第49話 かくれんぼ

 時間が経つにつれ、自然の摂理がもたらす銀世界はその激しさを増していく。

 リフトの乗り場まで道なりに灯るランプの明かりがせめてもの救いだった。


 辿り着いた先で――頼みのリフトは既に運行を停止している。

 傍らで箒片手にいそいそとしているおじさんに、白い息を吐きながら俺は訊ねた。


「あの……! 無理を承知でお願いするんですが、もう一度だけ動かせてもらえませんか!?」


「放送聞いてただろ? 今日はもう終了だよ。早いとこ帰ん――」


「お願いしますっ!」


 俺はおじさんの言葉も待たず、深々と頭を下げた。

 常識的に考えて、俺の行動は可笑しいと思う。非常識だ。

 きっと色んな人に多大な迷惑をかけている。


 でも、それでも……俺は会いたい人が居る。

 後でなら何でも言うことを聞くから――今は、すべてを投げ出してでも花を探し出したかった。


 誰に何を言われようと――そこは絶対に曲がらない。


「そんなこと言われてもなぁ……こんな吹雪の中でどうすんだい」


「……幼なじみがっ、行方不明なんです! 俺……の大切な……人なんです。俺が探してやらないといけないんです。あいつも、きっと俺のことを探してる」


「行方不明って……ますます危険だろう。さっさと警察に――」


 リフト機の奥から、ひっこりともう一人の係員が顔を出した。

 係員は怪訝な顔を浮かべて、俺とおじさんを見比べる。


「どうした?」


「……いやね、この子がこの吹雪の中動かせって」


「…………いいよ」


 係員のおじさんは身体を引っ込ませて、簡単にリフトを再起動させた。


「な、アンタ何やってんだ! 会社から通達きただろうが」


「……ふん、いいじゃねえか。青春じゃねえか。俺ぁ特にロマンスが好きでな」


「ありがとうございます!」


 にっと笑みを浮かべる係員おじさんに頭を下げて、俺はリフトに飛び乗った。


 * * *


 独りぼっちの花を想像してみた。

 たくさんの想い出があるけれど、どうしても幼いときの泣き虫で寂しがりやな花が脳裏に浮かんで消えない。


 鬼ごっこするとき、俺が逃げると泣いちゃう花。

 かくれんぼのとき、俺を探せなくて泣いちゃう花。


 なんでもかんでも君はすぐに泣いちゃうから、男の俺としては少しだけ退屈に思ってた。でも、やっぱり花と一緒に居られるのは特別で。大好きな時間だった。


 そんな花も今じゃ大人になって、そんなことじゃ泣いたりしなくなった。


 でも――俺は今でも思ってるんだ。

 いくら大きくなろうと、花は花だ。

 小さい頃から大好きだった幼なじみの赤希花なんだ。


 ふとした拍子に泣いちゃうんじゃないかって思っちゃう。

 もう子供でも無いのにね。可笑しいのかな、俺。



 ――やっぱり花の隣に、俺は居たいから。



 寂しく凍えてる君を、ほっとさせて温めてあげたいから。

 ちょっとだけ、待っていて欲しい。


 君だけの王子様が、今迎えに行くよ。



 ――なんて脳内ポエムを悶々とさせて一人悶えながら、俺はリフトの頂上へと辿り着いた。

 相変わらず視野は悪い。早々に花を発見して、二人で帰ろう。


 ――寒ッ!!


 斜面を下りながら、ウェアの隙間に冷風が流れ込んでくる。

 途中、視界の中でおぼろげに光るモノが視界の中を横切った。


 ――自販機か。

 花、暖かい飲み物とかあったら喜んでくれるかな。


 品揃えが悪く、温かい飲み物は全部コーヒーだった。因みに俺はコーヒーが飲めない。花はどうだろうか、正直あまりイメージが無いけど。


 こんなときだし、もうなんでもいいや。


 一瞬躊躇った俺だったが、すぐに人差し指が黒い缶の下のボタンを押した。

 暖かい缶コーヒーをポケットにつめ、少しずつ坂を下りていく。


 ――クソ……本当に視界が悪い。これ以上悪くなればまともに滑ることも……。


「――うわっ!」


 軸となっている足に衝撃。

 板の先端に何かが突き刺さったらしい。俺は体勢を崩し、そのまま顔面からべしゃりと雪面にすっ飛んでいく。


「痛って……くそ、足元もちゃんと見れないのかよ、俺は。って……鼻血出てるし」


 寒さのせいか、あまり痛みも感じなかったが、打ち所が悪かったらしい。ぽたぽたと零れる鮮血が、純白の雪を滲ませていく。


 ――あーあ……格好悪い。


 こんな格好じゃ花を助けても好感度爆上げのイケメンになれないじゃんか……。まあ、そんな柄でも無いけど、俺。


「花っー!! いるかぁ!? 花っー!!」


 花の名前をこんなに大きな声で叫ぶのは初めてだった。

 不思議と恥ずかしさは無かった。気持ちが高ぶっているせいかもしれないけれど。


 俺は本能の赴くままに、思いきり叫んだ。


「花ッー!! どこだー! 花ーッ!!」


 いくら叫ぼうと、彼女の返事が返ってくることは無かった。

 あるのは、視界一面を白銀色に染めていく雪嵐だけ。


 ――もしかして、コースアウトして谷に落ちたのか?

