第57話 家路にて

「はぁ~……」


 彼女の口から『好き』という言葉を聞いて、全身から力が抜けた。膝に手を突いて俺は頭を垂れる。


「ど、どうしたの!? 蝶……平気?」


 花が慌てた様子で俺の肩に手を触れながら、心配そうに顔を覗き込んでくる。


「……はは、嬉しいんだよ……ホントに、超嬉しいっ……」


 引いたはずの涙が、再び溜まってきたので、瞼ギリギリのところでなんとか抑える。泣いているところを見られるなんて格好悪い。


「……ふふっ、そうなんだ」


 花は、俺の隣に立って、ぽんぽんと背中を摩ってくれた。泣きじゃくる子供慰めるように。……まるで、聖母のような慈愛に満ちた笑みだった。


「な、なんだよ……」


「ううん、別に~?」


 おかしそうに花はくすくすと笑う。

 幼いとき、やたらとお姉さんぶる子ではあった。

 でも、それは今にして考えてみればとても子供らしい言動だったなと思える。何故なら、目前にの花は母性に溢れた本当のお姉さんになってしまっているのだから。


 彼女の成長した姿に喜びと一抹の寂しさを感じつつ、俺は口を開いた。


「一つ、聞いてもいい?」


「なあに?」


「……いつから、好きだったの?」


 そう訊ねると、花は照れくさそうに笑った。


「えぇ~……何でそんなこと聞くの?」


「知りたいから……じゃダメ?」


「んー……そうだなあ……いつの間にか、とかじゃダメ?」


 対面の花と合わせるようにして、にっと笑顔を浮かべる。


「……じゃあ、俺と一緒だ」


 とん――と肩に感触。花が嬉しそうに身体をくっつけてきた。

 幸せの絶頂の中で、俺は思っていたことを告白する。


「花にさ『蝶が幼なじみでよかった』って言われたとき、俺凄く嬉しかったんだ」


「…………幼なじみが蝶じゃないなんて、考えられないよ」


 真っ直ぐな瞳で、花がそう言った。

 溜まらなく嬉しくて、ついつい口角が上がってしまう。


「小学校……高学年くらいかな。ほら、あんまり喋らなくなったときあったろ? ……ホントは花とたくさん喋りたかったし、一緒に遊びたかった。……でも、あのときは女の子と一緒にいて仲良しだと思われるのが凄く嫌でさ。家が隣ってこと知ってる奴も居たし、本心と違うことしちゃってたかもしれない……変だよな、ガキの頃の俺はなんでそんなことばかり気にしてたんだろう」


「……そうだよ。わたし蝶と一緒に帰りたくって下駄箱で待ってたのに、つれなくされて凄くがっかりした」


「わ、悪かったって……男にだってそういう面倒くさいところはあるんだよ」


「あのときの蝶は酷かったなぁ……」


 花が得意げに俺の汚点を次々語っていく。

 でも、今の俺たちはそんな過去でさえ笑い話にすることができた。


「ふふホントだよ、バカみてー」


「あはは」


 そうやって俺たち二人が笑い合っていると、背後から数人の足音が聞こえてきた。

 よそよそしげな表情の健治が、俺たちの周りでキョロキョロしている。


「待って待って。二人だけの世界これ以上繰り広げないでくれる? 世界の片隅で俺たちみんな消滅するよ? それとも今すぐ消えて無くなれってこと? あーあ……ホント蒼赤カップルとんでもねえわぁ……ハハっ、羨ましい限りだよ、おめでとさん……チッ、このクソ蝶が! 羨ましいんだよこの野郎っ」


