◆2章 北海道物語
第26話 ゆったり君のとなりで
ついにこの日がやってきた。
俺は大きなバックパックを背負って、集合場所に辿り着いた。
この修学旅行が、きっと羽目を外して楽しめる高校生活最後のイベントになるだろう。だから、俺は思い切り楽しんでやろうと思う。
そんなことを考えていると、俺の顔に冷たく白い物体がぶっかかる。
「……あ、わりい」
恐る恐る手を伸ばす。バニラアイスの甘い香り。
「手、手が滑ってさ……」
犯人の健治がにやにやしたまま片手をひらひらさせる。
「いや、なんでなの? なんでお前これから北海道に行くのに空港でアイス食ってんの? しかもなんでわざわざ俺の顔面に零すんだよ」
俺はすぐにトイレへ駆け込んで頬のべたつきを落としてから、小便中の健治の靴紐をトイレに流してやった。ざあみやがれ。
俺たちは再び集合地点に戻る。
「あれじゃねーか」
健治が、人混みを指差す。大きな荷物を持った連中が集まっていた。どうやらクラスごとに固まっているらしい。
「あー! 蒼希、飛谷、三井! こっちだよ」
中嶋が、朝っぱらからよく通った声で手を振ってくる。
しかし……三井とは? 一緒には来てないはずだが……。
俺がふと背後を振り返ったときだった。
「――うわぁ! なんかいる!」
「リアクションデカ過ぎだろ、バタフライ」
「お、お前……いつからそこに」
流石の健治も引き気味である。
何『俺はパーティに加わってるぜ』みたいな顔してんだ。
「トイレからだ……大便してたら声が聞こえたからよ、急いで拭いて、後ろを付けたんだよ」
「……ちゃんと拭いたんだろうなお前、きたねーぞ」
「はあ!? き、汚くねぇよ! 血が出るまで拭いてたんだ! 今も尻がヒリヒリするしよ……集合場所がわからなくてな、すげぇ焦ってたんだ。そしたらお前らの声したから安心したぜ」
「いや普通に一言言えよ。なんで黙って付いてくるんだよ」
「別にいいだろうが。……俺には俺の道理がある」
「あれだろ、迷子の子供みたく泣きそうな顔でトイレでずっと焦りながらケツ拭いてたけど、結局解決策が見つからなかったから涙目で尻から血流してたんだな」
「馬鹿だなーお前」
健治が呆れたような視線をミッチーに注ぐ。
しかし当人はほっとしているらしく、終始笑顔だった。
「それで? みんな来たのか」
健治が中嶋に質問する。女子メンバーは中嶋と佐藤しかいなかった。
「花と藤川がまだ」
「珍しいじゃん、お前ら赤希とは一緒に来なかったんだ」
健治が不思議そうに顔を訊ねる。
「ん~誘ったんだけどね。花、先約がいるみたいな風に言ってたから」
「ふーん」
健治が俺をチラ見する。
え、俺……? いや約束なんかしていない。
俺はてっきり中嶋たちと行ってるもんだと思っていた。
「みんなおはよ~」
集合時間ジャスト、花が駆け足で到着した。
「花ってばおそーい! 一体誰と来たの?」
「へへ、ヒミツだも~ん。それより、電車乗り間違えちゃって」
一瞬だけ花と目が合った。
もしかして……俺と一緒に行こうと思っていた、ということか?
くそ、花の家で待ち伏せでもしておけばよかったか!
「遅れた~、ごめん!」
続いて藤川も到着。彼の背負う荷物は、他のみんなと比べて、やけに大きかった。
「すごい荷物だな、何を持ってきたんだ藤川」
「ん? もし誰かが怪我をしたとき治療できる医療セットとか、そんなのだよ。あと部屋で遊ぶためのものとか」
「怪我とかしねぇし……舐めんな」
ミッチーが吐き捨てる。この中で怪我するイメージを想像しやすいのが、ミッチーだった。
集合時間の十分後、ようやくすべての班が集まり、先生の挨拶があった。
これから、俺たちは飛行機に乗り込むことになる。
* * *
「飛行機の中ってこんな風になってるんだ~」
俺の隣を歩く花が、目をキラキラさせて機内に並ぶ席を眺める。
「乗ったことないの?」
「う、うん」
顔を俯ける花に、俺は小声で質問する。
「……そういえばさ、今日って俺のこと……待っててくれた?」
「……待ってたよ」
やっぱり、そうだったのか。俺は途端に後ろめたい気持ちになる。
「って――言ったら?」
「え」
「嘘だよ、本当にちょっと用事があっただけだから。気にしないで」
花が機内を進んでいく。席順は、事前に配られたチケットの通りだ。
座席は班毎に近場で8人ずつらしい。一列は三席。つまり、
前
●●●
●●● 窓
●●
後
こういう順になるのではないかと俺は予想する。
問題は誰がどの席に座るのかさっぱりわからないという点だ。
俺としては、是非花と一緒に二人の席に座りたい。頼む、神様!