 現状考えられる可能性の中じゃ、一番大きい気もする……。いや、そんなことどうでもいい!


 隅々まで探す。絶対に花を見つけ出すんだ!


 俺は、消えかけた意気地無しの灯火を再び燃え上がらせた。

 しかし、もう雪坂は半分以上下ってしまっていた。

 通り過ぎた可能性も否定できない。


 俺はコースの隅々まで目を光らせながら一周し、リフトにもう一度乗り込んだ。

 再びやってきた頂上から、寒々とした雪の丘を見下ろす。


「くそっ……」


 ナイター時間に差し掛かっている今、ゲレンデに点々と浮かぶオレンジの照明が、銀世界に少しの彩りを与えていた。だが、目当ての花は一向に視界に入ってこない。


 ――本当に何処に行っちゃたんだよっ……花。

 怪我はしてないかな。寒くないかな。きっと寂しがってる。

 花――お願いだから出てきて俺を安心させてよ。


 ふと、彼女がかくれんぼ上手だったことを思い出す。

 巧みすぎる技能に完敗の俺だったが、花を探すことは容易だった。


 そう、花は見つけてもらえないと泣くから。

 どうしてそんなところに隠れた? ってくらいに不思議な場所に彼女は行くのだ。そして誰からも見つかること無く夜を迎え、涙で眦を濡らす。


 ――じゃあ、今も泣いてるの?


 だがこの猛吹雪だ。啜り泣く声を判別することさえ出来ない。

 じゃあやっぱり……花を見つけることなんて、俺には無理なのかな。


「花っ…………」



 もしかすると、俺も……さみしがり屋なのかもしれないな。

 花が居なくて不安な現実に、胸が打ち砕かれそうだった。


 もし、このまま花が見つからないままなんだとしたらと思うと――とても寂しい。辛い。悲しい。

 ここまで気持ちをストレートにできるなんて。数ヶ月前じゃ考えられなかった。


 俺たちは大きくなるにつれて疎遠になっちゃったけど、その間も俺はずっと花と話したくて、また仲良くなるきっかけを作るために下手くそに挨拶とかしてた。

 今思えば、そんなことがとても懐かしく思える。


 だから今はもっと……花とたくさんの話をしたい。バカみたいな話も、真剣な相談事も


 一緒に……君の隣で。

 まだまだ俺の知らない花の色んな面が見て見たい。

 だから、絶対に花が居ないと、俺は嫌だ!


