第38話 イチャコラ・スキー

 白い雪原を花がゆっくーりと進み、やがてこてんと尻餅をついた。


「こ、怖~いっ」


「だからー、ダメなんだって! そんなに背中丸まってちゃ」


 やはりまだ怖いようで、ずっと猫背のまま直進する花。

 数メートル進めば尻餅をついてしまう。


「うぅ……難しいよ」


 花は気難しい顔をして再び立ち上がると、少し滑ってからまたこける。

 今度は手を新雪にずぼり。


「冷た~い……雪いっぱい入っちゃった、もうびちょびちょだよー」


 変な妄想が浮かんできそうだったが、俺は直ぐに頭から振り払って自らのグローズを花へと差し出した。


「ほらこれ使いなよ」


「え、でも……」


「俺こけないし。平気だよ」


「……じゃ、じゃあ。ありがと!」


 花が男物のグローブを嵌めて、満足そうに微笑む。


「温かい」


「俺のぬくもり?」


 ――うわっ、キモ!

 自分で言っといてなんだか今のは滅茶苦茶キモかった。


「うん……蝶のぬくもりだねっ。とっても温かいよ」


 照れた表情な上に、上目遣いで花が告げてくる。

 俺氏、胸キュンモードに突入。


 でも恥ずかしい。冗談のつもりで言ったのに、ツッコミ入れられるどころか素直に返事返されちゃったよ! なんて純真な子なの! いい子!


