第28話 クソウンコみたいな戦い

 バスを降りると、さっきまでの景色とは一変し、白い景色が一面に広がっていた。


「おー、ようやく出てきやがった。一体中で酒井と何してたんだか」


「なんもしてねーよ!」


 健治に言いつつ、花のほうをチラ見してしまう。

 明らかに俺のことを意識している。俺と目を合わせないぞ、という心意気が伝わってくるようだ。


「今日はちょっとゲレンデ下見してからホテルに向かおう」


 班長の藤川が言う。ここからは自由行動。ゲレンデを下見してもいいし、先にホテルで休息していてもいいらしい。


「ゲレンデとか名前からして汚そうじゃねえか? ……なんだかゲロみたいでよ」


「いいな、ミッチーはなんか楽しそうで」


「はっ!? な、なんでだよ……全然楽しくねえっつうの! スキーとかマジなんだよって感じだし……というか実際やんないかもな、俺」


「じゃ、やるなよ。ホテルの部屋でお留守番でもしてろ」


 健治が横からしれっと一言呟く。


「……いや、やりたくはねえんだけどさ。……べ、別に悪かねぇんじゃねえかなって気がしてきたな。いや、実際は悪いんだが……暇つぶしっていうか……別にやりたくないわけじゃないってかよ」


 ――いやどっちやねん。


「じゃあ最初からそう言えよ。よくわかんねーんだよ、お前」


「……で、でもよ。別にさっきみたいな言いかたしなくたって、いいじゃねえか」


 え、弱っ。ミッチー口喧嘩弱っ。ぶるぶる震えてんじゃん。


「はぁ? なんのことだよ」


「い、言ったじゃねぇか! ……やるなよって、イジワルを言ったじゃねぇか!」


「それはお前がやらねーって言ったからだろうが。てか何マジに受け止めてんだよ」


「…………」


 妙にぴりついた空気が流れる。


「まあまあ二人とも仲よくしようぜ」


 心配そうにしている藤川に親指を見せて、俺は二人の間に入って肩を組む。


 ちらっとミッチーの顔を窺うと。

 ――泣いていた。


 唇を震わせながら鼻を啜る。


 さっきイジワルとか言い出したときは、正直笑いそうだったが、お前なりに真剣なんだな。よし、わかったぞ。

 俺は無言で頷きながらミッチーの肩をポンと叩く。

 ミッチーが口を開いた。


「……クソっ。飛谷はガキだ。糞ガキ。馬鹿野郎、このウンコマン」


 ――えぇ……程度低っ。子供の喧嘩かよ。久しぶりに聞いたぞ、ウンコマンとか。

 こんなヤンキーみたいな図体してるくせに?


「……泣き虫」


「なっ……泣いてねーよ」


「早く失せろよ。もう。お前いいよ。どっか行け、三井……ふっ」


 健治が遂に笑いを堪えられなくなって、吹き出す。

 お前の気持ちはわかるぞ。

 このミッチーという男は……そう――面白い。


「あぁ……お前と出会うことはこの先一兆年とないだろうな。あばよ、クソウンコ」


 ミッチーは俺の手をぶん投げて、遠ざかっていく。

 色々とツッコミたい。だが、今は――シリアスを演じるんだ! なんたって、ミッチーは本気で傷ついているんだから!


「み、ミッチー!! 健治っ……お前なんであんなことを!」


 シリアスな表情で俺は健治の肩に掴みかかる。しかし唇は引きつっている。


「おまっ、さっきの聞いただろうが。なんだあいつ! あんな厳つい泣き顔で真剣にウンコマンなんて言われたあかつきには笑うっきゃねぇだろ! つかてめぇだって顔が笑ってんじゃねぇか! いい加減にしろ!」


