第50話 洞穴で一夜?

 指の隙間を、上質な絹のような感触が伝う。

 すると彼女からふわっと優しい匂いが香って、俺はなんだかほっとした。

 花の柔らかい身体を抱きしめていることが夢みたいで、俺は自然と彼女の頭から手を離せずにいた。


「……どうして、ここがわかったの?」


「俺が花のこと見つけられなかったことないでしょ? かくれんぼ……覚えてる?花変なところにばっかり隠れてたじゃん。だから……それで鍛えられたのかも」


「えー……かくれんぼ? んんー……そうだっけ?」


「一番強烈だったのはやっぱりアレかな。お互いの家の中ってルールにしたのに、窓降りたとこの隙間に挟まって啜り泣いてたこと」


「そ、そんなの知らな~い!」


 花は誤魔化すようにそう言って、俺の胸にぐいっと顔を押しつけてくる。

 彼女の幼く膨らんだ横顔がとてもかわいくて、俺はほっこりしてしまう。


「……でも本当によかったよ。凄く心配したんだ、ホントに……凄くっ……」


 急に涙腺にくる。そんな歳でも無いはずなのだが、彼女を腕の中に抱いた安心感からか、涙声になってしまう。

 俺は自分の泣き顔を見せないために花の身体をさらにぎゅっと抱き寄せた。


「蝶……ありがとっ」


 俺の気持ちに応えるかのように、花も抱き返してくる。

 吹き荒れる白雪は少しだけ穏やかになって、まるで俺たちの出会いを祝福してくれているような気がした。

 温かいお互いの身体を感じながら、俺たちはそのまま抱き合った。


 灰と黒の混じった雲の隙間から見える蒼く輝く月光が、俺たちを照らした。


 * * *


「えっ……じゃあ、帰れないの!?」


「そうじゃなくて、今は止めといたほうがいいって話。雪も大分穏やかになってはきたけど、やっぱりまだかなり暗いしね。日が昇ってから落ちたところを上ったほうが安全ってことだよ」


 俺たちが腰降ろす洞穴は、大人が二人寝そべる程度の広さがあった。高さは無いので移動するときは毎回中腰になるが、奥へ向かうほど暖かくなっていく。

 それに、洞穴の入り口付近には月の光が当たっているせいか、そこそこ明るい。


 俺たちは洞穴中部の辺りで壁に背を付けて、隣に座っていた。

 すると、花がもじもじしながら訊ねてくる。


「……えっと、じゃあ……もしかして……」


「……まぁ、今夜はこの洞穴で……野宿?」


「の、野宿……あっ、でもっ――でも! 月の光くらいしか明かり無くて……怖いし……そ、それに――」


 慌てふためく花を制止して、俺はポケットから小さな蝋燭と昼のレストランに置いてあった無料マッチを取りだして、蝋に火種を与えた。


「これでいい?」


「な、なんでこんなもの持ってるの!?」


「これでも遭難経験があってさ、一応用心してたんだよね。まさか本当に使うだなんて思わなかったけど」


 俺は懐から次々に物品を広げた。

 コンビニで買ったカロリーメイト、先ほど自販機で入手したブラックコーヒー、そして何故かトランプ。


「ふふ、なんかドラえもんみたいっ」


「まったく、しょうがないなぁ……のび太くんはぁ……」


「わ、凄い似てる!」


「どーもっ」


 こんなに厳しい環境だっていうのに、花と一緒だと楽しくってしょうがなかった。


「ほら、これ飲みなよ、まだ温かいから」


 俺は、缶コーヒーを差し出した。


「でも、……一本しか」


 どこか遠慮したような表情で花は受け取り、ジッと缶を見つめた。


「コーヒー?」


「飲めない?」


「……ん~、実は飲んだことないかも」


 花は顔を傾けてから俺に視線を向けてくる。そして、突然花の表情が変わった。


「蝶っ!? どうしたのその顔!」


「え?」


 彼女は缶を地面に置いて、突然俺の顔面に急接近。


 ――ちょっ……! えぇ!? 顔近ッ!!

