第40話 超図星展開

 身体が簡単にフリーズする。

 これ、なんて反応すればいいんだろう。


「…………えっと、あのね、蝶…………その……に、二回目……だよ……」


 花の顔が見られない。俺は顔を俯けたままだんまりを決め込む。

 すると、視界の中でもじもじする花の下半身が映った。


「……え、……えろっ……!…………蝶の……へ、変態!」


「……ち、違う! ごめんって! その……ワザとじゃないんだよ!」


 なんとか誠意を示そうと、俺は慌てて両手を左右に振る。


「…………本当?」


 真っ赤な顔で恥じらいを見せる花が、視界の中に入る。俺は反らしてしまいそうになる視線をなんとか花に向けて踏みとどまる。


「……蝶の……ばかっ」


「…………」


 …………何も言えない。

 なぜなら……そう、俺は変態だった。彼女の罵倒するには甘すぎる優しい言葉に耳を傾けながら、ここに立ち尽くすしかないのだ。


 花が恥ずかしそうに口元を隠しながら、


「き、急に……ムギュって強くされて……わたし、凄いビックリしちゃって……」


「…………マジすいませんでした」


 これは…………花さん、相当根に持ってらっしゃる! いや当たり前だろ!

 それにしても……ムギュ――かぁ。

 しばらく黙ったまま色々な妄想に花を咲かせていると……。


「……ごめんね、わたしのほうこそ。蝶、悪くないもんね」


 髪を片耳にかけながら、彼女は続けた。


「…………やっぱり、その……女の子の……胸とか、触りたいって……思うの?」


「えっ……む、胸?」


 突然そんな質問を飛ばされたときにゃ、俺の視線はもちろん花の胸部へと向かいますぜ! へへっ、いいもんですなぁ、旦那! いや――誰だよお前!!

 無駄に意識してしまう俺。このまま意識高い系男子にクラスチェンジしたい。


 とりあえず黙っているのも気まずいので、俺は口を開けた。


「そ、そりゃ……少しくらいは……」


「……わ、わぁー……やっぱりだ………………え、えろーいっ」


 ぎこちない言動で花が言う。きっとエロいとか言うの慣れてないんだろう。言葉を使うこと自体に抵抗があるようにも感じる。


「な、何だよ、さっきから! 別に普通だから、普通!」


「ふぅ~ん……」


 花は自らの胸を隠すようにして、ジト目で俺のことを見つめてくる。


「……も、もう早くいこうよ」


「あ、今……目反らした! うやむやにしようとしてる!」


 流石にもう勘弁して欲しかった。これ以上花から性関連のネタで何か言われるのは避けたい。

 視線を反らしたことを指摘されたので、ならば……と、反対に顔をぐいと近づけてやった。


「じゃあ……これならいいの?」


「……へ?」


 やり過ぎた。お互いの瞳の距離は拳一個分程度しかなかった。

 彼女も突然でびっくりしたらしく、ぱちぱちと瞬き。俺は泳ぎそうになってしまう目を、なんとか彼女の瞳で止める。


「…………」


「…………」


 幾度となく経験してきた沈黙の時間。

 花は胸に手を置いたまま、柔らかそうな唇を動かす。


「……蝶」


「何?」


「ば、ばかっ」


 そう呟くと、俺の頬に柔らかいものが触れる。

 花のビンタだった。彼女にぺちんと優しく叩かれたらしい。

 呆然としたままの俺を余所に、花は逃げるようにして下り坂を滑り出した。


 ――な、なんだ今の可愛いのは。俺の身に何が起きた?

 混乱する脳裏とは別に俺の瞳が捕らえた花が、下り坂をガンガン滑って行く。


「ちょっと待て! 普通に滑れてんじゃん! つか上達早っ!」


 驚きながら俺も彼女の後を追う。

 未だ不格好ではあったが、花は普通に坂を下れるレベルになっていた。


 彼女が無事コースを滑りきるのを背後から見守ってから、開けた場所で俺を待っている花に声をかける。


「凄いじゃん! 全然滑れてるよ! ビックリした」


「うふふ、凄いー?」


 花は照れたようにえへへと可愛らしくストックを持ち上げる。そんな花を思う存分褒めちぎってから、俺たちは再びリフトに同乗。同じコースを滑ることにした。


 寒空の下で二人っきりのとき、お互い口数が減るのは相変わらずだったが、それさえも俺は嬉しかった。花の隣にいるだけで、俺の心は満たされるのだ。


 リフトを降りてからも花はしょうもないところで何度も転ぶし、木に正面衝突したりもしたが、それでも彼女は笑顔を絶やさなかった。あれだけ怖い怖いと泣いていたというのに。

 そんなこんなで、俺たちは二人でしばらくスキーを楽しんだのだ。


「……えへへ、またぶつけちゃった、痛い」


「……見してみなよ」


 花に顔を近づけると、さっきの出来後がフラッシュバックする。

 俺はそっぽ向いて顔を俯ける。

 何かあれだな……ドラマみたいなことしてんなっ! 俺!! 恥ずかしっ!


