第53話 指先に込めた想い
会話もすっかり途切れてしまい、数十分が経った。
花は相変わらず背中をこちらに向けたままで、そこには俺の肩が接触している。
彼女の温かい人肌を服越しに感じつつ、俺の胸には妙なモヤモヤが募っていた。
――ホント、何してるんだろうな。
昔からずっと好きだった女の子と紛れもなく二人っきり――だっていうのに……。
――“好き”って言えない。
儚くて、凄く大切な、俺の一番の気持ちが伝えられない。
簡単に口に出せないこの想いをなんて言ったらいいのかわからない。
「花…………もう、寝た?」
「…………んっ~?」
返答があった。彼女は眠そうな声で寝返りを打って、瞼を擦りながらこちらを見つめてくる。
蝋燭に点った火が、しっかりと花の白い肌に彩りを与えほんのりと赤く染まった。
彼女は、長い睫毛を瞬かせてもぞもぞしながら、俺の腕をつんつんと突いた。
「どうしたの?」
「……手、繋ぐっ」
「なっ……何、寝ぼけてんの?」
「寝ぼけてないもん」
「……ほんと甘えん坊だな、花は」
そうは言っても、花は俺の腕を指でちょんちょんするのを辞めてくれない。俺はやれやれといった具合に彼女の手を優しく握ってあげた。
「ふふ、温かい……んふふ~」
「ん、おやすみ」
満足そうな花の笑顔を見ながら、自分史上最高の横顔でやれやれ系イケメンを気取りつつそうキメた。なんだよ、俺ただのイケメンか。超絶紳士かよ。
「んぅ~、おやすみぃ」
花の寝ぼけた声が洞穴に反響する。彼女はそのまま穏やかな表情で瞼を閉じた。
俺の目前には小さくてかわいい彼女の美しい顔があって、他に邪魔なものは一切無い。
至近距離で、いくらでも見放題だ。眼福とかそんなレベルじゃない。
もう……幸せだった。
――か弱くて。愛おしくて。
絡ませた指からは、体温の高くなった花の温もりを感じる。
俺は手持ち無沙汰で冷えてしまったほうの手を、彼女の頭へと持っていく。柔らかい花の髪を何度か撫でてから、ぷにっと柔らかい白肌を突いた。
すーすーとかわいらしい寝息を立てる花で遊んでいると、自然と笑みが浮かんでしまう。
「ふふ、かわいい」
二人で居ると――楽しい。嬉しい。かわいい。
幾つも脳裏に浮かぶ素敵な感情たちが、俺をさらに穏やかにさせてくれる。
――ずっとずっと、一緒がいいな。
頭の中で何度も何度もその言葉を反芻させてしまう。
俺、――やっぱり花が好きだよ。
でも、きっと素直になれない素直さなんかじゃ君にはなんにも伝わらないね。
そんな俺の想いも知らず、あどけない表情を浮かべる花がなんだか面白くて、俺は一人でまたくすりと笑ってしまった。
こうして今横で花の寝顔を見られることが、俺にとってどれだけ幸せなことか……きっと花にはわかっていないだろう。
花の匂い、幼い寝顔……昔からなんにも変わってない。俺はその事実に凄く安心するし、それがとても嬉しいのだ。
――さて、そろそろ俺も寝ようかな。
瞼に重みを感じ始めていた。頭も少し思考力を失っているようにも感じる。身体もきっと大分疲れているだろう。
「おやすみ、花」
最後に花の頭をぽんと叩いて、俺は仰向けのままゆっくりと瞳を閉じた。
* * *
「――ねぇ、起きてる?」
薄ぼんやりとする意識の中で、花の声が聞こえてきた。
あれからどの程度経っただろう。花、もしかして起きちゃったのかな。俺は丁度寝付く寸前くらいだったような気がするけどね……!
本能的に睡眠を求める身体と、ちょっとだけ意地悪したいという欲望が混じり合って、俺は寝たふり作戦を決行することにした。
「…………寝ちゃったかな……おーい」
瞳を開けていないから状況は良くわからないが、どうやら身体を起こして俺の顔を見下ろしているような感じがする。
うう……なんかめっちゃ恥ずかしいんですけど! ああ、どうせまじまじ見るなら風呂上がり後の俺でお願い!
