第39話 時間差攻撃

「……えっと、じゃあ…………や、やる?」


 どうなのこの誘い方は。ブッ飛ばされたりしない?


「……うん」


 もじもじさせた指先を花は小さな顔の前に持ってきた。表情を隠しているつもりなのかも知れない。そして、頬を紅潮させて――


「は、はい……どうぞ……」


 まるでわたしをプレゼント(はーと)みたいな感じで、彼女は自らの身体を差し出してきたのだ。


「どーぞ……って?」


「……え?」


 きょとんとした顔で、彼女はこちらを見つめてくる。俺はたじろぎながら表情を手で隠して、


「ま、まあ……じゃあやろっか」


「……うん」


 俺は花の背後に回り込んで、彼女の脇腹にそっと手を差し込む。


「……ふふっ」


「な、何さ」


「ううん……ごめんね。なんでもないよ」


 花が照れ笑いを浮かべながら振り向いてきた。

 顔が驚くほど近くて、胸が鼓動を始める。


 ――アカン。

 これはアカンで。母さん。

 男女として……幼なじみとして……なんか凄い……生々しい!


「もうちょっと……屈んでもらってもいい?」


「う、うん……」


 花は、俺の言うとおりに腰を曲げて中腰になった。

 だが……この格好は……色々とマズい気がする。


 なんか……これもう。


 身を屈めた花の背後に、俺が身体を押しつけるようにしている。

 現状のこのスタイルが、とある出来事を連想とさせる。


 ――いいですか神様、俺は何もしていません。

 これは自然の摂理に従ったまでのことです。ああ――神よ、ありがとう。


 俺は手を花の腹部辺りに回して、シートベルトのようにぎゅっと抱きつく。

 周りに誰も居なくて本当によかった。


「……痛くない?」


「ふふっ……やあっ、くすぐったいよ」


 花がくすくす笑いながら、落ち着かない様子でじたばた身体を動かす。


「え、えっと……」


 慌てる俺。密着させていた身体を少し離してしまう。

 これ、セクハラだとか言われて訴えられても俺何も言えないよ?


「……ほらっ! もっと強く! どっか行っちゃうかもよー!?」


「でも、くすぐったいんじゃ……」


 緩めた手を、彼女は自分の身体にぎゅっと押し込んだ。


「いーの! ふふっ……でもくすぐったいっ」


 花が顔だけをこちらに向けて、天使の笑みを向けてくる。とても楽しそうにえへへと笑った。


「……そ、そっか」


 心の中ならいいよね。

 ――かっわっっっっ!!


 そして何この甘い桃色のゲレンデは!何このハッピーな感じ! ハピハピやん!

 花が愛おしすぎて苦しい! なにこれ楽しくて苦しい!


「早くいかないの? いつ行くのー?」


 花が小さな子供のように眉を曲げて、顔を傾けた。

 そんな彼女の一挙一動がすべてかわいらしくて、


「……バ、バーカ」


 照れ隠しにそんなことを言ってしまうくらいに。


「えー、なんでよー?」


「う、うるさいよ! よし、じゃあ行きましょう!」


「えっ……ちょっと……待っ……きゃ、わっ……あああ!!」


 俺は重心をすねの辺りにかける。するとスキー板が白の大地をすっーと切り裂いて前進して行く。

 突然進み出したことに驚いたのか、花が俺の二の腕をがっしりと掴んだ。

 俺も、そんな花の身体を腕で挟んで、しっかりと支える。

 だが、さっきからやたらと板と板がぶつかる音が下から聞こえてくる。

 ふと視線を下げると、八の字のまま花のスキー板がどんどん広がっていき、俺の板にぶつかっていたのだ。


「ちょっと!! 何してんの!? 板は真っ直ぐだよ!」


「だ、だってぇ~! ううっ」


 俺たちは少しずつ加速していき、それに比例するように花の足が段々と内股になっていく。

 やがて自転車と同程度のスピードまでになった。


「きゃーっ、怖い!!」


 花が思い切りエッジをかけて、白い粉雪が地面から吹き出る。

 下り坂は急になる一方だった。


「ばっ、そんな内股にしたら!」


「きゃああああっ!!」


 俺の板と、花の板が絡み合い――、一瞬時間が止まる。


 これは転ぶ。

 絶対転ぶ、100パーセント転ぶ!! ゴロゴロ転がって一番恥ずかしいパターンのヤツや!

 俺の長年の勘が、瞬時にそう判断する。


 ――気付けば、両腕で花を強く抱きしめていた。

 瞼を――固く閉じる。


 絡み合うお互いのスキー板もブーツから弾け飛んで、俺たちは白地を漫画のように転がった。花を抱え込んでいたおかげで、彼女に外傷は無さそうだった。

 ウェアの上からでも、花の柔らかい身体の感触が伝わってくる。


 俺はゆっくりよ瞳を開いて、下敷きにしてしまっている花の耳元にぼやく。


「……大丈夫? 痛くなかった?」


「……んん、ありがとう。でも……は、離してっ!」


「え、あ、……うん」


 花の身体から手を離す。

 なんだか……やたらと花の心臓の音が伝わってきていたような……?


