第54話 恋する幸せと、その覚悟

 一夜明けると、灰色の雲はなりを潜めた。代わりに、清々しい青空が俺たちの頭上に広がっていた。


「ほら、早くおいでよ」


「ま、待ってよ~」


 スキーブーツをふかふかの新雪に突っ込みながら、俺たちはコースラインへと戻るための傾斜を上っていた。苦戦する花の手を掴んで、ぐっと彼女の身体を引き寄せる。

 二人で協力すること数分――ようやく登り終え俺はふと後ろを振り返った。……そこには昨夜とは違った景色が視界に広がっていた。

 夜の間に積もった雪が太陽の熱で溶け始めていて、一日世話になった岩壁が水気を含んでキラキラと輝いている。


「……わあ、綺麗」


 花も同じ想いだったようで、頬を紅潮させながら両手きゅっと握ったままそう言葉を漏らした。


 ――昨日の出来事は、俺にとって忘れられない想い出だ。

 花の正直な気持ちを知ることができたのだから。


 ――“すき”って、胸に書いてくれた。花が。……あの花がだ。


 俺は照れてしまいそうになる頬をぱちんと叩いて、ちらりと花に横目を向ける。すると彼女もびくりと身体を竦ませ、やたら瞬きの多くなった瞳でこちらを見つめてきた。


「……き、昨日は良く眠れた?」


「うん……どうして?」


 何故確認してくるのか、なんとなくわかっていたけれど、俺は質問を繰り出す。


「えっ……あ、あの。聞いてみただけ……その、寒かったじゃんっ」


 言葉を詰まらせながら、花は途端に早歩き。俺を追い越してさっさか進んで行ってしまう。


「花、危ない!」


「ふぎゃっ!」


 予想通り花は盛大に転んでしまった。勿論頭から。

 結果、白い地面に人の形をした印が出来上がってしまう始末である。


「ドジっ娘……ほら、手」


「ふふ、やってしまいました……えへへ、ありがとう」


 伸ばした手を彼女が掴み取る。

 手のひらの内側はとても温かくて、皮膚が少し擦れるだけで胸がドキンと揺れる。


「…………」


「どうかした?」


 花の身体を起こしてから手を離すと、花がぽけっとした表情で俺を見ていた。


「なんか、今日いつもと雰囲気違う」


「えっ、俺?」


「うーん、ちょっとだけ大人っぽい……というか」


「そ、そうか……?」


 少しドキリとする。実は昨晩、超重要イベントを終えて急成長したせいか心身共に紳士的行動がデフォになってる僕です、なんて口が裂けても言えない。


 結局、昨日は全然眠れていない。花の気持ちを知ってしまったときからずっと、俺の心臓は休む暇も無く活発に活動を続けているのだった。

 それにしても……本当に凄かったな。色々と。正に夢のような時間だった。序盤は少し危険だったけれど、良く何もしないで己を貫けた俺! よく頑張ったぞ俺!

 身体に乗っかられて“すき”って書かれたときなんて、頭の奥がジーンとして麻痺したみたいだったのに。あそこで花に襲いかかってもみろ、永遠の性犯罪者として吊るし上げの刑にしてやるぞ、翌日の俺が。


 そんな真実を胸の中に仕舞いこんで、俺は彼女の言葉の意味を一考した。

 ――大人か。もう十八歳だけど、そもそも何歳からが大人なんだ? やっぱり成人してからなのかな。ピンクの向こう側は正式に解禁されたはずだけど、一応学生だし、やっぱり社会的にはまだ子供なのかな。

