第56話 四文字の言葉に乗せて

 ――元々はただの土だった。

 そこに、いつしか芽が出たのだ。


 俺はそれがどんな名前をしているのか知らないまま、ずっと気にかけていると――それはやがて小さな蕾(つぼみ)となった。


 成長するまでにはとても長い時間がかかったけれど、それらは大切な一分一秒だと思った。なんだか嬉しくて、俺はたくさんの愛情を持って世話を続けた。


 でも……水をあげているとき、ただ眺めているとき――何故だか胸にこみ上げてくるヘンな気持ちが、胸をもやもやさせるようになって……気持ちと、行動が一致しなくなっていた。


 そのときの俺は、本音を正直に表現できなくなってしまっていた。

 水をあげなかったり、踏みつぶしてしまおうと思ったりもした……。何度も。何度も。


 結局、出来なくて――。


 気が付いたときには、目の前に美しい花が咲いていた。

 俺は綺麗だなと言葉を零しながらも、その花に触れることが出来ずいつも遠目に見ているだけ。


 客観的な立場になって、深く考えてみた。この現象は、一体なんだろうと。

 物心がついたときからずっと一緒だった場所に生えた、小さな小さな存在の正体――。



 ――それが“恋心”だと、やっと気が付いたんだろう。



 だから俺は、今も昔もこの場所からずっと離れられないんだ。

 綺麗な花に、いつか蝶が蜜を吸いにやってくることを切に願ってる。


 そして、そんな臆病な蝶を手招きしてあげることができるのは、誰が何を言おうと――俺自身でしかないんだ。


 動かないと始まらない。――きっと、それが恋ってやつだと思うから。


 * * *


 混じりけの無い綺麗な瞳。悪戯に髪を弄ばれつつも、花は真剣な面持ちだった。


 一方で対面に好きな人を構えたままの俺は、途方に暮れている。

 彼女の質問の奥に見え隠れする本心に気が付いていたのに、俺は中々口を開くことができなかった。

 花に伝えたい想いの数々が頭の中に浮かんでは――消滅していく。

 それには一切の終わりが無くて、半ば永久的なもののようにも思えた。


 一体どんな表情をしていたんだろう。そんな俺の顔を窺った花が、無理矢理な作り笑いをしながら、チラリと覗き込んでくる。


「……言えないの?」


 少し困ったような。問題を先送りにしようとしている花の困惑した表情をまじまじと見ていると、胸が何故だかズキンと傷んで、おまけに瞳が軽く潤んでしまう。


「…………一緒に、居たかったから……だよ」


 震えた声が、喉から生まれ出る。


「そ、それって……」


 花の不安そうな表情が、自然と喜びの色へと変わっていく。

 そんな彼女を見つめていると、俺も唇の端をにっこりと上げた。


 それは口から衝動的に飛び出た一言だったのかも知れない。

 でもそれが、臆病だった自分の足枷をすべて壊してくれる。


 何も難しいことじゃ無かったんだ。

 想いを伝えるには、しっかりと相手の目を見て。口で伝えて。

 そうしないと……なんにもならない。


 俺がどれくらい君のことが好きかって……それを伝えることができるのは――昔から一緒で幼なじみの俺だけだ。


 今まで溜め込んできたこの気持ちを……正直に君に届ければいいだけなんだ。


 大丈夫……きっと平気だ。



 ――お前、今までで一番良い笑顔をしていると思うよ。




「好きだよ」




 やがて俺の声音が奏でたものは、自分史上最大の優しさに満ち足りていて。


 他に言葉は必要ないと思った。

 狂おしいくらい悩んだ過去のすべてを。

 一秒たりとも忘れたことの無い感情全部を表現できるのは、たった四文字の言葉だ。それらを舌の上に乗せて、羽ばたかせるだけで良い。


「…………」


「…………」


 瞬きをすることは無かった。

 互いの目を見つめ合ったまま、俺たちは沈黙する。


 花の表情は固まっていて、遅れて面白いくらいに頬を赤色へと染め上げていく。付随するように、俺も同じように赤面。