「……花っ…本当に、何処行ったんだよっ……」


 涙で前が見えなくなっていた。

 散々泣き虫だと言っておきながら、この有様である。

 どばどばと洪水みたく熱い涙が溢れ出てくる。


 花は、俺の頭の中に勝手に入り込んでくる。

 悪戯に俺をどぎまぎさせたり、喜ばせたり、泣かせたり。

 全部全部、花のせいだ。君のことが好きで好きでしょうがない俺のせいだ。



 まだ――俺の気持ちも伝えてない。


 君のことがずっと前から好きだったと――その想いを相手に告白するまで、俺は絶対に諦めない。


 * * *


 幼い頃、花の前で一度だけ大泣きをしたことがあった。

 公園に聳える大きな木から飛び降りたとき、岩に顔をぶつけて血がいっぱい出たのだ。今でも俺の眦には、涙の雫のような傷跡がしっかりと残ってる。


「わーん! うえーん!」


「蝶、泣かないで? わたしがずっと隣にいるから。ほら、こっちおいでっ」


「ん……うん」


 泣きじゃくる俺に、幼き花はやけにお姉さんぶっていたような気がする。

 ぎゅっと抱きしめられた。白いタオルを真っ赤にしながら、ずっと隣で止血してくれた。


「蝶泣かないで~、よしよし!」


「……なんか花、ママみたいだね」


 背中をぽんぽんと叩かれると、なんだか安心した。

 俺はそのままその場で寝てしまった気さえする。


 それくらい安心できる存在。それも、母親とはまた違った安心感。

 何て言ったらいいのか、全然わからない。


 俺が泣いているとき、傍に居てくれる。

 慰めてくれる。笑わせてくれる。

 いつも、花のことを好きでいさせてくれた。


 そこまで想って、俺はふと思いつく。

 なんだ――そんなの俺だってやってることじゃないか。


 俺たちは、お互いのことを思いやれる。お互いのことがずっと前からきっと好きで、そのまま大きくなった。大人になった。


 そんな当然のことだ。そこには大層な理由なんて無かった。平凡すぎる、ただの男と女のつまらない馴れ初めだ。


 物心つく頃から隣にいてくれた花と一緒に、小さい頃の想い出を作れたこと。それがきっと俺の一番の宝物で、奇跡みたいなもの。


 あの日慰めてくれた花のことを思いながら、俺は頬を緩ませる。

 ――花、きっと今度は俺の番だね。


 諦めないから。絶対に、めげないから。

 花にとっても、俺が安心出来る存在になれるように、頑張るから。


 眦を拭って、白銀の世界に目を懲らす。


 もう泣かない。

 花と出会えたとき、きっと君は泣くだろうから……俺が慰めるんだ。

 昔に君がそうしてくれたように。


 * * *


 心配そうな顔を浮かべる係員のおじさんに笑顔を浮かべ、俺は何度でもリフトに乗車した。


 中空で吹雪に揺られながら、俺はリフトコースの真下で何かを発見する。

 小さすぎてなんなのかはさっぱりだった。でも、今の俺はそんなものでさえ希望を感じる。


 頂上に到着し、そそくさと雪坂を下っていく。例のモノが落ちていたのは、確かこの辺りのはずだ。


 目前にはオレンジ色の柵。ゲレンデコースと、立ち入り禁止区域とを区分けしている。ここを越えたところに、先ほどリフト上から見た物があるだろう。


 花が――いるかもしれない。

 俺は雪に埋まっているプラスチック製の柵を引っこ抜き、急な斜面の上でエッジを効かせる――が、――滑った。


「うぉわぁぁぁあ!!」


 柔らかい雪では無く、急斜面は完全に凍り付いていた。

 無理な体勢でのブレーキは逆効果で、真っ逆さまに谷へと落下していく。



「…………あー、痛ってぇ。骨とか折れてないだろうな」


 付近に飛散したスキー板を回収して、地面に突き刺す。

 俺は足場の悪い雪道を歩いた。


 ――確か……この辺のはず……。

 俺は杉の木に囲まれた周囲を頻りに確認する。


 すると、黒いものが新雪に埋まっていた。

 雪を払いながら確認すると、ニット帽子だった。


「……これは、違う……花のじゃないっ」


 花の物は、確か水色のポンポンが付いた白いニットだったはずだ。

 俺は肩を落としてから、身体を雪に埋めた。


 灰と黒に荒げた夜空を見上げながら、一度頭のリフレッシュを図る。


 大粒の白い雪は少しだけ穏やかになっていて、グローブを外した手を空に向かって伸ばすと、冷たいものが指先に触れた。


 俺はそのまま冷えた顔面に手を伸ばして、眦の横の傷をそっとなぞった。

 不意に俺を介抱する花が浮かんで、唇が歪む。俺は身体を起こしてウェアに付着した粉雪を払った。


 何気なしに後ろを振り返ると、人が歩いたような痕跡を見つけた。

 空から降り注ぐ新雪が踏み荒らされているらしい。まだそこまで時間が経って居るようにも思えない。


 その痕跡を追うようにして歩いて行くと、開けた場所に抜け出た。

 真正面には圧迫感すら覚える大きな岩壁。その隅には、小さな洞穴が見えた。



 聞き馴染みのある声が聞こえてくる。啜り泣くような思いで嗚咽を繰り返す少女の声だった。


「えぇ~ん……ひっく……」


 彼女は、洞窟の入り口で、顔を埋めて泣きじゃくっていた。

 俺は泣き声の方へと足を進める。

 どす、どすっという雪を潰す足音に気が付いたのか、女の子も顔を上げた。


 目が――合う。

 今までずっと見てきた茶色の瞳。様々な表情を映しては、与えてくれる大好きな瞳。俺が間違えるはずが無い。


 ずっと、ずっと……探していた。


 まるで今の一瞬だけ数十年前に戻ったように――、



「……みーつけた」


「……蝶っ」



 花は声を震わせながら、こちらに走ってきた。

 そして小さい子供のように、全身でがばっと飛びかかってくる。


「ふええぇ~んっ……うぅ、蝶だっ……ホントに蝶だ~本物だぁ」


「ふふ、本物ってなんだよ。ほら泣くなって。来たからもう大丈夫、寂しくないよ、ね?」


 優しく花の背中に手を回して、ぎゅっと胸に抱き寄せてから頭を撫でた。

 花の前では泣かないと決めていたのに、自然と涙が零れた。


 花が無事で、本当によかった。

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