 しかし、俺は自分のことを子供とも大人とも思っていない。丁度中間付近を彷徨っている年齢なのではないか、十八歳とは。


「……うん。わたしたちも、いつか大人になるもんね」


 身体に付着した粉雪を払いながら、花が言った。


「もうお互い十八歳じゃない? 高校卒業したらさ、もう世間的には大人になるんじゃないかなあ」


「……そうだね」


 花と丁度思考が重なっていたらしい。内心驚きつつも、俺は平然を装った。


「きっと今だけだよね。少し大人っぽく背伸びをしてみたり、子供みたいに駄々こねたり、都合の良いときだけ変えちゃうのって」


「…………」


 花の方に顔を向けると、途端に彼女は耳を真っ赤にした。


「あ、ごめんねっ、偉そうに語っちゃって! 思ってただけだから! 絶対そうじゃないといけないとか、そういうの無いと思うし!」


 慌てふためきながら花は両手を胸の前で交差させる。俺は笑みを浮かべながら彼女に近づくと――熱を持った恥ずかしがり屋の耳たぶに触れた。


「……耳、真っ赤だね!」


 ついつい嬉しくなってしまって、俺は指先で花の耳たぶをこねくり回す。


「やっ……! ちょっと……何っ! 余計に恥ずかしくなるでしょ……! そのっ……あ、あんまり、意地悪するなら仕返しするよ!」


「おっ、花が仕返しするの? いいよ、やってみなよ」


「わたしのこと馬鹿にしてる!」


「はは、してないってば」


 むっと膨れる花を横目に俺はにやにやを抑えきれない。何これかわいい。なんだろう、この抵抗する小動物感というか。ああ、堪らない。

 そして次の瞬間――、


「負けないもん!」

 と、花は全身を使った捨て身タックルで俺に飛びかかってきた。そのおかげで俺は花を胸に乗せたまま、白い地面に倒れ込むことになった。


「……ど、どうだっ! ……ま、参った?」


 花が気恥ずかしさを紛らわせるように言った。大分恥ずかしかったらしい。柔らかなものを俺の胸板に押し当てながら、彼女は俺の両耳をぎゅっと抓っていた。


「わ、わかったよ……ごめんってば」


「…………じゃあ、退く」


 頬をほんのり染めたまま、花がそっと俺から身体を離した。

 そして、数秒後――俺たちは、急激に顔全体を赤くさせるのだった。


「い、行こうか……」


「う、うんっ……」



 俺は目の前にいるこの子のことが、とんでもなく好きだ。そして、驚くことに彼女も俺のことが“すき”だと知ってしまった。

 きっと、勇気をだしてくれたはずだ。例え俺が眠っていたんだとしても。


 それで……俺はどうするんだ?



 一体、いつになったらいつするんだ……――――告白。



 俺が勇気を出さないでどうする!? 男子の特権だろ!?(いや知らんけど)


 ずっとずっと悩んでいた。でも、これほど好きな気持ちを相手にしっかりと伝える自信が無くて。綺麗な形にしてから贈りたいとか、そんな馬鹿なことばかりを考えてしまう。怖さもある。想いを告げたときの花の表情の機微が、今から気になる。果たして喜んでくれるのか正直わからない。


 簡単では無い。当たり前だ。言葉の通り、それは『愛の告白』なのだから。俺の“好き”な気持ちは、そんなに軽いものじゃない。


 でも、もう決めたんだ。


 やっぱり君のことが好きだから。

 ずっと昔から、誰よりも堪らなく花のことが大好きだから。


 もう我慢出来ない。

 綺麗で無くても良いから、ぶつけてみたい。

 滾る想いは熱いうちに、だ。


 ちゃんと俺の言葉で、『好きです』、って。


 今までずっと温めてきたこの想いを――ちゃんと彼女に伝える。


 俺の幼なじみ、赤希花に――。


 * * *


 俺と花は無事にホテルへと帰還を果たした。

 自体はとんでもなく大きな問題に発展する一歩手前だったらしく、本来なら昨日の夜のうちにホテルを出立する予定だったところ、予期せぬ緊急事態に学校側は延長でもう一泊するという決断をしたらしい。