 まだ目は反らさない。小まめに瞬きをしながらも、しっかりと花を見つめ続ける。

 整えた髪型を夜風に弄ばれても、気にしない。


 ――ちゃんと……届いたかな、俺の気持ち。


 ずっとずっと……待ち続ける。花の返事を。

 しっかり君の口から紡がれる、俺への想いを聞きたい。


「…………す、好き?」


 花の瞳は涙でいっぱいだった。溢れ出そうだったけど、それをなんとか堪えている。夜の街頭が放つ輝きの数々が、彼女のそれを反射させていた。


「うん。好き」


 改めてもう一度言わせるなんて、花は容赦が無い。

 俺だって、とっても恥ずかしいっていうのに……ずるいと思った。


 照れ笑いを浮かべつつ、俺は再度想いをしっかり伝えた。

 これで聞き間違えることは無いだろう。誤魔化すのなんて許さない。


 すると、花は濡らした瞳をきらりとさせて、顔を俯けた。

 花の真っ赤な顔を庇うように、前髪が揺れる。


「……え、えっと……それって……その、好きって……あ、あのっ……なんていうかっ……わたしのことを……そのっ……」


「女の子として、君のことが大好き」


 花が思い悩んでいる問題点に、俺は正面からぶつかっていく。

 彼女が口ごもる理由も、真実から顔を背けそうになってしまう理由も、俺にはなんとなく理解することが出来できた。


 真剣な表情で言い切ると、花の頬が途端にぽっと染まり、耳の端々までその熱量が伝えられていく。


「……ぅ、嘘じゃない?」


 涙声で、花が呟く。


「……嘘、言ってるように見える?」


 急上昇していく体温を感じつつ、俺は無性な恥ずかしさを味わうことになった。

 頬を掻きながら、目線を少し反らしぎみに言った。


 それから視線を彼女の元へと戻す。

 今にも溢れ出そうだった花の瞼から、大粒の涙がぽろぽろと流れ落ちていく。


「……わたし、わたしっ…………ひっく……ふぇぇ~ん」


「うっ……あ、あんまり泣くなよ……なんか泣かしてるみたいだ」


「……そんなことないよ~! だって、だって~……凄く嬉しいから。……その、好きって言ってもらえて……わたしっ……うぅ……ひっく」


 花は嗚咽を盛らしながらも、眦から漏れ出る涙を頻りに拭っていた。

 止めどなく溢れる涙は、俺と花の間でずっと行き場を無くしていた気持ちを体現しているかのようで、彼女の泣き顔を見ていると、自然と俺の瞳も熱くなった。


「花は本当に泣き虫だな……ほら、こっちおいで」


 俺はくすりと笑みを浮かべて、身体を縮こませる花の肩にそっと手を伸ばす。

 か弱い身体をぎゅっと胸にしまい込むと、遅れてふわっと優しい匂いが香ってきた。居心地の良いこの場所に俺は何度も感動してから、彼女の後頭部をゆっくりと撫でていく。


 花は俺の胸の中でも、しゃくり上げて泣いていた。

 寧ろ、そういった行動を取ったことに涙してくれているのかもしれない。

 それがとてもかわいらしいと思った。

 月並みな言葉だし、正直何から? っていうツッコミは避けられないけれど、彼女のことを守ってあげたいと、そう思えたんだ。


「よしよし……大丈夫だよ」


 そんな風にあやしながら、俺の眦からもぽろりと雫が溢れ出る。


 俺なんかの告白で泣いてくれたことが、今はとにかく嬉しかった。


 * * *


「……泣き止んだ?」


「う、うん……」


 花は俺の胸の中で嗚咽を辞めると、力ない指先で服を摘まんでいた。

 俺の位置からだと、頭しか見えない。顔を傾けながら、花に訊ねる。


「……ね、花……顔、見せてよ」


「えっ……! ダ、ダメ……やだよっ!」


 頑張って顔を俯けようと回避行動を取ろうとする花の顎をようやく捕まえて、自分に良く見えるように、くいっと引き上げた。


「ううっ……い、今は……見たら、ダメだってば……!」


 泣きはらしたせいか、彼女のナチュラルメイクは少し崩れてしまっていた。おまけに少し目元も腫れぼったいような気もする。確かに、女の子はこの姿を見られたくないと思うのかも知れない。

