第51話 してほしいこと
「んべっ……やっぱり苦いよ」
「はは、子供舌」
缶コーヒーから唇を離した花が、ペロッと舌を出しながら言った。
俺はそんな彼女をからかいながら、にやける唇を必死に押しとどめる。
――なんというかわいさだろうか。ああ、かわいいっ。
ぷるぷると伸縮を続ける両頬を思い切り叩いて、俺は量の拳にグッと力を込めた。
オーケイこれで元通り。ハロー、いつもの俺。
「ブラックだからこんなに苦いんじゃない? わたしコーヒー飲まないからわかんないけど」
「実を言うと俺も飲まないからわかんない」
「ええっ、そうなの? じゃあどうして買ったの!」
「いや……なんか、こう……神頼みというか……目、覚めるかなって思って」
「もう、何それ」
花はぷっと吹き出して、俺の脇腹を軽く小突いた。
そんななんでもないようなボディタッチでも、俺は過剰に反応してしまう。勝手に心臓が飛び跳ねて、ドキドキしてしまう。
そんな風に心の中であたふたしているところを見られたくなくて、平然を装うけれど、俺はいつでも花にときめいているのだ。
「……貸して」
「あっ」
俺は花から缶コーヒーを奪って、口を付けた。
「……ホントだ、めっちゃ苦いね」
「……う、うんっ。そうだね」
花が何やらもじもじしながら、頬を緩めた。
「何笑ってんだよー」
「え~、でも、蝶だって笑ってるよ」
ふとした瞬間に訪れる、この雰囲気はなんなのだろう。
いつまでもこうしていたいと思うし、落ち着くけど……どこか胸が苦しくて、奥底に詰まった何か・・を吐き出してしまいたくなるような。
「…………」
「…………」
そしてお互い黙ってしまって、会話が続かなくなる。
やがて、花が口火を切った。
「……函館山、行けなくなっちゃったね」
「……うん」
正直、忘れてしまっていた。本当に花のことで頭がいっぱいだったから。
だけど彼女の残念そうな声音を聞くと、どこか俺も気落ちしてしまう。
俺たちは、二人で函館山の夜景を見ようと約束をしていたのだ。
「……行きたかったな」
花が遠くを見るようにして、ぼやく。
「しょうがないよ」
「わたし、ホントにバカだよね。自分勝手に行動してみんなに迷惑かけて、遭難しちゃってさ……ホントにごめんね。ごめんねっ……」
花が、震えながら声をくぐもらせていく。
「……確かに、今回の花の行動は良くなかったかも知れないね。班のみんなも凄く心配してた。覚えたてで楽しくて、周りが見えなくなっちゃうのもわかる。俺がそうだったから。……でも、一人行動はもうしちゃダメだよ?」
「……うんっ」
花は啜り泣きながら、こくりと頭を縦に振った。
「……じゃあもう大丈夫だね! 平気だって、失敗なんて誰にだってあるんだから。そんなにしょげることないよ。……ほら、もう泣かない」
俺は涙を拭い始めた彼女の頭を撫でながら、そのままそっと肩を抱いた。
「……ひっく、うぇ~んっ」
「こんなになっちゃったけど、せっかくの修学旅行だよ。そんなに悲しい顔すんなって、花の泣き虫~」
「だ、だって……蝶がっ……優しいんだもん。わたし……なんか安心しちゃって……ううっ……」
声をかける度に、花の瞳が涙で滲んでいく。
ぽんぽんと頭を軽く叩きながら、俺は言った。
「そっか……今はいっぱい泣いちゃいなよ。隣、居てあげるから」
きっと独りぼっちのとき、彼女は寂しくて、不安で、自分を責めていたんだろう。そういう子だ。
「うぇぇ~んっ、うぇ~ん」
「よしよし、いい子いい子」
花が俺にすがりつくようにして、わんわん泣き始めた。安心したからこその涙なのだろう。
昔からずっと聞いてきた花の泣き声が、洞穴内に反響する。
俺たちは少しだけ大人になった。花は昔ほど泣かなくなったけれど、やっぱりまだ泣き虫だ。
なんだか少しだけ懐かしい……。
俺は、少しだけ昔の自分たちを思い返していた。
昔は良かった。とても楽しかった。
でも……高校生になった今だって、とても素敵だ。
花と歩める未来が、この先ずっと待っているんだっていうんなら……それはどれだけ幸せなことだろう。
そんな未来がきたらいいなと、俺は本気で思っている。
* * *
しばらくして泣き止んだ花は、俺のウェアにしがみついていた。それこそ、小さな子供みたいに。
どうも動かなくなったので、疲れて寝ちゃったかな? と、俺は彼女の横顔を覗いてみた。すると花は、長い睫毛を瞬かせてこちらに視線を返してくる。
「蝶っ」
少し枯れた声で、花が訊ねてくる。
「ん? どしたの」
俺の肩に頭を乗せていた花が、まるで甘えてくる仔犬みたいに顔を胸に埋めてくる。
――く、くすぐったい! そして嬉しい! これはヤバい!