「んー……ちょっとおでこが赤いかな」


 照れ隠しに、花のおでこを一度つんとする。


「痛った~。ぜんぜん優しくない!」


「そんだけ言えるなら平気だと思うけど。まあ降りたら一応百瀬先生に見てもらおっか。さっき……約束もしてたしね。そしたら昼ご飯にしよう。そろそろ時間だし」


「あー! 見てみて、氷柱が出来てるよ! 綺麗!」


 隣でぼやく俺を余所に、ロッジを指差した花が子供のようにはしゃいだ。


「…………聞いてないし」


 俺は自然に持ち上がる口角を抑えて、縦横無尽に雪山を下る彼女に続いた。


 * * *


「はいゴールっ!」


 目の前の花が、足を揃えて綺麗にブレーキを決める。


「驚いた。ほんとに数時間で滑れるようになっちゃったんだから。このままじゃ俺より上手くなっちゃうかもな」


「そんなことないよ! 追い付くわけないじゃん! 蝶はね、上手過ぎ! 背中向けたまま滑れるなんて変だよ! わたし怖くてそんなこと一生出来ないもん!」


 嬉々とした表情で喋る花。彼女は初日にしては十分過ぎるほどの成長を遂げていた。ブレーキ時足を揃えることと、八の字のまま滑る技術は身につけたらしい。


「みんなもう来てるだろうから、ここに板置いて中入るよー」


 養護教諭の百瀬先生に軽く診断をしてもらった俺たちは、集合場所に辿り着いていた。レストランや売店が併合された人で賑わう施設の隅にスキー板を立てる。


「あ、待ってー!」


 置いていかれると思ったのか、忙しない様子で花が着いてくる。


「わぁ……人でいっぱいだね」


「お昼どきだしね。迷子になんないでよ?」


 花をからかうような目で見てやると、彼女はむっと頬を膨らませた。


「ふ、ふーんだ……子供じゃないんだからっ」


 ムキになった花が、つかつかと歩を進めていく。


「あっ、こら! ほんとに迷ったらどうすんだよ! ちょっと待ちっ――」


 自然と手が出て、花の手のひらをぎゅっと握った。


「…………」


「あーっと……」


 俺が戸惑った表情を見せると、花も途端に顔を赤くして俺をじーっと見つめてきた。


「……なんか、ごめん」


「……あ、うん」


 なんとなく気まずくなって、俺は手を離してしまった。

 何をするでもなくその場に立ち尽くす俺たちに、声がかかった。


「蒼希~!」


 窓際側のテーブルに藤川と酒井が向かい合って座っていた。俺は藤川に手を振返し、花と目を合わせる。


「行こっか」


 こくりと頷いた彼女と一緒に、藤川たちの座るテーブルへと寄って行く。

 酒井の隣に花。藤川の隣に俺が座り、お互い向き合う形になった。


「おつかれー。どう? 赤希滑れる様になった?」


「あ……うん。か、彼のおかげで」


 名前で呼んでくれなかった……彼、か。

 まあでも俺も人前じゃ花って名前で呼べないし……お互い様かな。


「ふーん……」


 俺と花の顔を交互に見ながら、藤川が頬杖を付きながらぼやいた。

 どうやら俺たちの微妙な関係が気になっているようだった。


「酒井は? 滑れるようになった?」


 斜め前に座る酒井に目を合わせて、俺は訊ねた。


「えっー……ど、どうだろう」


 チラチラと藤川に視線を送りながら顔を俯ける酒井。


「ふふ、言ってやりなよ! 大丈夫大丈夫、滑れるようになってるって」


「へー、凄いじゃん……まあ、ウチのは――」


 そこまで言いかけて俺は言葉を飲み込む。『ウチの花も頑張ってるけどね』と言いそうになってしまった。


 それを察知したのか、花が酒井に向かって、


「ゆ、夕ちゃん後で一緒に滑ろうね!」


「……うん!」


 にっこりと笑い合って約束する二人。なんだか微笑ましい。

 すると藤川が俺に訊ねてくる。


「なんか事故みたいのはなかった? 怪我とか」


「事故か……」


 それは……俺らに洗いざらい吐けと、そういうことなんですか?

 隣の花の視線を感じる。キツい! これはキツいぞぉ!


「な、ないよ……特には、ね?」


「……う、うん……全然平気だったよねえ……あはは」


 作り笑いを浮かべながら俺たちは笑い合った。嘘が下手くそ過ぎる俺たちである。

 藤川がそんな俺を見て笑った。


「何その顔! なんか隠してない? 二人して」


「ぷっ……蒼希のバカ顔」


 釣られて酒井も吹き出す。


「あ~ら可愛い合コンね~、お姉さんも仲間にいーれて」


 談笑を繰り広げる俺たちのテーブルにやってきたのは、養護教諭の百瀬先生だった。


「あ、先生。さっきはありがとうございました」


「それが仕事ですもの。あんまり頑張りすぎないように。特に花ちゃんは女の子なんだからね」


 百瀬先生は俺の隣にぐいっと身体を寄せてくる。柔らかい大人の女性の肉体が、俺の側面に接触する。それと一緒に鼻腔を刺激する甘い香り。


 ――じゃなくて、花が見てるから!

 直視したわけではないが、なんとなく不安そうな面持ちでじーっと俺を見ているような気がするのだ。誤解は避けたい。


「どうぞ続けて?」


 面白い物でも見つけたみたいに、にこにこしながら机に手をつく百瀬先生。


「続けるって……何をです?」


「え、合コン」


「「ち、違いますよ!」」


 ハモる藤川と俺。 とんでもない勘違いです本当にありがとうございます!

 そんな俺たちを見て、花と酒井がくすくすと笑った。


 しかし……考えてみれば、ここに座る四人はみんな恋をしている。

 俺は花が好きで――藤川は酒井が好き。それで酒井は藤川が好きなんだ。

 花は――わからないけど。

 でも、少しは……俺のことを見てくれてると……嬉しいな。


「えー違うの~? 短髪のキミはねえ、前の童顔ちゃんが好きっぽいんだけどなぁ」


 百瀬先生の細い指先が、藤川を指し、すぐに酒井のほうへスライドする。


「なっ……」


 藤川が驚いた表情で口をぱくぱくさせる。これが俗に言う超図星展開である。

 いや、言わねーよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る