第34話 バタフライ&サウンドシー・ラブトーク

 薄暗い照明が古き良きバーのような演出になっているキッチンの椅子に藤川を座らせて、俺はカウンター内側の冷蔵庫に向かう。


「お客様、何になさいますか?」


 振り向きざま、ふざけてバーテンダーの真似をしてみる。


「はは、何それ。じゃあ麦茶か何か下さい」


 冷蔵庫を確認する。見事に何も入っていない。


「ございません」


「え、じゃ何があるんですかね?」


「水がございます」


 俺は逆さになっているグラスに、ワインでも注ぐように蛇口を捻り水道水でいっぱいにする。それを藤川の前にスライド。さながら俺の姿はバーテンである。

 水道水を勢いよく噴射させたせいか、テーブルの上がびしょびしょだ。おかげでいい感じに滑ってくれた。


「どうぞ」


「なんなのさ」


 藤川はにこにこ笑いながらグラスに口を付ける。

 さて、どんな風に聞こうかな……。


「水道水は恋の味……」


「へ、なんて?」


 俺はグラスを拭く素振りで失言を取り消すことに努める。

 藤川に恋の話を振ろうとしたせいで妙なことを言ってしまった。


「いや、あの……そういえば……なんだけど、藤川って彼女とかいるの?」


「えっ……か、彼女?」


 急にあたふたと目を泳がし始める藤川。


「いない」


「そうなのか」


 酒井さん! やりましたよ! 藤川本人の証言により、彼女なしとのことです!


「てゆーかなんでだよー!」


「いや、藤川モテそうだから。実際どうなんだろうなーって思ってさ」


「……でも、好きな娘なら……いるよ」


 なん……だと?


「……え、そうなんだ。誰?」


 うろたえた顔で俺は訊ねる。


「酒井……夕」


 一つの点と点が、今――収束する。って大袈裟すぎるか。


「え、何それ、マジで言ってんの?」


「なんだよー! 悪いかよ!」


「え、いやそういうわけじゃなくて……」


 耳をほんのり赤くさせて藤川がテーブルに突っ伏す。

 まさかの両想いってことか? それって凄くないか? 世の中にそんなことってあるんだな。


 なんだか幸せな気持ちでいっぱいになった俺は、聞いてみた。


「酒井のさ、どーいうところが好きなんだ?」


「……それ聞く? ま、いっか。もう言っちゃたしね。酒井って……なんかいつもぼっーとしてるじゃん。中身しっかりしてるのに。そのギャップがちょっとかわいいなって思ってて。それに、なんかほっとけないというか、気が付いたら酒井のことばっかり目で追ってたんだよ」


「…………」


「なんだよー! 恥ずかしいじゃん、なんか言えよー!」


「あ、ごめん、凄く素敵な理由だと思う」


 俺たちは声を合わせて笑った


「蒼希にやらされたわ~」


「藤川が勝手に告白したんだろ!」


 深夜三時頃だというのに、俺たちのテンションは上がっていくばかりだった。


「ずるいよ! 蒼希もなんか言え!」


「な、何かってなんだよ……」


「そりゃ、赤希のことでしょ」


 藤川が当然だろ、と俺に目を合わせてくる。


「なっ……俺は……いいだろ、別に……」


「よくないよ! 人の恋路を聞いておいて! はい! じゃあまず質問です! 二人はいつから付き合ってんの!?」


 テーブルをバンバン叩きながら、藤川が俺に詰問する。

 まさかこんな展開になるとは思わなかった。


「つ、付き合ってない……」


「嘘だろ! もうとっくに恋人同士なんじゃないの?」


「違うって!」


「……ふ~ん。じゃあ、今後は赤希を彼女にしたいと?」


「い、いや……俺はそういうわけじゃ」


「赤希のこと好きじゃないの?」


「……もうわかったよ、好きだよ、好き!」


「やっぱね。それで、最近はどーなの? てゆーかさ、蒼希が赤希のことを名前で呼んでるところ見たことないんだよね、俺。これってたまたま?」


 漫画ならギクッという擬音がバッチリあるはずだ。


「そ、それは……呼びづらくって……だな」


「呼びづらい? なんで? え、全然わかんない! 俺ってもしかして感覚ズレてるのかな」


「それは違う。藤川は本当に誰とでも親しみを持って喋れる好青年だからそんなこと気にもしないんだよ。ズレてるのは……俺だ」


 疎遠になった幼なじみだからこそ生まれた、心の距離。


「俺、あいつと幼なじみなんだよ」


「……え?」


 ついに口にしてしまった。健治に続いて二人目だ。

 藤川が口をぽかんと開けて、


「小さい頃から一緒だったってこと?」


「うん。物心ついた頃から一緒だったよ。ちなみに今も家はお隣さん」


「えっ……凄っ!」


 藤川が驚愕した表情で身体を乗り出してくる。

 そんな彼に、俺と花のこれまでの話を聞かせた。

 大きくなるにつれて、少しずつ気まずい関係になっていってしまったこと。それでも、最近は仲良くなれているということ。


 藤川は途中で口を挟むこともなく、ただ首を縦に振っていた。

 話し終えると、にこっと藤川が笑った。


「……いいじゃん、幼なじみ。昔から相手の幼い頃を知ってるなんて。好きになる子の昔話を聞くことはできても、実際一緒に同じ時間を過ごせるわけじゃないから、俺は単純に羨ましいと思うよ」


 じゃないと、俺も花を好きになったりしないと思う。

 幼い頃から一緒に歩んできた想い出があるからこそ、今の花が好きなんだ。

 だから、俺たちにとって、幼なじみであることは……とても重要だ。


 それに対する気まずさや、恥ずかしさも一緒に付随してしまうこともあるけれど、それは少しずつ治していけたらいい。


「おいてめぇら! さっきからコソコソ何してんねん!」


 ベッドから身体を起こした健治がずんずんとこちらに向かってくる。


「あ、なんか来た」


「じゃあ、恋する男子トークもここら辺でお開きかな」


「……そういうこと、よく平気で喋れるよな、藤川は」


「そう? あんまり気にしないんだよ、細かいこと」


「今日は……藤川と話せてよかった」


「俺もだよ」


 酒井の願いを果たせたうえ、それ以上の収穫もあった。彼女らは次期にカップルになれるだろう。藤川と話して改めて花への気持ちを見つめ直すこともできた。

 俺も頑張らないといけない。両思いな藤川たちとは違って、こっちは花の気持ちがわからないんだから。


 俺と藤川は二人で笑いながらベッドに戻り眠りにつくことにした。


 明日、ついにゲレンデに出ることになる。

 そんなことを思いながら、瞼を閉じようとすると、


「……お、おい……蝶! 見ろよ……三井の野郎、勃ってやがるぞ!」


「黙って寝ろ!」


 俺は健治をベッドから蹴り落として、布団を被った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る