◆3章 蒼き蝶に赤き花

第61話 ハロー、サマーサンシャイン

 全校生徒が夏期休暇を求め始めたのも束の間、すぐさま夏が到来していた。

 Tシャツ短パン姿に棒アイスって一体何処の小学生だお前は、と言いたくなるそんな穏やかな日常を俺は過ごしていた。


 既に夏休みも中盤戦。

 時間の過ぎる速さというものを改めて実感する。


 ところで俺と花はというと――……相変わらずである。


 高校最後の夏だというのに、まだ何の進展もしちゃいない。

 連絡先を教えあったのは良かったけど、電話やLINEはあまり使っていなかった。


 夏の暑さのせいだろうか。

 悶々としたまま、あれから一歩も踏み出せずにいる。

 ホント……何やってんだか、と自分自身に呆れながら俺は今日までうだうだとやってきたのである。


 でも――それはそれで異様にドキドキするものだ。

 連絡を取らずとも彼女が俺のことを想ってくれていることがわかるし、一人ベッドの上で電話しようかどうしようと悶々しながら結局LINEでどうでもいい一言を言い放ち――結果的に当たり障りのない解答が返ってくるだけで、俺は幸せなのである。めっちゃ楽しい。


 夏休み中、花と二人っきりで会うことはなくても、修学旅行で仲良くなったメンバー八人で遊びに行ったことはあったし、男メンツだけで俺の家で夜通し遊んだり、結構充実した夏休みを満喫できている気がする。

 そのせいもあるのかもしれないな、花との関係が進まないのは。


 いや……違う。

 修学旅行帰りのあの日――あの公園でキスの一歩手前までいったことを思い出す。

 途端に顔が熱くなって、モグラの如く穴の中に入りたくなる。


 あのときあんなに顔近づけなければ良かったとか、そういえば鼻の頭にニキビ出来てなかったっけ? とか、よくもまあ少女マンガみたいな台詞を言えたよなお前、とか。様々な要因があって、要は――、


 ……めちゃくちゃ恥ずかしい。なんだよ、あのときのイケメン補正かかった俺は。何が「からかってるの?」だよ。ハズいからさっさと死んでくれよ。


 ――これだ。きっとこれのせいだ。

 次に花と二人っきりになったとき、しっかり『俺らしい』対応ができるのかどうかは微妙だった。あわあわしながらきょどってる姿が目に見えてわかる。


 このままではいけないと思いつつも、肝心な一歩が踏み出せない。

 お互いを、異性として大好きだって気持ちがわかっているからこそ――昔なじみのある相手のそういった面にもの凄い照れくささを感じてしまう。


 とは、いいつつ……この部屋からは花の部屋がばっちり見えている。

 あちらもこっちを気にしているのか、カーテンがときたま無防備に開いていたりするから尚更なんだけど。

 つまりほぼ毎日、窓を通して寝起きするときは一緒なのである。


 特に取り決めていたわけでもなかったけど、窓越しにお互いの姿を確認して手を振るくらいのスキンシップはしていた。いや、これだって結構恥ずかしいんだけど。


 でも――そろそろケジメをつけなくちゃ。

 これだけ花のことを想ってるんだ。やっぱり好きってことだし、正式に男女のお付き合いをしたいと思う。


 キスだっていっぱいしたいし、他にも……恋人っぽいことがしたい。もっと近くで、一緒に居たいから。


 だから、俺は決めたんだ。

 この夏休みの間に花を誘って二人っきりで会って、交際の申し込みをする――!


 俺って…………重いだろうか?