そんなどうでも良いことを思っていると――、脇腹に感触。
……つんつん……だと……?
なんと、花が指で俺の脇腹を突いてくるのだった。
「…………」
ああ……なんかもう凄いくすぐったい。色んな意味で。
くそっ! そこはダメだ! ヤバい! あんまり触れないでくれ! これじゃいつか吹き出してしまう! それじゃ寝たふり作戦がバレてしまうじゃないか!
俺は迫真の狸寝入りを決め込み、現状維持を貫くことを決心する。
イケんだろ!てかマジなんとかしろ俺!
「…………」
――あ、あれ……なんにもしてこなくなったぞ?
しばらく続いた花のつんつん攻撃がなりを潜めると、突然静寂が訪れる。
シ――ンってな感じだ。
なんだろう。今、花何をしてるんだろう。
え、ヤバい。めっちゃ気になるんですけど。薄目開けて確認したいところだけどバレちゃいそうだしな……。そしたらほら、変態度数増すじゃん?
でも無表情って貫くのって案外キツいんだな。俺は内面の葛藤を外に出さないために、身体硬直させて自ら余計な行動を取らないようにする。
そして、遂に彼女が次の行動に移った。
なんと――、なんと――!
俺の頬に手のひらを当ててきたのである。
「…………」
――え、なんなんだろう……? 花さん、え……?
ていうか温かい! ほっぺた撫でられてる……!?
ちょっと待ってくれ! 一体なんなんだこれは! そこはかとなく幸せなんだけど、起きたい! 意地悪しようとか考えた俺が馬鹿だった!
もう限界かもしれない。頬が若干歪んで、唇ぴくぴくと動いているからだ!
しかし、次の瞬間――、頬に衝撃が走った。
――べちんっ。
「…………」
え……? 何今の。俺叩かれなかった? 夜這いビンタなの?
もしかして嫌われてんの、俺。
「ふふ、面白ーいっ」
――そんな殺生な! マジ? なでなでからのビンタキメてきたよこの子! すげえな、寝てる俺で楽しむ気満々だな! マジか!(人のことは言えないが)
あまりに意味がわからなすぎて、謎の笑いどころが勝手に俺の中で生まれた。
いかん、このままでは笑ってしまう。
忙しなく脳を働かせていると、続けて反対側の頬に衝撃。
「ふふっ、ヘンな顔っ……ぷっ」
なんで往復ビンタされてんだ俺!
当然の疑問を心中で叫びながら、それでも俺は寝たふりを貫く。
花は超笑ってるしさ! 何を一人で楽しんじゃってるんだ! いや、寧ろ俺も楽しくなってきてるけども!
「なかなか起きないなぁ……んー、抓っちゃおうかな」
「…………」
仕掛け人であるはずが、まさかのされるがまま状態だった。
頬を軽く抓られ、引っ張られ、顔の形をぐちゃぐちゃにされる。
「えいっ!」
「……っふ」
つい唇から息が漏れる。堪えきれず少し笑ってしまった。
えいっ、じゃないよ! 子供か! そしてこれは一体何のプレイなんだ!
俺の苦笑にも花はおそらく気が付いていないらしい。一応セーフといったところだろう。どうやら、今は俺の顔で遊ぶことに夢中らしい。
――クソッ、ニヤニヤしそうだよ! こうなったらどこまでもやってやる! 寝たふりを貫き通すことが、今の俺の全てだ! なんだって来やがれ! 花!
「ぶーぶー!」
……人のお鼻で豚さんごっこは辞めようね。これで豚っ鼻になったらどうしてくれるんだ……。
花は、俺の鼻先を指で突き上げてくる。けっこう強めな角度だ。きっと彼女の視界で相当な馬鹿面として映っていることだろう。
「ブー太郎だ、ブゥー!」
彼女は妙なモノマネを始め、いつもと違う声音で喋り始めた。
こんなことするんだな、……花。
花の新たな一面に一種の感動を覚えているときだった。
突然――、身体にぐっと重みを感じた。
「…………」
なんだ? どうなってる?
