第55話 何よりも綺麗なキラキラ
絶賛恋人募集中らしいバスガイドのお姉さん(29)の作った声が、マイクを通してバス車内に響き渡る。
「は~い! ではみなさん……押さない、駆けない、走らないでゆっくり降りて下さいね~」
窓に張り付いたクラスメイト一同は、到着早々にお姉さんの忠告をガン無視。我こそ先にと、醜い争いを繰り広げながらバスから降りて行く。
引率の先生から集合時間や注意事項などを聞き、やがて生徒たちは散り散りになった。しばらくは自由時間ということだ。
さて、花はどこかな……と彼女の姿を探し求めたとき、肩が何者かによって叩かれた。
「おいバタフライ、マジ行こうぜ」
笑顔が眩しいミッチーだった。マジ行こうってなんだよ。
内心で突っ込みを入れつつ、俺は表情を曇らせる。
「えっと……ミ、ミッチー……今回は、その……悪いんだけどさ」
こ、断りにくっ……! だって見てよこの顔。めっちゃ嬉しそうだよ。きっと俺と一緒に回りたくてワクワクしてたんじゃないだろうか、この顔は! うわぁ……そうだとしたら罪悪感ヤバいな。だけど、今回俺は花と約束があるのだ。
改めてミッチーの顔を窺ってみると……ミッチーはわなわなと唇を震わせ、言葉を失っていた。口角と眉が面白いくらいに下がっていて、まるで四コママンガのような切り替わり用である。
でも、どうやら俺の表情を察してくれたようだ。今にもぐずって泣き出しそうな子供みたいな顔ではあったけど。
「いや、ごめん……実は先約があってさ。今回は健治かなんかと行って――」
「……なんだよッ! 先約って一体なんなんだよ! 俺に内緒にしてよ! こっそり誰と会うつもりなんだよ! フライキャニオンと一緒に行けだって……? 俺は、俺はな……ッ!!」
お、おう……愛が重いぞ。落ち着け、ミッチー。
ミッチーは、まるでずっと胸に仕舞いこんでいた感情を解き放つように、すうっ――っと空気を胸いっぱいに取り込んでから、
「バタフライと行きたいんだよォォォォォッ!!」
「ちょ、バカ……叫ぶなよっ!」
大気を震わすような大声で、告白するミッチー。
周囲を歩く人々が、俺たち二人に注目する。
「何あれ~!」
「あれ二組の蒼希と三井じゃね? なんだ、ケンカか?」
勘弁してくれよ! なんだこの痴話喧嘩みたいなのは! 途端にざわざわとギャラリーがわき始める。
いや待って、学校でヘンな噂とか流れたらどうするんだよ! つーか寧ろそれを望んでるわけじゃないだろうな、お前! 計画的犯行じゃないよなこれ! 頼むよ、俺まだお前の友達でいたいんだからさ……信じるぞミッチー!
不安な気持ちが芽生え始めると共に、俺は群がる人々に視線を散らした。
すると、その中で花と目が合った。
彼女は顔を傾げたままきょとんとしていた。動物的なかわいらしさを感じる。
少し癒やされた俺は、直面する問題に立ち向かうことにする。恐る恐る、感情高ぶるミッチーに目を向ける。どうやら、彼の悲痛の叫びはまだ続くようである。
「誰なんだよ……なぁ、バタフライ。教えてくれよ! なぁなぁ……一体誰との約束なんだ! …………待て。さては……わかったぞ…………サウンドシー、なんだな」
「…………」
無言を貫く俺。何も突っ込まないぞ。
「そんな顔したってダメだ。何故なら……俺は知っているんだぜ? ときたまお前らが俺やフライキャニオンに内緒で宜しくやってるってことをな……。いつの間にかお前らプラっーっと仲良くなりやがって……なんだよ、お前は……その、俺と一緒なのよりも……サウンドシーと一緒に居る方が楽しいってことなのか? 俺は……ッ! 俺はなッ……!! ずっと……!! 今夜お前とこの夜景を見るのが凄く楽しみだったんだ!!」
「……ミ、ミッチー、ちょっと落ち着けってば」
なんで俺が浮気したみたいになってんだ!
男の嫉妬がこんなに面倒くさいなんて思いもしなかったよこの野郎!
「……いや、もういい。いいんだ……だがな、バタフライ……はっきりしろよ! お前はサウンドシーと俺のどっちと共に行動をするんだ! それともあえてのフライキャニオンなのか!? えぇ!? 答えて見やがれ! 男なら!」
全然良くねえじゃねえか! なんだその前置き! いらねえだろ! めっちゃ未練タラタラじゃん! 健治も混じってきて余計にカオスになってきてるし!