 俺の胸に掴みかかりながら、健治が涙を流す。これは一体どっちの涙なんだろう。

 健治に続くように、馴染みのメンバーが次々に姿を現した。一体何処から沸いて出てきやがったんだ……。


「あのもどかしかった花と蒼希もこれでいよいよ大人の階段を登っていくのね……ああ、あのかわいかった花が私の元から離れていく日がくるなんて……寂しいわ」


 佐藤がまるで母親のような瞳で、うるうると花を見つめている。


「亜由美、アンタは過保護過ぎだから! ……でも花おめでとう! あとでのろけ話の一つや二つ聞かせてもらうかんねー!」


 中嶋がぱちぱちと両手を叩きながら、花に飛びついた。

 そんな彼女らの影に隠れていた一人の男が、「バタフライ……お前は一体どうなりたいっていうんだ?」とやけにシリアスな調子で一人呟いていた。


 酒井と藤川は居なかったが、みんなは俺たちを祝福してくれた。

 本当に賑やかで、良い奴らだ。こいつらと生涯に一度の修学旅行を満喫することができて、俺は幸せ者だと思う。


「チューは? ねぇ、もうチューした?」


 花から離れた中嶋が、たたみかけるように俺たちに迫ってくる。

 それに便乗した健治が「初めての~ちゅう、君とちゅう~」と歌い始める始末である。なんだこれ。


「…………」


 花はだんまりのまま顔を真っ赤にさせていくだけだった。ならば、もう俺が頑張るしかないだろう。


「……バ、バカ! お前等やめろってば――」


 俺は、花を庇うようにして叫んだ。

 しかし――庇うために花に向けた筈の手は、あろうことか彼女の胸に接触してしまった。公然の場でまさかのセクハラである。何してんだお前。


 花はかあっとより赤面すると、その恥ずかしさを押し隠すように、俺の背後に顔面を押し付けながら、ぎゅっと抱きついてきた。

 柔らかな感触と、圧倒的幸福感が背中に凝縮する。はうあ! って感じだ。


 ――おいおいなんだこれ……なんだよこれはッ!


 その光景を見ていた中嶋たちも、流石に一瞬戸惑ったみたいだったが、すぐに調子を取り戻し冷やかしに戻る。


「……おぉっ~、ハグハグぅ~」


「ヒューヒュー!」


 やがて俺の顔にまで熱が上り、茹でダコのようになってしまった俺たちだったが、ゆっくりと身体を離すとお互いに背を向けた。


「……ご、ごめん」


「……う、うん」


 そんな俺たちを見て、健治が顎を撫でつけながら言った。


「……あのさ、この際言わせてもらっても良い? 何この漫画みたいな展開……それさ、あの……意図的なアレっすか? 赤希のおっぱい触っちゃうところまでどうせちゃんと台本があるんだろう! ええ!? こう、なんか恥じらいプレイ的な! そして俺への当て付けかっ! マジ爆発しろよぉぉぉぉぉぉぉ!! 赤希のおっぱい俺も触りてぇよおおおおおおおおお!」


「なんの嘆きだよ! うるせーなお前!」


 俺が声高らかに叫んだときだった――。


「――――バタフライッ!!」


 天空に轟くバタフライ。

 しーんと静まり返る一同。

 それが俺の名だと知っているものはこのメンバーだけである。


「俺は……俺はなっ、そう! お土産を買わないといけないんだよ! ……恐らく一人では手に余るくらいの最高のお土産をたくさん抱え込みたいと思っているんだ……だから、その……バタフライっ!」


「……え?」


 完全にこの場で浮いてしまっているミッチー。どうやら、どうしても俺の気を引きたかったらしく、苦渋の決断で告白したのだろう。その姿は見るに堪えなかった。

 最後にミッチーが呼んだ俺の愛称が、まるで縋り付くようだったせいかもしれない。


 心配しなくてもお土産くらい一緒に回ってやるから。

 安心しろミッチー。


 * * *


 結局藤川と酒井は見つからなかった。彼等を除いた俺たちは、現地のお土産コーナーに向かい、ミッチーが拗ねないように彼を話の中心に据えながら、買い物を楽しんだ。


 ミッチーは土産品を購入する際、保存用、観賞用、消費用と三つほどかごに詰めた。いや、なんだよそれお前バカかとは誰も言わなかったが、きっとみんな同じことを思っているに違いない。