やがて、佐藤が席を発見。徐々に座っていく。
「あれ、じゃ花後ろ?」
どうやら中嶋、酒井、佐藤が前席一列に並んだらしい。一列オール女子だと。ということはオール男子列の可能性も高まってきた。これはむさ苦しいぞ。
「花ちゃん、席変わろうか?」
気を利かせた酒井が、腰を浮かせながら言う。
「ううん、平気。わたし後ろでいいよ」
花は一番後ろの二人席の窓側に腰を下ろした。
――おっふぁあああ! これはワンチャンあるかもしれない。
俺は自らのチケットを確認する。そして、機内に印字された数列と照らし合わせると……。
――隣じゃなかった。俺は二列目の真ん中の席だった。
がくりと肩を落とす。そんな俺の気など知りもせず、背後のミッチーがわくわくした顔で背中を押してくる。
「おい……バタフライ早く行けよ、こっちは詰まってるんだぜ」
ちらりと見えたミッチーのチケット番号は俺の隣だった。どうやら運命からは逃れられないらしいな。
「あ、俺窓側だわー! ひゃっほー!」
健治が俺とミッチーをくぐり抜け、席に座った。ということは藤川が花の隣ということになる。
「おいバタフライ……何してんだよ!」
「くっ……」
ミッチーに背中を押されながらも俺はその場に踏みとどまる。
「蒼希ー! 先生がなんか呼んでるけど」
藤川が俺の名を呼んだ。
「ミッチー、先に座ってろよ」
「……えっ!? バタフライは」
何でそんなに悲しそうな顔なんだよ。お前は子供か。
納得のいかない顔でミッチーが席に座ったのを見届けてから、俺は藤川の元へと歩いた。
「はい、これ」
藤川は紙切れをひらひらさせて、俺へ差し出した。
なんと、花の隣席のチケットである。
「まあ、普通に席を交換しちゃえば問題ないと思うけど。一応、ね」
「……いいのか」
「いいよ。俺、三井や飛谷とも仲良くしたいし。女子と二人なのは……その、照れるしね」
ああ、イケメンよ。俺はあなたに一生付いていきます。
自らのチケットと交換を終えて、俺はそのままトイレへと向かった。
先生に呼ばれたという設定上、適当に時間を潰して、席に戻る事にした。
談笑する女子グループ。アイマスクをしてさっそく寝る準備万端の健治と、不機嫌そうな顔のミッチー、にこにこ笑顔の藤川が見えた。
最後列には花が一人ぽつんと座っていた。彼女の隣の席を目指すべく、俺が男連中の列を通り過ぎようとしたとき――。
「バタフライ、先生なんだって?」
「……え?」
一々確認するのかこいつは。なんだこの小うるさい姑みたいな男は。
「……あ~、いや……班みんなで仲良くな! ってさ」
「それは怪しいな……そういった場合、班長である藤川を先生は呼び止めるはずだ。なのに、なぜわざわざバタフライを改めて呼んだというんだ? ……まだ見ぬパズルのピースが、どこかに落ちているとでもいうのか」
何やらぶつぶつ言いながらミッチーは瞼を閉じて顎に手をやった。
――果てしなくめんどくせぇ!!
