第59話 どうやってすればいい?

 俺たちは荷物を駅前のロッカールームに預けて、本格的にゲームセンターを堪能することにした。


「あ、うさうさだ!」


「よし、やってみようか」


 腕まくりをして、UFOキャッチャーにいざ挑戦。

 まさかの一発取りだった。自身で驚きつつも、歓喜の声を上げる花に謎のゆるかわキャラクター、うさうさを花に手渡す。


「ありがとう!」


 超笑顔でそんなことを言ってくるのだ。

「これが天使で無くてなんだと言うんだい? 神様」と、洋画主人公のようなことを胸中で呟きながら、花と一緒に格闘ゲームへとシフトした。


「えいっ! えい」


「ふっふっふ……全然当たってないぞー」


 戦況は、勿論俺が優勢だった。余裕のよっちゃんである。

 戦いの最中、俺は向かい側で声だけ上げる花の頑張る姿を想像して和やかな笑みを浮かべるのだ。「えいっ! えい」ってなんだよ、かわいすぎかよ。


「むうっ……あっ、蝶ママだ……! 蝶ママ~!」


「えっ!? ……マジで? 何処何処!?」


 突然の花の声に反応し、俺の全神経が母さんへと集中する。

 何処だ……一体どこにいる! こんなところを見られたりしたら、からかわれるだけでは済まないぞ!


「ふふっ……うっそー!」


「何っ……って――わっ、ちょ、やめっ」


 俺がディスプレイから目を離している隙に、花の空中コンボが見事に炸裂する。壁際に追い詰められ、決して地面に降ろしてはくれない。

 そしてそのままKOまで持ち込まれてしまった。

 あれ、意外と強くない……!?


「やったー! わたしの勝ち~」


「今のはズルだろ! 母さんを使うのは卑怯過ぎる!」


「ふふん、引っかかるほうが悪いんだもん」


「もう一回だ!」


 結局その後も何度かプレイし、花はその都度上達していった。結果は二勝三敗。

 俺もあまり格ゲーが上手いわけでは無かったが、まさか花に負けるとは思わなかった。


「じゃあね、ジュース飲みたい!」


 指をピンと立てて、花がにっこりと笑う。


「あ、パシリですね?」


「負けた人は黙って言うこと聞くんだよ~?」


 なんてルールだ。でもかわいいから許す。

 俺は即座に自販機を目指した。


 視界の中に販売機の光が入ってきた辺りで、俺の耳がとある掠れ声を拾った。

 何気なくそちらを振り返ってみると――、


 黒と金が混じった髪色に、無駄にでかい図体。

 そう、確か奴の名は熊沢。

 忘れもしない。花にちょっかいを出した挙げ句、俺を一発殴っていった野郎だ。


 熊沢は、二人の男友達と自販機の前にたむろしながら大声で喋っていた。

 理由は俺もよく知らないが、熊沢は少し前にうちの学校を退学になったらしい。なるほど、確かに他校の制服を着ている。暴力沙汰の事件しか思い浮かばないのが哀しいところだな。


 揃って隣に並んでる友達二人も、相当に夜露死苦(ヨロシク)してそうな奴らだ。類は友を呼ぶとはこのことか。

 くっ……早くどっか行けよ。正直顔を合わせたくはなかった。


 他の自販機探すべく、静かに俺が踵を返したときそのとき――。


「待って、蝶~! やっぱりわたしも行く」


 辺りをキョロキョロ見渡していた花が、俺の姿を確認すると笑顔でこちらに駆けてきた。

 花の視線が自然と俺の背後――熊沢たちのほうへと向いた。


 ――オーマイガー。

 そうとしか言いようが無い。これはマズいと思った矢先――背後から声。


「おぉー!」


 のろりと立ち上がる気配。熊沢は花の姿に気付いたようだ。


「……あっ」


 対面の花は熊沢と一瞬視線を合わせたらしく、すぐに気まずそうに目を反らした。すぐに俺の隣に近寄って、服をぎゅっと掴む。


 ――お、おお……頼られてる。

 素直に嬉しかったのが本心だが、これから一体どうしたものか……焦る想いが募る。


「よぉ……熊沢、百億年ぶりだな」とかふざけたこと言って相手が混乱している隙に逃げるか……?

