第33話 どうか、ミッチーと呼んで
「ほら、ここ空いてるよ」
酒井が隣の座布団を叩く。花が座布団に座った。
「…………」
妙な沈黙に耐えられなくなった俺は、フルーツ牛乳を花の前に移動させる。
「これ飲む?」
「いいの?」
「わたしももらったよ、蒼希って案外優しいみたい」
「案外ってなんだよ」
花の方を見て、少しだけ笑う。すると彼女も一緒に笑ってくれた。
「んっ、美味しい!」
「美味しいよね、蒼希ってば全部一気に飲んじゃったんだよ」
「え~そうなの~?」
笑顔で顔を傾けながら花が俺を見つめてくる。
「……ま、まぁ」
やべえ、さっきから口数少な過ぎだ……今更なんでこんなに緊張してるんだ!
自然に花から目線を反らして、酒井と顔を合わせる。
酒井はじっーとこちらを凝視していた。
「な、何見てんの」
「ん? いや、別に」
同時にもう一つの視線。花が口を開く。
「……さっき、二人で何喋ってたの?」
「……えっ」
酒井が驚いたような顔で花を見つめる。
「あっ、別に言いたくないなら……その……」
花が遠慮したように両手を振る。
ちょっと待った。なんかこれ誤解されているような気がしてならないんですけど!
酒井は藤川のことが好きだってことを勘ぐられたりはしたくないだろうし、この反応が出てもおかしくはない。でもこれだと俺と酒井の間に何かあったんじゃないかと花が勘ぐりそうだ! 花にはバスで俺と酒井が身体を寄せ合って寝ているところも目撃されている!
――これは、マズい。
「……な、何喋ってたっけ」
俺は咄嗟のことでそんなことを酒井に口走ってしまう。
「ん~……わ、忘れちゃったなあ……あはは」
酒井も苦し紛れの言い訳で笑って誤魔化しやがった。余計に怪しい。
「…………え~、何それ」
花が笑いながら俺たちを交互に見る。
明らかに今、間があったんだが。人の良い花のことだから、空気を読んだんだろうな。
うっ……何も言えない。なんか妙に空気が重い。
それを察したのか、酒井が席を立った。
「わ、わたし……先に部屋戻るね。キー持ってるのわたしだし」
「お、おう」
酒井が足早に立ち去り、去って行く。
――ぬぉぉぉっ!!
少しの沈黙が続くも、花が先に口を開いた。
「夕ちゃんと……仲、いいんだね」
「そ、そうかな……普通、だと思うけど」
なぜか後ろめたい気分になって花の顔が正面から見られない。
今の花の質問、もしかして酒井に恋愛感情があるかと思われてる?
仲良くなってはきてるけど……そうじゃない。
沈黙の矢先、俺はつい恥ずかしい出来事を掘り返すようなことを聞いてしまった。
「……さっきのエレベーターのこと、誰かに言った?」
花が一瞬驚いた表情をしてから視線を合わせてきた。
「……い、言ってないよ」
「そうか」
「な、なんでそんなこと聞くの?」
風呂上がりのせいなのか、“あのとき”のことを思い出したせいなのか、真っ赤な顔の花が訊ねてきた。
「い、いや……先生とかに報告したほうがいいのかなー、とか思ってさ」
「あ~……確かに、そうだね」
違うだろ。そんなことじゃない。俺が本当に聞きたいのは。
なんで――あのとき抱きついてきたりなんかしたのか。
それが、彼女の口から聞きたい。
「い、いっか……別に内緒で! 俺と……花の秘密ね」
「う、うん!」
人差し指を立てて、花とお揃いの動作をする。
周りには誰もいないわけじゃない。一般の宿泊客がたくさんいる。
なのになんでこんな恥ずかしいことしてるんだ、俺は。
「あ……ようやく来た」
健治を先頭とした、肌を真っ赤に染めた男共が暖簾を潜ってきた。
「ふふ、飛谷くん、なんか凄い叫んでたんだよ」
足下がおぼつかない健治を眺めながら、花が報告してきた。
「ああ……変なこと言ってた?」
「うん、覗く計画してたの……蝶も入ってるのかと思っちゃった」
「俺はそんなことしない!」
「ホントはしたかったんじゃ?」
悪戯っ子の顔で花が笑う。
ふと視線を下に向けると浴衣の胸元が少しだけはだけていて、俺の鼓動を早くする。
「絶対にしないって!」
「ふふ、わかったわかった。なんでそんなに必死なの」
そりゃそうだ。花に誤解なんて、してもらいたくなんてない。
