第27話 今日もどこかで誰かが恋をする
頬に柔らかい感触と、温もり。
ずっとこうしていたい欲求に駆られ、頬を擦りつける。ふにふにした弾力が返ってきて、とても気持ちがいい。
――なんだろう、これ。
ふと重たい瞼を開けてみる。
綺麗な、肌色。女の子の太ももだった。
「…………」
これは……膝枕……か? 花の……?
急激に心臓の鼓動が早まっていく。
頬がとてもくすぐったい。顔にかかる細い糸のような物を俺はそっと摘まんだ。
花の、髪の毛だ。
花の静かな寝息が聞こえる。彼女も居眠り中らしい。
もしこれ、このまま後ろ向いたら……。そう思うとドキドキが止まらない。花は今日ミニスカートを穿いていた。
なんだこの幸せな空間。ああ、俺もう一生このままでいいや。
このまま狸寝入りを続けているのがバレたら……。花はどう思うんだろう。
しかし、俺の欲望がここを離れるなと言っている。このまま、花の膝の上で眠りたい。
そう思ったが、このままの状態で誰かに発見されると、それはそれで恥ずかしいんじゃないか。
「……んっ」
顔にかかっていた髪の毛が離れていく。
――マズい。
どうやら、花が起きてしまったらしい。俺の首筋に冷や汗がじわりと浮かぶ。
これはもう寝たふりを続行する他ない。
どんな風に思われるだろう。ぺったり素肌に頬をつけてしまってるけど。
嫌がられたり、するんだろうか。
「…………お、おーい」
背中を軽く叩かれる。
――起きるべきだろうか!?
選択を誤ってはいけない。あくびでもしながら適当に立ち上がるべきだ。
しかし……俺はだんまりを決め込んだ。
「…………寝てる」
花が、ぼそっと呟く。
そして――座席シートが花の頭部を受け止める音が聞こえた。
なんと、花も寝たふりをかました。なんてこった!
そんなときだった。前席から藤川の声。
「蒼希? 赤希も……」
「おい藤川、なんだこれはよ」
「……うーん、早く爆発しろよ、こいつ」
ミッチーと健治が、恐らく俺たちを眺めてそれぞれ感想を零していく。
途端に恥ずかしくなってきて、顔に熱が宿る。
赤くなった顔を見られたら一発で狸寝入りなのがバレる! それは非常にマズい!
「はは、仲よく眠ってるねー。微笑ましいなあ」
藤川が笑いながら言う。
「記念に一枚撮っとくか。起こすのはその後でも問題ないだろ」
シャッター音。
「こうしてみると……あれだな。結構、絵になるな」
「後で俺もバタフライと撮ろうっと」
ツーショットで!? 勘弁してくれミッチー。
「ちょっと男子ー! ゲームやろゲーム」
中嶋の声が聞こえた。
「おぉー、中嶋、今ならすげえもんが見れるぜ」
――ああ、これはマズい。もう起きないとダメだ。
俺がそう思ったときだった。
「うん~……」
俺の耳が花のうなり声を拾った。
「あ、赤希起きた。おはよー」
「んっ……お、おはよ」
花が藤川に挨拶を返す。そのまま花が、
「……ね、寝てるの……かな?」
おそらく俺のことを言っている。
そんなことを言って、本当は起きていたくせに! 俺は知っているんだぞ、花!
「おい蝶、赤希の膝枕とかふざけんなよー! 赤希、俺にもやってくれよー!」
「な、何言ってるの……! や、やらないよっ」
「なんだよー、蝶だけ特別かよ~、ちぇ」
「…………そ、そういうわけじゃ」
健治と花の会話に、藤川が混ざる。
「赤希、顔真っ赤」
「えっ! ほ、ほんとにー? 寝起きだからかな……えへへ」
「ひゅーひゅー! お似合いだぞー!」
「何なに? さっきからみんなして何してんの?」
囃し立てる声の中から中嶋の声が聞こえる。
――そろそろ、起きなくては。
「おい、バタフライ! 起きろよ! ババ抜きをやろうぜ。俺とお前で」
ミッチーが激しく肩を揺らしてくる。
俺はこの揺れに乗じて起床することにした。
「……ん、んん。ふぁーあ」
俺は自然に身を起こし、瞼を擦りながら周囲を見渡す。
わかってはいたが、男子三人、女子一人に俺と花は囲まれていた。
「な、なんだよ……みんなして」
「いや、お前が赤希に膝――」
健治の声を遮ってミッチーが、
「お前なんでそんな顔が赤いんだ。赤希もだけどよ、なぜなんだ?」
「は、はぁ?」
わざとらしく頭をかきながら俺はちらりと花に視線を向ける。
「……おっす」
「……お、おはよ」
花は耳まで染めた真っ赤な顔で、にこっと笑った。
俺の目線が、つい花の太ももに向かってしまう。さっきまでこの柔肌の上で眠っていたっていうのか。それもみんなの前で。
――は、恥ずかしすぎる!!