困惑する俺と、憤慨するミッチーの元に、足音。
そう、救世主である。
「は~い、お疲れ! お前、ちょっとこっちに来い!」
ギャラリーの中から突然中嶋が出現。彼女はミッチーの耳をぐいっと引っ張って、群衆の中へと足を進めていく。
「……や、やめろ! センターアイランドっ………待ってくれ! まだバタフライの返事を聞いてない! ク、クソッ……! おいっ、バタフライ! さっさと誰なのか言えよ! 時間が無い! 言わないって言うんなら……もう絶交だぞ! それでも良いのかよ! ほうら、この指切るぞっ、ああ、なんかこれはもう切れそうだ……多分持って後二秒ってところだな、この感じだと」
指切りのジェスチャーをしながら、ミッチーが挑発的な表情で俺を煽ってくる。
なんだコイツふざけてるのかと思うかも知れないが、この男、素です。真剣に悩み抜いた結果が、俺との絶交らしい。
「おい……! 早く……い、言えよ」
とりあえず歩行を止めてくれた中嶋に耳を引かれながら、ミッチーが焦ったように呟いた。
「絶交じゃなかったのか」
「……に、二分に伸ばす」
「ぶふっ……」
俺は吹き出した。
本当にバカらしくて、面白くて。
同時にもう言っちゃえ、という気持ちになった。
俺は花の方向に目を向ける。すると――ピッタリと波長が合ったように、また彼女と視線が合致する。
俺は花の隣へと歩き、家族に彼女を紹介するみたいに手のひらを向けた。
「……この子と約束してるんだ」
「えっ、あっ……あのっ」
突然の俺の行動に驚いた花がまじまじと俺を見つめてくる。
彼女の恥じらう表情を見ていると、なんだかこっちまで恥ずかしくなってくる。こんなギャラリーの中で、とても勇気が必要だった。でも、この後俺がしなければならないことに比べれば、大差ないことだ。
悪いけど、花にもこの寸劇を付き合ってもらうよ。
しかし、俺の言葉を聞いてもミッチーは頭にクエスチョンマークを浮かべたままだった。
「…………? なんだよそれ……一体どういうことだ? ちょっと待てよ。そいつ、フラワーだろ? フラワーとバタフライが約束? 男のバタフライが女子と約束……? ……ん?」
――うん、まあ確か『花』だけどさ……。
「そういうわけで、ごめんなミッチー。今日は……花と約束してるんだ」
「……み、三井くん、ごめんなさいっ」
俺の言葉に同調するように、花もぺこりと頭を下げた。
同時に周囲の人間たちがざわつき始める。対面の中嶋とミッチーも呆気に取られたようで、二人して口をポカンと開けていた。
やがて、空気を読んだ中嶋がミッチーの耳に力を込める。
「……ほら、あきらめなって! 寂しかったらアンタも好きな子でも見つけることね!」
「……好きな子? な、何を……言ってやがるんだ? ふざけるな! そんなチャラチャラした存在に俺とバタフライは負けない……! なぁ、そうだろバタフライ! そんな……嫌だ、嘘だと言ってくれ! ああもう、クソッ! なんだよこのザマは! くっ……痛てぇ! くそぅ……バタフライっ……、あ、後で……あぁぁぁぁぁっ~」
そのままフェードアウト。ミッチーは退場して行った。
「ったく、ホントにバカだなミッチーは」
「……三井くんって面白いよね」
俺たちはお互いを見合って、くすりと笑った。
すると――、たくさんの野次が飛んで来る。
「ヒューヒュー! 新しい函館山カップル第一号かー!? 羨ましいぞー!」
「約束って何ですか~? ふぅー!」
「あっ、なんか聞いたことある! 蒼希と赤希って確か幼なじみなんでしょー」
「え、マジで? 二人はもしかして付き合ってんの~?」
かわいいものから過激なものまで、俺たちを散々冷やかし終えると、空気を読んだギャラリーたちは退散していった。
「…………」
「…………」
取り残された俺と花。
とんでもない気まずさが俺たちの間には生まれていた。身体がくっつきそうなくらい隣に居るのに、真っ赤になったお互いの顔を見ることさえできない。
心臓がバクバクと高鳴って、冷や汗がつうっ――っとこめかみと、脇の下で同時に流れた。
「……なんだったんだろうな、今のは」
「……だって、蝶が……み、みんなの前でっ……言ったから!」
まるで沸騰したやかんの音が聞こえてきそうだった。花は顔を俯けたまま前髪を揺らしながらそう言った。