 それが今のところ少々不安なところだった。


 * * *


 俺は机にかっちりと座っておペン様を走らせていた。

 一応受験生だ。日々勉強をしているのである。正面の窓を見つめると、チラリと花の部屋が見える。彼女の姿が見られたらラッキーである。きっと過去問の正解率は九〇パーセント以上だぜ!(そんなことはない)


 難問に対峙し続けていたせいか脳は糖分を欲していた。

 俺は切りの良いところでペンを置いて、大きく背を伸ばしながら天井を見上げる。


 ――ふと思う。

 花は、現状の俺との距離をどういう風に思ってるんだろうか。


 ――キスしてみてよ。


 あのとき、一体どんな気持ちだったんだろう。


 俺は身体と顔面の表情をふにゃふにゃと弛緩させならベッドに蹲り、放り出されていたリモコンを掴んでテレビの電源をスイッチオン。


 どうやら新作映画の舞台挨拶がニュースで取り上げられているらしい。

 盛大な拍手と共に、一人の男にマイクが渡った。


『はい、この映画は僕にとっての初主演作なので、非常に思い入れの強い作品です! スタッフ皆さんの気持ちがいっぱいの素晴らしい映画になってます……!』


 やっぱり役者の人はみんな綺麗で格好いいよなあ……となんのけなしに見ていると、「あっ」と素の声が漏れる。


 伊波匠だ。


 数多くのイケメンや美女がその会場には整列していたけれど、その中でも一際輝いていた長身のイケメン。女性人気の高そうな甘いマスクに、洒落っ気を極めたようなヘアスタイル。抑揚しっかりした、若干低めのセクシーボイス。

 まさにパーフェクトヒューマン。


 ――花は、伊波匠と知り合いなんだよなあ。

 格好いいだけならまだいいんだけど、こいつは嫌いになれないタイプの芸能人だ。きっと性格も良いんだろう。なんか滲み出るオーラが、他の芸能人とは違う。


 そこで俺は関連付けるように花がウチに泊まりに来たときのことを思い出す。

 夜中に、伊波匠が花に電話をかけてきたのである。あんな夜中の時間に電話かけて来るなんて、常識知らずのとんちきめ! やっぱりお前は悪い奴だ!


 俺は子供のような理由をテレビの中のイケメンにこじつけて、起こした身体を再びベッドへ埋める。


 今でも連絡取ったりしてんのかな……。二人はどういう風に話すんだろう……あんな大人気有名人と気軽に話ができたりするだなんて、想像出来ないな。


「…………」


 ――おいおいなんだよ。……まさか。


「芸能人にヤキモチかよ、みっともねえって。……バカか俺は」


 独り言だった。

 別に言わなくても良かったのに、気が付いたら勝手に口から飛び出していた。


 でも、もし伊波匠が花のことを好きだったとしたら……?


 ……俺に勝ち目って無くない?


 一瞬嫌な想像をしてしまって、俺はすぐにそれを頭の隅にはね飛ばした。

 花は……芸能事務所にスカウトされたんだよな。これからどうするんだろう。いつしか訊ねたとき、曖昧な答えで濁されたけどホントに女優を目指すのかな。


 最近の健治情報じゃ、花はどうも夏休みの間は受験勉強だけでなく演技のレッスンにも精を出しているらしい。

 だからだろう、昼間から夜まで彼女は家を空けることが大きい。俺が安易に花に連絡を取れないのは、それが原因の一つでもあった。

 まあ、俺も直接聞いた訳じゃないから真相は良くわからないけど。


 ――わたし、かわいいじょゆーさんになる!


 いつしか花がそう言っていたのを思い出す。

 幼稚園のお遊戯会で、俺やみんながやたらと彼女の演技を褒めたのがきっかけだった。そのときから、それが花の小さな夢になったのだ。


 でも、彼女は一度挫折してしまった。

 夢を諦めるという残酷な経験を、幼少期に知ってしまったのだ。


 そうして今――、花は少し大人になった。

 再び訪れたチャンス。

 今まさに、想い描いた世界に足を踏み入れるときなのだ。


 夢っていうものは、大きくなるにつれて儚く消えていくもんだと思う。小さいときは本気でも、いつしかみんな現実を知っていくからだ。


 だけど、花は違う。

 彼女はこれから幾らでも咲ける。夢を叶えることが出来る。

 幼いころから描いていた、それこそ本当の夢。叶えられるかもしれない夢……可能性があるなら、絶対に叶えるべきだよ。


 ドラマの真似事に付き合わされた日々を思い返しながら、俺はふふんと笑みを浮かべた。今にして思えば、小さかった頃の花は天使のようだった。


 応援してあげたい。叶えて欲しい。

 しかし同時に花が離れて行ってしまう気もする。家は隣なのに、変な気分だった。


 恋人だったら、こんな気持ちにはならないのかな。なんというか……パートナーになれるわけだし、不安な感じはぬぐい去れるのだろうか。


 いつしか自分の思考が利己的なものになっていることに気付く。

 俺が花と恋人になりたいのは保身のためなのか……? 花を自分の所有物にしたいって? それはなんでだ。好きだから? キスしたいから? そういうことがしたいから、付き合いたいのか?