「……そろそろ着陸するみたいだよ。ほら、みんな席について」
藤川が幼稚園児にするように手を叩くと、俺たちを取り囲んでいた連中は早々に散っていった。
* * *
どうやら、無事着陸したらしい。機内のアナウンスを聞いてから、俺たちは席を立ち上がった。
「んっ~」
花が荷物を取ろうと奮闘していた。俺は彼女の横に立って、手を伸ばす。
「はい」
「あ、ありがとう……」
顔も合わせずに礼を言われ、花はさっさと先に行ってしまった。
やっぱりさっきの膝枕が、恥ずかしかったのかもしれない。
俺たちは飛行機を降りて、班ごとに分かれた。ここからはバス移動。
修学旅行初日は少しゲレンデの観光をして、あとはホテルで過ごすらしい。
ロビーを抜けて、バスが待つ外に出ると、ひんやりとした空気が身体を包む。
「春とはいえやっぱまだ寒いねー、北海道はでっかいどー!」
藤川が突然叫びだした。
「……え?」
俺は藤川につい聞き返す。
「え、今……俺ヘンだった?」
「いや、藤川でもそんなこと言うんだなって思って」
「……いや、言うよ、はしゃいでるんだよ。これでも」
しばし流れる沈黙。
そこにミッチーが言葉を挟んだ。
「シベリア大陸かよ……ここは!」
俺と藤川はミッチーの言葉に微妙な表情を浮かべる。そのまま、お互いこくりとうなずき合った。
――ここはスルーでいこう。
藤川が笑顔で続ける。
「蒼希がぼっーとしてたからね、俺が活力を分けられたらな、と思ったんだ」
「つかさ、今の俺のツッコミよくなかったか? なぁ……おい、聞いてるのかよバタフライ、バタフライってば!」
「うるさいな、お前のツッコミはなんかシュールなんだよ。つか存在自体シュール過ぎるんだよ、ミッチー」
俺たち三人が和気藹々と話し込んでいると、端にいた健治がぼやく。
「あれ、なんか知らぬ間に……俺、輪から外されてね? 何このいつの間に出来上がっていたコミュニティ。俺まだ参加できてねーんだけど」
卑屈的なことを言いながら、健治がぷるぷる震えてその場に立ち尽くす。
俺は慌てて彼の隣で肩を抱いた。
健治は、これでもかなりの卑屈屋である。
「そ、そんなことないだろ、健治! なあ」
「そうだよ! 同じ部屋班だろー? 飛谷!」
続いて藤川も反対側から肩を組んでくる。
「痛った……お前らの今のダブルパンチに俺傷つくわ。そーやってさ、俺たち二人は仲がいいんだぜ、ドゥクシ! ってするわけなんだろ? そうやって見せつけられるこっちの身にもなってほしいぜ。いいよな、お前らはそうやって笑い合って。もういいよ。うわぁぁぁん!」
健治は叫びながらバスに駆け込んでいった。
「ドゥクシって殴ったときの効果音か。っくっく……」
「ほ、ほら、三井、こっちだよ」
ミッチーと藤川が笑いながらバスに入っていく。
と、言いつつ俺も笑ってしまう。なんだよ、ドゥクシ。
楽しい修学旅行になりそうだった。
バスに乗り込み、自分の席を探す。
席は事前にくじ引きで決めていた。俺の隣は――。
「蒼希、こっち」
酒井夕が、小さく手を振った。
健治の前の席の優等生気質な小さな少女。
俺は彼女に軽く挨拶をして、隣に腰を下ろす。
考えてみると、酒井と二人で会話をしたことは、あまりなかった。
あんまり目立つ子でもない。大人しくて、勉強熱心な真面目な子だ。
背は花よりずっと小さくて、小動物っぽい。
「…………」
「…………」
これはこれで気まずいな。ドキドキするような感じではないが、空気がなんか。
とりあえず、話題作りも兼ねて俺から声をかけてみる。
「あれ、そーいえば酒井ってスキー経験者だっけ?」
「違う」
「ペア藤川だったよね」
「そう」
無駄のない一言だな、流石。
「運動神経いいだろうし、あいつに教えてもらえば上達すると思うよ」
「う、うん」
ここでいったん俺たちの会話は終了した。
やがてバスが動きだし、若いバスガイドさんが自己紹介を始めた。
クラスの連中の騒ぎ声で溢れかえっていて、俺と酒井だけが黙り込んでいるようにさえ感じる。
――いや、ダメなんだって。せっかくの修学旅行だ。せめて班のメンバーとはもっと仲よくなりたい。
