第37話 僕の幼なじみは運動音痴

「じゃあまずは板をブーツに付けてみようか」


「ふふっ、なんか先生みたいだね」


 花がくすくすと微笑んで、見上げてくる。その言葉に若干ときめく俺。

 俺たちは坂のすぐ手前までやってきていた。周囲にはブーツと板の調整のために尻餅を付いた人々で溢れかえっている。


 とぼとぼ歩く花を誘導しつつ、端っこに移動。


「まずは靴に雪が詰まっちゃってるから、ほら……ストックでトントンして」


 俺は彼女のストックを手渡しながらに言う。


「叩けばいいの……?」


 花は頭を傾けながら、ブーツの底に詰まった白い雪にストックのリング部を押し当て始める。


「……きゃ」


 しかし、途中で身体のバランスを崩して、その場に転んだ。


「何してんのさ」


「だ、だって……掴まる物がないんだもん!」


 小さな子供のように、ぶー垂れる。

 俺も最初はそんなだったな、と思いながら花に近づいた。


「わかったよ。ほら、立ってみ」


「えっ?」


「雪、俺が落としてあげる。……肩、掴んでていいから」


「…………ぅ、うん」


 俺は花の足下に座って、ブーツに手を添える。

 やがて、俺の肩にぽすっと軽い感触が乗る。


「……ふふ、なんかくすぐったいな」


「や、やれって言ったのそっちだよっ!」


 思わず笑みがこぼれる。困ったような表情を浮かべる花を余所に俺はストックの先で彼女の靴底を叩き、雪を排除してから、スキー板をセット。


 独特な空気――少しだけ、無言の時間。


 顔は上げなかったが、花が一体どういう表情をしているのか、気になった。


「はい、できたよ」


「すっごーい……ちゃんと足に付いた! ありがとう」


 嬉々の表情を浮かべながら、花が足を持ち上げて板がしっかり設置されているのを確認する。

 俺も自分の板をブーツに取りつける。そして、柔らかい白地の地面を滑りながら、身体をくるっと回転させて、こちらをぼーっと見ている花に手を振る。


「そしたらここまでおいで。周りの人に気をつけて」


 両手を叩いて、花に声をかける。

 花の前はすぐに緩やかな下り坂になっている。リフトから降りた人たちが流れるようにそのままコースラインへと入り込んで来る。


「ぜ、全然進まないよー!」


 その場でよちよちとペンギン見たいに足踏みをする花。板を上下にスライドさせているだけで、実質彼女は一歩も進んでいない。


「ストック使って! 地面に突き刺して、こう……すいーって感じで」


 ジェスチャーをしながら花に伝える。


「やってみる!」


 自らの手が握る棒状の物にようやく気が付き、花は白い地面にストックを突き立てて――板を滑らせる。


 それまではよかった。

 だが……彼女は勢いよく進みすぎて――俺を簡単に通過。


「あ、あれ……止まらな……わわっ、きゃああああ!」


「花っ!」


 すぐに足を踏み込んで、コースをド直進していく花を先回りする。


「花、ブレーキ! 足を八の字にするんだ!」


「は、八……!? …………うぎゃぁ!」


 俺の言葉に耳を傾けた花は、見事な“逆八の字”を披露。

 股を押っ広げたまま勢いよくコース外の新雪に、『大』の字を刻み込んだ。


「花! 大丈夫!?」


 身体ごと雪に埋まってしまった花の腕を引きながら、声をかける。


 すると――。


「…………うぅっ……ひっく……うぇぇ~ん…………怖かったよ~!! 蝶っ……」


 瞳を涙で滲ませた花が、耐えかねたように思い切り抱きついてきた。


「……痛いところは?」


「ううん……痛くない。びっくり、しただけなの」


「大丈夫、平気だよ。だから泣き止んで…………よしよし」


 花をあやすように、俺は彼女の頭にぽんぽんと触れた。

 泣きじゃくる花の背中に軽く手を添えて、彼女が落ち着くのを待つ。


 こうしていると――泣き虫だったころの花を思い出す。

 何かあると、すぐに声を上げて泣いていたっけ。


「ごめんね、うぅ……格好悪いね。……また、泣き顔見られちゃった」


「そんなことない、初めてなんだから当たり前だよ。寧ろ助けられなくて悪かった」


 俺と花はコースの端に寄って、しばらく休憩することになった。

 目前を滑っていくスキーヤーやスノーボーダーを眺めながら。


「どう? 落ち着いた?」


「……うん」


 グローブを外し、花は眦を微かに湿らせる涙を拭う。


「わたし……怖い。出来ないよ」


 彼女は顔を俯けてしまい、ぽいとグローブを雪にほっぽる。

 初っぱなからあんなクラッシュを起こしてしまえば怖くなるのは当然だ。

 でも、それで諦めるのは勿体ないとも思う。


「……あっ、ほら、あの子見てごらん」


 俺は目前を勢いよく滑って行く、小学校低学年くらいの男の子を指差す。


「あんなちっちゃい子でも楽しそうに滑ってるよ」


「……でも、わたし運動音痴だし……絶対出来ないもんっ」


 どうやらいじけてしまったようで、付近の雪を丸めて小さな雪玉を作り始める花。


「運動音痴だって、頑張ればみんなで楽しめるくらいには上達するって。挑戦してみないと何も始まらないよ」


「…………」


 花は俺の言葉に耳を傾けながら、手のひらの雪玉をじっと見つめる。


「ね? もっかいやってみない? 俺、頑張って教えるからさ。その……なんなら密着教育しても……子供に教えるお父さん的な感じでさ」


 少し恥ずかしかったが、俺は真摯に伝える。花にはスキーの楽しさを知って欲しかったし、彼女と一緒にこの修学旅行を楽しみたかったからだ。


「……ふふっ、なあに……密着教育って。いやらしーい」


 花が笑ってくれた。あひるのような口でおどけるのが、またかわいらしかった。


「なっ、失礼な! あなたの為に言ってるんですよ、俺は。それにマンツーマンで何か教えるときなんてそんなもんでしょ。ほら、もう少し頑張ってみよう」


「そうだね……うん」


 俺は花に手を差し伸べる。しばらく座っていたせいか、よろける花。


「大丈夫?」


「あ、ごめんねっ……平気だよ」


 花の腕を掴んで、彼女の顔を窺う。帽子の隙間から見える耳が、ほんのりと赤く染まっている。


「……どうしたの? 顔、赤いよ。風邪引いちゃった?」


「えっ!? ……あ、えっとね……うーんと……あ、熱いの!」


 あたふたしたまま花は両手をぶんぶんと振った。照れる表情の中に、少しの嬉しさみたいなものが垣間見える。


 ――恥ずかしがっているのかな。

 目の前の花を、俺は愛おしく思う。

 そして、なぜか無性に俺まで恥ずかしくなってくる。自ずと、耳が熱を持った。


「ち、蝶だって……耳赤いし」


「こ、これは……あれだよ、寒くて赤くなってるんだよ!」


「じ、じゃあ…………私もそれだもんっ」


 それだもんってなんだ。かわいいけども。


「も、もういいよ! はい、じゃあさっさと始めよう! 基本腰をしっかり落として、膝柔らかく!」


「は、はい!」


 ようやくそれらしいスキーレッスンが始まったらしい。

 はてさて……どうなることやら。

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