 おっと。待て。

 冷静になるんだ。何だ、さっきのやたら柔らかいあの感触は……。

 まさか――花の……?


 触ったというか、正しくは完璧に掴んでいたわけだが。

 俺は瞬時に両手を空に向け、不可抗力であったということを証明する。

 そんな俺をじっと見つめて、花は恥ずかしそうにそそくさと自分の胸を手で隠した。


「…………」


「…………っ」


 ――うぉぉぉ……見てるよ、こっちめっちゃ見てるよ。

 これ相当気にしてるよ。


 でもそうだよな。助ける為だったとはいえ、俺は花の胸をガッと乱暴に掴んだんだってことだ! 最悪すぎだろ、マジなんだよ!


 ――どうするんだ。……俺には前科がある。

 そう――あの夜、花がウチに泊まったときに誤って花の胸を揉みし抱いてしまったことがあったのだ。次は怒るからね? と花が言っていたのを思い出す。


 あれは――フラグだったのか。

 もうこうなったら乗り切るしかないだろう。


 ……方法は三つだ。

 一つは、花から何か言ってこなければ、今回の一件はなかったことにする。

 しかし、この方法は俺たちの関係を余計に気まずくさせる効力を秘めており、おそらくこれから花と顔を合わせることさえ辛くなり俺は死ぬだろう。


 二つは、もはや俺から「胸触っちゃった! ゴメンね! でも……良かったよ」と言うことだ。

 ――お前は誰だよっ!!

 確信犯と疑われ、さっさと俺は死ぬべきだろう。


 三つは、シリアス顔で真剣に謝ることだ。

「胸を……掴んでしまった。……本当に、申し訳ない。変わりと言ってはなんだが……是非とも僕の股間を――」


 下ネタじゃねぇかっ!

 こんなこと言えば俺は、宇宙の果てで塵じりになって死ぬしかないな。


 つまり――どれを選んでも俺は死ぬ。


 嫌だぁぁぁぁっ!! 嫌われたくないぃぃぃ!!

 目を合わせるのが辛くて、俺は現実と共に花の顔から目を背けてしまう。


「……えっと」


 矢継ぎ早に口を開くが、特に言葉にすることなどない。

 すると、花がこちらの表情を窺うように言った。


「身体、平気……? 怪我とか」


 ――こ、これは……。

 胸を触った事実をなかったことにするのが無難かつ自然な流れ!

 たとえこの手に柔らかな温もりと素敵な感触が残っていようと!


「そっちこそ……大丈夫だった? 下敷きにしちゃったから」


「そ、そんな! 蝶が……守ってくれたから、大丈夫だったよ。……あの、本当に、ありがと!」


 照れながら微笑む彼女の無垢な笑顔が、俺のハートをギュッと掴んで離さない。


「そりゃあ……まあ」


 俺はぼりぼりと頭を掻きながら頬を熱くさせる。

 なんだか照れる。こういうの。


「……うん」


 お互いに顔を俯けたまま、時が過ぎていく。

 周囲には飛散した二人分のスキー板だけが広がっている。これだけのことが起きて、二人とも無傷だったのが奇跡である。

 飛散したスキー板に近寄って、それらを拾っていく。


「…………板、付けよっか」


「あっ、うん」


 耐えきれなくなった俺が口火を切った。なんとも言えない空気が辺りに蔓延る。


「またあれ、やってほしい」


「何?」


「ほら……あの、あれ! あれ!」


 花が、慌ただしく身体を動かしながら何かを表現する。


「ん~……ああ、俺に板をつけろと」


 お子様プレイ再始動か。俺は苦笑しながら再び彼女の前に座った。


「はい、じゃあ足をどうぞ」


「…………なんか、お姫様になった気分」


 花が恥ずかしそうに足を突き出す。彼女の両手が、再び俺の肩に接触する。

 なんだかくすぐったくなる。


 俺はそのまま黙々と作業に徹した。すると――。


「……ね、ねぇ」


 花言葉を詰まらせつつ、訊ねてくる。


「んー?」


 片方のスキー板の取り付けが完了したところで、俺は花を見上げる。彼女は困ったような表情を浮かべて顔を横にそらした。


「…………や、やっぱいい」


「……な、なんだよ。はっきり言いなよ」


「…………んー」


 花の曖昧な呻きを聞きながら、俺はもう片方の板の取り付けを開始する。


 ――な、なんだ。まさか……時間差攻撃なのか? 逃がしてくれたのではなかったのか? やっぱりセクハラだと訴えられるのだろうか、俺は!


 途端に冷や汗が額に浮かぶ。

 どくんどくん――と、胸の鼓動が暴れ始める。


「……蝶、さっきわたしの胸……触った!」


 ――オーマイガッ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る