 そんなしょうもないことを考えていると、熊沢の友達らしき人物の声が聞こえた。


「誰だよ」


「前の学校で唯一俺が失敗した女」


「あぁー! アレな。なんか変な男とセットだったんだろ」


 指に挟んでいたタバコを空き缶の中に押し込み、彼等は笑いながら立ち上がった。

 変な男とは俺のことだろうか。失礼しちゃうね。


「くく、今回もセットみたいだな。これはハッピーだ」


 何がセットだ。俺はハッピーセットのオマケか。

「くく、今回もセットだ。ハッピーでな」的な感じで常連客ポジションで某ファーストフード店にて毎度ハッピーセットを頼んでいるんじゃなかろうな。


「へぇー……結構かわいいじゃん」


 一人の男が舐めるような視線で花を見つめる。彼女を男の視線から逃れるように、俺は間に立った。

 熊沢がしっかりと俺を視認する。分厚い唇が開く。


「よお、久しぶりだな。名前知らねーけど」


「蒼希だよ」


 やはりそれなりに威圧感があったし、怖かった。

 ……しかしそんなとき、俺は彼がハッピーセットを頼む姿を想像してしまうのだ。何故だ! お前がハッピーとか言いそうに無いことを言うからだっ!


「なんだよ……何か用?」


 俺はあくまでシリアス顔を決め込み、熊沢を軽く睨んだ。


「いや? 別に」


 ニヤニヤした表情を浮かべながら、熊沢たちは俺と花を囲んできた。

 さぁ、この危機的状況をどう切り抜けるべきなのか……連中のキモさはスーパーデラックス級だ。さっさとこの場から退散したい。せめて花だけでも……。


「蝶っ……」


 花を確認する。大分怯えてしまっているようで、俺の服を掴む力が強かった。

 大丈夫だよ、と彼女に笑顔を返し安心させる。

 ――喧嘩はダメだ。三対一だし、絶対勝てない。それに花がいる。


「ねぇ、君……もう一回聞くけどさ、俺たちと遊ばない?」


 熊沢の唇が歪む――。


「い、いやっ!」


 花は過剰なまでの拒否反応をしてみせた。その姿を目の当たりにして、俺は瞳のの奥がかっと熱くなる。


「おい、約束したろ」


「は? なんの」


 ――どうやら、全く覚えていないらしい。

 あのとき、なんの為に殴られたと思ってる……?


 俺は力の限り拳を強く握りしめていた。

 そんな俺の想いなど知るはずも無く、熊沢は花に向けてぴっと人差し指を向けた。


「はい、確保ー」


「いやっ……」


「おいやめろ!」


 熊沢が花の手首を握り、乱暴に引っ張り上げる。


「そうそう、この女すげぇ抵抗すんだよ。お前らはそいつを抑えとけ」


「おお」


 男共が俺に近付いてくる。


「いやっ……きゃあっ!」


「ちっ……めんどくせーな」


 舌打ちをしながら、面倒くさそうに熊沢が背後を振り返ったとき――、

 俺は……思い切り彼の頬を固めた拳で殴りつけた。


「がっ……!」


 鼻からだらしなく血を垂らしながら、熊沢はその場に崩れ落ちる。


「蝶……!?」


「……ちょっとスッキリしたわ」


 じんじんと悲鳴をあげる拳の痛みなど、すぐに消え去っていき、瞬間的に熱した脳がすぐさま冷やされていく。


 ――や、やっちまった! この後どーすんだよ!? 全然考えてねえ!