 違う。ただ単純に好きなだけだ。

 せっかく告白したのに、なんだか胸が苦しくなって交際の本質的な意味が良くわからなくなっていた。


 俺と花にとって、それは一体どんなことになるのだろう。


 堂々巡りだった。

 俺は深い溜息をついて、答えの出ない難問を考えることを辞めた。


 モヤモヤした気持ちのまま、スマホを手に取る。


『つきあうってどういうことかな』


 変換するのも面倒くさくて、ただの文字列をいつものグループに送信。

 一瞬で既読が付く。


 誰なのかすぐわかった、ミッチーだ。

 彼はいつも十秒~二十秒以内に必ず返信を寄越すのだ。

 このグループ内では既読スルーや既読無視は絶対に起こりえない。何故ならミッチーという、LINEグループの管理者兼監視者が常に張り付いているからである。


 マメな男だからな。あれで。鬱々とした気持ちが少しだけ晴れる。

 ミッチーがあの顔でLINEを使いこなしているというそれだけで、なんかもう超面白い。女子並みにフリック入力早そうだ。


 頬を緩めながら彼の文章に目を通す。


『バタフライからラインくるなんて超(バタフライだけに、なんちゃって☆)珍しいじゃーんッ! つきあう!? それってどういうこと!? 詳細を求む! ああ~、そういやさ、近場に新しいパンケーキ屋が出来たらしいんだよね! バタフライ、今から暇? つきあってくんない? 俺食べたい!』


 いつも思うが、電子世界でのミッチーのギャップは一体なんなのだろう。妙にキャピキャピしてんだよな……。俺食べたい! じゃないよ、女子か! 君は俺と深夜にラーメン食いに行く方がずっと似合ってるぜ。


 これから外出してミッチーと対面したとき、「あっ……どうもLINEでキャピキャピのミッチーさん。ヨロシクッす」みたいな空気になるのは免れないな。


 だからって既読付いてんのに返事しないと、電話してくるしなあ。


「ょ、よぉ……バタフライ、俺のメッセージちゃんと読んでくれたか?」


 ――的な感じで何故か照れながら言ってくるし!

 やめろよあれ、絶対変だから! お前は俺の彼女か!


 さらにミッチーの面倒くさいところは、あらかた話題も片付いてじゃあそろそろ……っていうところで絶対に疑問文で返してくるところである。

 ようは確実な返信を俺に求めているということだ。


 いやあ……実に面倒くさい。

 まあ……面白いけど。


 スマホが再び振動する。

 次は藤川からだった。


『え! それってまさか赤希と遂に……ってこと? だったら相談に乗るよ!』


 藤川はというと、めでたく酒井と付き合うことになったらしい。

 どんな風なデートをしているのか、聞いても絶対教えてくれない。まあでも藤川のことだから真面目な付き合いをしてるんだろう。


『あ? 突き合うって? んなもん男女がやるずっこんばっこん的なことに決まってんだろ! 常識的に考えて……って――ん? 蝶、まさかお前……おい! マジかよ! ふざけんな、俺とお前の童貞の絆はこんなところで破滅ってわけか!?』


 勿論健治からだった。

 確かに変換しなかった俺が悪いですよ……?

 それは十分承知なんだけど、その解釈は無いだろ健治さん! 第一童貞の絆ってなんだよ! そんなもん何処へでも捨てちまえ!