 俺は担任の先生からゲンコツを頂き、そのあと撫で繰り回された。

 そして、なんと……驚きの一言が彼の口内から飛び出たのだ。


「さぁ! みんな揃ったな。予定は少し狂ったが、函館山に行くぞー」


 普通に行けなくなると思っていた。歓喜の声が生徒たちから湧き上がる。


「高校生活で最後の修学旅行だ。函館山を楽しみにしてる生徒もたくさんいるしな。深く考えるな、何があろうと函館山で占める、歴代の卒業生はみんなそうだぞ!」


 と笑いながら先生は笑った。

 その言葉を聞いた時、嬉しさのあまり俺は跳び上がってしまった。


 花と約束したんだ。一緒に函館山の夜景を見ようって……。



 と――いうわけで……。

 俺達は修学旅行最後の想いで作りの為、函館山にバスで向かっていた。


「……ちょっと、さっきから何ニヤニヤしてんのよっ」


「なっ……勝手に人の顔を覗くんじゃないよ!」


 隣の酒井にじろりと睨み付けられ、恥ずかしくなって言い返した。


「……キモーい」


「キモくない! ちょっとだけ……その、思い出し笑いをしただけだ」


「……嘘だね~、どうせ……その、スケベなこととか考えてたんでしょ」


「ス、スケ……べ!? ……だと。なんか久々に聞いたな、その言葉。てゆーか健治基準にしないでよ、男子のそういう面を」


 俺が言い終えると、酒井は微笑んで声のトーンを少し変えた。


「そういえば蒼希さ……この前花ちゃんのこと名前で呼んでたよね」


「……め、目ざといのね、あなた」


「ふふ。優等生舐めないでもらえる? それに蒼希って今まで花ちゃんのこと苗字でさえ呼んでなかったのよ。それが急に名前呼びだなんて、気が付かないわけ無いでしょ」


 くすりと笑われてしまう。そして悪戯な表情で、彼女が質問してくる。


「名前で呼ぶの、恥ずかしいわけ?」


「そ、そんなことないけどさ……」


「でも今日はビックリしちゃった。蒼希ってば本当に花ちゃん連れて帰って来るんだもん……ちょっとだけ、カッコイイって思っちゃったよ」


「あ、俺に惚れちゃったってこと? いやあ、照れるなあ」


 冗談めかしてそう言うと、酒井は呆れたように溜息をつく。


「……あほらし。惚れないってば。馬鹿な蒼希より藤川のほうがずっと良い」


 酒井の口から藤川の言葉が出てきたのは意外だった。


「お、藤川好きなのもうオープンなの?」


 酒井の顔を覗き込んでみると、彼女は余計に顔を赤くした。


「いっ……そ、そういうのはさ、あんまり言わないでよっ」


「はは、かわいい」


「か、かわいくないよ」


 酒井が顔を俯けて髪の隙間から赤く染まった耳を見せた。

 どうやらかわいいと言われ、照れているご様子である。

 ……面白い。そして悪戯考えつく俺だった。


「ふふ、かわいいかわいい」


「全然、かわいくなんか無いってば……」


「えー、かわいいじゃん。……その髪留め」


「え、髪……?」


「うん、かわいいよソレ」


「……ああ、そう?……あ、ありがとう」


 うわこれ恥ずっ……。

 自分で仕掛けて置いてなんだけど、これはキツい。

 次第に酒井は先ほどとは比にならないくらいに耳を真っ赤にさせて、顔を俯けた。

 が――しばらくしてから彼女はバッと顔を上げた。

 真っ赤な顔で、引きつった表情で俺を見つめてから、こう言った。


「わかった! 花ちゃんのこと好きなんでしょ!」


「あっ――この!」


 出たな! 妖怪好きなんでしょ!

 顔真っ赤にしながら反撃してきやがったよこの子! 幸いバス内は騒がしく、当人に聞かれる心配は無さそうだが、用心に越したことは無い。

 俺は軽口を叩く酒井の口をぐっと押さえ込む。


「んんっ~!」


 そして、なんということか……その瞬間を健治が見ていた。


「……あ、悪ぃ……俺なんも見てねーから……あ、すいません続けて下さい、はい」


 健治はニヤニヤしながら頭下げた。

 なんだその憎たらしい顔は。何を続けろって言うんだ!

 そんなこんなでバスガイドのお姉さんによる楽しい函館山の歴史やあれやこれを背景に、俺たちは楽しい一時を過ごした。


 近頃では霧が出やすいらしく、綺麗な夜景を見られないことが多いという。だが、神様は俺たちに味方したらしい。本日は快晴。最高の夜景が見られそうだ。


 ふと隣の酒井が気になって、俺は訊ねた。


「藤川に……告白の返事するの?」


「……うん、まあ。あんたも、花ちゃんに告白しなよね」


「…………告白」


「……意外と奥手なんだね。わたしとやってるようなノリで言っちゃうようなタイプにも見えるのに」


「黙れっての!」


 ――そうである。

 この函館山は、絶好の告白チャンスなのだ。


 ――夜景の中に『スキ』とか『ハート』って文字を見つけるとね、両思いになれるんですって――。


 養護教諭の百瀬先生が言っていた言葉が、俺の頭にはまだ残っていた。

 花と一緒に……見つけらたらいいな。それで、俺の気持ちも伝えられたら……。


 花、どんな顔するだろうか……。返事とか、くれるかな。


 そんなことを考えていると……。


 ああ……、ヤバい。

 心臓がバクバクしてきて、おさまりが効かなくなってくる。

 本当に今夜告白するのか? 今が絶好? 間違いない? いやでも今日しかないだろ。


 幾つもの想いが、小さな頭蓋の中を無尽に駆け巡る。

 勿論俺は女子に告白などしたことも無いわけだが、ここまで緊張することだとは思わなかった。

 それでも、花は俺に伝えてくれたんだ。想いを。それに答えないと、俺も。


 ときに苦しくて、逃げ出してしまいたくなる。でも、嬉しくて飛び跳ねたくなってしまうときもある。なんなんだろうか、この気持ちは。

 一人の人間を好きになったことで、いつもは引き出しの中にしまってあるような様々な感情が顔を出すのだ。


 右往左往しながら、たくさん悩んできた。本当に何年も。

 でも、俺は幸せだったのかもしれない。


 恋する幸せを、肌で感じることが出来たのだから。


「はーい! 函館山に到着です~! では皆さん、男の子も女の子も是非気になるあの子を誘って両思いになってみては?」


 バスガイドのお姉さんの声と、社内の男女の黄色い声が響く中で、


 俺は――覚悟を決めた。

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