 しかし、俺は考えるよりも先に行動することにした。


「花、行くよ!」


「えっ……ちょっと、きゃっ!」


「逃げるっ!」


 花の手をぐいっと引っ張り、俺たちはゲームセンター内を走り回った。

 このゲームセンターは地下にある。つまり、ここを出るためには地上へ続く階段しか逃げ道が無いのだ。そこを塞がれてしまえば、完全に退路は無くなる。


 俺たちは必死に走った。

 目的の階段には誰もいなかった。

 二段三段飛ばしでジャンプしつつ階段を上っていく。


 しかし――、


「……きゃ!」


「花!」


 花が、足を挫いてその場にへたり込んでしまった。


「大丈夫?」


「うん、平気っ……痛っ」


 かなり痛そうだった。俺のペースに無理に合わせてくれたせいだろう。花の為とはいえ、それで怪我させてしまっては元も子もない。


「……わかった。ちょっと……いい?」


「……ん?」


 小首を傾げる花を余所に、俺は彼女の首筋と脇の下に手を伸ばした。

 もうコレしかなかった。瞬時に俺の頭に浮かび上がった逃避方法とは……。


 ――お姫様抱っこ。


 踏ん張って花の身体を持ち上げる。

 改めて彼女の軽さと、肌の柔らかさには驚かされるばかりだったが、今はそんなことを言ってもいられない。


「わっ……わわ、蝶!?」


 顔が異常なまでに至近距離になってしまい、今まで走りっぱなしだったせいか彼女の乱れた吐息が俺の頬にかかる。


「お、お姫様だっこ……です」


「し、知ってるよっ……! もう……ば、ばか!」


 真っ赤な顔で反抗しているようだったが、花も状況をわかっているんだろう。それ以上は何も言ってこなかった。

 両手で自分の顔を隠しながら、されるがままだった。


 一度体勢を整え、俺は階段を駆け上がりそのまま逃亡した。

 体力の続く限り走り続けて、人気のない公園のベンチまで逃げおおせると、そこで花を降ろす。


「……あ、ありがとう」


「……はぁ、はぁ……つ、疲れたぁー」


 花がちょこんと座る横で、俺は全身びっしょりのままベンチに寝転んだ。

 彼女は目線を俺まで落としながら、呆然とした様子である。


「ちょっとビックリしちゃった……蝶がああいうことするの、初めて見たから」


「はは、その……ごめん。勝手にお姫様だっことかしたりして……それしか、方法思いつかなくてさ」


「えぇ!? ち、違うよ! あ、あの……男の子をやっつけちゃったことだよ! ……もうっ」


 またトマトのように真っ赤な顔の花。かわいい。


「ああ……そっちか。でも巻き込んじゃってホントごめん。……暴力、だよね、理由はどうあれ、これじゃアイツと変わらないよ」


 身体を起こして、ぽりぽり頭を掻きながら反省していると、彼女が俺の隣までそっと移動してきた。身体がふれ合うほどの距離だ。


「ううん……あの人たちと全然違うよ。蝶にね、ぐいって手を引かれたとき……ああ、やっぱり男の子なんだなぁ……って思ったの。……力、強いんだね。ちょっとだけビックリ驚いたけど……わたしのこと、守ってくれたんだね」