「ああ……それは……その、ごめん」
「……べ、別に謝らなくてもいいんだけど……その、ちょっと恥ずかしくって」
彼女の横顔をちらりと盗み見た。赤く染まった耳の先端が確認出来る。
その視線に気が付いたのか、花がそっと顔をこちらに向けてきて、俺たちは再び目が合った。
なんだか……とっても恥ずかしい。
俺は照れ隠しに顔をそらして、頬をぽろぽりと掻いた。
「…………い、行く?」
それが、精一杯の誘い方だった。
まあ、元々約束してた訳なんだが。一応、こう……当日のお誘いというか。
招待状は渡したけど、当日はやっぱりエスコートしないといけない訳だし……恥ずかしいけど。
「……うんっ!」
花はにっこりと笑って、歩き出す俺の横に並んだ。そして、にこにこと幸せそうに微笑む彼女は、俺の表情をチラチラ見てくるのだった。
「ふふっ、なんか……緊張してる? 平気?」
「な、なんだよそれ! べ、別に……緊張なんてしてないよっ!」
そのまま、夜景が綺麗に見られるところまで二人で歩いた。
人混みの中で手を繋ぐなんてことは出来なかったけれど、花の隣を歩けるだけで俺は幸せだった。
「わぁ~……すっごい綺麗っ!」
「ホントだ、すげー!」
それは、圧巻の一言。
煌めく光の街が、そこにはあった。
暗闇に包まれる世界の中で様々な彩りの光子が瞬いていて、まるでこの街全体が意思を持っているような、そんな強い生命力のようなものを感じる。とても神秘的な空間に目を奪われたら最後――見開いた瞼は瞬きさえ忘れてしまうのだ。
「……ホントに綺麗だね」
「うん、綺麗だ」
「……わたし、こんなの、初めて見た」
「……俺も」
この会話レパートリーの少なさ! ……俺って相変わらずだよな!
胸中で叫びながらも、なんとか気にしないようにする。
まあ、今日は夜景を見に来た訳だしね。会話量はそれほど重要じゃ無いのさ。要は……雰囲気が良ければそれでいいんだよ!
脳内で甘ったれる己と格闘しつつ、目線は夜景へ。心は花へと向ける。
すると、花が言った。
「……その、ありがとう」
「……え? 何、突然」
花からいきなりお礼を言われて驚いた俺は、少し半笑いで訊ねた。
「だ、だから……ありがとうなのっ!」
「なんなんだよ!」
「い、色々……! 今回の修学旅行は……その、本当にたくさん迷惑をかけちゃったと思うし……それに、楽しかったから」
「……別に、そんなのいいのに」
「…………どうして?」
「そりゃ、俺がしたいことしてるだけだからね。スキーを教えたかったのも、遭難した君を探さなきゃ、て思ったのも俺の勝手だよ。……俺たち、幼なじみだろ? いいじゃん、そんなに堅くならなくってさ。……夜景誘ったのだって……その、花と……ふ、二人でっ」
「蝶……」
花は夜景から、身体を俺へと向けた。
茶色の瞳は少し潤んでいて、夜景のようにキラキラ輝いている。
美しい夜景より、ずっと幾つもの色が含まれている気がする。その吸い込まれるような瞳を前に……俺は言葉を失う。
「…………」
「…………蝶?」
「……ん、ああ。髪に……ゴミが付いてるよ」
「え、嘘!」
指を通せば、きっと一度も引っかからず流れていくだろう流麗なストレートヘア。
その毛先に俺は一瞬触れて、ゴミを取り除くフリをした。
本当に……花の瞳を真っ直ぐ見つめ続けていると、耐えられなくなってしまう。
眩しくて。かわいくて。素敵で。…………大好きだから、余計に。
「はい、取れたよ……花?」
花の髪から手を離すと、彼女は頭を垂れたまま前髪で表情を隠して言った。
「……あのね、今日、夕ちゃん告白するんだって」
「……そうなんだ」
「夕ちゃんから夜景見るの誘ったんだって、そう言ってたよ」
「へえ……あの酒井がねえ、やるじゃん」
「…………」
花は顔を上げて、煌めく背景を背中にした。
夜風に靡く髪を押さえながら、彼女はまっすぐ俺を見つめてきた。
「……聞いてもいい?」
花には似合わない、憂いの表情。
何かに怯えているような。でも、何かを待っているような。
「どうして……わたしを誘ったの?」
俺たちは――瞬きもせずに見つめ合った。
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