俺は棒立ちしたままミッチーに付き合っていると、
「それにだな、バタフライ。俺は知っているんだぜ」
「な、なんだよ……」
「――お前、“本当”の席は、俺の隣なんだろう? なのになぜ、俺の隣には藤川
が座っているんだ。……答えてみろ」
ミッチーの鋭い眼差しが、俺を捉える。
その瞳は、幾千の戦いを乗り越えてきた屈強な男のように見えた。
見つめあったままお互い黙り込む。何この修羅場。
すると――、
「あ、三井、あれ見て!」
「ああ? なんだよ、藤川。今は大事なときだ……後にしてくれ」
「まあまあ、そう言わないで、見てよこの記事」
藤川が俺に軽くウインクを飛ばして、ミッチーの視線をスマホへと移行させる。
「あっ! バタフライめ! 待ちやがれ! まだ決着はついてねえ! お前は俺の隣だろぉぉぉ!! なんで遠くに行くんだよぉー!」
……後ろの席じゃねえか。
俺は背後で忙しなく叫び始めるミッチーを冷静にスルーして、ようやく花の隣に腰を降ろした。
「……よっ」
「……席、違ったの?」
「ううん、ここ。気にしないでいいよ」
思ったより距離が近かった。恥ずかしい。
俺たちはお互いの顔を見ることなく、前席の背を見ながら会話をする。
でも、飛行機の中で花とずっと一緒だなんて。嬉しい。
しばらくしてから、機内アナウンスが流れる。そろそろ飛行機が飛び立つらしい。
「う、浮くの……!? ねえ、浮く!?」
「はは、大丈夫だよ」
怯えた小動物のような花に、俺はつい笑みを零した。
機内にもの凄い振動が響き渡る。やがて飛行機が飛び立ち、地面から少しずつ離れていく。
「ええ……怖い! こ、ここ……もう空なの!?」
「窓、見てみ」
あんなに大きく感じた空港や飛行機が、だんだん小さくなっていく。
「ひゃ、ひゃー……すっごーい」
「怖いの?」
「そ、そんなことないもん!」
あ、拗ねた……。かわいい。
そんな彼女に、俺はついイタズラをしたくなった。
「これから飛行機の安全性と、座席シートの強度確認を兼ねて宙返りするよ。かなり揺れるから気をつけたほうがいい」
どんな確認だよ、と自分で吹き出しそうになりつつも俺は嘘八百を並べる。
「えっ!? やだっ怖い」
「絶対安全なはずだけど、一応身構えときなよ」
俺は意味深に笑みを浮かべる。
「こ、怖い……」
「…………」
唇を震わせて、本気で怯える花。
「ねえ……そ、そろそろ?」
「…………」
花が不安げに隣の俺に目を向けてくる。
ちょっと面白くなってきてしまった俺は黙ったまま前方を見つめる。
「ね、ねぇっ! 聞いてるの? ……宙返り、もうすぐ?」
「…………」
くっ……かわいいよ。なんだよこの子。
俺は自然と頬の肉が上がっていくのを感じつつも、必死に我慢する。
「……蝶?」
見る見るうちに花の表情が不安げなものに変わっていく。俺の目前で手を上下に振る。
「……ちょっと、大丈夫? 蝶」
花は焦点を失った俺をじっと見つめてから、胸に耳を当てた。
――いや死んでないからっ!
「……あ、あれ?」
不意に密着されて高鳴る心臓。それを生で花に聞かれた。
これはもうネタばらしだな。俺は花の耳元で、
「――わっ!!」
「きゃあぁ!」
突然の声にビックリした花は、高い悲鳴をあげた。
機内に緊張が走った。
「どうした!?」
前席の班員たちも反応し、身を乗り出してくる。
俺は途端に冷や汗を浮かべる。ちょっとビックリさせて花をからかいたかっただけなのに、どうしてこうなってしまったのか。
挙げ句の果てに――。
「……うぅ」
泣き出してしまう花。瞳には涙。ぽたぽたと溢れ出して、止まらない。
「蒼希? どうしたのこれ」
藤川が不安そうな顔で俺に目をやる。
「……いや、これは」
「ちゃんと答えろよ! バタフライのくせしやがってよ、おい!」
ちょっと黙っててくれ。ミッチーが絡むと余計にややこしくなる。
「……花、ごめん、ごめんね? ビックリさせちゃって」
気遣う手を無視され、花は窓に顔を向けてしまった。
俺自身、涙目になった。
自分のしたことで、花が泣くなんて、思ってもみなかったから。
馬鹿だ。大馬鹿すぎる。
怖いものや、ビックリさせられることが嫌いなの、知ってたのに。
とりあえず騒動は穏便に収まり、花も泣き止んでいた。
「…………」
「…………」
どことなく嫌な空気が流れる。
「……花」
彼女の耳元で、小さく名前を呼んでみる。しかし彼女は振り向いてさえくれない。