 ミッチー宅が一体どんな家庭なのか、密かに俺は気になった。

 この修学旅行で保護者のような立ち位置だった中嶋曰く、ミッチーは土産巡りを俺としたくて仕方なかったらしい。なだめるのが大変だった、と笑っていた。


 そんなこんなで時間を消費していくと、あっという間に集合時間はやってきた。

 バスに乗ると酒井が既に座っていて、俺と目が合うと彼女はすぐに窓の方へと視線を逃がした。

 どうにも瞳が潤みがちで、頬が少し上がっていたので、何か良いことがあったのかもしれない。


 でも、それは、こっちも同じだ。

 どうやら、俺と酒井は無事に一つの恋を成功させたようだった。



 そうして長いバス旅がやってきた。

 長いようで、短かった修学旅行ももう終わりか……と、柄にも無く感傷に浸る俺。

 本当に色々あった三泊四日だった。


 ずっと好きだった幼なじみと距離がぐっと近づいた。

 いつも笑いが絶えない男同士の夜は楽しくて、眠る時間が惜しいとさえ思えた。

 大きな事件はあったものの、みんなが笑ってこの修学旅行を終えられるなら、それでいいと俺は思った。


 ――思い返せば、全然寝てないな、俺。

 揺られるバスの中で、突然睡魔が襲ってくる。


 ――でも、告白できた。


 ずっと溜め込んでいた想いを花に伝えることが出来た。

 俺への気持ちも聞けたし、それだけで満足だった。


 瞼を閉じると、真っ暗の世界の中でここ数日間のエピソードが瞬いた。

 数十年後、またこの日を思い返すときが来るかもしれない。そんなとき、きっと俺たちは今みたいに笑い合えるだろう。


 寝ている間にまたもや酒井と頭をごっつんこしてしまったらしく、その証拠写真が健治のスマホに収まることとなった。

「こいつはいつか俺の切り札になる、覚悟しとけよ、くくく……」と笑っていたが、そんなこと知らん。


 車内はエアコンが聞いたせいかとても暖かくて、それが余計に俺の睡眠欲を膨張させていく。スキーで普段は使わない部分を虐めすぎたせいか、全身筋肉痛だった。

 俺は泥のように眠った。



 やがてバスは空港に到着し、俺たちは北海道の地と別れることになった。

 飛行機に乗るとき、うんしょ、うんしょとかわいらしく鞄を収納スペースにしまおうとしている花に手を貸す。


 正直、筋肉痛が相当響いたが、見栄を張りたかったんだろう。

 男なんてそんな生き物だ。笑顔で嬉しそうに笑ってくれる花のためなら、なんだって出来るよ、とそんな恥ずかしいことを思ってしまったわけである。


 そうして、俺たちはまた隣に座った。(今度は女子グループの協力を得た)


 二人とも疲れていたせいか、あまり会話も無かったが、全然嫌な感じはしなかった。やっぱり花の隣はとても心地良くて、温かかった。


 ――“好き”なことを、もう隠す必要も無いんだな。

 そう思うと少し寂しい感じもしたけれど、この先に待ってるだろう楽しい未来のことを想像することに俺は忙しかった。


 恥ずかしそうにしている花と、少しだけ手を重ねながら俺はぐっすりと眠った。

 きっと花も寝たんだと思う。

 彼女の手のひらが次第に温かくなっていくのを、俺は愛おしく思った。


 ――夢の中では、行きの空港でトイレに流した健治の靴紐がでてきた。

 もっとロマンティックな夢が見られると思っていたのに、どうやら俺の脳はどこまでも平和を貫いているらしい。ごめんな健治。今度やるよ、俺の靴紐。



 空港に到着すると、順次解散となった。

 途中までは班のみんなと一緒だったが、徐々に別れ俺は花と二人っきりになった。


 家が隣なのだから当然だが。

 でも、なんだか……少しくすぐったかった。

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