第36話 わたしをゲレンデに連れてって
俺たちは班のみんなより少し遅れてのスタートだった。
頭上の大きな円盤がぐるぐると回り、新たなリフトを空へと繰り出していく。
いくつかのリフトが過ぎていき、ついに俺と花の順番がやってきた。
係のおじさんが手を振る。どうぞ座ってくださいという意味だろう。
隣の花に伝えようと目を向けてみる。
しかし、花からは一切動く気配を感じなかった。流れていくリフトをただじっーと眺めている。
そんなことをしていると、俺たちが乗る予定だったリフトが空へと旅立ってしまった。ぽかんとするおじさんに頭を下げて、俺は花の袖を引いた。
「……花、行くよ」
「あっ……ご、ごめんね」
「大丈夫だよ、別に怖くないから……ほら来たきた」
「えっ……! まだ心の準備がっ」
足場に引かれたラインまで歩を進める。
背後からは、今回俺たちを山の上まで連れて行ってくれるリフトが迫ってきていた。
「……えっ、嘘、もう来る!? 来るの……!?」
「来るよ、ゆっくり腰落として……3、2、1……はい」
「きゃっ――」
とん、とリフトが股あたりに当たって、俺たちは椅子に腰掛ける。二人分の重量を受けたリフトは、ワイヤー部分を少し軋ませつつ、緩やかに揺れながら俺たちを乗せて高度を徐々に上げていく。
目下には柔らかそうな白い雪と、大量に聳え立つ杉の木。
隣には密着する花。
公園のベンチよりずっと狭いこの距離で、ゆらゆらと俺たちは二人きりだ。
俺はリフトの上部を見上げる。どうやら安全バーの無いタイプらしい。
初めてチェアリフトに乗る花にとって、大分怖いかも知れない。
「け、結構高いんだね……ひゃあ」
花はサイドの手すりをがっちり掴みながら、真ん中のほうへ身を寄せてくる。そのたびに俺の側面に花の柔らかい身体が押しつけられるという堪らない状況である。
にやけてしまいそうになりながら、花に訊ねる。
「怖い?」
「こ、怖くなんて……! って言いたいところだけど、やっぱり怖い……。なんか、落ちちゃいそうで」
「……落としてあげよっか」
「えっ!? 何言ってるの!? 絶対ダメだよ! ちょっと、やだからね!? だ、ダメだよっ?」
急に泣きそうな顔になって不安そうに俺を睨み付ける花。尋常じゃないくらいに焦った顔をしている。いやいや、そんなことするわけないじゃないですか。
そんな花がかわいくて、つんつんと軽く花の肩を突っついてみる。
すると、ぎろっと目を尖らせた花が、俺の指をぎゅっと握ってきた。
「ごめんって。冗談だよ」
「……ふんっ」
ふてくされてそっぽを向く花。
彼女の手は、俺の指から俺のウェアの裾へと移っていた。まるで母親の服をぎゅっと握る子供みたいに。
「…………」
二人で、静かな木々に囲まれて。
唇を噛み締めたくなるほどドキドキするシチュエーション。
冷静を装っていても、俺の内心は心臓バクバクで。
裾を掴んでいることとか、身体が密着していることとか、そういうの全部。
でも、お互いそのことに関して特に何か言うわけでもなく。
静かな時だけが流れていく。
「あ! あれってもしかしてウサギの足跡? ほら見てみて、あそこ!」
「ホントだ」
真下の新雪に不自然に付いた足跡。
この山に住む住人たちの存在に気分を高揚させた花が、無邪気な笑顔で俺のウェアを引っ張ってくる。
ああ……しあわせだ。なんだよこの時間。最高かよ!
こんなにドキドキするスキーリフトは初めてだった。
そう思った矢先――突然リフトが止まった。
「あ、あれ? 止まっちゃった?」
「乗り降りするときに誰か引っ掛かったんだよ、多分。大丈夫、すぐ動くよ」
動かなくなったリフトの上で、花がちらりと俺に視線を向けてくる。
「何? どうしたの」
「……ねぇ」
花はもどかしいく言葉を詰まらせながら、
「……さっき、夕ちゃんと何を話してたの?」
「さっき……?」
「ほら、リフト乗り場のところで……何か内緒、話してたでしょう」
「あ、ああ……」
まさかそんなところを目ざとく見てるとは。
昨日の風呂上がりのときもそうだったけど、もしかしたら花に酒井のことを好きだと思われているのかもしれない。
う、疑われるくらいなら言うぞ……俺は! 安心しろ酒井、相手のことは絶対に言わないから!