気になり度合いがマックスに達した為、脳裏から伝令。シャッター瞼の解錠が許可された。花にはバレないレベルで、俺は薄目を開けた。
花は、俺の腰辺りに跨がるように身体を乗っけていた。他に誰にも見られていないというのに、何故だか少し恥ずかしそうに彼女は手を俺の胸板に当ててくる。
――えぇぇぇぇッ!!
花!? 何で!? この体勢っ……、い、一体何する気なんだ!?
「……っ」
そのまま、花は細い指先を俺の胸の上でゆっくりと滑らせた。
何か書いている……? なんだろう。
背中にやられた経験ならあるが、正面からは初めてだった。
体勢が体勢なだけに、なんだか少しエッチな感じである。気が気では無い。ちゃんと読み取れるだろうか……。
「…………」
――書き終わったらしい。俺の胸板から、花の指がそっと離れた。
す
き
「…………」
花は、そのまま俺に顔を近づけてくる。
良い匂いと一緒に花の吐息が俺の耳にかかった。狸寝入りであることが簡単にバレてしまうくらい俺の胸は激しく鳴り響いていた。
花は少し躊躇った様な表情で、真っ赤な頬のまま俺に近づいてきて――、
その柔らかい唇を、俺の頬にちゅっと当てた。
「………な、何やってんだろう……わたし。……も、もう寝よっ」
一瞬で唇は俺の頬から離れてしまった。
花はその後もごにょごにょ言いながら元いた場所に戻り、寝転ぶ。
“すき”
俺の胸には、今でもその感覚がしっかりと残っていた。
…………花、ありがとう。
それは彼女の口から直接聞いたわけでもないし、俺は寝ていることになっているから、花は好きと伝えたなんて思っちゃいないんだろうけど……、凄く嬉しい。
ちゃんと伝わったよ……花の“好き”って気持ち。
それは恥ずかしがり屋な彼女らしい、精一杯の気持ちの伝え方だった。
寝てるし、書いちゃえって思ったのかな。なんかそう考えると……凄く、かわいいな。
幼いときは、花のことをちゃんと女の子として見ていたわけではなかった。
男女問わず一番仲良くしていたのは花だったし、もちろん大好きだったけれど、それは家族なんかに向ける愛情と同じだったはずだ。
ただ、次第に大きくなって疎遠になっていく過程で、ふと彼女と鉢合わせになったり、二人で写真を撮る機会があると、とても緊張した。昔みたいに上手く喋れなかった。そんなとき、不意にやっぱり花のことが好きだったんだと気が付いた。
胸が暴れて、収まらなかった。それが“恋”だと気が付くのに、そんなに時間はかからなかったのだ。
そして同時に、俺たち二人の間に流れる独特の気まずい空気の正体が、凄く気になった。他の女の子と話すとき、こんな風になったことなんてなかったのに。
難しいことなんて一つも無かったんだ。
なんで気まずかったのか、どうして上手く話せなかったのか。
好きだったから――なんだね。
俺も花も、昔っから今までお互いを大好きだってこと、気が付いていたんだ。
悶々としながら気持ちも伝えられないで、いじらしく付かず離れずの距離で相手を想い合っていたんだ。
もっと、早く気が付いていたら…………いや、でもそうじゃない。
不安になったり、臆病になったり……そんなもどかしい一分一秒が、俺たちをもっと手助けしてくれていたんだと思う。
だから、こうして今彼女の気持ちを俺は知ることが出来たんだ。
……やっぱり想いを伝えることって重要だ。
言葉でも、文字でも。それは間違いなく、しっかりと相手に届くのだから。
花は俺のことが好きで、俺は花のことが好き。
ありふれ過ぎて、なんてことない単純なことだけど、これって奇跡みたいなものじゃないか? 世界にはこんなにも多くの男女がいるのに。
たくさんの異性の中で、俺が幼い頃から心引かれている女の子も、同じように俺のことを思ってくれているなんて。
誰にも負けないくらい好きな俺のこの気持ちが、きっと花にも芽生えているんだ。
――俺たち、両思いなんだ。
嬉しい。今まで出会ってきた出来事の何よりも。
ああ、困ったな……。今夜、もう寝れそうにないよ。
涙でにじみ始めた瞼をそっと拭って、俺は幸せな笑顔を浮かべた。
――大好きだよ、花。
俺も、ずっと前から君のことを愛してる。
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