 勝手な興味本位から、乙女心を理解してあげられなかったことに深く謝罪をしながら、俺は顔を背けて言った。


「……泣き顔だって、かわいいよ」


 本心だ。

 かわいくなるために、努力を惜しまない花は最高にかわいい。化粧映えする顔だと思うし、やっぱりお洒落をして綺麗になった花は、凄く素敵だと思う。


 でも、泣いている顔だって。怒っている顔だって好きだ。

 顔の表面を綺麗にすることはとても魅力的なことだと思うけど、俺は君の気持ちがまっすぐに感じられる顔が一番好きだよ。


 もう、すべてがかわいかった。感極まって泣いてしまうところも。泣き顔を見られるのが恥ずかしいと主張するところも。俺にとってはそのすべてが愛おしい。


「あ、ありがとう……でも、見ないでー!」


「あはは、ごめんって」


 花がぽかぽかと俺の肩を叩いてくる。

 笑いながらも、俺はとても幸せな気持ちだった。



 ――君は俺の幼なじみだ。あまり性別を気にしたことさえなかったくらいだけど……君はいつの間にか普通の女の子になっていて。


 本当に少しずつ、歩み寄れたと思う……ずっと隣に居たのにね。


 疎遠になっていってしまって……気持ちが離れてしまうんじゃないかと何度も思った。だけど、俺はどんどん君を好きになっていったんだ。


 大切な宝物みたいなものをいっぱい持っていたせいかもしれない。

 花とのたくさんの想い出の数々が、他人に語るような素晴らしいエピソードなんて一つも無いのだけれど、俺にとってはどれも混じりけ無く綺麗で。どれもこれも素敵なものだ。


 それを裏切らず、育んでいけたからかな。信じることができたからなのかな。だからこんなにも嬉しいのかもしれない。



「ね、ねえ……」


「何?」


 泣き顔のままの花が、赤くした瞳で、上目遣いにこちらを見つめてくる。

 でも、いざ俺と目が合うと大分恥ずかしいようで、ぷいっとすぐに視線を反らす花がそこにはいた。……あの、かわいすぎませんか。


「……な、なんでもない!」


「ふふ、なんだよ……って……あれ? ……スキ!」


「えっ!?」


 前方に広がる幻想的な風景の中で、俺は“スキ”という文字を見つけた。それは金色の光を紡いだもので、はっきりとそう見えた訳では無かったけれど、俺にはそんな風に見えた。