「恋のお悩み相談だよ」
「恋の……お悩み? もしかして…………ゆ、夕ちゃんのこと、好きなの?」
突然花の口からそんなことを言われて、俺の脳味噌に電撃が走る。
事実でなくてもすぐに反論したい思いに駆られる。
「ち、違うって! 酒井のことは……ただ、相談に乗ってあげてるだけだよ」
やたら強張った表情で、妙な返しをしてしまう。
これじゃ、酒井のことが好きだと言っているようにも感じ取られてしまうかも知れない。
「…………ふ、ふーん、そうだったんだ」
「……納得してる? 誤解とかしてない? 全然そういうのじゃないから」
「……べ、別に。わ、わたしには関係ないし! いいんじゃないですかっ」
明らかに誤解されているような気がする。心なしか花の機嫌もよくない気がする。
それでも俺はなんとか食い下がろうとする。
「いや、あの……だから――」
「もうわかったってば。相談……乗ってるだけなんでしょう」
こちらを一切振り向かず、花がそう言った。
気まずい沈黙が流れる。すると、止まっていたリフトが動き出す。
お互い違う方向を向いたまま、しばらく行くと、リフトの到着点が見えてきた。
正面には班のみんな。こちらへ手を振っている。
花がずっと掴んでいた俺のウェアから手を離して、みんなに手を振り返す。
名残惜しい気持ちのまま、俺たちはリフトから降りることになった。
「足ちょっとだけ上げて、降りる準備して。あと板は貸しといて」
「えっ、別に大丈夫だよ」
「だめ。なんか嫌な予感するから。二回目からね、最初は俺に甘えといて」
花から板を奪い、俺は二人分の荷物を纏めて肩に乗せた。
「……そうやって子供扱いして」
花がぷくっと頬を膨らませる。
「あんま膨れないでよ、かわいいな」
つい、軽いノリで本音が出てしまう。
途中で気付いて声を少しずつフェードアウトさせていったが、どうだろう!?
もし聞こえていたなら俺は恥ずかしさで死ねる!! でも反応も少し気になるよ!
「……か、かわ……!? ……いく、ないっ……てばっ」
耳赤っ! 寒さで赤くなってるのかかわいいと言われてそうなったのかわからないけど、花は完璧に照れていた。
隣の花に悶えかけていると、直ぐそこまで到着地点が迫ってきていた。
「あ、ほら。もう降りるよ、ほら、足上げて」
「えっ……いつなの、いつなの!?」
「もうだよ!」
「痛っ!!」
ああだこうだと事前に言い合った挙げ句の果て、リフトに尻をぶっ飛ばされ、乱暴に降ろされた。
「あーあ、だから言ったじゃん! ちゃんと足を上げとけって」
「だ、だって……急に……話かけてくるからっ」
かわいいのくだりを引きずっている!?
花は打ちつけたお尻をさすりながら、俺に一瞬目を向けてから直ぐに反らした。
俺たちはそのまま藤川たちの元へと歩いた。
* * *
「はい! みなさん聞いてくださーい」
爽やかな藤川の声が真っ白な世界に響き渡る。もう完全に幼稚園の先生だな。
「ここからは基本ペアでの行動にしようと思ってます。経験者の人はまず初心者の人たちを雪に慣らせることからお願いします! そんで、お昼前には下の広場に集合で!」
「は? おいおいちょっと待ってくれよ。この女と昼までずっと一緒だってのかよ!?」
ミッチーが中嶋を指差しながら抗議の声を上げる。
「今更何ヘンテコなこと言ってんのよアンタ! てゆーかこの女って何様よあんた! 夏美様でしょ!? ほらっ、行くわよ馬鹿男っ! ビシバシいくから!」
「なっ――てめっマジ何をしてくれちゃってんだよ! あ、痛っ……おいお前、耳を……ああ、なんだっけか、このぷにぷにのとこ……クソがッ! ど忘れかよ! クソ女め、引っ張りやがってよぉ……マジかよっ……ああ、ちぎれ、ちぎっ――あぁ、バタフラ~イっ!!」
耳たぶな。ぷにぷにのところは。
中嶋に耳を引っ張られながらミッチー退場。そんなに泣き叫びながら俺の名前を連呼することはないだろう、ミッチー。恥ずかしいからやめちくり。
「じゃ、俺たちも行くとしますか」
「アンタは教わる側の癖に随分と偉そうなのね」
健治と佐藤も歩きだす。
「酒井、じゃあ俺たちも行こっか」
「……あ、う、うん」
もじもじする酒井を連れて、藤川たちも去って行く。
俺と藤川は途中で親指を立てあった。あの夜の告白を越えてからというもの、俺たちの間には妙な仲間意識が芽生えていた。
「……行こっか」
「うん」
俺は隣で手持ち無沙汰にしている花に声をかけて、坂の方へと歩いて行った。
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