「酒井ってさ、何が好きなの」
「す、好き……?」
「そう、趣味とかさ」
「んー……特に、ない」
はい終了です。ありがとうございました。
「でも……興味あることなら……ある」
「何なに、教えてよ」
「……恋愛、とか?」
顔を傾けながら、酒井が語尾を曇らせて言う。
途端に、辺りが桃色の空気に包まれた気がした。
あたりはどんちゃん騒ぎで、俺たちの声なんて周囲の耳に入らない。
恋愛。酒井が恋愛か。
思っていたイメージとは裏腹に、年相応な女の子の素直な言葉だった。
「恋愛って、彼氏とかいるってこと? 好きな人とか?」
「お……教えないっ」
少しだけ頬を染めてぷいっと窓に顔をそらす。
かわいらしい仕草に、俺は思わず楽しくなってしまう。
「その反応は……まさか、俺だったり?」
「はぁ? 何言ってんのあんた。全然違うし」
わかってはいたが、そんな冷たい視線で言われるとショックである。
酒井には冗談が通じないらしい。
「……そ、その、藤川って……好きな人とかいると思う?」
今、俺の頭の中の相関図が更新された。酒井から藤川へ赤い矢印が引かれる。
ああ、キュンキュンするね。恋っていいね。恋する少女かわいいよ。うん。
「んー……どうだろう」
「藤川ってほら、誰にでも優しいからさ。でも、そういうところが好きとゆーか……あの……」
――くぅ。罪作りな男だぜ、藤川鳴海。
かわいいじゃないか、酒井さん。まったく接点なかったけど、もう俺、君を応援したくってしかたがない。
恥ずかしそうに顔を俯ける酒井に、俺が提案する。
「……聞いてみようか? 俺」
「ほんと?」
「うん。告白しちゃえばいいよ。三日目の夜、函館山登るじゃん。あそこ凄い綺麗だって言うからさ、そこで……とか」
「む、無理っ……そんな、いきなりとか……」
「まあそこは任せる。でもとりあえずキューピッド役受けるよ」
「何キューピッドとか……言ってんの」
酒井がくすりと笑う。
「え、いいの? キューピッド役やらなくて。藤川にまず彼女がいるのかどうかもわからないのに?」
「えっ……だ、だめ。……キューピッド役、ぜひお願いしますっ」
酒井が慌てたようにぺこりと頭を下げる。
「この蒼希様が、必ずや藤川君と、酒井君を結びつけてあげようじゃないか」
「果てしなく上から目線なんだね」
酒井の新鮮なツッコミを受けながら、思う。
なんかめっちゃ偉そうに語ってるけど、俺キューピッドどころか彼女いない歴=年齢の童貞野郎なんだけど。いいのかな。
「でも、なんで俺にそんなことを?」
「え? 仲よさそうだから」
どうやら、そう見られているらしい。藤川やミッチーと付き合い始めたのはここ最近のことだが。
「そっか……まあ、頑張ってよ。あくまでも俺は背中押すだけしかできないし」
「……最悪二人目でも」
「愛人かよ!」
ツッコミを入れると、酒井はクスッと笑った。こういう冗談を言う子だったとは。
「じゃあ恋人にして欲しいです。キューピッドさん」
「恋愛経験皆無のキューピッドだけどね」
「蒼希は……好きな人とかいないの?」
「え、俺?」
予想だにしない質問が飛んできた。
「い、いないよ……俺は」
「ふーん……」
酒井が、窓に目を移しながら言った。
* * *
目を覚ます。
気が付いたら眠っていた。
身体の右側が、少し温かい。
首を横に向けてみると、酒井が身体を俺の肩に預けて、眠っていた。
俺が瞼を擦っていると――。
「あ、あの……着いたから、集合だって。みんなもうバス降りてるよ」
――花。
きょろきょろと不自然に目を揺らしながら、俺に言う。
俺と酒井の状態について、花は何も言わない。
しかし、なんとなく動揺しているような気がした。
「じゃ、じゃあね……待ってる、からっ」
花が顔を俯けたまま、そそくさと立ち去る。
俺は、そんな彼女に声をかけられなかった。
誤解……されたかな?
どう思われただろう。
なんとも思ってない、というのはなさそうだけど。
仲良くしてるように映ったんだろうか。それとも……。
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