第29話 恋する室長

「へぇー立派なところだね」


 俺たちはホテルに到着した。

 エントランスで先生から部屋のカードキーを渡される。どうやら各部屋の鍵はオートロックらしい。

 男子の部屋が集まるのが5階と6階。7階に教師部屋を挟み、8、9階が女子の部屋だ。


 俺たちは自分たちの部屋に向かうため、エレベーター広場に辿り着いた。電子音と共に扉が開く。……満員だった。


「何ぼーっととしてんだよ、早く行けよ!」


「なっ……」


 背後の健治に背中を押され、満員のエレベーターに押し込まれる。視界の端で捉えた健治がにやりと笑ったのを、俺は見逃さなかった。


 しかしこのエレベーター、やけにいい匂いがする。

 それに、何か柔らかい物が肘に当たっている気がする。


「あれ、蒼希?」


 どこからか聞き覚えのある声がする。酒井だ。

 周囲を見渡す。満員のエレベーターは全員女子である。


 ――き、気まずいにもほどがある。

 多分このエレベーターは8階と9階に行くはずだ。8階で降りて男子階まで速効逃げるほかないだろう。男女階の行き来は原則禁止されている。


「も、もうちょっとだけ……身体引いて」


 俺の耳元で小さな声が聞こえる。俺の前にいるのはなんと花だった。

 困ったような表情で、視線を反らす。

 どうやら、さっきから俺の肘が花のお腹の辺りに当たっているらしかった。


 こんなすし詰め状態の中、俺は花と身体を密着させる。ちらりと目を合わせようとすれば、すぐ目の前に彼女の瞳は合った。


 一回、二回と目が合う。

 流石に何も言わないのもあれだと思った俺は、なんとか口にする。


「……お、おう」


「……うん」


 花もこくんと頭を振って同意する。

 くっ……女子いっぱいに囲まれて嬉しいはずなのに。花の近くにいられて幸せだというのに。なんだか苦しい。早くこの場から逃れたい!


 早く止まれ、エレベーター!