正直言って今すぐ死んでも全然構わないくらいに幸せな時間が俺に訪れた。
ああ……本当に、なんで女の子の身体ってこんなに柔らかいんだろうな。意識してなかっただけで、花は昔っからこんな風だったのかな。
服越しに感じる、彼女の二つの膨らみを存分に味わいながら、俺はそんなことを考えていた。
そして同時にマズいのだ。男として。理性を保たねばならないのだ。こんな状況下でそんな邪なことを考えていると花にバレたら、幻滅されるかもしれない。
巡りめぐる俺の思考回路を知ってか知らずか、花はにんまりした表情で俺に上目遣いをする。
「……あのね、寒い」
「えっ!? ……さ、寒い……?」
やがて、彼女は俺の腕をぎゅーっと強く抱いてきた。仄かに香る花の匂いと柔らかさが、上限の最大値にまで上昇する。
「……うん、寒いのっ」
「へ、へえ……そうなんだ」
「…………」
ええっ!? なんだい!? 俺に何か言わせようとしてるの? どうすればいいんだろう! つか反応に困る! 今更だけど身体密着しすぎだし、くっつき虫かよ! 最高か! そして俺は一体どんなリアクションすればいいんだろう! ああっ、ドキドキがムネムネするぅ!!
寒いとぼやいた彼女とは対照的に、俺の体温は急上昇。きっと46℃くらいにはなっていることだろう(死ぬ)
あれかな、寒いから……俺と、くっついていたい的な……?
「……ウェア、脱ごっか」
「……ええっ!? なんで?」
どぎまぎした様子で、彼女が目を丸くする。
不思議な動作をする花を見ながら、俺はウェアのジッパーを下げて上着を脱いだ。
「でも、寒いんじゃないの?」
「そ、そうだけど! なんで……脱ぐのっ……!?」
何故だか頬を赤く染めた花は、警戒するように胸に手を置きながら言った。
「……? 着なよ、これ」
「……えっ? あ、あぁっ~!」
花は何やら納得した様子で昔のテレビ番組のように、手のひらにポンと拳を置いた。彼女は耳の端を真っ赤に染めながら、そそくさとウェアを受け取る。
「どーしたの?」
「な、なんでもない……ですっ!」
何故か敬語だった。少しだけふて腐れたように頬を膨らませているような気もする。……時々、女の子ってよくわからない。
「……蝶は、その……寒くないの? そんな格好で」
「俺? 大丈夫だよ」
タートルネック姿になった俺は、もちろんだが強がって言った。
一応防寒インナーを着てるけど、やはり寒い。でも、花の前では少しでも格好付けたいのだ。
「そ、そう……」
花は一人ごちると、もぞもぞと俺のウェアに顔を埋めた。
さっきから、花の様子が少しだけ変だった。
まさか……俺がウェアを脱いだから、ちょっとエッチな展開になることを恐れているのか!?
そ、それは……多分、大丈夫……だと、思う。
変なことはきっとしない……はずだ。
脳内でもなかなか言い切れないところが実に俺らしかった。
俺は頭の中の煩悩を振り切って、花に声をかけた。
「……そ、そろそろ寝る?」
「……え?」
「いや、そろそろ寝た方がいいかなー……と思って」
「……どうやって?」
顔を上げて、花が熱い視線を向けてくる。
つい見惚れてしまう、美しい茶色の瞳。
こんな状況下で。この雰囲気で。そんな風に見つめられると、俺は気持ちが落ち着かなくなってしまう。
「それ枕にでもして……寝ればいいんじゃ?」
彼女が手に持つウェアを指差しながら俺は言った。少し長く見つめ合い過ぎたせいか、途端に気恥ずかしくなって、視線を反らした。
「それだと蝶が寒いじゃん。そんなの……ダメ」
「別に大丈夫だって」
「……や、やだっ! 蝶が寒いのは嫌なの。……い、一緒に寝るっ」
「はっ!? い、一緒!?」
顔を俯けたまま、耳を赤く染めて甘えてくる。口を滑らせてしまった感が滲み出ていてかわい過ぎる。何この生き物、抱き枕に欲しい。
確かに、子供の頃はよくしていたことだし、最近になってからも……ウチで一緒にベッドに入った。
でも、この洞穴で、こんな状況下で一緒になって寝るというのは……。なんか……アレだ。イケない感じがプンプンする。背徳感的な。
「……嫌? で、でもね……前だって、蝶ん家で……その……したよ?」
したよ? とか強調しないで! なんかヤバい感じがハンパないから!(仕事しろ語彙力)
「い、嫌じゃないよ……ただ、ちょっとビックリしただけだって」
胸の高鳴りが速度を速めていく。
もしかして、今夜本当に一緒に寝ることになるのか……?
このムードで……? 本当に俺は大丈夫なのか…?
「…………」
「…………」
隣の花に顔を向けられない。
心音が相手に伝わるくらい近いのに、何故だか口が開けない。
「……ねえ、どうして黙っちゃうの?」
「いや、でも……」
狼狽した様子であちらこちらに視線を散らしながら、花に背を向ける俺。
すると――花がそっと後ろから抱き着いてきた。
「んっ……や、やっぱり……一緒に寝ようよ」
「は、花っ!? ……あっ、その……ちょ、ちょっと!」
背中に、二つの柔らかい感触。俺は突然のことに驚いて身体を離してしまう。
花と正面から向き合って、じっと見つめ合う。
「……くっついたりしたら……嫌?」
しょんぼりした表情で、ほんのり頬を染めた花がそうぼやいた。
――かわい過ぎる、そんなの反則だ。
嫌なわけないじゃないか。
好きだから、嬉し過ぎるから……そうなっちゃってるんだよ。
花の瞳が少し潤んでいるような気もする。
彼女は、じーっと俺のことを見つめてくる。
「……ギュッてして」
「……花」
花は、おもむろに自分の着ているジッパーに手をかけて、上着を脱ぎ捨てた。
俺と同じくタートルネック一枚になった彼女は、片腕を摩りながらその表情を前髪で隠した。
「……してっ」
潤んだ瞳で、赤みを差した頬で。
先ほどよりずっとボディラインが露わになった姿で、彼女がそう呟いた。
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