ずっと窓を見たまま、一言も喋らない。
――嫌われちゃったかな。調子に乗りすぎた? 花をからかいすぎたから。
自業自得だけど、このまま2時間なんて嫌だった。
誠意を持って、ちゃんと謝ろう。
「は、花……お願いだ、聞いてくれ」
「…………」
「本当にごめん。悪気はなかっ――」
「ばぁっ!!」
「うわぁぁぁ!!」
花が急に振り返る。口を大きく開けて、全力で脅かしに来る。
「ふふっ、ばぁーか」
花が悪戯っ子のような顔で笑って、勝ち誇ったようにふんと鼻息を漏らす。
「なっ……なんだよ! もう」
「ビックリした?」
「あ、あたり前だ! 花、泣いちゃうんだから。俺、どうしたらいいかわかんなくて」
「でも、驚かされたのにはちょっとだけ怒ったよ。わたしそういうの冗談でも嫌いだもん。だから……ちょっと仕返ししてあげたの。いーっだ」
「……ごめん。本当に、心から謝るよ」
「……謝ってくれたから、許す! だから、もうしちゃダメだぞ?」
どうやら、花の演技力に完璧に騙されてしまったらしい。
驚きと安心で若干目が潤む。でも花には見せられないから、顔を俯ける。そのまま二人で話していると、視線が集まっているのに俺は気が付いた。前席に座っている男子三人と、女子三人が俺たちの会話に耳を傾けていたのだ。
見られていたのかと思うと急激に恥ずかしくなった。自然と耳たぶが熱を持つ。
隣の花もどうやら同じ状態らしく、俺たちは目が合うとお互い視線を反らした。
「バタフライ、お前……」
それを不思議そうに見つめていたミッチーが、口にする。
余計なことを言いそうで怖い。藤川、そいつを今すぐ止めてくれ。
「女子と……話せたんだな」
ミッチーは気にくわなそうな顔をして、くるりと身を返して席に戻った。
藤川と健治がにやっと笑い、自席に戻る。女子たちも何やらこそこそ喋っている。
な、なんだ……このとんでもなく気まずい感じは。俺は思わず席を立ち上がり、トイレを目指した。
「おっ、バタフライ、トイレ?」
「ああ、そうだよ」
「俺も行くわ」
RPGの仲間キャラみたいにミッチーが俺の後ろに付いてくる。
みんなの前で花とお喋りするのは、やっぱりまだ恥ずかしかった。
第一、健治以外は俺と花が幼なじみだということすら知らないはずだ。
「なんだよこれ……一人しか入れねーの?」
トイレに辿り着くと、ミッチーが不満げに唇を尖らせた。
そんなに俺と連れションしたかったのかよ。
用を足してトイレを出ると、目の前にミッチー。
「早く戻ろうぜ」
「あ、ああ……」
え? なんなのこいつ、トイレしないの? じゃあなんで来たの?
どんだけ俺と一緒にいたいんだミッチーは。
疑問に思いながら席に戻る。窓をじっと見ていた花が振り返る。
「おかえり」
「空、綺麗だね」
「……うん」
彼女は再び窓の外に目を向ける。穏やかな真っ青の空。
時間の流れがゆったりとしている気がして、なんだか癒される。
俺は手元のリモコンを操作し、目の前のモニターを付ける。
席に置いてあるはずのイヤホンを探すが、どこにも見当たらない。
「どーしたの?」
「イヤホン……探してるんだけど」
「じゃあこれ……はい」
花が自分の席にあったイヤホンを俺に手渡す。
「ありがと」
「ううん」
彼女は再び空に視線を移した。
「一緒に、なんか見ない? 映画とか」
「え、すごーい! 見れるんだ」
俺たちは二つのイヤホンをそれぞれの耳に嵌めて、一つのモニターに目を向ける。
映画を選択すると、映像が流れ始める。
でも、俺の意識は隣の花にばかり向かってばかりで。
目の前の映画に夢中な花もかわいいし、俺の視線に気が付いてこちらを見てくる照れ顔もかわいい。
映画を見て、花を見て。目が合って。俺たちはくすりと笑った。
「もう、なんなのー? さっきから」
「いや……その。深い意味はない」
花と――新しい想い出を作れたらいいな。
それで、いつか……花と――。
「なんか、眠くなってきた……」
「ふふ、おねむなの?」
「なんだよ、その言いかた……」
しばらく映画を見ていると、眠気がやって来た。
花はくすくす笑っていて、俺の隣でモニターを見ていた。
花が隣にいるだけで、癒やされる。
きっとこの温かさを知っているのは、この空で俺だけだ。
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