 冷や汗がじとっと背中に浮き始めたころ、電子音。


 俺は真っ先にエレベーターから飛び出て、階段を探す。焦った表情できょろきょろしているところ、


「……階段だったら、そこだよ」


 エレベーターから降りた女子軍団の中から、花が見えた。

 彼女の手が階段を指差す。俺がなんでわかった? という顔で花を見直すと、


「飛谷くんにイタズラされたんでしょう? 焦った顔、してたから」


「すごいな、心を読まれたみたいだ」


「ふふっ、予言者……だからね」


 花はくすくす笑って、以前の俺と同じことを、言う。


「……頭の中全部覗かれたりしたら堪ったもんじゃない」


「そうかもね」


 じゃあ、と俺が手を上げて階段に向かおうとしたとき、


「あ、待って」


「……どうしたの?」


「……えっと……あ、あれ! 夜ご飯って何時からだっけ?」


 ぽりぽりと頬をかきながら、花が訊ねてくる。


「何時からだったっけな……ごめん、わかんない」


「そ、そっか」


「あ、たしかこれから室長会議があるんじゃなかったっけ……それでわかるんじゃないかな。女子の室長誰だっけ」


 室長とは、食事や入浴のスケジュール、各部屋で行われるレクリエーションなどの管理を担当する係である。


「……わたしだった」


「なんだよ、だったって」


「男子のほうは?」


「藤川。あいつ班長と室長兼務でやるらしい。まあ誰も手上げなかったからね」


「藤川くんか~」


「うん」


「……ねぇ」


 顔を俯けたままの花が、呟いた。


「ん?」


「女の子ばっかりのエレベーター……どうだった?」


「……なっ、なんだよ……それ」


「嬉しかったんじゃないかなあ……って思って。聞いてみただけだよ」


「そ、そんなわけないだろ」


 花のお腹を触ってしまったことについて、何か言われそうで俺は冷や汗が流れ始める。


「ほんとかな~……怪しい」


「ああそうかい、じゃあ怪しんでどうぞ。どうせ男ですよ、俺は」


「ふふっ」


 思わず吹き出してしまう。お互い口元が自然と緩み、微笑み合う。

 ふと、笑みが止んで。俺たちは見つめ合った。


「じゃあ、そろそろ行くよ」


「あ、ごめんね。引き留めちゃってたね」


「いや、別に……」


「あ、また……また明日ね、蝶っ!」


「……まだこれから晩ご飯あるだろ、風呂もまだだし」


「あ! そうだった」


「早く目の前から消えろってことかと思ったよ、もうお前の顔も見たくない的な」


「ちょっと、わたしそんな酷いこと言わないよ!」


 今の俺たちは、二人っきりのときでしかお互いに名前が呼べない。

 この修学旅行で、花の名前を、みんなの前で呼べるようになってやる。


 笑顔で花に手を振って、俺は階段を降りた。


 * * *


 自室の部屋番号を発見した俺は、インターホンを押した。

 早くも中で騒ぎ声がする。そして、扉が開く。


「蒼希遅い! どこ行ってたのさ! 見てみて凄いよ」


 笑顔の藤川が部屋に案内してくる。


「うわ、なんだこれ……すげえ!」


 部屋を見渡しながら、そっと手すりに触れる。玄関は二階だった。サイドには簡易的な螺旋階段が用意されていて、そこを降りるとリビング。50インチ以上の液晶テレビと巨大なソファ。壁面収納型のベッドが、はしゃぐ男どもによって既に降ろされている。

 さらに、洒落たバーカウンターのようなテーブルまで用意されている。


「な、なんだよこの部屋……俺ホテルの部屋が二階構造とか俺初めてなんだけど」


「俺もビックリしちゃった! 部屋広すぎ! めっちゃ楽しくなってきた!」


 子供のようにはしゃぎ始める俺と藤川。

 次の瞬間、俺の顔面に枕が飛んでくる。


「がはっ」


「お~い蝶! クッションザバトルしようぜ」


「なんだそのふざけた戦いは」


「クッションザバトル…………くっくっく」


 トイレから声。

 水が流れる音と共に、ミッチーがうすらキモい笑みを浮かべながら歩いてくる。


「なんだこいつらのテンションは」


「クッションザバトル……それは互いにパートナークッションを最大三つ持ち合って魂を込めながら投げ合う魂の枕技まくらぎ。クッションは地面に落ちた瞬間、所有者権限が消滅する。取り合いになればもちろん格闘だ。謂わば漢のバトル」


「ただの枕投げじゃねえか、なんだよ所有者権限とか。中二病かよ」


「笑止っ!!」

「バタフライ笑止!!」


 俺のツッコミに、なぜか健治とミッチーが大爆笑する。


「藤川、こいつらに酒でも飲ませたのか? 狂ってやがる」


「いや……なんか部屋に入った途端二人とも騒ぎ始めた」


 俺はふと時計に目を向ける。


「……ってこんなことしてる場合じゃないんじゃないか、藤川会議だろ」


「そうだった! 班長会議だ!」


「あれ、室長会議じゃなくて?」


「……あ、っていうかごめん。室長蒼希にしちゃった、俺」


「え?」


「そういや……女子の室長誰だったけなあ」


 藤川が、俺にちらりと目をやってから、にこっと笑う。


「蒼希知ってる?」


「えっ……そ、それは……」


 急に来たな。花の名前を言わなければいけない場面が。

 でもまだ心の準備ができてない。ここは苗字で……い、いや、でも。


「確か……あ、赤き~花だった気が……」


「なんでフルネーム」


 藤川が笑い始める。


「べ、別に……なんでもねーって」


 俺は顔を赤くしながら誤魔化すことにした。


「ま、赤希と一緒だし、頼んだよ。室長」


 結局、藤川スマイルに負ける。


 俺と藤川は部屋を出て、それぞれの集合場所に向かうことになった。

 道中で、藤川が耳元で、


「蒼希は、最近どうなの?」


「え? 何が」


「……仲良くやってんなら、いいけどさ」


「な、なんだよ……急に」


「頑張ってよ!」


 藤川スマイルは凶器。男の俺でも落ちそうである。

 室長会議で、また花に会える。そう思うと、なんだか嬉しい。

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