 こんな下ネタ文が最新のメッセージだと、ふとしたきっかけで誰かに見られたとき大変なことになる。そそくさと何かを打ち込もうとしたとき――、


 ぽん、と心地よい音が鳴った。



『ってーのは冗談で、付き合う……か。哲学だな。“好きだから”“一緒に居たいから”、“キスがしたいから”、“エッチがしたいから”、“安心したいから”、“他人に取られたくないから”、“癒されたいから”……とかな』


『理由なんて人それぞれじゃね? 第一お前はバカなんだからそんなことで思い込む必要無し。そもそも見返り求めてする計算尽くな恋愛なんてぜってーつまんねーよ。理屈じゃねーって、気持ちの問題だぜ』


『俺らに相談してくるくらいなんだから、もうそれは赤希のことで頭がいっぱいってことだろ。お前どうせこんな思い悩んでる俺が今更付き合っても……とかクソめんどくさいこと考えてんだろ?』


『俺の格言を教えてやる! いいか、それは“気楽”だ! 付き合うなんてことに深い意味なんてねぇ! とりあえず付き合ってみるんだな! ただ隣にいるだけでもいいわけだし、恋人らしいことしてもオッケー。別になんもなくても、それは二人の問題』


『お前が交際申し込んで、赤希も希望したら付き合ったら良いし……(つーかダメになることとか無いと思うけど)その先は二人だけで決めることだ。他の誰かが口出したってしょうがねーぜ』


『ちょっとくらいわがままになってみ? 母性本能をくすぐるみたいにお願いしてみ? 他人の気持ちなんか所詮わかんねーんだからさ』


『一緒に居たいんだろ? その人にとっての特別な存在になりたいんだろ?』


『幼なじみとか関係ねぇよ。好きって気持ちがお互いあるなら、付き合うべき!』



 健治の長いメッセージをしばらくの時間ただ眺めていた。

 健治の言葉が、胸中でモヤモヤとわだかまっていたものを簡単に吹き飛ばした。


 考え過ぎだったのかも知れない。

 交際の本質とか――相手の為に一体何が出来るのかとか、そんなことをうじうじと考えていた。


 そういう問題じゃないんだ。

 多少わがままでも、許せちゃうような関係。

 一緒に仲良くいれて、安心できるような……友達のようでいて、でもそれとは違った男女の面もお互いに持っているのが、きっと恋人なんだ。


 理屈じゃない好きって気持ち。

 きっと、今の俺の気持ちは何があっても変わらない。


 好きだから付き合って、恋人になる。

 健治の言う通り、それ以外のなんでも無い。ただ、それだけだ。


 幼なじみだからか、確かにそういう部分で俺たちはお互いに照れてしまう面がある。だけど、それを見越してもやっぱ俺は花と恋人になりたいんだ。


 キスしたいってのも、それ以上のことも全部。

 俺は、花と二人でいつまでも仲むつまじく一緒にいたいんだ。


 ダメなところは、付き合ってみてから二人で決めていけば良い。

 別に交際したその日からいきなり恋人らしく振る舞わなくたって良いんだ。


 ……まあ、お互い照れくさくてそれどころじゃないかもしれないけど……いいんだ。先のことは二人で、時間をかけてゆっくり考えていけば良いんだから。


 俺は健治にお礼を言おうと指を滑らせたが、『んで可能なら俺もお前らの間に入れて貰って~あわよくば3ピ――』という追い打ちメッセージに落胆し、『ファック』と返した。


 俺の心無い言葉に、ミッチーは何故か自分が暴言を吐かれたと思ったらしく、そのあと頻りに俺のスマホは振動し続けるのであった。


 * * *


 リビングに降りた俺は、うきうきした心持ちで冷蔵庫から取りだしたジュースをコップに注いでいた。

 どうやらインターホンが鳴ったらしく、母さんが玄関に顔を出すと、懐かしい顔に合ったときのような声が聞こえてきた。


「……蝶ー! かわいいお客さんが来たわよ~! 早く来なさーい!」


 母さんのバカデカい声がリビングにまでこだまする。

 かわいいお客さん? 誰だそれ……。まさか花?


 内心少し期待をしながら、俺は口からコップを離して玄関へと向かっていく。


 すると、偉く可愛らしい声が響いた。


「ぁー! チョーだぁ!」


「え……、あれ?」


 にんまりと愛らしい笑顔を浮かべる幼女が、勢いよく俺の胸に飛び込んできた。


 ――だ、誰だこの子は!?

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