どんなことにだって、俺は必死だ。
* * *
花と別れて俺は自室に戻ってきていた。
別れ際、花が笑顔で手を振ってくれたのが嬉しくて、俺はにこにこモード全開だった。ベッドの上で、俺たちはだらだらとテレビを眺めながら時間を過ごす。
「おい、お前さっきからなんなんだよ、その顔」
横に寝転ぶ健治が俺の微妙な表情の変化に気付いく。めざとい奴だ。
「うるさいな、別にいいだろ。今はニヤニヤしたい気分なんだ」
「気持ち悪っ! ……おい、なんとか言ってやれよ、三井!」
言いながら健治がミッチーの尻を蹴る。
「……なぁ」
ずーんと妙に低いトーンで喋り出すミッチー。何かに落ち込んでいるらしい。とてもわかりやすい。
「どうしたの? 三井」
深刻そうな表情のミッチーを心配そうな顔で見つめる藤川。
「一つ……言ってもいいか?」
頬がこけたように見えるほど、その表情は悲しみに満ちていた。
一体、何があったんだ……あんなに修学旅行を楽しみにしていたミッチーが。
「…………俺はよ、お前らのことをそれぞれ『バタフライ』、『フライキャニオン』、『サウンドシー』とそれぞれ呼んでいるよな」
「……あ、ああ」
ミッチーの感性がすべての俺たちの愛称である。
「でよ……バタフライは俺のことをなんと呼んでるよ?」
「え? ミッチー」
「そう、それだよ……フライキャニオンとサウンドシーは?」
「三井……か?」
健治がこいつ何言ってるんだ? とでも言いそうな表情で答える。
しかし俺にはミッチーが一体何を気にしているのかが、ようやくわかった!
「なんで呼び方がバラバラなんだよ……なぁ……」
「は?」
健治、頭の上にクエスチョンマークである。
俺はミッチーの心情を未だに理解出来ない人のために代弁することにした。
「つまり、ミッチーは遠回しに俺のことはミッチーと呼んでくれって言いたいんだろ? 俺はお前らを愛称で呼んでいるのにどうして俺だけ未だに苗字呼びなんだよ、こんなのフェアじゃねえ! ってことだよな?」
「べ、別に……!? な、何を言っちゃってるんだよ、お前! そのお節介にはほとほと呆れるぜ! このご機嫌なバタフライめが! お前なんかきらめく風にでも乗って、無限大の夢のあとの何もない世の中で愛しい想いに負けてから頼りない翼できっと飛べ!」
「何言ってんだ……お前」
素直じゃないにも程があるだろ……そんなことを気にしていたのか。
ふて腐れたミッチーが布団を被り始める。
俺は健治と藤川に目を合わせた。
「ミッチー!」
次の瞬間、藤川が笑顔でミッチーの名を呼ぶ。
「な、なんのつもりだよ……サウンドシー」
サウンドシー……改めてそう聞くと……もうこれわかんねえな。
多分一生慣れない。バタフライとフライキャニオンはともかくとして……。
ミッチーが甲羅に潜んだ亀のように、布団から潤んだ瞳をこちらに向けた。
「……お、俺は……俺はッ!!」
歯を噛みしめて何やらお熱なミッチー。出てくるまで、あと一歩かな?
俺は健治に目配せする。すると彼は呆れた様子で頭をかきむしりながら、
「ったくもう、しょうがねえなあ…………ミ、ミッチー」
藤川に続き、健治が照れながらに言う。
「……ッ!!」
すると、ミッチーが百点の笑顔で布団から出てきた。
彼はふふんと勝ち誇った表情でほくそ笑みながら言った。
「まあ……お前らが……? そう言いたいっていうなら、俺としては止める手立てがないわけなんだよな、これが」
「…………蝶、こいつ明日ゲレンデに沈めていいか」
よかったな……ミッチー。……明日はゲレンデで永眠だよ!
その後も俺たちは大富豪、ウノ、怪談話なんかをしながらはしゃいだ。
「ふぁー……眠みぃ」
時計に目を向ける。既に深夜三時。いくら修学旅行のテンションとはいえ、そろそろ眠い。
俺はベッドから降りて、キッチンへと足を向ける。
「蒼希? どこ行くの」
「飲み物でも飲みに……藤川もどう?」
「喉渇いたし、行こうかな」
酒井、俺はキューピッドとしての使命をまっとうするぞ!
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