずにウチを訪ねてきたらしい。きっと、俺に会いに来るために。

 じゃないと俺からの連絡を受けてからケーキなんて作れない。つまり、俺たちはフィーリングまでピッタリだということだ。周波数が完璧に合致してる。


 こんなん俺浮かれちゃいますよ。ガンガン調子乗っちゃいますよ!

 どうやら花は、キスしそうになったあの一件をもう水に流しているようだった。てっきり気まずくなると思っていたけど、大丈夫みたい。


「なんだよー、久しぶりのラインだったのに」


 おどけたように言ってみる。


「……ん、そうだねっ」


 メッセージ画面をじーっと見つめた花は、素早くフリック操作をしてから、にっこりと笑った。


 瞬間――俺のスマホが振動する。


『お邪魔しちゃいます! あっ……ただいまっ!』


 スマホから視線を外して、花と見つめ合う。目の前に相手が居るのに、こうした端末を使ったやりとりがなんだか無性に恥ずかしくなって、俺たちはお互い頬を染め合ったあとに笑った。


「おかえりっ……」


 俺が恥を忍んでそう呟くと、「えーもう、なんだよぅ!」と花も身体を竦めて完全に照れていた。そのまま彼女は逃げるように一足お先にソファでリラックスしていた雪ちゃんの元へ向かって行った。


 花の背中は、凄く活き活きしている気がした。

 ちょっと前までは料理作りに来るだけでもどかしかったのに、今ではこんなにナチュラルになっている。そういうのが地味に嬉しい。

 花は、昔みたいにこの家を実家も同然と思えてるってことだ。

 それが、俺は無性に嬉しくなった。


 少しずつ――本当に少しずつ――。

 幼いときの二人とはちょっと違うけれど、距離は近くなってる。


 もし花と付き合うことになったら、このもどかしい距離感も変わってしまうのだろうか……そう思うとちょっとだけ寂しくも感じる。


 花が持ってきてくれたケーキを小皿に取り分けて、ダイニングテーブルに並べる。


「わあ、すごいケーキ! おいしそう! チョー! はなおねえちゃんのケーキなんかすごいよ!」


「ふふ、そうだね。……花と雪ちゃん何飲む?」


「あ、じゃあわたし紅茶が良いな」


「雪はりんごジュース!」


「りょーかい」


 二人の要望を聞いて、俺はキッチンへと戻った。


 カップに飲み物を注いでいると、幸せな午後であることを実感できる。

 リビングでは花と雪ちゃんが仲むつまじくお喋りに興じていて、まるで大きな子供を持った若夫婦みたいだった。


「チョーはやくー! たべようよー!」


 雪ちゃんが元気な声を上げる。その横でくすくすと笑う花の声が聞こえる。


「ちょっと待ってろってば~」


 俺はキッチンで紅茶とアップルジュースを準備してから、花と雪ちゃんの待つダイニングテーブルへと向かって行った。

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