 俺は花の美しい心に、ある種の感動を覚えつつ、丁寧にスキー技術を伝習することに努める。


「基本ブレーキは八の字だよ。やってみ」


「……こう?」


 またもや花は大胆に股をおおっぴらに広げた。

 女の子なんだからそんなことしたらダメです! とは流石に言えなかった。


「違うって! 逆! 自分の方から見て八の字にするんだよ」


 俺は、焦りながら彼女の両足を閉じさせる。


「あっ、なるほど!」


「そう、よーし……じゃあちょっとついて来てみて」


 俺は流麗に雪の上を滑って、くるりと半回転。

 下り方向に背を向け、花を見据える。


「すごーい……」


 あっけらかんとした花がそう言う。大分嬉しい。


「ほら! 俺の滑った跡があるでしょ。それを辿ってここまでおいで!」


 花に向かって手を振る。

 こくりと頷いた花は、八の字のままゆっくりと俺の通ってきたルートをなぞる。

 常に八の字のまま滑っているせいか一切スピードはないが、彼女なりの頑張りが見える。


「ふぎゃ!」


 そのまま積もった雪でできた山にゆっくりと突っ込んでいく。ちなみに綺麗に顔からいった。


「大丈夫ー!?」


 板のエッジを立てて、坂を横歩きしていく。

 身体中を雪塗れにした花が、仔犬のようにこちらに顔を向けてくる。


「えへへ……大丈夫っ!」


「鼻に雪付いてる」


 俺は親指で彼女の鼻先の雪をそっと落とす。


「んっ……あ、ありがとう」


 花は照れたように笑う。


 そんな花を見て身をよじらせる俺。

 誰かこのかわいい存在をどうにかしてくれ! 魂からの叫びであった。


 * * *


「ふぅ~……ちょっとだけわかってきたかも」


「まだまだ全然だけどね」


「これからだもん!」


 ムキになってぷくっと頬を膨らませる花。愛でたい。めっちゃ愛でたい。

 花は八の字の体勢のまま、ゆっくりと真っ直ぐ降りられるようにはなっていた。


 そんな愛らしい花を余所に前を向くと、そこには大きく開いた坂があった。

 おそらくこの初級コースで一番メインの滑り場だろう。経験者にとっては最も楽しい場所になるはずだが、初心者の花にとっては最難関の壁に等しい。


 お昼過ぎの集合場所へ行くときも、もう一度リフトに乗る際もここは必ず通過しなくてはいけない。


 俺が出来るのは、彼女が大きな事故に合わないようにサポートすることだけだ。

 すると――聞き覚えのある声。


「おーい! 二人とも~!」


 リフトに乗った中嶋が、俺たちを見下ろしながら手をぶんぶん振っていた。


「あ、ナッチ~! はやーい!」


「花がんば! そして運動音痴を克服するのだ!」


 二人の間で黄色い声が上がる。盛り上がるのも構わないが、そんなことより俺は中嶋の隣に座っている男が気になって仕方なかった。


「おーい、ミッチ――」


 俺は当人に呼びかける。

 まるで明日のジョ●ーのような体勢のまま、青白くやせ細った頬で、廃人のように何事かをブツブツと唱えている。彼が由々しき状況下にいるのは、それを

見れば十分だった。


「できれば触れないでいただきたい」


 リフト上のミッチーと、一瞬視線が交差したとき――彼はそう言った。

 そしてそのままリフトはドナドナと空の彼方へと飛び立っていく。


 何があったのかは知らないが、とりあえずなんかヤバそうである。

 奴は死んだ魚の目をしていた。


「ふっ…………」


 ――何あの顔、どんだけ絶望してんだよ。テンション落ちすぎだろ。ちょっと前のお前は一体何だったんだ。

 俺はついにやけてしまい、声を漏らした。


 悲しい男の背中が遠くなっていく。

 頑張れ――ミッチーさん。

 俺は彼に向けて両手を合わせて祈っておいた。


 ある程度祈って、俺は視線を花に戻した。


「……さて、じゃあ……花さん。ここを越えないと行けないわけですが」


「う、うーん……行けるのかな?」


 頭にクエスチョンマークが浮かぶ花の横を、若い男女カップルが横切る。

 男が女の方を後ろから抱きかかえる形で、一緒になって滑っている。


「きゃ~!こわ~い!」


「はっ安心しやがれってんだ! 俺がお前を包み混んでっからよぉ! ギュッてしてやるぜえ……あらよっと!」


「きゃ……! もぉっ~…鉄っちゃんの馬鹿ぁ! エッチ!」


「へへへ、こりゃ参ったなぁ! アハハ」


 いやいや鉄ちゃん、今すぐ奈落の底まで滑ってってよろしいよ?

 あれが俗にいうことイチャコラ・スキーという奴か。いや、今考えた俺の造語だが。


 親子で滑るときなんかにお父さんが、子供によくやるアレである。俺も幼い頃父さんとゲレンデに来たときはよくやっていた。

 だが若い男女でやっているのをみるとなんでこんなにもムカムカするんだろうね! 爆発しろよ、鉄ちゃん!


 鉄ちゃんと鉄男を参らせる女がそのまま二人ですっころび、あははと笑い合う。

 まさに裏山けしからん案件である。


「す、すごい転び方したね……あの二人」


「イチャイチャしてるからだよ」


 ――はっ。

 つい、俺の口からそんな言葉が飛び出てしまう。性的な事柄に繋がってしまうような言動は日々避けて生きてきているというのに!


「えー……いいじゃん。なんか……幸せそうで。ちょっとだけ羨ましいかも……」


「えっ、そうなの」


「…………うん」


 花がもじもじしたまま、唇から声を漏らす。


「…………あ、あのっ」


「……何?」


「…………えっと……お願い……してもいいかな」


 手に握ったストックをいじくりながら、ちらちらと俺に視線を送ってくる。


 ――まさか。


「……お、お願いって……なんだい」


 もはや棒読みである。なんだいって、なんだい。


「…………あ、あれ」


 花が震える手で、先ほどすっころんで宜しくやってる『鉄ちゃんズカップル』を指差した。


「あれが……?」


 大体彼女が何を言いたいのか、わかった気がする。

 でも、一応聞いておきたい。君の声で! 君の意思で!!


 俺は瞳を輝かせながら、花に期待の眼差しを送る。


「……わかってるくせにっ。い、言わなきゃ、ダメなの……?」


「え? 何? あれがなんなの? 俺全然わかんない」


 完全に調子に乗っている俺である。


「も、もういいよーだっ! ……な、なんでもなかったです!」


 拗ねてそっぽを向く花。

 なんだよ……このかわいい生き物。

 結局このよくわからない争いは、俺が先に折れることになった。


「嘘だよ嘘! ああいう風にしたいってことで……いいのかな」


 はずかしっ!! これ見当違いなこと言ってたら俺の将来は雲の上ですけどっ!?


「ああいう風って……?」


 ――ちょま、なんか反撃してきたんですけど! この子自分がやられたからってやり返しにきたんですけど! 恐ろしい子!


「えっと……そ、それは……あの人たちがやってたみたいに――」


 なんなんだ、このお互いに譲らない感じの会話は。

 もう言えよ!! 一緒にくっついて滑ろうって!


「みたいに?」


「お、俺が……こう、花を支えて、一緒に~みたいな? 感じ……っすか?」


 曖昧な言葉を並べながら、俺は顔を徐々に赤くしていく。

 勘弁してください。恥ずかしくて死にそうです。許してください。


「わ、わたしは……それでもいいけどっ」


「……別に、俺も構わない……けど」


「……んっ」


「……はい」


 何がはいだよ! さっきからなんなんだよこのやりとりは!

 誰も居ないのになんか無性に恥ずかしいっ!


 二人で勝手に顔を赤く染める俺たちだった。

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