「ミッチーは純粋な男なんだ! ガラスのハートの持ち主なんだぞ? 健治。とりあえずミッチーに謝りに行ってこい、あいつは今本気で苦しんでるんだ」


「は? 何で俺が……そもそもあいつの態度が悪いんじゃねーか」


「いや、ここはお前が一歩下がってくれ。あいつ本当はいい奴なんだよ。ただ人と関わるのがちょっと苦手ってだけで。な、頼むよ。健治」


 俺は手を合わせて健治に頭を下げる。こんなところで男子メンバーが分裂するのはよくない。仲よくなったほうが、修学旅行は何倍も楽しくなるはずだ。


「……ほんとにもう、しょーがねーな、あいつは!」


 舌打ちをしながら、健治は俺と一緒にミッチーが歩いて行った方向へと進む。

 そこには、背を向けて綺麗な体育座りをした男がいた。

 この時期の北海道では雪解けが始まっているとはいえ、ここはゲレンデ。地には白い雪が積もっている。


 きっとミッチーの尻はパンツを貫通してまで濡れていることだろう。そう思うととても切ない。


「なんか……やっぱイライラしてきた」


 健治の後頭部をぱこんと叩き、健治をミッチーの元へと進ませる。


「……な、何か用かよ」


 ミッチーが、涙声で訊ねてくる。

 健治はだんまり。仕方なく俺が返事を返す。


「尻、濡れてるんじゃないか? もう戻ろう、ミッチー」


「……うるせーな」


 ミッチーは立ち上がった。

 ――ビチャビチャだった。ベージュのチノパンが濡れて茶色になっている。まるでお漏らしだ。

 笑いそうになる気持ちを必死で抑え、俺は健治に目を向ける。

 健治は大きく口を開き、舌を出したアホ顔で必死に笑うのに堪えていた。


「お前……その顔絶対に見せんなよ、ふざけてると思われんぞ」


「でも、いじけて体育座りとか漫画の中でしか見たことないぜ」


 それは俺も同感だった。

 尻を濡らしながら泣いている男の後ろで俺たちは一体何をしているんだ。

 とんでもなくシュールな絵なんじゃないか、これって。


「ミッチー……」


 俺が声をかけると、ミッチーは振り返った。


「だから……なんなんだよっ」


 鼻水が穴から少しちょび出ている。子供か。


「ふん、涙は乾いたみたいだな」


「なんだよ、てめえ……飛谷のくせしやがって、このっ――」


 ミッチーが拳を強く握る。厳しく眉根を寄せ、今にも殴りかかってきそうな形相だった。


「…………ごめんなさいを……言いに来たのか?」


 ……もう俺は何もツッコまない。


「は? お前ホントになんなんだよ。バーカ、このハゲ」


「は、ハゲてねーよっ! このウンコ! ウンコ!」


「……ふっ」


 俺が耐えきれずにやついたのも束の間――、ミッチーの顔面に雪玉が当たった。


「……よくも――やりやがったな」


 まるで親を殺された様な顔で、ミッチーは地面に手を差し込み――それを健治に叩きつける。


「てめぇ!!」


「かかってこいよ、おら! このクソウンコたれ野郎! テメェの顔面をむちゃくちゃにしてやるぜ!」


「このやろっ……ざけんなよ、このクソ三井!」


「てめぇ……おらっ! ウンコ!」


「…………じゃあ、二人とも頑張って下さい」


 アホらしくなった俺は、その場を去ることにした。

 もう大丈夫だろう。これでミッチーと健治はきっと友情を深められるはずだ。


 俺が班の所に戻ると、藤川が俺に駆けよってきた。


「蒼希っ……三井と飛谷は!?」


「雪合戦してる」


 ――数分後、全身ビチャビチャで肩を組み合った二人が俺たちの前に現れた。


「いやマジでないわ、あれは。俺の必殺シールドがなかったら死んでたな」


「てめぇこそなんなんだよ、ヘンな技名付けやがって。何がエターナルハイパーショットだよ、ただの雪玉だろうが」


 何があったのか知らないが、二人はとりあえず仲よくなれたらしい。


「よし、みんな揃ったしゲレンデを下見に行こう!」


「滑れるのは明日からだっけ?」


 中嶋が藤川に確認する。

 すると、勝ち誇った表情のミッチーが中嶋の隣で微笑んだ。


「先生が最初に言ってただろうが……ちゃんと聞いておけよ、まったく――」


「はやくいこー」


 中嶋にスルーされ、しょげた顔のミッチーを置いて、俺たちは進む。

 俺たちはゲレンデの全体マップが記載された看板に辿り着いた。


「結構広いんだね。この辺のゲレンデは初めてなんだ。蒼希、初日はとりあえず初級者コースをずっと滑ってようか。みんなに基本を教えながらさ」


 藤川が腕を組みながら、隣の俺に相談を持ちかけてくる。


「板付けたことない人も多いだろうし、それで構わないよ。次の日以降はみんなの様子を見ながら中級コース辺りを行く感じで」


 女子の経験者である中嶋と佐藤を交え、俺たちは翌日回るコースを地図で確認する。


「中級……それ、わたしでも大丈夫かな」


 俺の背後で花の声。


「あっ、いや……基本さえしっかりしてれば平気だと思うよ。バランス感覚いい人なら一日でいけちゃうレベルだよ」


 バスの中のことがあったせいで、少し気まずいけど、俺はなんとか詰まらずに答えた。


「そうなんだ……じゃあ、わたし頑張るね!」


 花は両手をぎゅっと握って、ガッツポーズを取った。


「う、うん」


 さっきのバスのこと、あんまり気にしてないのだろうか。

 ふと周囲を見渡すと、藤川たちはいつの間にやら離れたところに移動して、こちらに手を振っていた。

 みんなの元へ戻ると、ミッチーと中嶋が、何やら言い争いをしていた。


「初級? そんなもん余裕過ぎるに決まってんだろ、上級だ! いや足りない。超級がほしいところだな!」


「あんた絶対無理だからっ! ウチが教えてやっと初級レベルだよ!」


「まぁまぁ、見せ付けてやればいいじゃない。三井の腕前を中嶋にさ!」


 藤川が仲介するようにミッチーの肩をぽんと叩いた。


「ふんっ……泣きわめくのはお前のほうだぞ。ごめんなさいって言っても許してやらないからな」


「いや……別にアンタが上級滑れたってウチ泣かないし。何言ってんの?」


 俺たちはたわいない話を続けながら、ホテルを目指した。ゲレンデからは徒歩で十分。明日からは、朝7時起床で、午後6時までにホテルに戻れれば、後は班ごとの自由行動らしい。

 ――明日になれば、花と一緒にスキーができる。

 楽しみすぎて、今夜、寝られるかどうかわからない。

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