「ど、どこ……?」


「ほら、あの辺! なんかそうなってる気がする!」


 俺は、指先で中空に文字を残した。煌びやかな光の集まりに向かって、“ス”と“キ”を順番に描いていく。

 そうしていると……花が俺の胸に“すき”と書いてくれたことを思い出す。


「え~? わかんないよ~!」


「絶対あそこにあるってば! ほら良く見て!」


 夜景に指差しながら、俺は子供みたいにはしゃいだ。

 花は困惑したような表情ながらも、必死に探してくれている。


 まるで恋人たちのワンシーンのようだと思った。ふとしたときに、ついにやにやがこみ上げてきてしまう。


 俺は柵から離れて、花の背中を見つめる。


「あった。花にも見つけてもらう方法」


「へ……? どういうこと?」


「あ、こっち向いたらダメだよ。花は夜景見てて」


「え……?」


「いいから」


 花の柔らかい背中に指をくっつけて、俺はゆっくりと指を滑らせる。


「わ、わぁ……なんか……く、くすぐったい」








       ス








       キ








「…………ス? …………キ?」


「うん、スキ」


 今日はとことん攻めるな、俺。一体どうした? そう思いながら、花の背中から指を離す。すると、彼女はくるりと身体を反転させて、恥ずかしそうにしていた。


「……あ、ありがとう……でも、でもっ……恥ずかしい~!」


「なっ……! そんな反応するなよ! お、俺のほうがずっと恥ずかしいって!」


 花は真っ赤な顔を覆い隠すように、手のひらをばたばたとさせている。

 冗談っぽく笑いながら言えばいいのに、本気で照れてしまうからおかげさまでこちらまで恥ずかしくなってしまう。

 だから花はかわいいし、一緒にいて面白いんだけど。


 結局、あの夜に花が俺にしてくれたことを、そのままやってしまった。

 あの時起きていたこと……花に気付かれてしまっただろうか。


 でもまあ……今は秘密にしとこうかな。

 いつか笑い話に出来る日が来るまで、閉まっておくことにする。その想い出の箱を開けるとき、花と一緒に盛り上がれるだろうから。

 それが、俺は今から楽しみでならなかった。


「これで花も“スキ”を見られたね」


「……夜景じゃないのに? ……それでもいいのかな?」


「いいんだよこれで。だからこれで……えっと……し、幸せになれますよ」


「ふふ、だからなんで敬語なの」


 照れてしまったせいか、全然格好付かなかった。

 まあ……なんとなく俺っぽいけど。


 ――さて、そろそろ……いいだろう。


「でも……本当に夜景綺麗だね……ちょっと涙出そう」


「……さっきいっぱい出してたけどね」


 花が頬を膨らませながら、横からぽすっとパンチを繰り出してくる。

 俺たちは笑い合いながら、夜景に視線を戻す。


 そこで、俺は花に訊ねた。


「……花は……俺のこと、どう思ってるの?」


 今度こそ、君の口から聞きたい。聞かせて欲しい。

 俺への……想いを。


 花は、靡く髪を押さえながら、視線をこちらに向けてくる。


「…………もう知ってるくせに」


「……花の口から聞きたいんだよ」


 やっぱり相当恥ずかしいようで、彼女は頑なに言いたく無いようだった。

 お互い口を閉めると、少しの沈黙が続いた。でも、それは決して嫌なものではなくて、妙に心地良かった。


 やがて花は、赤み差した頬で、少し唇を尖らせながら……。


「……す、好きっ」


 とても小さな声で、そう言ったように聞こえた。でも実際は全然聞こえない。


「え……なんだって!? もうちょっと大きく! マジで聞こえないから!」


 別に俺は難聴系では無い。彼女の声が本当に小さいのだ。


「い、言ったもん……」


 花はぷくっと頬を膨らませながら、もじもじと顔を俯ける。


「何だよそれ! 花ずるいよ!」


「…………うぅ……だ、だから……好きっ~!」


 半ばやけくそになりながら、彼女は俺に向かって叫んだ。

 彼女の心からの声は、俺の胸に染み渡るように伝わって。


 そのとき、柄にもなく俺の脳内に思い浮かんだ言葉が、形を成す。


 それは、花の“すき”と俺の“スキ”だった。


 まずは君が“すき”と想いを告白してくれた。そして俺も、やっとの想いで伝えられた“スキ”の気持ち。


 そうして、俺たち二人が出した答えは――やがて“好き”になった。


 “すき”と“スキ”が重なり合って、その言葉が完成したような気がする。

 なんだかロマンティックな気がするのだけど、きっと俺はこれを墓場まで持っていくことだろう。


 恋は盲目って言うだろう。なら、頭の中でくらい好き勝手なことを考えたって、罰は当たらないはずだ。まあ、花には絶対に言えないんだけど……。


 だって、こんなポエムみたいなの……恥ずかしいじゃないか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る