「つ、強……くはないと思うけどなあ……結局逃げたわけだし。あんな奴と真っ正面からケンカして勝てる気しないよ、俺は」


 褒められたのが無性に照れくさくて、言い訳をしながら花から視線を反らす。

 いつの間にか、辺りは夕暮れどきを迎えていた。


「ふふ、あのね。蝶が『逃げるっ!』って言い切ったとき、怖くて不安だった気持ちが全部無くなっちゃったんだよ」


「んー……確かに思い返してみればギャグ漫画みたいだったね。自分で言うのもなんだけど、はっきり言ってダサかったもん……あー、恥ずかしっ」


 あのときは本当に怖かったけど、今じゃもう笑い話だ。俺の脳内にこびりついた熊沢のハッピーセットが蘇る。


「でも……そこがきっと蝶の良いところだよ」


 俺の手の甲に、温かいものが重なった。


「……そ、そうかな」


 視線を感じて――花と目が合った。

 とても優しい瞳で、俺のことを見つめている。


「…………」


「…………」


 彼女が手のひらを重ねてきたことに、一体なんの意味があるのか……その真意まではわからなかった。


 花の優しい瞳が、まるで語りかけてくるようだった。俺のことが「好き」と。

 勝手な俺の妄想だ。でも、そう感じてしまってならない。

 本当に、どうしてそんなにも愛おしい顔が出来るのだろう……。

 無邪気な表情ながら何処か色っぽくて、とても花らしいと思える顔。


 彼女が瞬きをする度に――俺の胸がどくんと高鳴る。

 胸が苦しくなって。頭の奥がぼうっとして。身体が思うとおりに動かなくなる。


 言葉を交わすことも無く手だけを重ねながら、俺たちは瞳だけで見つめ合う。

 身体の中心から生まれる鼓動が一定のリズムで指先まで運ばれて、段々はっきりと鮮明になっていく。

 鼓動のリズムが花にまで渡ってしまいそうだった。

 我慢出来なくてじんじんする指先をぴくりと動かすと、花が口を開いた。


「……ね、ねぇ。どうしてそんなに見てくるの? な、何……?」


「……え。…………み、見たいから……?」


 突然の質問に、正直な気持ちを告げてしまった。


「……見たい?」


「花の目は、凄く綺麗だから」


 頭の中が真っ白になっていく。いきなり何を言ってんだとも思う。


「綺麗って……あ、ありがとう」


「い、いや……別にいいですよ」


「…………」


「…………」


 はい。


 ちょっと! さっきからなんなんだよ、この感じは! そしてこの空気!

 俺は一体何を言ってんの! ちょっとは冷静になろうぜ!

 でも花も花だ、いきなり手を重ねてきてどうしてそんなに見てくるの? とは一体何事か! 言わせたがりか! お互い黙って見つめ合っとけばそれで良かったのに!


 このお互いしおらしい感じの中に笑えない緊張感がある気がする……!

 控えめに言って、心臓が張り裂けてしまいそうだ!


「……な、何っ」


「……いや、なんでも……無いって」


 変な緊張で敬語になってしまうのはきっと俺の癖だ。それを不審に思ったらしい花が眉間に皺を寄せていた。


 そうして――お互いに言葉を発さなくなって、お互い見つめ合うことも無くなった。いつの間にか重なっていた手のひらも離ればなれである。


 夕日差し込む人気の無い公園のベンチ。四つほど並んだ一番端っこの場所だ。隣には照明ライト。きっともう少しで夕日も沈んで点灯することだろう。

 俺たちの前には、寂れた噴水の音だけが響いている。


 この妙な緊張感の中で、俺たちは一体何を話したらいいんだろう。

 花は何を考えてるんだろう。俺は何をしたらいいんだろう。



 ――――キス……とか?



 そんなことが、一瞬頭の中を通り過ぎる。


 い、いやいや……早すぎるだろう。つか何考えちゃってんだよ俺。ふしだらか! お前はふしだらなのかっ!

 花とキスだって!? バカも休み休み言え! そう心の中で反抗しながらも、俺の中では正反対の気持ちも混じり合っていた。


 そんなことを……花としている場面なんて、全然想像出来ない。


 でも、もしも…………。

 そうしたら、花はどんなキスをするんだろうか。……一体どんな風に……。


 考えただけで、顔が真っ赤になる自分がいた。

 隣に本人がいるせいだろうか。


 次の瞬間には、俺の頭の中でとある言葉が浮かんだ。



 キス――って、どうやってすれば良いんだろう。

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