 何だ!? 一体今何が起きたんだ!? 脳内パニック状態になる俺。


 花はそっと俺の頬に手を触れて、深刻そうな表情で俺を眺めている。

 そんなに不細工なんだろうか……助かる見込みはもう無いのだろうか。

 俺がそんな浅い思考を繰り返していると、彼女の細い指先が少しずつ顔の中央へ向かっていく。


 くすぐったくて、恥ずかしくて、俺はつい顔を背けた。


「……鼻血固まっちゃってる」


「ああ、それは……別に大丈夫だから」


 つかそれより恥ずかしいんですけど! 鼻血と鼻水が固まった汚物の塊だぞ! そんなもの女の子に……ましてや大好きな花に見せられるわけないだろう!

 てゆーか見ないで! そっとしといてください。


 ――く、くそ……。さっきまで花のことで頭がいっぱいだったから、仕方が無いけど、身だしなみに気を配らな過ぎた。

 俺はそそくさと身体をよじって、ポケットの中をまさぐった。

 しかしポケットティッシュもハンドタオルも出てこなかった。蝋燭なんかよりもっと入れるべき物があるだろう! 俺! トランプとか入れてる場合か!


 あちゃーと顔をしかめて、俺は頭を抱えた。

 こんなに格好悪い俺を見たら、花だって幻滅するかもしれない。

 そんなことを思っていると、ちょっとだけ低めの花の声が洞窟に響いた。


「何言ってるの? 怒るよ?」


「……あ、はい」


「……転んだの?」


「あっ……はい。そうです」


 たどたどしい態度の俺を余所に、花はキリッと瞳を鋭くさせる。

 ポケットからタオルを取りだし、とたとたと洞穴の付近へと駆けていった。寒空に手を伸ばして数秒間――、少し湿らせた布を持って戻ってくる。


 そして冷えたタオルを問答無用で俺の顔面へと押しつけてくる。


「わっ、冷た!」


「我慢する、男の子でしょ? ちょっとだけ動かないで」


 冷えた濡れタオルで顔面を掃除ているというのに、何故だか俺の心はふっと温かくなった。

 ――何を考えていたんだろう。

 顔が汚れてるから? 格好悪いから?


 そんなことで、花が俺を嫌いになるわけないじゃん……。

 小さい頃から知ってる花だ。一緒にここまで大きくなった、幼なじみの彼女なら、きっとそんなこと気にしない。


 年端もいかない普通の女子だったら、きっと引いたり幻滅したりするんだろうな。

 でも、花は違う。心の底から心配してくれていて、鼻水だろうとなんだろうと拭ってくれるのだ。


「はーい、できた! 綺麗になったよ!」


「ありがとう」


 照れ笑いを浮かべながら、俺は蝋燭に点った朱色の光に反射する花の綺麗な笑顔を見た。

 そんな君が素敵で、愛らしくて、俺はついついにやっと笑みを浮かべてしまう。


「あ! なんか今ニヤってした! 何よ~!」


 ぷくっと頬を膨らませる花が冗談めかして肩を叩いてくる。

 ああ、もう狂おしいほどにかわいい。

 俺は頬が熱くなるのを感じ、また顔を反らしてしまった。


「な、なんでも無いって!」


「うそー! 絶対なんか悪いこと考えてる!」


「悪いことってなんだよ……子供か」


 花は無邪気に笑った。


 こんなに純粋無垢な花に相反して、きっと俺は君が思うよりも邪なことを考えてしまっている。でも、引きはがそうとしても頭から離れないんだ。


 大好きな人と、誰も居ないところで……こんなドラマチックな展開を迎えれば、男なら……きっと誰だって考えてしまうだろう。


 ……俺、大丈夫だろうか。

 理性とか――なんかそういうの……保てるだろうか。


 まさか花と洞穴で一夜を過ごすことになんて……。

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